「3S会、中国地方を行く」

J  REPORT2017 10月第1週号」
「リタイアメント・ノート 9年4ヶ月目」
「VOL.1023号 SINCE AUG.12th、1983」
ご意見ご要望等が御座いましたら、こちらへメールをください。
 sekoguti@aa.e-mansion.com

「3S会、中国地方へ行く」
「尾道」
LCC春秋航空の格安チケットで成田から広島に向かう。朝が余りにも早いので、3S会の二人には我が家に泊まってもらい、午前5時東京駅発のバスで出発した。第3ターミナルはやはり不便だ。延々と歩かなくてはならない。安いから仕方ないとしても辛い。さて広島空港からはレンタカーでまずは「尾道」に向かう。現地ガイドの方と合流し、ロープウェイで山に登る。遠くに島を結ぶ橋が二本見える。一つは高速道路で「しまなみ街道」の部分だそうだ。霞んで見える。(写真:Q1)

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昔の日立造船のドックが見えた。今はユニバーサル造船か?(写真:Q2)
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頂上からと「文学の小道」というのを下る。正岡子規の句が刻まれていた。(写真:Q3)
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「のどかさや 小山つづきに 塔二つ」と読める。尾道には塔が二つあるらしい。尾道といえば「放浪記」が有名だ。作家である彼女の歌もあった。中腹のお寺「千光寺」からは市内が一望出来る。(写真:Q4)
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子規が読んだ三重塔の一つが見えた。(写真:Q5)
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尾道は坂の街だ。坂と小道、所謂「小路」が特徴だ。いかにも尾道らしい景色だ。(写真:Q6)
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昼食は尾道のガイドさんお勧めの店で私は「海鮮丼」を食べた。瀬戸内の生きのいい魚が沢山入っていた。(写真:食1)
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二人は「牡蠣フライ定食」を食べた。

「村上水軍」
瀬戸内海には700余の島々があり、複雑な潮の流れがあり、そこを昔から海賊が支配していた。有名な村上水軍もその一つだ。因島に渡る。山の上の「海賊の城」がある。勿論復元されたものだ。(写真:Q7)

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信長にも敵対した村上水軍の拠点の一つだった場所だ。

「朝鮮通信使」
次に朝鮮通信使を接待した場所「松濤園」に行った。内部は残念ながら撮影禁止だったが、当時の通信使への実に細やかな接待と豪華な料理が再現されていて驚かされた。徳川将軍家の面子を守るために行ったものでその気の使い方がよく分かった。(写真:Q8)

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「大和ミュージアム」
フェリーで広島県側に渡り、呉の「大和ミュージアム」に行く。一度来ているので簡単な説明を聞いただけにした。「戦艦大和」の海底にある写真が最近も発表されている。(写真:Y1)

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余りにも有名な話しなので割愛する。大和が建造された場所には今は「JMI」という造船会社になっているが、そのドックは未だに活躍していて大型タンカーを建造しているという。(写真:Y2)
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(写真:Y3)
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夜は広島で後輩のT君が合流し、まずは珍しいという魚「あこう鯛」と烏賊の刺身を食べた。(写真:食2)
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T君は私の3年後輩のフットボール仲間でS信託から今は家業を継いだりと地元広島で大活躍していた。生簀のない店ではこのあこう鯛は食べられないという。鮮度が問題だそうだ。(写真:食3)
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二軒目は「広島風お好み焼き」の店だった。飲んで食べて大いに気勢を上げた。(写真:食4)
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3S会とT君。(写真:食5)
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楽しい夜でした。ちょっと飲み過ぎかな?

「高校はコールド勝ち、大学は2連敗」

「高校はコールド勝ち、大学は2連敗」
大学は緒戦の「明治戦」のクロスゲームを落としたのに続き、第2戦「日体大」戦も10:20で落とし2連敗という最悪のスタートとなった。
一方、高校の神奈川県大会はシードされて2回戦から出場した母校は「鎌倉学園」を第3Qコールド勝ちした。開始早々の母校攻撃の最初のランプレーが何と70ヤードの独走TDとなり、その後も一方的圧倒的な攻撃力で次々とTDを決め、前半だけで7TDで49:0となった。その後第3Qにも二つのTDを上げ、第3Q終了時点で61:0となり、規定によりコールド勝ちとなった。(写真:F)

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まあ春はオフェンス力不足だったが、やはり弱いチームには圧倒的な力を発揮出来るようだ。問題は実力が拮抗したチームとの戦い方だろう。

「今週の映画と本」
「2017 私の映画鑑賞記録」
「ユリゴコロ」(TC日本橋にて)私的批評眼★★★(今年150作品目)映画ユリゴコロ
交際していた婚約者の女性が行方不明になった。彼女を探す彼。同時に父が癌で余命いくばくとなる。父の部屋から発見された日記は、死んだとされていた実の母親のもので、彼女は殺人鬼だった。果たして彼女は見つかるのか?

