「手前勝手世界食物語、第223話」

ドイツから帰って来て最初にした外食はいつも行く有楽町の中華料理だったが、その店、実は本社は名古屋にあるチェーン店なのだ。そこでメニューが一新されていて、驚くなかれ「台湾ラーメン」がメニューに加わっていた。ご存知ですか?「台湾ラーメン」って。名古屋の人ならば大概の人は知っているはずだが、意外に知らない人もいる。「なぜ、台湾ラーメンなの?」と聞きたくなるが、なんだか知らないが所謂東京で言えば「坦々麺」なのだ。それが遂に東京にも進出してきたことになる。名古屋国際空港にも有名な台湾ラーメンの店「味千」が出店しているのだが、東京には別の店が出してきたのだ。果たして東京の人に台湾ラーメンは浸透するのだろうか?一言追加、名古屋では「台湾ラーメンのアメリカン」というのがあるのだ。辛さを控えめにしてスープを薄味にしているからコーヒーと同じようにアメリカンなのだという。
ドイツではビールとワインを飲んだが、ビールにはいくつか種類があり、一つは地元のローカルビール、これは普通の生ビールだ。一番人気は「小麦のビール」所謂白ビールと呼ばれている「ヴァイツェン・ビアー」だ。その次は黒ビールかハーフ&ハーフの「ブラウン・ビール」だった。やはり本場のビールは美味かった。
先日、胆のうの「超音波検査」の結果を聞きにいった。胆石があるのはもう30年近く前から確認されているので、毎年検査をしているのだが、今回は胆のうの一部が石で写らず、ひょっとすると何かあるかも知れないので再度今度は「CT」検査をするというのだ。ついでに「すい臓」の一部に水のようなものが見られるので、これも確認してみようと言う事になった。遂に「すい臓がん」か「胆のうがん」になったのだろうか?再検査は12月の嵐閧セ。
以上、ドイツから帰国して体調不良の勢古口が東京からお送りしました。

「秋田こまち」

有楽町駅前で「秋田こまち」の新米を売っていた。その為に若い女性が着物姿の艶やかさを見せていた。ちょっと声を掛けて彼女を撮影させてもらった。ここのところ銀座では「東北」各県の出店が臨時出店していて物産品を売っている。元の数寄屋橋東芝ビルでもここは北関東のものを売っている。被災地支援の一策なのだろう。

「有楽町戦争勃発」
先日10月15日に「阪急MEN’S TOKYO」がオープンした。28日には隣に「有楽町ルミネ」「有楽町戦争」の勃発だ。阪急のほうは「男子専科」に特化している。何回か入ってみたが、基本線は20代から40代くらいを照準にした比較的若い世代向けのものと、50代以上のある程度以上の収入のある男性向けが混在しているが、どの店もブランド品が殆どでそれなりの値段だった。まあもう買おうという意識もないし、観ても仕方がない。一方、ルミネのほうはやはり若い女性をターゲットにした店になるのだろう?そうすると戦争の相手は「プランタン銀座」「三越銀座」「銀座松屋」「松坂屋銀座店」等々の百貨店プラス周辺の専門店になるのだろう。私には関係のない話しでした。

「最近の東京スカイツリー」
久し振りにスカイツリーを眺めた。屋外に出ていたクレーンはまだあったが小さいものに替わっていた。着々と内装工事が続けられているのだろう。なんとなく周囲の景色にマッチしてしまった感がある東京スカイツリーでした。

「安行の植木市」

ドイツに行く直前に埼玉県は「安行」で行われていた「植木市」へ行った。友人のお誘いだったが、この安行と言う地は江戸の奥座敷みたいなもので江戸で大火が起こる度にここから新たな植木を運んで植えたという。その伝統が未だに息づいていて植木を育てている農家が沢山あるのだという。「盆栽展」もやっていたが、最高の作品は500年の年月も経つ松の木だった。「国風賞」というものを受賞した作品だったが、盆栽など分からない私でも確かに素晴らしいものだと感じた。この植木市の延長線上で来年6月にオランダに行くことになった。ここで世界的な植木市が行われているというのだ

映画

映画「一命」(丸の内ピカデリーにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年178作目)
ご存知歌舞伎俳優の「市川海老蔵」が例の事件前に撮影したもの。時代は関が原から30年後の江戸。幕府に改易され浪人が溢れていた。そんな中「狂言切腹」というものが流行っているという。大名家の門前で「腹を切らせてくれ」と言うので持て余し金を払って退散してもらっているらしい。若き浪人は妻が労咳、幼子は高熱を発していて已む無く3両の金を求めて井伊家に駆け込み切腹を願った。井伊家としては今後のこともあるので切腹させてやると言い出した。彼は竹光で腹を切ろうとした。凄まじい切腹シーン。そこで海老蔵が若き侍の義父として登場するのだ。老け役を海老蔵が演じていた。

映画「ブリッツ」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年179作目)
主演は「ジェイャ刀Eステイサム」。ロンドン警察の警官が次々と殺された。その捜査に当るのが、彼だが、犯罪者には容赦ない対応をするのでマスコミから非難されていた。犯人は自らを「ブリッツ」と名乗り、マスコミに情報をリークする。ジェイャ唐フ相棒となった「ゲイ」を奄ウれる男と一緒に犯人を追う。

