「手前勝手世界食物語、第332」
「お薦めの蟹料理」
初日の夕食はマリーナベイに面した「ノーサインボード」というレストランだったが、最近お酒を飲んでいないので、料理だけ頼む。飲み物は暖かい「中国茶」だ。頼んだのは「CRAB」、所謂「蟹」だが、小振りだと言っても甲羅の大きさは20cmx15cm、足の長さは15?20cmもある。これを豪快に手掴みで、歯で甲羅をばりばりと噛み砕いて、蟹の身を食べる。上品にするならば、器具を使って甲羅を割る。味付けは「チリソース」ベースだったが、蟹の出汁と味噌が加わって実に滑らかな味になっており、辛さは殆どなかった。蟹を堪能したが価格はシーズンプライスで@120S$、約1万円だ。次が「海老のから揚げ」とでも言おうか、大きな海老が丸のまま油で揚げられ、それにココナッツの粉がこれも揚げられて山と振り掛けられていた。この海老も美味かった。隣のテーブルの親子がこの海老を見て追加オーダーしていた。最後は簡単に「青梗菜の炒め物」を注文したが、これが失敗だった。味が濃過ぎてしつこい。唐辛子がまぶしてあったが、塩辛く油っぽく、食べられなかった。例の「3S会」の「すーさん」が以前シンガポールに住まれていたので現地の友人の方から美味しい店を紹介してもらった。明日、明後日には行ってみようと思う。本日はサービス料10%、消費税7%で約200S$、日本円約1万9千円でした。肝心の蟹料理の写真が見つからず、半分食べた後のものしかなかったので掲載しなかった。
ホテルでの朝食:2600室以上あるホテルがほぼ稼働率90%という人気ホテルだけに、朝食の客数は毎回4000人を超えるという。6時30分に行き、麺を食べた。まあ、高級ホテルだけに朝食代一人45S$(1S$=役86円)だった。
昼食はツアー飯で「チキンライス」だった。長いタイ米を鶏のスープで煮たものだった。
夜は紹介してもらった地元民が行くという「ザイオン・リバーサイド・フード・センター」に行った。確かにフードセンターだが、地元民しかいない。川に面してロの字型に店が立ち並ぶ。それぞれが特徴のある料理屋や飲み物を売っている。一軒の屋台風の店で「貝の煮込み」「マナガツオのフライ、甘酢餡かけ」「ブロッコリーと魚介の炒め物」、最後に「海鮮ヌードル」を食べた。それぞれ10,20,10,5S$だった。安くて美味しかった。昨晩は美味しかったが高かった。しかし庶民の味は安くていいね。現金払いのみ、カード駄目、その代わり、消費税、サービス料なしだった。
最後の晩の食事も地元の方のお薦めの店を探しながら行った。見つけた店は「マスター・クラブ・シーフード・レストラン」と名前は立派だが、屋台をちょっと大きくしたような地元民密着型の店だ。大半の人は料理を持ち帰っていた。飲物はセフルサービスで買ってきて勝手に飲む。「白身魚の蒸し料理」「豚肉の炒め物」「インゲンと干し海老の炒め物」に「ご飯」、ちょっと最後に「ビーフンの炒め物」で締めた。これで47S$、約8000円ほどだ。本当は蟹を食べたかったが、手掴みで食べるため、手がべとべとになり、とても耐えられないので止めたが、あれは美味しい。手さえ汚れなければもっと食べたかった。まあ、シンガポールの料理での特徴と言えば、やはり中華なので「油の使用が多い」ということと、「味が濃い」ということだろう。新鮮な魚介類は非常に美味しいので満足できる。以前来た時に食べた「フィッシュカレー」も最高に美味しかったが、今回の「蟹」も最高だった。写真は中華定番の魚の蒸し料理です。骨しかなくなるまで完全に食べ切りました。
以上、勢古口がシンガポールからお送りしました。
月: 2014年3月
「マーライオン」
「マーライオン」
シンガポールと言えば、「マーライオン」だろう。一番有名なのはマリーナベイに面してあるが、その直ぐ傍に小型の「子供マーライオン」もある。また、セントーサ島にも大きな「マーライオン」がある。こちらはライオンの口と頭の部分まで人が登れるので、かなりの大きさ高さで、日本で言えば「大型の仏像」のようだった。
「カジノ」
