「火の見やぐら」

江戸の昔、江戸の華は「火事」と言われていて、たびたび「大火」に襲われた歴史があるという。江戸の下町の代蕪Iな町「門前仲町」の交差点近くの「黒船橋」の袂に「火の見やぐら」が復元されて建てられている。3階建ての建物となっていて、江戸時代ならばこのやぐらから遠くは西に「富士山」、東北に「筑波山」が見られただろう。最近時代物の小説に凝っているので、今にでも火事場装束の「火消し」の一団が現れてきそうな気になってしまった。ここ門前仲町は元々は「永代寺」の門前町から始まったらしいが、永代寺の和尚さんが「深川八幡」所謂「富岡八幡」の禰宜も兼ねていて、お寺と神社の両方の門前町として発展したらしい。神仏混合のいかにも日本らしいお話しだ。江戸時代後期には料理屋や遊女屋が林立していた江戸有数の繁華街があったという。そんな街の火の見やぐらは、きっと何度も何度も火事を発見して半鐘を鳴らし庶民に避難を促したのだろう。さてこの門前仲町を中心とする下町「深川」には大名や旗本の「下屋敷」と水運を利用するための「掘割」が多かったという。今も掘割は「なになに川」と称して残されている。隅田川の東側と繋ぐのが「永代橋」だ。江戸の人たちはこの橋を渡って門前仲町に通って来たに違いない。古地図を観ると武家屋敷に持ち主の名前が書かれているのだが、どう観ても逆向きになっていたりして、地図を動かさないと名前が読めない場合があるのだが、その理由が屋敷の正面入口がどこにあるかを示していると知って、なるほどと感心した。確かに武家屋敷には侮Dなどないし、屋敷の楓蛯ェどこにあるのか、分かり難いのを地図の名前が読めるほうが楓蛯セと分かれば助かる。昔の人も工夫をしたものだ。

「ネズミ捕り」
築地の新大橋通りから「佃大橋」を亘って晴海通りにぶつかる手前の下り坂ではかなり頻繁に警察のスピード違反取り締まり、所謂「ネズミ捕り」が行われる。この道、皆さんもご存知の「東京マラャ刀vのコースにも当り、かなりの上り下りのある場所なのだ。地元民の私はこの道路を通過する際は制限速度の50kmをきちんと守って走っている。知らない人はついつい70km位はすぐに出してしまう道なのだ。その日は私は反対側を走行していたのだが、反対側の道路では次々と車が警察に捕まっていた。哀れ、哀れ。というのもその道路の脇には警察の白バイの基地があるのだ。宿泊施設もあり、職住近接で警察にとっては掻き入れ場所なのだ。皆さん、気を付けて下さいね。大体「ネズミ捕り」という呼び名がまるで明治時代の「おいこら」警官のスタイルを踏襲しているようでお上の威光を嵩にきているのが嫌だ。堂々と隠れてないで取り締まれよ。

「遂に地デジ化」
永い間お世話になったアナログテレビが終了して、デジタル化になった24日。その前日に愛車も地デジ化したのだが、幾らスウィッチを押してもチャンネルが変わらない。トヨタに文句を言ったのだが、時間切れで翌日の24日再度車をトヨタに持ち込んだ。頭にきたので「取り外し金を返せ」と言ってやったら、後から電話が掛かり、取り付けミスで受信するほうのセンサーが逆になっていたとのこと。何やっているんだ、トヨタ。しっかりしろ。