映画「カウボーイ&エイリアン」(丸の内ピカデリーにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年180作目)
主演は「ダニエル・クレイグ」と「ハリャ踏フォード」。西部劇にSF物を合わせた映画。西部の街をエイリアンが襲い人々を浚って行く。その理由は?エイリアンを倒すことが出来るのは左手に特殊な武器を装着させられてダニエル以外にはいなかった。息子を救おうとするハリャ唐ニ共に立ち上がった。

映画「キャプテン・アメリカ」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年181作目)
副題は「ザ・ファースト・アドベンチャー」。第二次世界大戦のアメリカで身体の小さな若者が陸軍の秘密実験で強力な身体を得てヨーロッパ大陸で活躍するというもの。人気漫画の映画化だそうだ。

日経新聞10月28日夕刊の「シネマ万華鏡」の評価は、「ゴモラ」が4つ星、「ミッション、8ミニッツ」が3つ星、「ステキな金縛り」が3つ星、「三じゅう士」が2つ星、「ゲーテの恋」が3つ星、「ウィンター・ボーン」が4つ星、「密告・者」が4つ星でした。

「シノプスシ146」
本「空白の桶狭間」(加藤廣著)新潮文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年313冊目)
信長が少数で勝った桶狭間の戦いの真実は?山の民との繋がりは?奇想天外な発想でした。

本「狂い咲き正宗」(山本兼一著)講談社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年314冊目)「刀剣商ちょうじ屋光三郎」シリーズ第1作目
元旗本御腰物奉行の息子「光三郎」が刀剣商になってその刀も目利きを発揮するという物語。

本「日暮らし 上」(宮部みゆき)新潮文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年315冊目)
本「日暮らし 下」(宮部みゆき)新潮文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年316冊目)
本所深川の同心「平四郎」と甥っ子「弓之助」が活躍する捕物帳。

本「始末屋」(藤井邦夫)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年317冊目)「評定所書役・柊左門 裏仕置」シリーズ5

本「闇の陣羽織」(鈴木英治)祥伝社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年318冊目)
北町奉行所定廻り同心「沢宮官兵衛」は腕利きだが唯一の欠点があった。それは「方向音痴」だということだった。

本「真田雪村の遺言 上」(鳥羽 亮)祥伝社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年319冊目)
本「真田雪村の遺言 下」(鳥羽 亮)祥伝社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年320冊目)
大坂夏の陣の折、真田雪村の遺言で豊臣秀頼と真田大助は城から落ち延びた。そしてほぼ100年後、その決闘は紀州藩内で生き延びていた。豊臣復活の狼煙を上げたのは、行く末は八代将軍となる吉宗だった。吉宗が豊臣の直径の子孫だったという設定のお話し。

本「野望と忍びと刀」(鈴木英治)祥伝社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年321冊目)「惚れられ官兵衛謎斬り帖」シリーズ2
同心沢村官兵衛が活躍するシリーズ物。

本「愛憎」(佐伯泰英)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年322冊目)「吉原裏同心」シリーズ15作目
吉原会所の「神守幹次郎」とその妻「汀女」が吉原を守り抜くお話し。

本「湿風姻る」(芝村涼也)双葉文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年323冊目)「返り忠兵衛 江戸見聞」シリーズ1作目
本「春嵐立つ」(芝村涼也)双葉文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年324冊目)「返り忠兵衛 江戸見聞」シリーズ作目
遠州の小藩から追われる身になった「筧忠兵衛」は江戸に逃げ込んだ。そこで起こる事件とは?鳶と魚河岸の若い者達の喧嘩を一人で手打ちをさせたりと大活躍。

本「一手千両」(岩井三四三)文春文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年325冊目)
「なにわ堂島米合戦」世界初の先物米相場が立った大坂は「堂島」で相場師が活躍する。

本「湿風姻る」(芝村涼也)双葉文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年326冊目)「返り忠兵衛 江戸見聞」シリーズ1作目
「剣客旗本奮闘記」非役の旗本「青井市之助」は義理の叔父の大目付からの指示である犯罪を探ることになった。

本「紅染の雨」(藤原緋沙子 著)文春文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年327冊目)「切り絵図屋清七」シリーズ2作目
江戸の街の家々の名前入りの地図を作ることを始めた男たちの物語。

本「猫見酒」(風野真知雄 著)朝日文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年328冊目)
「大江戸落語百景」落語になるような人情噺など10作を連ねている。面白くて笑い出してしまう。

本「アウトバーン」(深町秋生 著)幻冬舎文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年329冊目)
「組織犯罪対策課 八神瑛子」上野署の警部補の瑛子は型破りの刑事だった。だがその腕前は凄く、事件解決には全てを捧げる。若い女性の殺人事件が起こる。いよいよ彼女の出番だ。久し振りに壮快な且つ壮烈な警察物語を読んだ。面白いの一言だ。

有楽町で戦争?