「ナミヤ雑貨店の奇跡」(UC豊洲にて)私的批評眼★★★(今年151作品目)
今は廃屋となっている雑貨店に紛れ込んだ若者3人が、32年前の時を経て送られてくる手紙に返事を書くと、次々と手紙が。手紙のやり取りから過去の出来事を知ることになる。その晩は店のオーナーの33回忌の日だったのだ。

9月29日付け日経新聞「シネマ万華鏡」の評価は、「ドリーム」が5つ星、「わたしたち」が4つ星、「エタニティ」が3つ星、「僕のワンダフル・ライフ」が3つ星、「ブルーム・オブ・イエスタデイ」が3つ星、「ソウル・ステーション パンデミック」が4つ星、「ボルト」が4つ星でした。

「私の2017年の映画の評価は?」あくまで私の私感ですからね!!
★★★★★=「彼らが本気で編むときは」「わたしはダニエル・ブレイク」「はじまりの旅」「ブランカとギター弾き」「ボブという名の猫」「あしたは最高のはじまり」「オン・ザ・ミルキー・ウエイ」「50年後のボクたちは」
★★★★=「ショコラ」「アイヒマンを追え」「マグミフィセント・セブン」「愚行録」「ラビング 愛という名前のふたり」「パッセンジャー」「しゃぼん玉」「ジャッキー」「ライオン 25年目のただいま」「グレイト・ウォール」「追憶」「マンチェスター・バイ・ザ・シー」「怪物はささやく」「ザ・ダンサー」「怪盗グルーのミニオン大脱走」「ボン・ボヤージュ 家族旅行は大暴走」「君の膵臓をたべたい」「ファウンダー」「夜明けの祈り」

「2017 観劇シリーズ」
・6月大歌舞伎

「2017 旅の記憶シリーズ」
国内旅行は、2月の北海道(札幌、旭川)、9月の宮城県(石巻、松島海岸)。9月の中国地方(広島、愛媛、山口)。
海外旅行は、1月のキプロス(66カ国)経由マルタ島(67カ国)。3月のタイ。5月のハワイ。そして6月に中国(西域とシルクロードの旅)。9月にバルト三国(リトアニア68、ラトビア69、エストニア70カ国目)。

「2017 本の記憶シリーズ」
「ころころ手鞠すし」(坂井 稀久子ー 著)ハルキ文庫 私的批評眼★★★(今年200冊目)「居酒屋ぜんや」シリーズ第3弾本ころころ

「極道大名」(風野 真知雄 著)幻冬舎文庫 私的批評眼★★★(今年201冊目)「極道大名」シリーズ第1弾本極道大名

「防府、山口、萩、岩国」

「防府天満宮」
二日目は私がドライバーの番だ。まずは「防府」へ行く。毛利氏は今の広島と山口で120万石を持っていたが、関が原で破れ、山口の萩に城下町を移された。それ以前は防府に居城があった。ここは瀬戸内の交通の要衝でもあり、戦略的にも重要な拠点だったという。そこの「防府天満宮」に行った。勿論菅原道真公が祭られている。(写真:H1)

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牛がいた。(写真:H2)
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日本三天神だとか。本来は毛利家の屋敷に行きたかったが時間がない。山口に向かう。

「山口」
五重塔があった。美しいものだ。(写真:H3)

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次に雪舟が造った庭がある「常栄寺」に行く。雪舟が書いたとされる絵が最近発見され話題になっているが、この寺の絵もひょっとして雪舟かな?不明とのこと。(写真:H4)
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石の庭があったが、これは雪舟作ではない。(写真:H5)
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裏に雪舟が造ったという庭があった。岩と水、滝が配置された実にシンプルなものだ。(写真:H6)
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「ザビエル教会」
山口市内にあるザビエル所縁の教会に向かう。この地で当時の支配者だった「大内氏」からザビエルは布教の許可を得てキリスト教の布教を始めたのだ。(写真:H7)