「手前勝手世界食物語、第211話」

「築地・丸清の鰻」
インターネットで見たら東京都内の人気鰻店の一番は南千住の「尾花」、そして2位が築地の「丸清」とあったので、早速行って見た。開店が午前11時半とのことだったので丁度ぴったしに行ったら既に先客あり、辛うじてカウンター席に座れた。カウンターが7席、テーブル席で10席と小さな店だ。店の主人が自慢げに「うちの店は宣伝しないんだけれど、インターネットで誰かが教えてから混んで混んで困る」と言っていた。私は2800円の「臣」というのを頼んだ。一番上が「大君」@3800円で大きな鰻が2匹だとか。そして次が@3400円で大きな鰻1匹と普通の鰻が1匹。いずれにしてもご飯の上に2段に鰻が乗っているという勘定だ。次が私の注文したものでこれは普通の鰻1.5匹で1段半、@2800円だ。一番安いのが@2400円で普通の大きさのが1匹乗っているという感じなのだという。デジカメで写真を撮ったら「断ってから撮って下さい。うちのものだから」ときた。これで完全に切れました。「ちょっとお高くない?なんだい、ちょっと売れた位で調子に乗り過ぎていないか?」鰻は愛知県産だというが注文を受けてから蒸してタレに浸けて焼き上げる。目の前に既に下焼きしてある鰻の串が4?50本並んでいたが、これがなくなると店終いだとか。後から後からお客がやってきて私が店を出た正午には店内は一杯、そとに10人以上並んでいました。しかし、ちょっと気に食わない店でした。二度と行かないよ。さて、暑い内に南千住まで足を伸ばして「尾花」にでも行こうか?それとも江戸橋の「大江戸」にでも久し振りに行って見ようかと思ってます。その時はまたご報告致します。
以上、若干涼しい東京からお送りしました。

「変貌する豊洲」

愛犬との散歩の最中に豊洲を歩く。あちらこちらでまだまだ建設ラッシュのようだ。「豊洲」と言っても、東京でも下町の人しか知らないと思うので簡単に説明する。隅田川の河口の東側にあり、元々は「IHI」の東京ドックヤードがあったところや、周辺には製鐵メーカーや鉄工所、食品工場、倉庫等があった工場地帯だったのが、この20年の間に大きく変貌し、マンションとショッピングセンター、そして近年はオフィスビルが建ち並んでいる街になっている。銀座と東京駅からも3?4kmと都心に近く、交通も「東京メトロ有楽町線」、モノレール「ゆりかもめ」の駅があるし、都バスの路線が銀座、新橋、東京駅、門前仲町駅、錦糸町、東京スカイツリーの街「業平橋」、そしてお台場経由で東京テレレポートへと繋がっていて、交通の要衝であり実に便利なところなのだ。さてそんな一角に「昭和大学新豊洲病院」の建設現場があった。今の昭和大学の豊洲病院は豊洲交差点付近にある。ショッピングは、「ララポート」「イオン」「スーパービバホーム」等の専門店街もあり、遊びも買い物も便利だ。それに伴い人口増加地域だから小学校も「豊洲小学校」に追加して「豊洲北小学校」が数年前に建てられた。今は豊洲小学校増築工事が進行中であり、更に新たに「豊洲西小学校」が建てられる計画があると言う。将来的には「築地市場」の移転計画もあり、益々変化変貌を遂げるのだろう。兎に角、都心に近いという利点をフルに生かして、今後もマンションとオフィスビル、大型郊外型ショッピングセンター等の計画が目白押しだという。都内に残された殆ど唯一の「職住近接型都市」だといえよう。

「中国で高速鉄道事故」
驚いたねえ。落雷で停車中の列車に後続の列車が追突して高架から4両が落下したとは。もっと驚いたのはその事故現場で救助に働いていた重機が全て日本製だったことだ。「小松」「住友」「コベルコ」等々やはりこの分野では日本は他の追従を許さないようだ。ところで中国版新幹線も故障ばかりのようだが、まずはなすべきこと、それは「安全」のはずだが、中国では安全は最優先課題ではなさそうだった。その後の展開に更に驚かされた一週間でした。

「有楽町阪急が一時休業」
有楽町マリオンにある「有楽町阪急」が秋まで改装のため、18日で一時休業となった。マリオンにあった西武百貨店も既に閉館となった。阪急は「男性物」に特化するという。そんな最終日に私は買いたいものがあったので訪れた。7階の売り場で礼服を特売していて「タキシード」を買いたかったのだ。約13万円のが4万円台に値下げされていたのでちょっと買う気になっていた。最終日に更に値引きしていたら買おうと思ったが、残念ながら更なる値下げもなく、また欲しいと思っていたものが既に売れていたので諦めた。タキシードを着るチャンスなどこれからも余りないので無理に買うつもりはなかったが、海外でクルーズでもする時に必要かなあ、という程度の同期だったから、まあ仕方ないか。