「J REPORT 2011 10月第4週号」
「リタイアメント・ノート 3年目4月目」 「VOL.710 SINCE AUG. 12th、1983」
「ドイツの旅 後記」
ドイツから帰国したら途端に疲れが出てきてしまい、ぐったりとしている。なんだが老けたような気がする。さてドイツ旅行だが、正に駆け足であり、もうこういった旅行は勘弁だ。ドイツだが、いくつか驚いたことがあった。フランクフルトで「スターバックス」があったのでコーヒーを飲んだ後、地下のトイレ(ドイツ語ではトイレッテンというらしいが)に行ったら、鍵が掛かっていた。うろうろしていたら店員が来たので聞いたら「レシートにあるコードを打ち込むと開錠される」というのだ。なるほど、確かに店を利用した人しか使えないようになっているのだ。ヨーロッパのトイレは大体地下にある。下水に直結しているからなのだろうか?だが男性用の小用の便器の高さが凄く高い。大人はいいが子どもでは使用不可狽セろう。この利点はコックから便器までの距離が短いから横に漏れたりしないので床が汚れないといことは確かだ。
ヨーロッパは兎に角宗教的な都市ばかりだ。ドイツでは「DOM」所謂大聖堂が街の中心部にあり、それも巨大なものばかりだ。宗教がまず中心にあり、そこに住民が住むというパターンばかりだ。中世そのままに残そうというのだろうが、我々からすると辟易する。話しは替わるが「ローデンブルグ」という城壁に囲まれた中世の街で「市庁舎」に登った。一人しか通おれない狭い階段を昇る。それも有料で2ユーロだ。頂上は正に展望がよく全てが眼の下に見える。だが私の前にいた新婚さんの奥様が高所恐怖症で内側を向いたきり動けなくなってしまった。最上部は直径2?3m位の円形になっていて、一番外側の通路の幅は3?40cm程しかなく人は擦違えない。一方通行で廻るしか手がないのだ。彼女は緊張のあまり手を内側の手すりに掴まったままでどうにもならなくなってしまっていたのだった。実は私も高所恐怖症なのだが、彼女を見て逆に発奮してカメラを取り出して撮影することが出来た。でも本心は怖かった。写真は恐怖心を殺して漸く外の景色を写したものだ。
最近はワインボトルの封がコルクからガラスに変わっているらしい。これも自然を意識したものなのだろうか?リサイクル出来るのがガラスの栓だからだ。ライン川下りの船の中で試飲出来た高級ワインもガラスの栓だった。街のレストランで飲んだのもガラスだった。ちょっと驚いた。
さて再度に「アウトバーン」のことにもう一度触れよう。スピードリミットは普通は120km、一部は130km、工事区間は80kmの侮ヲがあった。兎に角車間距離を詰めて猛スピードで走る車が多い。ヨーロッパの中央部にあるドイツだから、各国のナンバープレートが付いた車が走っていた。街中は旧市街地は10cmほどの石が敷き詰められている。歩道も同じだ。今、日本で問題となっている自転車は専用路があるので自転車と人とは完全に分離している。このままの姿を恐らくこの先、何百年後も続けているのがドイツなのだろう。
最後にドイツの印象は「森と平原と大聖堂」だったと記しておく。

「手前勝手世界食物語、第222話」

「ドイツの食」
やはりツアー飯だから美味くない。12日の昼は「キャベツロール」だったが、いやに硬いキャベツでフォークの歯も通らなかった。夜は「チキンャeーのトマトメ[スかけ」。とにかく「美味くない」の、の一言に尽きる。夜飲んだワインはボトル当たり21.9ユーロでした。まあまあ合格点でした。夜中に目覚めたので街で買い求めてきた赤ワインを飲んだ。安かったが、それなりにまあまあの味、6ユーロ。飲めなければ捨ててきてもいいと思って買ったものだ。旅の楽しみは食なのだが、どうも安いツアー飯ではやはり期待は出来そうにない。夕食が当初嵐閧フホテル内レストランから変更になったのだが、添乗員がその場所が分からず、雨の中を右往左往してしまい、私はびしょ濡れでした。まあ旅の「垢落とし」でしょうか。昼も晩も基本は「スープ」「メイン料理+ジャガイモ」「デザート」で成り立っている。
13日の昼は「ザワービーフ」というものだったが、どうしたらこれだけ油が抜けきったぱさぱさの牛肉を提供出来るのか不思議でならなかった。どうやって作るのだろう?ポテトの方がよほど美味しいと思った。あとで調べてみたらこの料理は「リンダーブルスト」といい、牛の胸肉をコンャ<Xープで煮たものらしい。夜は魚料理で「マスのャeー」だった。今度は薄味でまあまあ食べることが出来た。しかしドイツ料理は全体に味付けが濃いと思う。特にスープの味は塩味がきつい。これでは喉が渇いてしょうがない。仕方なくビールで流し込んだ。
14日金曜日第4日目の昼食は「アイスヴァイン」、骨付きの豚肉を柔らかく煮込んだもので、これはボリュームもあり美味しかった。満足でした。東京でもたびたび食べているので私は納得が出来たが、その他の人は豚のコラーゲン一杯の脂身が苦手なようだった。私にとってはまずは合格点でした。夜は軽く「サーモンのフィレステーキ」で量も少なめ、かつ薄味でよかった。昼が重たかったので助かった。日本人には肉よりも魚の方が身体にもいいね。今日はビールを昼夜共に飲んだ。ドイツだけあって地元のビールはやはり美味しい。
15日(土曜日)第5日目の昼食は「ザクセン風玉葱と牛胸肉のャeー」。サイコロ状の牛肉を玉葱ベースのシチューで煮込んであったが、まあまあ合格点だった。これを食べ終えたのは午後3時。そして夕食が始まったのが午後6時。運転手の勤務時間の制約上の都合とはいえ、酷い間隔だ。夕食は「チキンの胸肉のグリル」でした。地元産の白ワインをボトルで頼み飲んだ。これはまあまあでしたよ。16ユーロ。料理のほうはこの程度の味なのだろう。文句は言わないことにした。旅行会社は日本人のために「牛肉、豚肉、魚、鳥肉」と種類を変えて楽しませるという心遣いは分かるが、それならばもう美味しいものを出して欲しいものだ。贅沢か?
16日(日曜日)第6日目
昼食のメインは「ミートボール」といわれたが、まるでハンバーグのような大きなものだった。同じレストランにJTBのツアー客が来ていたが、彼らはここニュルンベルグ名物の小指ほどの大きさの焼きメ[セージがメインだったそうだ。名物が食べられず残念でした。夜は中華料理。中華と入っても飲み物はビール位しかない。紹興酒もなかった。料理がどかどかと運ばれてきて、慌てて食べさせられたのでゆっくりと味合うことは出来なかった。トマトのスープ、酢豚、鶏肉と野菜の炒め物、牛肉とにんじんの炒め物、卵と海老の炒め物、レタスの煮物、ご飯、蒸しパン、デザートの柑橘類といった具合でした。味が分かりませんでした。