ギャンブルに興味はないが、まあ「郷に入れば郷に従え」でマリーナベイサンズの地下にある「カジノ」に行って見た。パスポートチェックを受けて入場すると、そこは熱気が走っているようだった。ただ「タバコの煙」が凄いのでくしゃみばかり出た。これだからギャンブル場は嫌だ。ソフトドリンクは無料だから、コーラを飲んだ。さて「バカラ」や「ルーレット」、「スロットマシーン」「大小」等々色々な賭け事が行われていた。私も「ルーレット」に参加したが、これがテレビ画面の前に一人一人が座って、前方で繰り広げられているルーレットをテレビで観ながら、画面上をタッチして賭けていくものだった。確かに効率的だ。昔のように数字の書かれた台の上でのチップの賭け事だと人数も限定されてしまうが、テレビ画面上での賭け事だから、これは凄い。1時間ばかり遊んだが、結局115S$、約1万円すってしまった。まあ最初から勝てないとは思っていたが、予想通りに負けた。最小掛け金が15S$で、単位は1S$,5S$,10S$,100S$毎に賭けられる。隣の男性は1000S$以上も勝っているようだったが、賭けるのを観ていると、一点買いを20点以上一回に賭けていた。だから当ると36倍になって返って来る。まあどういう確率かは分からないが、驚いたのは「0」が20回の内に3回も出たことだ。これは正に大穴だった。ご存知のようにルーレットは0から36までの数字の欄に個別にも隣とも或いは4点の交差部分にも、黒赤や大中小や偶数奇数等々色々な賭け方があるが、まあ素人が勝てることは「ビギナーズラック」以外にはないだろう。広いカジノだが、7?8割方埋まっていたが、深夜からが本番なのだろう。入口の行列は更に長くなっていた。最後の晩は午後10時ホテル出発で午前1時55分シンガポール発のJAL便で帰国した。実はこのツアーを申し込んだ時、プレミアムエコノミーがないか?問い合わせしたが、ビジネスしかないとの回答だった。ビジネスにしてもらおうとしたのだが、満席とのこと。結果としてエコノミーになったのだが、JALはこの便のエコノミーは従来より座席の間隔を10cm程、前後を広げていたから比較的楽ではあった。連休中でもあり、どの便もほぼ満席だったようでした。ボーイング767?300でのシンガポール往復でした。
「セントーサ島」
「セントーサ島」
三日目、弾丸ツアーのような旅はあっという間に終りに近付いた。午前中は「セントーサ島」を訪れた。この島、今では娯楽の島になっていた。「ビーチ」がいくつかあり、「ユニバーサルスタジオ」があり、「水族館」があり、「カジノ」があり、その他沢山の遊戯施設、ホテル、レストラン等があり、休日なので家族連れ、恋人同士、若者同士、物凄い混雑だった。昔の面影は「ロープウェイ」が本島との間に掛かっていたことだけだった。昔、船のマストがこのロープウェイのロープを切断しゴンドラが落ちて沢山人が死んだことを思い出した。さて水族館は「海遊館」という名前だが、大阪の海遊館の数倍の規模がある。超大型の水槽を中心にして沢山の小さな水槽が併設され、それこそ何万匹もの魚が泳いでいた。島内の交通はモノレールとシャトルバスが無料で走っていたので便利だった。シンガポールの生活だが、物価もそこそこ高いので生活水準はほぼ日本と同じ程度だろう。ただ小さな島だから、勿論一戸建てなど存在しないのだろうし、大概はマンション暮らしなのだろう。今空いている土地も将来の住宅建設には必要だろうし、現在都心近くにあるコンテナヤードも西海岸に移動するようで、空地は住宅になるらしい。兎に角狭い土地を効率的に使おうという政府の考え方がよく分かる。小さな島だから生産力はないから、「金融」で世界に覇を唱えようという政策だろう。富める国「シンガポール」はこれからも健在だろう。また自動車は全て輸入車で関税が2.5倍掛かるというが、皆立派な車を運転しているのには驚かされた。
「天空のプール」
「夜の天空のプール」
二日目の朝、朝食の後、屋上のプールサイドに行った。3つのホテルタワーの屋上部分(57階)を一つのプールで繋いだものだったが、確かに「天空のプール」だった。プールの水の先がそのまま下に落ち込んでいるような造りには、知ってはいたが驚きだった。ジャグジーもあり、家族連れが早朝から楽しんでいた。朝7時、太陽が東の空から昇ってきた。今日もまたシンガポールは動き始めた。週末の土曜日ということもあり、どこも人出が多い。やはり中国からの客が多いようだ。さてお定まりの観光コースを廻る。「シンガポール川河畔、マーライオン、新しい植物園、スカイウエイ、チャイナタウン、インディアンタウン、アラビアタウン」等だ。シンガポールには「徴兵制」がり、男子は高校卒業後「2年間の兵役義務」があるとのこと。少子化は日本より酷く、このままでは女子も徴兵しないと兵隊が足りなくなるらしい。子を産まない若い人たち。どこの先進国も悩みは同じだ。また平均寿命は高いのに長寿ではなく、100歳以上の老人は10人程度だという。現在の人口が540万人、これを政府は2030年までに690万人にするという目標を掲げているらしい。そのためには150万人の移民を受け入れるという。これは将来の日本にも共通する課題だ。昼食後、一度ホテルに戻る。