映画

映画「海洋天堂」(シネスウィッチ銀座にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年125作目)
英語名「OCEAN HEAVEN」。21歳の自閉症の息子を抱え、男手ひとつで育てている王さん。勤め先は水族館。ところが末期の肝臓がんで余命3ヶ月と宣告される。自分が死んだ後、息子は生活出来るのだろうか?と悩む彼。色々な施設に問い合わせするがどこも息子を拾ってくれない。絶望の中、少しでも自立できるように息子に世の中のことを教えようとする。父と子の愛情物語。

映画「人生、ここにあり」(シネスウィッチ銀座にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年126作目)
1983年のイタリアはミラノ。精神疾患を病む患者たちを組織化し組合とした人たちの実際の物語。患者はこれまで精神安定剤を大量に投与され、自立させてもらえなかった。それを木の床のモザイク唐閧フ仕事を請け負い、患者たち自らが作業することで社会的にも自立させようと一生懸命に努力する一人の男性を中心に描く。感動も物語。

映画「黄色い星の子供たち」(日比谷シャンテシネにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年127作目)
1947年6月、ナチス占領下のパリ。ユダヤ人たちは胸に黄色い「ダビデの星」のマークを付けさせられていた。7月、遂にナチスはパリの警察を動員してユダヤ人狩りを行い、あっという間に1万3千人を屋内自転車競技場に収容してしまった。そしてここからまずは郊外の収容所に移動させ、更に東に、ポーランドへと列車で送るのだった。そこで働いたフランス人看護婦の目を通じて写る子供たちの姿を描く。涙なくして観られない作品でした。

映画「パピヨン」(日比谷みゆき座にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年128作目)
「午前10時の映画祭」での旧作50本の内。パピヨンとはフランス語で蝶のこと。主演はステーブ・マックィーン。フランス領ギニアの刑務所に送れられたパピヨンが何度も何度も脱走を図るという映画。過去にも観たのだが、いつ観ても面白い。

映画「ロック わんこの島」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★(今年129作目)
2000年に起きた三宅島の噴火とそれに伴う全島避難に巻き込まれた家族と犬の物語。子供向けのお話しでした。

日経新聞7月29日夕刊の「シネマ万華鏡」の評価は、「エッセンシャル・キリング」が4つ星、「おじいさんと草原の小学校」が3つ星、「トランスフォーマー/ダークサイドムーン」が3つ星、「カーズ2」が3つ星、「復讐捜査線」が3つ星、「デビルクレスト」が3つ星、「ふたりのヌーヴェルヴァーダ ゴダールとトリュフォー」が3つ星でした。

「シノプスシ135」(読書シリーズ135)
本「錯綜の系譜」(上田秀人著、)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年205冊目)「目付鷹垣隼人正 裏録」シリーズ2作目。
5代将軍「綱吉」から直々に命じられて目付になった鷹垣は、6代目将軍の座を狙う一味との戦いに巻き込まれる。伊賀者、甲賀者、黒鍬者らの忍者や、上野寛永寺の僧兵などが入り乱れる。そして3代将軍「家光」の出生の謎が明らかになる。

本「死笛」(鳥羽亮著、)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年206冊目)「隠目付江戸日記」シリーズ1作目。
本「秘剣水車」(鳥羽亮著、)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年207冊目)「隠目付江戸日記」シリーズ2作目。
本「妖剣鳥尾」(鳥羽亮著、)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年208冊目)「隠目付江戸日記」シリーズ3作目。
海野洋之助は48歳の隠居した武士。駿河国江崎藩の江戸における「隠目付」としてその腕をかわれ活躍するお話し。