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「萩往還」
毛利氏は萩に移った後に、防府と萩を結ぶ「萩往還」という石畳の道を造った。40数キロだという。今も一部が残っている。(写真:H8)

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「吉田松陰」
萩の「松蔭神社」に行く。結構観光客が多い。(写真:H9)

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絵があった。右が松蔭、左が久坂玄葉だ。(写真:H10)
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松下村塾の3傑の一人だ。惜しむらくは蛤ご門の変で戦死した。妻は「文」。大河ドラマにもなった話しだ。松蔭が書き送った手紙に歌があった。「親おもう こころにまさる 親こころ きょうの 音ずれ なんと聞くらん 寅二郎(幼名、本名)」(写真:H11)
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右肩上がりの非常な癖字だ。江戸の牢獄から死を覚悟して母親に送ったものだという。親より早く死ぬことの悲しみが込められている。小さな納屋が松下村塾になった。(写真:H12)
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ここで90名もの学生が学んだ。威信の英雄たちの写真があった。皆ここで学んだ者たちだ。(写真:H13)
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左上が久坂だ。教室は今も残されている。狭い部屋に寿司詰め状態だったのだろう。(写真:H14)
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萩の「旧町人街」を歩く。ここはお城から遠い。即ち下級武士の家と町人街があった。だからこの辺りから沢山の維新の志士が多く出た。夏みかんが植わっていた。幕末、この夏みかんは「代々」と呼ばれていた。これを大坂方面の人は「代々、だいだい、よよ、よいよい」と中風のよいよいと勘違いされると言ったので、萩では考えて「夏みかん」と名を付けたという。それが今に伝わっている。この柑橘類、3-4個で米1升と同じ対価だったので、これで町人は大儲けしたという。(写真:H15)
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藩の出入り商人だった「菊屋」は9000坪の店舗と屋敷を抱え、幕府からの使者の接待も行った大店だった。(写真:H16)
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菊屋家は今も続く。

「錦帯橋」
萩を出て岩国に向かう。まずは橋の近くの「半月庵」という料亭で食事をする。ここの名物は「岩国寿司」というものでお殿様に献上されたものだという。懐石料理を食べる。(写真:食7)

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岩国寿司というのは沢山の具材を重ね合わせて作り、これを切り分けて食べるという。(写真:食8)
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さていよいよ「錦帯橋」だ。ライトアップされていた。山の上にお城があり、そこもライトアップしていた。(写真:H17)
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20年ほど前に解体して作り直した。まあ木組みだから、保存のためには手を掛けないと仕方がない訳だ。さて広島に戻る。今日だけで400kmも走った。疲れた。

「宮島」

「安芸の宮島」
瀬戸内の島「宮島」は神の島とされている。島にないものは「信号、墓地、畑」だそうだ。島そのものが神様であり、神様の肌を傷付けないということから、鍬も入れないという。勿論不浄の墓はない。早朝7時過ぎ、干潮の時間に島に渡る。もう浴衣姿の人たちが大鳥居の周囲にいる。小潮なのでぎりぎりかと思っていたが、意外に引き潮だ。(写真:M1)

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この鳥居、自然の楠木の巨木をそのまま使っているという。自重のみで立っている。まず松の杭を沢山打ち込み、その上に平らな石を置き、そこに大鳥居を置いただけ。但し一番上の鳥居の横木の部分は箱状になっていて、石が詰め込まれているという。総重量約60トン。只海に浮いている?だけだそうだ。決して浮いてはいない。海底にどっかりと乗っているのだ。(写真:M2)
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平清盛がここ「厳島神社」を整えて今の姿にした。この神社の神様のお使いは「カラス」だそうだ。(写真:M3)
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「鏡の池」というのがある。ここに月が写るのを観るのが風流の極めだという。(写真:M4)
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五重塔と鏡の池、そして五重塔の横には「千畳閣」がある。これは秀吉が寄進したものだが、1598年に秀吉が死去したために未完成のまま放置されてしまった大きな伽藍だ。(写真:M5)
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本殿とその前の舞台だ。(写真:M6)
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天皇の勅使のみが渡れる太鼓橋だ。「勅使橋」という。(写真:M7)
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この神社の近くにあるお寺で第2次長州征伐時の和平交渉が行われ、「勝海舟」と「木戸孝充」(実際は代理の人)が会談し、幕府軍の撤退が決まった部屋だという。(写真:M8)
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この時、幕府には長州を打ち破る力はもう残されていなかった。
もう海が満ちてきていた。(写真:M9)
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ここにも野生の鹿がいる。(写真:M10)
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奈良のように獲付けしていないので、大半は山の中で暮らしているようだった。