17日(月曜日)第7日目
朝食は「シェラトン」でバイキング形式だが、ここで「サーモン」と「鰊の酢漬け」があった。ちょっぴり嬉しくなった。街中の軽食を出す店で見ても魚類はサーモンと鰊はあったが、他の魚はなかった。昼は「ラビオリ」、夜は地元の「フランクフルト・メ[セージ」だった。地元の白ワイン(28.5ユーロ)も合わせて飲んでみたが、まあまあだった。食事に文句を言うのは止めよう。仕方ないから我慢、我慢。

18日(火曜日)第8日目
昼食には「なまずのフライ」が出た。白身魚であっさりした味がなんともうれしい。アメリカの南部料理の代賦iのはずだったが、今回ドイツで食べられたのは幸運だったのか?本当ならば「酢醤油」をかけて食べたかったのだが。兎に角日本人には受ける味具合だったが、これも量が多過ぎて皆さんたくさん残していた。さてドイツでの最後の晩餐には「カツレツ」がでた。豚肉を薄くして衣をまぶして揚げてある。これも本来ならば醤油で食べたい。ぐっと味が引き締まると思う。

19日(水曜日)第9日目
昼は「薄い牛肉のメ[ス掛け」だったが、サイドのポテトは美味しかった。夕食は搭乗する前にラウンジで茹でメ[セージを4本とビールを飲んだのでこれ以上は食べたくない。旅の楽しみの一つは食事だが、「流石ツアー飯、されどツアー飯」、食については感動なき感動の旅でした。
以上、製古口がドイツはフランクフルトからお送りいたしました。

10月18日(火曜日)第8日目

「ライン川」の船旅に出かける。ここフランクフルトは正式には「フランクフルト アム マイン」というらしい。「マイン川沿いのフランクフルト」とのこと。外は今日も好天だ。日曜日の夜は「NFL」のフットボールの試合を「ESPN」で観たし、月曜日の朝は大リーグ「ナ・リーグ」のチャンピオンシップの決勝戦を、今朝はNFLのマンデーフットボールを観た。満足です。リューデスハイムというところから「ライン川下り」をしたが、一番驚いたのは、ここが「ルール工業地帯」の大動脈の輸送路だということだった。川の両側、東側は貨物列車が、そして西側は旅客列車がそれこそひっきりなしに運行されていたことだった。写真は自動車を運ぶ列車だ。川は勿論石炭を運ぶ船、油を運ぶ船、観光客を運ぶ船等々、この川が流通の主動脈だということを痛感させられた。本来の目的の観光としてはライン川沿いの古いお城なのだろうが、私にとってはドイツ産業の動脈を見た思いでそればかりに感心していたという具合だ。そしてブリュール経由で「ケルンの大聖堂」を観たが、遂に雨の洗礼を受けてしまった。これまで少なくとも日中には雨はなかったが、ここケルンで雨に出会ってしまった。帰りのバスの中で不思議に意気投合してしまった人たちが集まって夕食会場に6人で集った。まあ事実上独り者みたいなものでそれぞれが友人同士か個人参加の6人だった。但し男性はたったの二人。これだから女性はまだまだ長生きするわけだ。男性はといえば私を筆頭にもうしょぼくれている。いつ、お迎えが来てもとは言わないが、女性人は皆元気溌剌としている。子供も独立し孫も生まれもう安心して旅行に行ける立場になったわけだから彼女たちは強い。反面、男性はまだまだ肩の荷を降ろし終えていないのだろうか?インターネットで明日の便の座席を蘭?オ、ほっとしているのが今だ。「人生色々」とはよく言ったもので我々団塊の世代はこの後、どのような日本に漂うのだろうか?次の時代は間違いなく「中国」だ。だがその中国が今の我々のような経済的な立場を得ることが果たしてあるのだろうか?13億人をそこまで持っていくということは事実上不可狽セからだ。今世界を「99%」運動が走り回っている。流石にドイツで我々の眼には触れなかったが、潜在的にそういった過激な思想はあるはずだ。あと一日考えてみよう。さてよく考えてみると還暦を過ぎた連中(我々団塊の世代もその一つなのだが)が今の海外旅行の主役ではないだろうか?お金と時間に余裕がある世代だけが旅を満喫できるのだ。これも1%に代浮ウれる特権階級か?そんなことはないだろう。