本「悲恋斬り」(鳥羽亮著、)祥伝社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年209冊目)「介錯人・野晒唐じゅう郎」シリーズ6作目。
本「飛龍の剣」(鳥羽亮著、)祥伝社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年210冊目)「介錯人・野晒唐じゅう郎」シリーズ7作目。
本「妖剣おぼろ返し」(鳥羽亮著、)祥伝社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年211冊目)「介錯人・野晒唐じゅう郎」シリーズ8作目。
本「鬼哭霞飛燕」(鳥羽亮著、)祥伝社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年212冊目)「介錯人・野晒唐じゅう郎」シリーズ9作目。
本「怨刀鬼切丸」(鳥羽亮著、)祥伝社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年213冊目)「介錯人・野晒唐じゅう郎」シリーズ10作目。
本「悲の剣」(鳥羽亮著、)祥伝社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年214冊目)「介錯人・野晒唐じゅう郎」シリーズ11作目。
本「死化粧」(鳥羽亮著、)祥伝社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年215冊目)「介錯人・野晒唐じゅう郎」シリーズ12作目。
狩谷唐じゅう郎は、刀の試し切りや目利きで生計を立てている。時代は幕末、外国船が日本を度々訪れ不安な時代だ。老中首座阿部伊勢守から伊賀者を通じての依頼で色々と探索にも力を貸す長編時代物。

空海

「J REPORT 2011 8月第1週号」
「リタイアメント・ノート 3年目2月目」 「VOL.696 SINCE AUG. 12th、1983」
「空海と密教美術展」
上野の「東京国立博物館・平成館」で開催されている「空海と密教美術展」の初日に訪れてみた。空海は唐の都「長安」を遣唐使として訪れ、本来ならば20年の勉学をしなくてはならなかったのを、たったの2年で帰国し、当時最も進んでいたとされる仏教の最高峰「密教」を日本に伝えた。その時に空海が持ち帰った仏具、経典、そして直筆の書などが並ぶ。国宝の仏像も多数ある。京の「東寺」を朝廷から与えられた空海がそこに残したものの素晴らしさに、曼荼羅の豪華さに驚かされる。空海の書は素晴らしいと聞いていたが、実物を見ると実に丁寧に文字ひとつひとつをきちんと書いていることに驚かされる。それでいてかなりのスピードで書き上げていったというから驚き。その才のうの凄さが滲み出ている。決して美しい文字ではないが、個性的でもなく、淡淡と事実を文字にして人々に読み易さを与えるその書。この展覧会は必見の価値が有る。仏像も凄い。9世紀から10世紀に掛けての日本仏教美術の粋を集めていると言っても過言ではない。先日観た古代ギリシャ展にも勝るとも劣らないものだった。9月25日まで開催しています。また行くつもりです。

「恐竜展 2011」
「国立科学博物館」で開催中の「恐竜展 2011」に行った。夏休みでもあり、お子さん連れのお母さん、お父さんが多く、小学生の中にはメモをとる子どもたちもいた。恐竜についてはどんどん新しい事実が判明してくるので学説もどんどん進歩していく。史上最も凶魔セったという「ティラノサウルス」は実は頭から尻尾までは「羽毛」で覆われえていたとか、恐竜達の肌の色も分かりかけてきているようだ。恐竜の化石を組み立てたものもコンピュータの発達でどこにどの骨があり、どのような役割を果たしたのか等まで分かるようになってきている。「トリケラトプス対ティラノサウルス」のCGによる格闘も見られる。お子さんとご一緒されるといいですよ。

「手前勝手世界食物語、第210話」

「ステーキとニンニク」
和牛の放射秤・ ・髀?ェ話題となり、多数流通しているとのことで和牛の消費が激減しているという。そんな最中いつもいく「ステーキハウス」に行った。勿論食べるのは「OGビーフ」だ。元々国産和牛は高過ぎて私は外国産牛肉で問題なし。目の前で焼き上がった熱々のステーキには既に包丁で1cm以下の厚さに切り分けられているのでお箸で食べられる。この店の特徴のひとつが「ニンニク」なのだ。普通の鉄板焼きステーキなどだと、薄いニンニクを油で炒めてカリカリの状態で出されるケースが殆どだが、この店のは厚さ数ミリの厚切りのニンニクがほっかほっかの状態で出てくる。だからニンニクを食べると言うより「蒸かしたお芋」を食べるような感触なのだ。だからきっと翌日は周囲の人にニンニクの匂いでご迷惑を掛けているのだろう?ステーキにこのニンニクを乗せて思い切って頬張る。肉汁もじわーっと湧き出し、ミディアムレアのステーキに旨味が増す。何かスタミナが付いたような気持ちにさせてくれるニンニクでした。締めは勿論「ガーリックライス」でした。
以上、東京から勢古口がお送りしました。