「原爆ドーム」

「原爆ドーム」
これまでの晴天続きが今日は朝から雨だ。有名な原爆ドームにやってきた。何度も広島には来ていたが、ドーム見物は初めてだ。まずはドームの周辺を歩く。(写真:G1)

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(写真:G2)
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(写真:G3)
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テニアン島と飛び立った3機のB29、その内の1機が「エノラゲイ」だ。昭和20年8月6日午前8時15分、高度9800mから原子爆弾「ビッグ・ボーイ」が落とされ、600mの高度で爆発、3-4000度の高熱と爆風を発した。市内の大半がこれで破壊された。目標は原爆ドームの北側にあるT字型の橋「相生橋」だったが、約300mに連れて「島内科医院」というところの上空で爆発。直下にあったお地蔵様はその影が真下の石に残されていた。(写真)G4)
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爆心地の標識だ。(写真:G5)
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当時、島院長は前日から往診出張していて無事だったという。平和の少女の像があった。(写真:G6)
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沢山の千羽鶴があった。次に訪れたのは「無縁仏の墓」だ。ここには約7万体の遺骨が納められているという。大半が身元不明だという。(写真:G7)
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爆風で吹き飛んだ灯篭の残骸があった。(写真:G8)
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昭和24年、ここを平和公園として整備し、原爆ドームを後世に残そうという機運が出た時に設計コンペで優勝したのが「丹下健三」氏だった。ドームを見通す一直線の位置を設定して、並べていったという。埴輪からヒントを得た湾曲した屋根があり、そこには戦没者名簿が納められている。その先に手を広げた形をした平和の灯火があり、その先がドームなのだ。(写真:G9)
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(写真:G10)
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記念館に行く。進駐してきた米軍が撮った写真があった。20年の9月から10月に掛けてだという。(写真:G11)
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無残で表現し切れない。とてもではないが、写真になど撮ることは出来なかった。
地下に平山郁夫氏作の大きな絵、「広島生空図」があった。(写真:G12)
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真っ赤な炎が町中を覆っている。惨劇を描いた傑作だ。
オバマ前大統領が来られた時に折られた鶴の折り紙があった。(写真:G13)
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(写真:G14)
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(写真:G15)
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何だろう、このコントラストは。折鶴は平和の象徴だった。
以上、疲れ果てて帰京した勢古口がお送りしました。
追伸:オーストラリアの中学生とホテルが一緒だった。聞くと第一外国語が日本語だと言う。これまたびっくり。

「バルト三国の旅、後半」

J  REPORT2017 9月第4週号」
「リタイアメント・ノート 9年3ヶ月目」
「VOL.1022号 SINCE AUG.12th、1983」
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「旅暦74」「バルト三国の旅、後半」
「エストニア」第五日目(9月16日)
ラトビアの首都リガからスィグルダを経由してエストニアに入るのだが、この辺りから体調がおかしくなってきた。どうも初日に風邪を引いたらしく、咳が酷かったのが、ここへ来て発熱と関節の痛さに悩まされるようになってきた。殆ど動きたくない。何度も旅行してきたが、風邪でダウンは始めての経験だ。
スィグルダは、ラトビアのスイスと言われるほどの風光明媚な土地らしい。ボブスレーのコースがあった。練習にはヨーロッパ中から選手が集まるという。ちょっと小高い丘と深い渓谷がある土地だ。洞穴があった。「グートゥラニャ」の洞窟というらしい。(写真:V4)