今回は地下鉄のカードを買った。12S$(デポジット5S$)だ。何度乗れるかなあ。地下鉄網は発達しているので、乗り換え、乗り換えでどこにでも行ける。この地下鉄、日本より車両の幅が大きい。新幹線よりも大きいのではないだろうか?広軌だから同じか。カードは日本の交通系カードと同じSONYのフェリカのようだった。さて聞くと、シンガポールの小学生、中学生の生徒さんたちは激しい競争に幼い頃から晒されているらしい。直ぐに能力別のクラス分けで振り分けられてしまい、それが将来の進学に反映されてしまうという。毎年クラス替えがあり、ある意味実力を色濃く反映させたシステムのようだ。良いにつけ、悪いにつけ、競争社会であることは事実のようだった。確かシンガポールの学童学力テストは世界的にも上海に継いで2位だったはずだ。夜は、再度天空のプールに行ってみたが、朝ほど感動しなかった。まあこんなものかというより、夜景が何か疎らに光り、昨晩の夜景の感動はなんだったのか?と思ってしまった。土曜日なのでオフィスが休みで電気が付いていないのが原因なのだろうか?多分そうなのだろう。マリーナ・ベイ・サンズの対岸は金融機関を中心としてオフィスビルが大半だから。
「2014年の映画のお話し」 2013年は221本の映画を観ました。
映画「フルートベール駅で」(ヒューマントラストシネマ有楽町にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年45作目)
2009年の元旦、新年を迎えたばかりの電車の中で起こった揉めあいの末、無実の黒人青年22歳が警官によって撃ち殺された事件を克明に再現したもの。
映画「ローン・サバイバー」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年46作目)
アフガンでの任務で潜入した4人の米海軍「シールズ」の兵士達を待ち受けていたのは200人のタリバン兵だった。そしてたった一人だけ脱出できた事実の物語。
映画「ワンチャンス」(TOHOシネマズ有楽座にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年47作目)
イギリスはウェールズの男性は子供の頃からオペラ歌手になるのが夢だった。イタリア留学までしたが、夢は挫折した。だが、テレビの素人タレント発掘番組に挑戦し、勝利を得るのだった。
映画「神様のカルテ2」(TOHOシネマズスカラ座にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年48作目)
松本の「24時間365日」活動している病院の若い医師を描く第二作目。医師が直面する悩みや病院はビジネスなのかを問う。
映画「ウォルト・ディズニーの約束」(TOHOシネマズシャンテにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年49作目)
「メリー・ポピンズ」の映画化に際して、原作者の女性とディズニーとの契約裏話。秘話でした。
日経新聞3月28日付け夕刊「シネマ万華鏡」の評価によれば、「ウォルト・ディズニーの約束」が3つ星、「インミチ」が4つ星、「フルートベール駅で」が3つ星、「LIFE」が3つ星、「LEGOムービー」が3つ星、「ローン・サバイバー」が3つ星、「オーバー・ザ・ブルースカイ」が4つ星でした。
「私の去年2014年の映画の評価は?」
今年の★★★★★は、
今年の★★★★は、「小さいおうち」「アメリカン・ハッスル」「ウルフ オブ ウォールストリート」「光にふれて」「ダラス・カーボウイズ・クラブ」「それでも夜は明ける」
「2014 旅の記憶シリーズ」 2013年の旅では、「ペルー」が51カ国目、「南アフリカ」が52カ国目、「ジンバブエ」が53カ国目、「ボツワナ」が54カ国目、「ザンビア」が55カ国目でした。
2014年の国内旅行は、第一回目は九州福岡と水俣(1月)、第二回目は能登(1月2月)。第三回目は長崎(三月)です。
2014年の海外旅行は、トルコ(1月、3度目)、台湾(2月、3度目)、シンガポール(3月、X度目?)です。
「2014 歌舞伎観劇シリーズ」歌舞伎座にて★★★「今年2回目」
「鳳凰祭三月大歌舞伎」夜の部「盲長屋梅加賀鳶」
「2014 本の記憶シリーズ」 2013年は本を350冊読みました。
「家光の陰謀」(藤井 邦夫 著)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年64冊目)「乾 蔵人 隠密秘録」シリーズ第6弾