「高架下の焼鳥屋」

日比谷のJR高架下に名物の焼鳥屋がある。高架下の通路にその店はあり、「インテリ婆の店」と書かれている。これが不思議なことに冷暖房は全くない。上を通過するJRの電車の音に、もうもうたる焼鳥の煙が目に染みる。夏は路上にまでビールの箱を出し、その上に板を乗せてテーブルとしている。冬場は透明なビニールを垂らしているだけ。この店、驚きの一つは昼前から夜遅くまで年中無休で営業していると言うことだ。全く休みがない。そして昼間から焼鳥を食べお酒を飲んでいる人たちがいるということだ。そして更に驚くべきことはここの焼鳥は実際に店で串を刺しているということだ。普通は輸入物を使うと思うのだが、自家製の焼鳥と言うところが素晴らしい。午前中は仕込みなのだろうが、それを毎日やるのは本当に大変だろう。私は未だに店に入ったことはないが、殆ど毎日店の前を通っているのでいつも感心して観ている。大阪は梅田の地下街に「串揚げ」の店があり、これが立ち食い立ち飲みの店だが、昼間から客足が絶えないところがある。いつも前を通るたびに感心していたが、洋の東西を問わず飲み助たちの欲求は変わらない。

映画

映画「コクリコ坂から」(日比谷スカラ座にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年120作目)
昭和38年の横浜は山手に住む「海」は高校2年生。自宅は元医院で今は女性ばかりの下宿屋。同じ高校に通う3年生の男性に好意を寄せている。学校の古くなった部室を潰すと言う話しが出て、全校生徒が活躍を始める。そんな中、男性から二人は父親が同じ兄妹だと告げられる。そんな青春ドラマなのだが、実に当時の雰囲気が生き生きと描かれている。昭和38年と言えば私は中学3年生だった。横浜生まれの横浜育ちの私には全てが懐かしい風景だった。

映画「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2」(丸の内ピカデリーにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年121作目)
遂に完結となった10年に亘る大作。最後は勿論ハリーが勝つのだが、いつもながら面白い映画でした。

映画「ミクロの決死圏」(日比谷みゆき座にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年122作目)
「午前10時の映画」と称して古い作品を50本上映している中の一つだ。脳の手術を行うのに、小型潜水艦に乗り込んだ乗務員達は極小に縮小されて血管から脳へと送りだされるというもの。色々な困難を乗り越えて手術は行われる。

映画「大鹿村騒動記」(丸の内TOEIにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年123作目)
長野県大鹿村には300年に亘って続いている伝統の歌舞伎があるという。これはそんな村の歌舞伎を執り行う人たちの物語だ。実に単純に面白い。主演の原田芳雄氏の訃報が伝えられた日だった。18年振りに友人と駆け落ちした妻が帰ってくる。そこで起きる人々の人情味が面白い。

映画「いのちの子ども」(ヒューマントラストシネマ有楽町にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年124作目)
実際に起こった事件をカメラの眼を通して描いた実写物。パレスチナのガザ地区に暮す家族の4ヵ月半の息子は免疫不適合でいつ死ぬか分からない状態だった。それをイスラエルの医師が救おうとしてイスラエルの自分が勤務する病院に両親や小さな兄弟と共に連れてくる。だが5万5千ドルの費用が足りなかった。テレビで寄付を呼び替えたところ、匿名のイスラエル人が寄付してくれた。あとは骨髄移植に必要なドナー探しだった。こうして1年余に亘っての闘病生活を追う。イスラエルとパレスチナの紛争は2000年に亘るもの。アラブ人からも非難を浴びる家族。息子の命を救った後は殉教者にすると言う母親。世の中の辛い矛盾と紛争に思わず涙してしまう。