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ここの水は湧き水で薬効があると言われてきたらしい。(写真:V8)
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(写真:V9)
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洞窟は大して大きくないが古いようだ。(写真:V5)
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壁には昔からの年代と名前が記されていた。(写真:V6)
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木々が色付いていた。(写真:V7)
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(写真:V10)
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2kmほど先に「薔薇の墓」というところがあった。昔、美女が亡くなったところらしい。(写真:V11)
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この辺りで動けなくなった。完全に風邪の影響だろう。城があった。「トゥライダ城」だという。(写真:V12)
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一階の椅子に腰掛けてイヤフォーンから流れてくる話しを聞くだけだ。動きたくないような風邪は久し振りだ。お城を一応写真には入れた。(写真:V13)
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(写真:V14)
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(写真:V15)
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昼食でレストランに向かう。薬を飲むためにスーツケースを一時降ろして開ける。葛根湯があったのでまずは飲む。食事は美味しくも何も感じない。(写真:V16)
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(写真:V17)
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一路、エストニアに向かう。雨が降り出した。それもかなり強烈な雨だ。すると虹が見えてきた。(写真:V18)
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(写真V19)
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やがて国境を越える。我々は一番南のリトアニアから北上して、ラトビア、そしてエストニアにやって来た訳だ。このツアーの参加者38名の大半はもうヨーロッパでは行くところがなく、バルトに来たという人だったが、今バルト三国は人気らしい。

「スターリンの遺産」
首都の郊外にはスターリン時代やその前の時代に建てられたアパートが数多くあった。当然古いもので、5階ないし6階建てで、一部屋に二家族が暮らすアパートもあるという。勿論エレベータなどない。年寄りには困るアパートなのだが、これがスターリンの遺産なのだ。スターリンは第二次大戦後、ドイツ軍に捕虜となっていた赤軍兵士が解放されて戻ってくると皆シベリア送りにしたという。自分の独裁が脅かされる恐れのあるものを排除するという姿勢は、今の中国の習氏や北朝鮮の金氏となんら変わらない。こんな不幸な人生を送らされたソ連の人たちに哀悼の意を伝えたい。それにしても未だにロシアは領土拡張を常に標榜している。だから北方4島など帰って来る訳がないのに、無駄な努力をしている日本政府にも呆れる。ロシア帝国時代から、革命後の共産ソ連もそしてその後の民主化されたロシアも何ら考え方に変わりはない。
さて、タリンのホテルにチェックインしてから直ぐに食事に出掛ける。だがこの時には既に体力を使い果たしていた。「ペッパーバック」という店なのだが、まずはビールを頼む。(写真:E1)

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次がスープ、豆のようだ。(写真:E“)
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民族舞踊が始まった。これが終わらないとメインが出て来ないらしい。(写真:E3)
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漸く舞踏が終わってメインのポークが出てきた。(写真:E4)
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しかし、食欲全く沸かず、少しだけ肉を食べただけで、早々に一人帰らせてもらった。

第6日目(9月17日)
昨日は薬を飲んで寝て、ぐっすり眠った。しかし、関節は痛いし、微熱もまだある。それでも朝食は食べたのだが、これでもうダウン。午前の観光も昼食も午後の自由行動も全てパスしてベッドに倒れていた。辛うじて窓からバルト海が見える。(写真:E5)

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(写真:E6)
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クルーズ船も見える。沢山の観光客を運んできたのだろう。(写真:E7)
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バルト海はこの辺りでは不凍結なのだろう。だから昔から重要な港だったのだ。それからただひたすらに眠った。
夕方からは食事をしないと体力が持たない。朝少量の食事をしたが、昼抜きなので夜は少しは食べないと、と思い出掛けた。「オールド・ハンザ」という中世の店造りが売り物のようで、中世が体験出来ると言う。入り口に可愛らしい女性がいたので写真を撮らせて貰う。(写真:E9)
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兎に角暗い。基本的にはテーブルの上のロウソクだけが明かりだ。壁紙だ。(写真:E10)
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室内は広いが暗い。(写真:E11)
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メニューを見る。「シュナップス」とある。(写真:E13)
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所謂強い蒸留酒だ。ウォッカだがちょっと甘みがあるのを頼んだ。(写真:E12)
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料理のメニューだ。(写真:E14)
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「ブラックアンガス」のステーキを頼んだ。(写真:E15)
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しかし、食欲が全く沸かない。結果、ステーキを漸く飲み込んだといった具合だった。途中から民族楽器の演奏と歌が始まった。(写真:E16)
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(写真:E17)
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ここでも一番先に帰らせてもらった。まだまだ体調は戻っていない。帰りに振り返ると二つの塔があるのが、ライトアップされていた。午後8時20分だった。(写真:E18)
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結果、エストニアでは夕食時に2度、ホテルとレストランを往復しただけだった。
最終日、午前中はフリーだったのだが、朝方、5分ほど外出し、土産物店に寄った。目的は「国旗のバッジ」だ。ピンバッジなのだが、その国の国旗を模ったものを必ず買い求めている。今回は68カ国目から70カ国目なので3つ買い求めた、椅子に牛が座っていた。(写真:G1)
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このホテルの最上階に「KGB」の博物館があるという。(写真:G2)
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時間もなかったので訪れなかったが、ソ連時代には多くの人がこのKGBに泣かされたのだろう。シベリア送りにされた人もいたのかも知れない。さあ、飛行機は飛び立った。(写真:G3)
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さらば、バルト三国よ。そうそう、空港までの間の森に沢山の人がいて、キノコ狩りをしていた。今がシーズン真っ盛りだそうで、かの国の人もキノコが大好きらしい。
どうにか無事に帰宅をしたが、日本に着いたら、暑いのに驚かされ、汗だくになった。いやあ、寒かったバルト三国が懐かしく感じる暑さでした。