10月19日(水曜日)第9日目
いよいよドイツ滞在最後の日となった。本当に駆け足の旅だった。「行った、観た、帰った」という印象だった。それも「観ながら通過した」という感じだ。旅の半ばから私にあだ名が付けられた。「隊長」という名だ。理由は添乗員よりも前に出て歩くからだそうだ。まあ迷子になりそうな人たちを探しに行ったりしているから(余計なお節介だが)そんな名前を付けられた訳だ。今日は「フランクフルトと隣町のマインツ」という街の旧市街観光だった。ドイツの古い街の基本形は、「広場」があり、その前にどっかりと大きな「市役所」、広場の中に「井戸か噴水」、そばに「教会」か「大聖堂」といった具合だ。どこもこの基本は一緒だ。「宗教の力」というのは恐ろしい。「天国に行けない」と教会から言われた人々は右往左往して寄付をして免罪符と買う。オーム真理教と何が違うのか?否、全く違わない。だから宗教は恐ろしいのだ。さてドイツ国民だが、出稼ぎの外国人も多いのだろうが、ゲルマン民族特有というような巨大な身体の人ではなく、意外と小柄な人が多いのに驚かされた。だんだん縮まっているのだろうか?そんなことはないと思うのだが。自転車が多いと同時に「乳母車」も多い。中には自転車に乳母車を付けて引っ張っているのまである。またバス停、路面電車の底流所には「侮ヲ板」があり、次の車両が何分後にどこ行きが来るかが侮ヲされていた。これは便利だ。だが疲れた。マインツの広場で幼稚園生たちが疑似体験で「病院ごっこ」をしていた。患者さんは縫い包みの御人形さんたち。これをオペとは針で縫うこと。等々、色々なお医者さんごっこをしていたのが微笑ましかった。
今、フランクフルト空港のフルトハンザのラウンジでこれを書いている。15時間後には成田に到着嵐閧セ。ご苦労様でした。大変疲れました。ある意味、飲み疲れたのかも知れないが。

10月16日(日曜日) 第6日目

旅も半ばを超えて後半戦に突入した。朝の空気は最高に澄み切っていた。ホテルの周囲の木々は既に色付いていた。さて今日も移動に次ぐ移動だ。ワイマールからニュルンベルグ、ビュルツブルグと中世の町並みを復活させた(戦争により破壊されたため)ところを巡り歩く。ドイツは日本の95%の面積だというが、広大な丘陵地や平地が延々と続き、日本とは土地の利用比率が全く違うから比較にはならない。日本は国土の3分の2は山岳地帯なのだから。さてニュルンベルグというと我々は戦争犯罪人のナチスを裁いた裁判を思い起こさせられる。しかし戦争で90%以上が破壊されたこの街もいまや完全復活を遂げている。ここにドイツ人魂を見た。ドイツはどこへ行っても中世が共存しているような感じがするのは観光地を巡っているからなのだろうか?否、ドイツ自体が保守的で頑固なのだろう。過去を大切にして、自然を大切にしていると思う。原発問題にしてもその姿勢は自然保護なのだろう。「緑の党」などが活躍しているのもそんな理由なのかも知れない。夕方、真っ青な空に飛行機雲があっちからもこっちからも飛び交い、航空機のラッシュアワーのような空の状態だった。ヨーロッパの中央に位置するドイツならではの光景なのかもしれなかった。日曜で道路がすいていると思っていたら、アウトバーンが大渋滞。工事の影響もあったかもしれないが、自然渋滞だと思う。約1時間ロスした。日曜日の好天に誘われて家族連れが繰り出したに違いない。