日経新聞7月22日夕刊の「シネマ万華鏡」の評価は、「モンスターズ/地球外生命体」が4つ星、「人生、ここにあり」が4つ星、「忍たま乱太郎」が3つ星、「ロック、わんこの島」が3つ星、「グッド・ハーブ」が3つ星、「黄色い色の子供たち」が3つ星、「死ね!死ね!シネマ」が3つ星でした。

「シノプスシ134」(読書シリーズ134)
本「義経になった男 三人の義経」(平谷美樹著、)角川春樹時代文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年197冊目)
「源九郎判官義経」の物語。影武者が二人いたというお話で、義経が京都の都から平泉に落ち着き、やがて兄の頼朝が挙兵したことを知り鎌倉を訪れ、平家討伐に派遣されるまでのお話し。4部作の一作目。

本「一矢ノ秋」(佐伯泰英著、)双葉文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年198冊目)
「居眠り磐音江戸双紙」シリーズの37作目。いよいよ磐音は江戸に戻る決心を固めた。

本「甘露梅」(宇江佐真理著、)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年199冊目)
「お針子おとせ吉原春秋」 吉原でお針子として働く「おとせ」の江戸情緒物語。

本「ひょうたん」(宇江佐真理著、)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年200冊目)
古道具屋「鳳来堂」の主人音松、妻のお鈴らの下町人情話。

本「白い霧桜雨」(藤原緋沙子著、)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年201冊目)「渡り用人 片桐弦一郎控」シリーズ1作目。
本「桜雨」(藤原緋沙子著、)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年202冊目)「渡り用人 片桐弦一郎控」シリーズ2作目。
本「密命」(藤原緋沙子著、)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年203冊目)「渡り用人 片桐弦一郎控」シリーズ3作目。
浪人となった片桐弦一郎は口入屋の紹介で武家の臨時雇いの用人となる。

本「神君の遺品」(上田秀人著、)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年204冊目)「目付鷹垣隼人正 裏録」シリーズ1作目。
5代将軍「綱吉」から直々に命じられて目付になった鷹垣は、6代目将軍を狙う一味との戦いに巻き込まれる。伊賀者、甲賀者、黒鍬者らの忍者や、上野寛永寺の僧兵などが入り乱れる。

「町の質屋」

月島に一軒の「質屋」がある。今時まだ質屋があることのほうが珍しいと思うのだが、昨今はブランド品を買い取る大手が林立しているし、ブランドの中古品の販売店、量販店も多いので果たして質屋の存在価値、意義はあるのか不思議に思いながら店を眺めていた。一部の女性は男性から貰ったブランド品を未使用のまま売ってしまうという話しも聞く。全くこの世の中どうなっているのか?貢ぐほうも貢ぐほうだが、貰って売るほうも売るほうだ。

「おめでとう、なでしこジャパン」
何も言うことなし。兎に角感動した。日本に元気を与えてくれてありがとう。ロンドン五輪に向けて頑張れ日本。テレビではドイツ戦、スゥエーデン戦、アメリカ戦と3試合観たが、試合毎に彼女たちが進歩していく様がありありと見てとられ、本当に感心した。よかった。素晴らしかった。

「東京スカイツリーは今」
遂に第一展望台の屋根に乗っていた外部の大型クレーンがなくなった。今は小さなクレーンがひとつだけある。ご存知のように大きなクレーンで小さなクレーンを引き上げ、その小さなクレーンで大きなクレーンを吊り降ろすという作業を繰り返して、最後は手で運べる小さなクレーンにまでして撤去は完了とのこと。もう直に外部のクレーンは全てなくなる。