「今週の映画と本」

「今週の映画と本」
「2017 私の映画鑑賞記録」
「オン・ザ・ミルキー・ロード」(TCシャンテにて)私的批評眼★★★★★(今年147作品目)映画ミルキーウエイ
セルビアの紛争真っ只中を題材にした映画。いい映画だ。ロバに乗りミルクを運ぶ男とイタリア人女性との恋愛なのだが、戦争の悲劇との背中合わせの内容が面白くも悲しい。もう一度見てみたい大人のメルヘンでした。

「50年後のボクたちは」(UC有楽町にて)私的批評眼★★★★★(今年148作品目)映画50年後のボクたちは
これは笑わされた。何てことはないドイツの中学校で14歳を迎えた二人の男の子が、車を一台盗んで夏休みのドライブ旅行に向かう。そこで経験する冒険の旅。50年後、老人となった時、再開出来るのだろうか?否、子供の夢だった。でも素晴らしい夢だ。

「スクランブル」(TCみゆき座にて)私的批評眼★★★(今年149作品目)
古い名車を盗むという窃盗団のお話し。期待外れだった。

9月22日付け日経新聞「シネマ万華鏡」の評価は、「ミーサの血」が4つ星、「あさひなぐ」が4つ星、「スクランブル」が3つ星、「ジュリーと恋と靴工場」が2つ星、「ナミヤ雑貨店の奇跡」が3つ星、「ユリゴコロ」が2つ星、「奥田民生になりたいボーイと出合う男すべて狂わせるガール」が3つ星でした。

「私の2017年の映画の評価は?」あくまで私の私感ですからね!!
★★★★★=「彼らが本気で編むときは」「わたしはダニエル・ブレイク」「はじまりの旅」「ブランカとギター弾き」「ボブという名の猫」「あしたは最高のはじまり」「オン・ザ・ミルキー・ウエイ」「50年後のボクたちは」
★★★★=「ショコラ」「アイヒマンを追え」「マグミフィセント・セブン」「愚行録」「ラビング 愛という名前のふたり」「パッセンジャー」「しゃぼん玉」「ジャッキー」「ライオン 25年目のただいま」「グレイト・ウォール」「追憶」「マンチェスター・バイ・ザ・シー」「怪物はささやく」「ザ・ダンサー」「怪盗グルーのミニオン大脱走」「ボン・ボヤージュ 家族旅行は大暴走」「君の膵臓をたべたい」「ファウンダー」「夜明けの祈り」

「2017 観劇シリーズ」
・6月大歌舞伎

「2017 旅の記憶シリーズ」
国内旅行は、2月の北海道(札幌、旭川)、9月の宮城県(石巻、松島海岸)。
海外旅行は、1月のキプロス(66カ国)経由マルタ島(67カ国)。3月のタイ。5月のハワイ。そして6月に中国(西域とシルクロードの旅)。9月にバルト三国(リトアニア68、ラトビア69、エストニア70カ国目)。

「2017 本の記憶シリーズ」
「修羅」(麻倉 一矢 著)徳間文庫 私的批評眼★★★(今年198冊目)「将軍の影法師 葵慎之介」シリーズ第4弾本修羅

「スナイパーの誇り 上」(スティーブン・ハンター 著)扶桑社文庫 私的批評眼★★★★★(今年199冊目)本スナイパー上
主人公ボブ・リーのシリーズは殆ど読んでいるが、いつも面白い。ドイツ軍と戦う赤軍の女性スナイパーを描く。