10月17日(月曜日) 第7日目
フランクフルトから「ローデンブルグ」「ハイデルベルク」と南部ドイツの都市を回る。どこも中性の面影を色濃く残す街だ。ハイデンブルグは京都と同じで戦争中空襲を受けなかった都市だという。従って歴史が生き残っていた。さてトイレのお話しをする。我々日本人は兎に角すぐにトイレに行かなければならない人種のようで、ほぼ1時間半から2時間置きに「トイレ休憩」をする。アウトバーンの場合は休憩所で70セント支払い50セントの金券を貰いトイレを使用する。その金券はそのチェーン店ならばどこでも使える。さて私もお金に困っているわけではないが、冒険で休憩所近くの藪の中に入って無料でしてみた。「Nature calls me」というわけだ。その後、老夫婦がやってきた。観ていると茂みの途中の道路で男性が「立ちしょん」をすると、女性が更にその奥の道へと進み姿が見えなくなった。すると男性は道路の入り口付近に仁王立ちになってガードしているではないか。これで読めましたね、彼の役割が。ドイツを含めてヨーロッパは自転車天国だ。ハイデルベルクは世界最古の大学がある街だから尚更学生の移動手段は自転車となるようだ。さて、今回の旅行で不思議だったのが、航空機の24時間前の座席蘭?ァだ。帰りの便の座席蘭矍蜃?Xがやるとはいったいどうなっているのだろうか?旅行会社も航空会社も手抜きが過ぎないか?今、シェラトンホテルの部屋でインターネットに1時間当たり6ユーロで接続してみたが、全く遅くてとしてANAのホームページは「待機中」となり、動かなかった。こんなにインターネット環境がそれも一流ホテルで悪いとは信じられない。昨晩からフランクフルトの「シェラトン・コングレス」というホテルに3連泊なのだが、ここのサービスは決してよくない。どうなっているのか?ポーターもいないし、食事の部屋も狭い部屋の狭い座席に押し込まれた。グループツアー客を大量に取り過ぎているのではなかろうか?それがサービス低下の一因であろう。中国人客もたくさんいる。勿論ヨーロッパ人客も日本人客もいるのだが。

10月14日(金曜日) 第4日目

「マイセン」経由で首都「ベルリン」に向かう。マイセンはご承知の通りの「陶磁器」の街。「陶磁器博物館」を観て、ひたすらベルリンへ。ドイツ最大の都市は、1990年の統合後に社会主義の東ドイツの首都から正式に「ドイツ連邦共和国」の首都となった。1989年の「ベルリンの壁」崩壊の名残りの壁の跡などを見るが、大都会だ。ここでも戦争で破壊された古いものを再建しようとする努力が至る所に垣間見られるのが最大の特徴か。市内の美術館で「北斎展」が開かれていたのが、これまた印象的だった。「ブランデンブルグ門」や「チェックポイント・チャーリー」などの東西分断の象徴もこれまた印象に残った。「ベルガモン博物館」ではトルコの遺跡を見学もした。ベルリンの壁に描かれていた二人の男性のキッスシーンの絵には本気で驚かされた。「旧・Aのブレジネフと旧東ドイツのホーネッカーのキッスシーン」だ。これは当時の冷戦時代を象徴するもので東側の結束の強さをアピールしているものだろうが、それをベルリンの芸術家が皮肉った作品なのだ。駆け足で今日も強行軍を終えた。「チェックポイント・チャーリー」は冷戦時代を描いたスパイ小説には必ず出てくる米軍占領地と・A占領地の東ベルリンとの接点で、どのスパイもこの地点を抜けて無事に西側に戻れるかが生死を分けるという設定が多かった。そんな冷戦の遺物ももうお話しの中でしか残っていなかった。夜、ホテルの部屋でこれを書きながら、アウトバーンのドライブインで買い求めた地元産のウィスキーを飲んでいる。700mlで13ユーロだったから、多分安いのだろう。ウォッカの方が安かったが、余り馴染みがないのでウィスキーにしたのだが、果たして正解だったのだろうか?分かりません。
ベルリンに来て漸くハイブリッド車「トヨタのプリウス」を2台観た。環境大国ドイツにしては少ないとは思いませんか?ドイツも小型車ばかりが走っていた。勿論「ジーゼル・ガャ潟刀vで。