「幻剣双猿」(鳥羽 亮 著)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年65冊目)「隠目付江戸日記」シリーズ第8弾
「紅川疾走」(稲葉 稔 著)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年66冊目)「剣客船頭」シリーズ第9弾
「ふらっと銀次事件帳」(牧 秀彦 著)角川文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年67冊目)「天ぷら長屋の快男児」シリーズ第1弾
「シャドー・ストーカー」(ジェフリー・ディーヴァー 著)文芸春秋刊 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年68冊目)「人間嘘発見器キャサリン・ダンス」シリーズ第3弾
「開港」(佐伯 泰英 著)講談社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年69冊目)「交代寄合伊那衆異聞」シリーズ第20弾
「相抜け左近」(坂岡 真 著)双葉文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年70冊目)「帳尻屋始末」シリーズ第3弾
「マリーナ・ベイ・サンズ」
「J REPORT 2014 4月第1週」
「リタイアメント・ノート 5年10ヶ月目」、
「VOL。840 SINCE AUG.12th、1983」
「旅暦50、シンガポールへ」
「マリーナ・ベイ・サンズ」
これまた久し振りのシンガポールだった。何度行ったか覚えていないが、5?6回は行っていると思う。母や叔母を連れて行ったこともあった。元々戦時中、父は「陸軍主計少尉」として、母は「軍属」としてシンガポールにいたことがあり、父はそこで母を見初めたという。運命的な場所だった。その結果私が今ここにいるのだから。
シンガポールまでは約7時間のフライト。現地時間夕刻6時過ぎにチャンギ空港に到着した。宿泊先はあの有名な「マリーナ・ベイ・サンズ」だ。だが、私の部屋は何と2階の部屋で前を高速道路が走っていた。景色はどうしようもない。疲れもあるので、地下鉄に乗って2駅先で下車し、マリーナベイに面した海鮮レストラン「ノーサインボード」に行く。このレストランはテレビにもよく出るらしい人気の高級レストランらしい。そこから見ると、マリーナベイに沿って、時計回りに「観覧車」があり、シドニーの「オペラハウス」に似た建物が、そして「マリーナ・ベイ・サンズ・ホテル」、「高層ホテル群」、「マーライオン」、「ラッフルズ・ホテル」等々と続く。夜間なので道路がよく分からなかったが、歩いてみて、地下鉄、地下街が連続的に繋がっていて、余り表を歩かないでも動き回れるということが分かった。何しろシンガポール自体には何度かは来ているが、昔のことで全てが変わってしまっている。最も直近に来た時(十数年前?)には地下鉄は多分二路線ほどしかなかったと思ったが、今は縦横無尽に走っている。時代は変わってしまっていた。マリーナベイ周辺の夜景は凄かった。高層ビルに周囲を囲まれた湾には船は殆ど走っていなかったが、夜の11時になり、ホテルの前の岸壁近くで「噴水ショー」が始まった。噴水の幕に後ろからレーザー光線で画像を描き出し、また噴水の動きを変えることで観客を魅了しようというもので、ラスベガスに比べれば、それは劣るが、まあそれなりに楽しめた噴水ショーだった。追伸:帰国後、調べたらシンガポールを訪れた直近は、2000年8月だった。もう14年も前のことだった。
「光の波」
「光の波」
「ハウステンボス」の中で一際高い建物がある。約100mの「ドムトールン」という建物でここの80m付近に展望台がある。ここから下を眺めると、LEDライトが一面に敷き詰められていて、それがまた波のように点滅しながら押し寄せてくるのだ。夜のメインイベントといえよう。そんなライトの中を三々五々人々が散策していた。夜のハイライトなのだが、この光の模様はいつも同じではないだろう?多分シーズン毎に変えられ、リピーターにも対応できるようにするのだろうと想像するが、これも凄い労力が掛かる。大変だ。さてその晩は宿である「ホテル・オークラ」のレストランで、宿泊者向けセットメニュー「和牛ステーキ」を注文した。「長崎牛」の霜降り肉を目の前で焼いてもらい食べた。流石ホテル・オークラだけあり、肉も美味しく充分に堪能させて頂いた。レストランから見ると下には「別荘地」があり、個建て住宅が立ち並んでいた。一部の家には船着場も設けられていて、船も係留されていたりもした。この別荘地、一戸数千万円から数億円するという。別荘地の所有者はハウステンボス入場はフリーだという。まあバブル時代の置き土産みたいなものだった。