「スナイパーの誇り 下」(スティーブン・ハンター 著)扶桑社文庫 私的批評眼★★★★★(今年199冊目)本スないパー下

「将軍」

「江戸東京博物館・常設展5」
「将軍」
江戸時代の将軍がお出ましての「鷹狩り」の絵だ。実に面白いので、一応説明してみよう。まず最初の絵をご覧あれ。(写真:S1)

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将軍は一番上の列の真ん中にいるのだが、傘が掛けられていて、姿が確認出来るだけで、顔は見えない。次の絵も見てみよう。(写真:S2)
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右上の集団からちょっと離れたところにある傘。この下の将軍がおられるのだが、顔を見ることは出来ない。勿論周囲にいるのは「旗本」たちだ。「お目見え」と呼ばれる将軍に直接会える人たちだ。しかし「お目見え以下」という身分の低い人たちがこの絵を見て将軍と顔を会わせるのは無礼だとして、将軍の顔を見られないようにしているというから、物凄い念の入れようだ。
これは徳川家康公だ。(写真:S5)
だから多分本当の顔が描かれているとは考えないほうがよいのかも知れない。
「水道橋」
江戸城を出て東に進むと堀を越えるのが「水道橋」。(写真:S3)
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この橋を利用して上水を運んだので名付けられたのが「水道橋」、今もその名は残っている。
「御茶ノ水」
神田川の東側に美味しい水が出る井戸があったことから、ここでお茶を飲んだことから、その名を「御茶ノ水」と呼ぶようになったという。(写真:S4)
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井戸が名前の由来なのだ。
「玉川上水」
家康が入府してまず行ったのが、水の確保だ。江戸にはよい水がなく、掘って出てくるのは塩気の強い水だった。そこで「玉川」と「井の頭」から江戸市中に水を運ぶことになった。玉川上水は単に水の落差だけを利用して運んだ。(写真:T1)
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だから迂回しなくてはならない場所もあった。(写真:T2)
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市中に入ってからは、樋を使って、町のあちこちに運び、井戸状にしたところに水を溜め、それを飲料水として利用した。

「彼岸の墓参り」

「彼岸の墓参り」
青空に白い雲が浮かんでいる。絶好のお墓参り日よりだ。青山墓地には沢山の人がいた。たまたま二つ隣りの墓の持ち主と思われる老女から話しかけられた。隣の墓の持ち主が草取りをしないので雑草が生い茂り、自分の墓にも侵入してきて困っていると愚痴られた。まあお互い様なのだが、無縁墓地になったのを勝った人が辞退下から放置状態になっているという。他人事だが、実は隣の墓が放置状態というのは本当に困るのだ。私の家の墓も8月は雑草で大変だったが、今回は一ヵ月後なので雑草は生えておらず、除草剤散布すませた。(写真:墓参り)

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隣の墓に「曼珠紗華」、彼岸花が咲いていた。(写真:花)
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皆さん、お墓を掃除して拝んでいた。

「回味」

「手前勝手世界食物語、第464号」 だし
「回味」
兎に角、京橋でこんな安い店があったのか?と驚く安さなのだ。食べ放題飲み放題で4000円を切る価格が京橋であるのか?ありました。銀座からは外れているし、日本橋からも外れているから、ある意味繁華街からは外れているのかもしれないが、この安さならば後は美味しさだけで人は集まるだろう。ということで予約をして行って見た。中華料理なのだが、一品料理の食べ放題でもいいし、火鍋の食べ放題でもいいというので、今回は火鍋にした。2色の出汁で食べる。(写真:食1)

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食べるほうの付け汁は、鍋の出汁に、にんにくや白胡麻ペースト、或いは絡み唐辛子とラー油ミックスを適当に好みで作る。具材は本当にボリュームもある。野菜だ。キノコが山盛りだ。(写真:食3)
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肉も山盛り。(写真:食4)
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えのきも別皿で出てきた(写真:食5)
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豆腐もあった。(写真:食6)
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まあ、これだけでお腹満腹になるのだろうが、更に追加も可能だ。それにしても安くて美味しかった。当たり前のように満席でした。
以上、バルト三国で風邪を引いて帰宅した勢古口が東京からお送りしました。