10月15日(土曜日) 第5日目
朝のベルリンは空気が引き締まっていた。最低気温は摂氏0度近く高気圧に覆われていて快晴だが、本日の最高気温の卵zは12度位らしい。秋も深まり「黄葉」の季節だ。紅色ではなく黄色の葉になるのが特徴とか。ベルリンの広さは東京都の1.5倍あるらしいが、その40%は森、畑、公園、湖だという。そして氷河の影響で土壌は砂地で痩せていてジャガイモ位しか育たないとのこと。因みに南は小麦が名産だという。肉は豚肉が中心。ゴルフ場は占領軍の米英占領軍の基地の中にはあったとのこと。ポツダムにはドイツ滞在30年の日本人女性がガイドとしてやってきた。空には白い飛行機雲が何本も走っている。本当に澄み切った空だ。逆に川や湖からは湯気が立ち上り、気温の低さを示している。
「ポツダム宣言」が出された都市「ポツダム」に行く。ここは戦後のドイツ処理問題を含めたヨーロッパ対策を連合国3カ国首脳が集まって考えた場所でもあり、日本に対しての「無条件降伏」を促すこととした歴史的なところだ。7月26日、日本に対して無条件降伏を通告するが、当時の鈴木貫太郎首相がこれを拒否。翌日米軍による広島への原爆投下が命令されたという。勿論・Aの対日参戦も決まっていた。知らぬは日本ばかりなり。昭和天皇の8月15日の「玉音放送」でポツダム宣言を受諾して日本は敗戦となる。日本国民にとって歴史上最も長い一日だったはずだ。そんな歴史的な街は今どうなっているのだろうか?その歴史的な部屋に入る。アメリカはトルーマン、イギリスはチャーチル、・Aはスターリン。その3人がこの部屋で終戦処理と日本の無条件降伏を決めた部屋に入った私は感動感激の余り涙が出そうになり、思わず堪えなくてはならなかった。日本人にとっての戦後を決める重要な会議の場所だ。涙以外に何があるというのか?あの時の判断を間違えなければ、広島長崎への原爆投下や・A参戦もなかったかも知れない。歴史に「if」はない。ただただ遠い過ぎ去った日々を悔やむだけだ。東西冷戦を経て、今世界は新たな試練と向き合っている。それは宗教的な考え方の相違だ。ドイツは南はカャ潟bク、北はプロテスタントと異なっている。更に世界はイスラム対キリスト教、ユダヤ教と、イスラム教内部対立と、我々日本人には理解出来難い世の中であることは事実である。
「ライプチッヒ」で昼食をし、「ワイマール」へ到着し、「ゲーテの家」や「ゲーテとシラーの像」といった観光ポイントを観る。ここはドイツ憲法の「ワイマール憲章」が制定された場所でもある。さてアウトバーンのドライブインのトイレは有料だ。50?70セントかかる。観ていたら地元の人でも男性は近くの茂みに入っていって立ち小便をしていた。街中の公衆トイレも有料だ。だからそれなりに綺麗にされているが、日本人にはチップ制のトイレには馴染めないものがある。「エコ」ということから奨励されている「自転車」だが、ドイツは前にも垂オ上げたように都市部にも「自転車専用レーン」が設けられている。そこで慣れない我々が専用レーンで自転車に衝突しても、罰せられるのは歩行者だということに慣れることは無理だろう。自転車は猛スピードで歩行者の脇を通過していく。危険極まりないが、専用レーンに侵入した歩行者が悪いのだというのだ。平和ボケした日本人には理解できない部分だろう。また市内は路面電車、所謂「ライト・トレイン」が走っている都市が多い。電力は自然エネルギーで生み出し、輸送機関は電気で動かし、二酸化炭素の発生を防ごうとする努力にはやはり感服せざるを得ないのだった。

ドイツの旅

「J REPORT 2011 10月第3週号」
「リタイアメント・ノート 3年目4月目」 「VOL.709 SINCE AUG. 12th、1983」
「旅暦35 ドイツの旅」
10月11日(火) 第1日目
全日空の成田<~ュンヘン便12時間のフライトで日本時間の12日午前0時5分に「ミュンヘン」に到着した。成田では勿論ANAラウンジに入って「ヌードル・バー」で蕎麦を食べ、お握りを摘む。漸く「旅行へ行こう」というモードに入った。昨年3月のイタリア、6月のチュニジア以来のヨーロッパだ。ドイツには調べてみたら1994年の春に「ロマンティック街道の旅」に来ているので観光としては2度目だ。今度の旅も過酷な移動の旅みたいだ。このツアー、人数が34名と非常に多いし、中高年といっても実質高齢者が非常に多いツアーのようだ。さて、到着後1時間20分でバスに乗ることが出来た。いつものことながら時差対策で私は機内では寝ていない。持ち込んだ文庫本を4冊読み終えた。ミュンヘンからバスで2時間、南の「フユッセン」へとひた走る。ホテル到着は日本時間の午前3時半。途中一時眠気もあったが、どうにか堪えていたらもう眠くなくなってしまった。飛行場で水とサンドウィッチを買ってきたので持参してきたウィスキーを飲みながら、この文章を書いている。そうそう、インターネットで席の蘭???O日にしたのだが、通路側の席が取れなかったので、成田のANAのカウンターで席の変更を垂オ入れたら、アップグレードした「プレミアム・エコノミー席」に替えてくれた。ラッキー。ちょっと広めの席だから助かったが、相変わらず窓際だった。満席で通路側は一杯だという。でも仕方ないか。ミュンヘンからのバスの中からは夕日と夕焼けが美しかった。東の空にはほぼ満月の月がこれも光り輝いていた。現地時間午後7時には暗くなった。フユッセンのホテルではシャワーのみだし(注:私には問題ないが)、まあ早く寝るかな。