以上、勢古口が長崎からお送りしました。
「平戸城」
「平戸」
700年前の鎌倉時代からこの平戸の地は「松浦氏」が支配し、江戸時代も綿綿と続いていたというから、驚きだ。平戸・松浦藩、藩主の名前や藩命を呼ぶときは「まつら」となる。元々は「松浦水軍」であり、まあありていに言えば海賊だったのだ。源平の合戦にも平家方で参戦し、壇ノ浦にも出陣したという。さて江戸時代初期、海外貿易はこの「平戸」を窓口にして行われていた。だから日本で一番先進的なところであったのだ。「フランシスコ・ザビエル」も2度この地を訪れて布教していたという。「オランダ商館」もあった。それが「天草の乱」によってキリスト教が弾圧された煽りを食らって、平戸から長崎の出島に貿易窓口が移されてしまったことから、平戸は歴史の幕から去って行くことになったのだった。そのため、歴史から外されたことで古いものが沢山残されていた。落ち着いた漁業の街でもあり、古い都の平戸だった。玄界灘と有明海の両方に囲まれたこの地は豊富な魚類の産地でもあった。フランシスコ・ザビエルについていうと、余り評判はよくない。キリスト教を布教することに凝り固まっていて、どうも日本人をかなり見下していたらしい。その後、幕府は宗教色の濃くないプロテスタント系のオランダに貿易の窓口をポルトガル(カソリック系)から変えた。だからポルトガル側から見たら貿易面ではザビエルの布教は失敗だったと言えよう。
「ハウステンボスの3Dマッピング」
「ハウステンボス」
もう20年近く前に一度会社の旅行で来た事があったが、それ以来の「ハウステンボス」だった。経営危機を大手旅行会社の支援で立ち直ったこの施設も色々なアイデアを盛り込むことで漸く復活したと聞く。長崎は大村湾に造られたハウステンボスは多分2千数百億円もの巨費を投じられて造られたはずだった。それがバブル崩壊で破産した。だが、今は沢山の客が訪れている。当然宿泊を伴う客が多数いる。目玉は幾つかあるようだが、まずは「花」、シーズン毎に色々な花が植えられるという。今は「チューリップ」だ。その後「薔薇」「紫陽花」と替わって行くらしい。その次が夜の「光の宮殿、ジュエル・イルミネーション」、大量のLEDライトを設置した光の波は凄いものだった。確かに感動ものの風景だった。そしてもう一つが「3Dマッピング」、建物の壁に3Dの映画を上映するというものだが、中々迫力があるものでテーマは「竜」が火を噴くシーンを中心にして描かれていた。そして最後は世界的な人気アニメの「ONE PIECE」の船が航行するというものだった。どんどん進化しているハウステンボスだった。
「母校の練習見学」
「母校の練習見学」
東横線日吉駅から徒歩10分、東海道新幹線が走るトンネルの上にそのグラウンドはある。私が大学4年の時に、それまで使っていた練習グラウンド(通称、嵐が丘グラウンド)が工学部(現・理工学部)の校舎建設により立ち退きを余儀なくされ、新しく与えられたグラウンドは竹薮の小さな野原だった。そこを夏の炎天下、約1ヶ月の期間を掛けて、部員達だけで開墾整地して縦60ヤード、横40ヤード程度の小さなでこぼこのグラウンドが漸く完成した。そんな思い出ももう過去のものだ。今は人工芝の立派なグラウンドになっている。その日は東京でも18度と暖かく、グラウンドでは幾つものポジション別のチームに分かれての練習が行われていた。防具を付けないでの練習だったが、物凄く細かいメニューが組み立てられていて、選手達は休む間もなく、次々とメニューをこなしていた。中学生のフラッグフットボールの選手も一緒に練習していた。昨年、ハワイより専門のコーチを呼び、指導を受けているので、選手の身体も素晴らしく筋力が付いていたようだった。他校より身体が小さいので兎に角スピードを重視した指導をしているらしい。母校のアメリカンフットボール部の選手の今シーズンの活躍を期待したい。写真一番右手の大きな人がハワイ出身のコーチだ。
「2014年の映画のお話し」 2013年は221本の映画を観ました。
映画「ロボコップ」(丸の内ピカデリーにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年43作目)
瀕死の重傷を負った警官を救うにはロボット化するしかないと判断され、新しく「ロボコップ」が出来た。だが、それはロボットを政府に売り込むための罠だったのだ。果たしてロボコップは認められるのか?