携帯紛失

「J REPORT 2011 7月第5週号」
「リタイアメント・ノート 3年目1月目」 「VOL.695 SINCE AUG. 12th、1983」
「築地の火事跡」
築地の「場外市場」で火事があった。数日後に行ってみたが、未だに焦げ臭い匂いがしていた。「紀文」の店の丁度裏辺りで付近の店にも延焼したようで数軒が燃えていたが、建物自体は大丈夫のようで、内部が焦げ付いていたようだった。実はその1週間前にも叔母の家がぼやを起こしていた。見舞いに行くと二階の内部が殆ど駄目になっていた。しかし一階には全く被害がなく、消防署の人たちの活躍で一階の家電等も問題がなかったことが唯一の救いか。本当に火事は恐ろしい。昔から「地震、雷、火事、親父」と言われているように火事はある意味人災だから恐ろしい。原因は必ずあり、天災とは訳が違う。築地のほうはそんな火事をよそにしっかりと周辺の店は通常営業を行っていた。

「携帯電話を失くす」
日曜日、ほろ酔いかげんでバスに乗る。門前仲町から「海01」というお台場方面行きのバスだ。時刻は午後8時17分頃。さて直後メールを発信して本を読みながら自宅前のバス停まで。いい気分で自宅到着。8時30分頃か。愛犬が走ってやってきた。荷物を降ろした時に腰に着けている筈の携帯電話がない。慌てて愛犬と共にバス停まで行って見るが途中には落ちていない。直ぐに自宅に戻り固定電話でまずNTTドコモに電話して携帯を止めてもらう。それが午後8時40分。それから近くの交番に行き、遺失物届けを出す。次に都バスの営業所に電話し、バスの中で携帯を落とした旨伝えこちらの電話番号を言う。9時丁度だった。困ったことは携帯電話に全て登録してあるのでそれ以外の記録が全くなく、友人の携帯番号もなにもかも分からない。翌月曜日、再度都バス営業所に電話するが、届いていないと言う。警察にも電話するが休日と言うことで遺失物係りはお休みとのこと。翌火曜日、午前8時半にまず警察に電話。それらしき携帯電話が届いているという。だが驚いたことに「シムカード」がないので確認できないとのこと。それからNTTドコモ、警察と何度も電話して漸く製造番号等を入手して警察署に伺い、私の携帯を回収した。聞いてみると私が届け出た交番に翌朝の午前1時に届けられていたという。なぜその時交番のお巡りさんは私のところへ電話をしてくれなかったのか?あの馬鹿やろう。どうしようもない警察官だ。シムカードは携帯の通信機狽??iるカードだからこれがないと電話もインターネットも出来ない。私は直ぐにNTTドコモで使用出来ないようにロックを依頼していたから悪用はされなかったようだが、その間私の携帯は警察に届けられるまでの4時間どうなっていたのか?間違いなくバスの中で落としているのだが、交番に届けられた時は、交番近くの路上で拾ったということになっていた。バスの中で誰かが拾って悪用しようとしたが既にロックが掛かったおり、出来なかったのでそこでシムカードだけ抜き取って捨てたのだろうか?全く嫌な犯人だ。多分拾われた位置から考えて、私の次のバスストップで降りた人が最初に拾ったのだろう。そしてシムカードを抜いてその場で捨てたのを深夜どなたかが拾って近くの交番に届けてくれたに違いない。さて仕方なく警察からNTTドコモの営業所に立ち寄り新たにシムカード、NTTのは「ドコモカード」を購入し3150円を支払った。それ以外は無事で漸く安心し充電をした。あとから考えると落とした原因は、ひとつ、ほろ酔いかげんだったこと、ふたつ、ポロシャツをズボンの外にだらしなく出していたので、携帯がベルトに付けていたホルダーに上手く入れられなかったことだろうと思っている。反省、反省。この数年間にヴィトンのがま口の小銭入れを2個も無くしている。全くどうなっているのか、間抜けな私でした。ところで紛失した当時、一番恐れていたのは、この3年間に亘り旅をした時に撮った写真が失われてしまうのではないか?ということだった。電話番号は問い合わせすれば復旧出来るが写真だけはどうにもならない。デジカメの写真は当然保存してあるが、携帯の写真もそれなりに思い出を残している。これが失われたらどうしようと不安でしょうがなかったということを付け加えておきます。