映画「オール・イズ・ロスト」(TOHOシネマズシャンテシネにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年44作目)
南海の海で、一人のヨットマンが漂流の危機に襲われた。そして8日後、遂に力尽きた一人の男を描く。出演者はヨットマンのみ。
「私の去年2014年の映画の評価は?」
今年の★★★★★は、
今年の★★★★は、「小さいおうち」「アメリカン・ハッスル」「ウルフ オブ ウォールストリート」「光にふれて」「ダラス・カーボウイズ・クラブ」「それでも夜は明ける」
「2014 旅の記憶シリーズ」 2013年の旅では、「ペルー」が51カ国目、「南アフリカ」が52カ国目、「ジンバブエ」が53カ国目、「ボツワナ」が54カ国目、「ザンビア」が55カ国目でした。
2014年の国内旅行は、第一回目は九州福岡と水俣(1月)、第二回目は能登(1月2月)。第三回目は長崎(三月)です。
2014年の海外旅行は、トルコ(1月、3度目)、台湾(2月、3度目)です。
「2014 歌舞伎観劇シリーズ」歌舞伎座にて★★★「今年2回目」
「鳳凰祭三月大歌舞伎」夜の部「盲長屋梅加賀鳶」
「2014 本の記憶シリーズ」 2013年は本を350冊読みました。
「おかげ横丁」(井川 香四郎 著)文春文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年61冊目)「樽屋三四郎言上帳」シリーズ第12弾
「遊郭狂奔」(上田 秀人 著)幻冬舎文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年62冊目)「妾屋昼兵衛女帳面」シリーズ第6弾
「千万ドルの夜景?」
「J REPORT 2014 3月第4週」
「リタイアメント・ノート 5年9ヶ月目」、
「VOL。839 SINCE AUG.12th、1983」
「千万ドルの夜景?」
久々に長崎に行った。会社生活の時には度々訪れた街だが、リタイアしてからは初めてだ。港にへばりつくように発展した街、坂の街、歴史の街、そして地元では「新世界三大夜景」(一千万ドルの夜景)と称している街でもあった。昼間は「大浦天主堂」と「孔子廟」を訪れ、夜はケーブルカーで山頂に登り、夜景見物をした。まあ、眼下にはパラパラと街の光があるが、圧倒的な夜景とは言えないだろう。修学旅行生などもいて、ケーブルカーは30分待ちだった。ただ、夜空に「十六夜(いざよい)」の月が大きく光り輝いていた。こちらのほうが寧ろ印象的だった。昔、日本が唯一海外に窓口を開いていたのが長崎だ。近代文明はここを足場にして入って来たと言っても過言ではない。幕末の志士たちも、オランダ語を学ぶ者も、医学を学ぶ者も、全国各地から若者たちがこの地に留学してきたのだ。海外に雄飛しようとした者もやってきたのが江戸時代の長崎だった。そして次に注目されたのが、昭和20年8月11日の原爆投下だった。こんな小さな街だが、良港があり、三菱重工のドッグもあり、攻撃対象とされてしまったという。終戦のきっかけとなった悲劇の街でもあった。今はそんな雰囲気は全くないが、明と暗の歴史が交差する街でもあったのだ。