10月12日(水) 第2日目
朝は7時頃から漸く明るくなってきた。テレビで「ブロードウェイ・ミュージカル」の「THE REAL LOVE」という番組を放送していた。驚いたことに画面上になんと20カ国の言葉で字幕が出ていた。勿論日本語も韓国語も中国語もあった。正に驚き。さて、出発前にロビーにあったパャRンでインターネットに接続しようとした時、驚くなかれ、ドイツのパャRンのキーボードの入力文字位置が違うのだ。Yが通常のXの位置にある。一瞬固まった。よく見てみるとYとXの位置が入れ替わっているのだ。戸惑った。多分ドイツ語での使用頻度の問題なのだろう。話し変わって車は総じて当然ながらドイツ車が多い。その中で健闘していた日本車は「マツダ」だった。ここバイエルン州は地元「BMW」の本拠地でもあるから多いのは当然としても、「日本車ではマツダが頑張っているなあ」と感心させられた。ドイツの高速道路「アウトバーン」での運転も皆さん危ない恐ろしい運転をしていた。車間距離が極端に少ない。危険運転がざらだった。それよりもアウトバーンに平行して走っている地道の車のほうが速いとはどうなっているのか?自転車道が整備されているのには今更ながら感服でした。さて本日のメイン観光は「白鳥城」即ち「ノイシュバンシュタイン城」だ。1994年の来訪の時の美しさに比して何か衰えたような気がした。「ヴィース教会」を観て、ライン川沿いの街「レーバンスブルググ」の大聖堂を訪れる。ここはローマ帝国の駐屯地で北の蛮族と相対していた最前線の基地だったところだ。ライン川沿いの南側の都市は全てローマ時代の駐屯地といっても過言でない。ローマ人は駐屯地と駐屯地、そして首都ローマとの間に「ローマ街道」を敷設し、いつでも大軍を移動できるようにしておいて、敵に対処していた。どこかに北方の蛮族(今のドイツ人の祖先)が進入すると、すぐさま近くの駐屯地から軍隊が当時の高速道路「ローマ街道」を使って移動し防衛にあたったし、必要とあればローマからもすくに軍隊が派遣されてきた。だから「点が駐屯地で線がローマ街道」だったのだ。もう一つローマ軍の特徴は現地の人たちをローマ軍に入れてローマ市民権を獲得させ、ローマ化するという手法だ。こうしてどんどん領地を広げるなんて頭がいい。さて更に移動して「バンデルベルク」まで到着。「ブルグ」とは「城」「砦」といった意味らしい。南ドイツは酪農が盛んで放牧地、牧草地が一面だ。北に来ると家畜の飼料用の「とうもろこし畑」や「ビート畑」も出てくるが、周囲は「と牧草地と農耕地」が混在するのが基本的な環境だ。主食の「ジャガイモ」も当然栽培されている。このジャガイモの歴史というのは意外と最近で、スペイン人が南米から持ち帰ったものが、18世紀に入ってからドイツに持ち込まれ栽培が盛んになったという。今ではドイツ人の主食だ。さて村の中心には教会があるのは、ヨーロッパの基本だ。南ドイツはカャ潟bクだという。本日の移動距離は450km近くに上りました。強行軍ですね。8時に目的地到着。しかし、ひと騒動がありました。このツアー、やはり海外旅行経験豊富な方々ばかりの集まりだ。皆さん、全世界を回られている方々ばかりだ。偶然途中の白鳥城で一緒になった阪急旅行社の方々は「五カ国」を回るという。ドイツはフランクフルトからロマンティック街道、そしてオーストリアのウィーン、スイスのジュネーヴ、フランスのパリ、イギリスのロンドンだという。これも駆け足のピンポイントだけの観光だから中身は薄そうだ。「兎に角行ってきました」という旅だなあ。我々は「よくばりドイツ周遊10日間」という名前の旅だ。ドイツ全土を回るが、移動距離が凄いのでバスに乗り続けるのだ。そうそう大事なことを忘れていた。白鳥城では観光のために5分毎にグループツアーが入場するのだが、同じ時間帯に集まったのは、日本人グループ3、アメリカ人グループ1、中国人グループ1、個人客少々といった割合だった。流石「中国パワー」恐るべし、ヨーロッパを席巻しつつある。最近はどこへ行っても中国人観光客ばかりだから現地の人も我々日本人を見て「ニーハオ」と声をかける始末。21世紀は中国の世紀なのだろう。さてわがツアーはお客が34名に添乗員の女性が一人。内、3人組が2つ、一人旅が男女合わせて4人、その他が二人組だ。旅の当日に新婚さんカップルのキャンセルが入ったというから本来は36名のツアーだったそうだ。当日キャンセルと聞くと「成田離婚」?などと思ってしまう。毎日バスの席は前から順繰りに後ろへと移動していく方式だそうだが、以前は不満が出ない様に座席浮??Y乗員が作っていたこともあった。だが自動車事故があった時に怪我をした人から、「こんな席に座らせられたから怪我をした」とクレームがあったので、座席指定は止めたという。まあ、理屈をこねれば、こねられるが事故との因果関係とはちょっと酷い話しだ。

10月13日(木) 第3日目
世界遺産の「バンベルブルグ」(勿論ローマ軍の砦だったところ)市内観光の後280km離れた「ドレスデン」に向かい、奇岩で有名な「バスタイ」経由でドレスデン旧市内を観光した。ここドレスデンは第二次世界大戦末期の空爆で破壊尽くされた街で、最近漸く修復が完成に近づきつつあるという場所だ。ドイツ人らしい精神力で元の町並みや建物に戻そうとの涙ぐましい努力の末だという。同じ敗戦国として心痛む出来事だった。1945年2月の大空襲では10万人の人が死んだというから、まさにその一月後の東京大空襲に匹敵する損害があったということだ。ドイツは丘陵地帯が延々と続く。今日は南から北上しているのだが、どこを見ても牧草地か農耕地、そして小さな集落と森が続くだけだ。そんな中に「風力発電」の風車が立ち並ぶ。また新たな建設も各地で行われていた。東日本大震災と福島原発からドイツは「脱原発」を掲げた。自然エネルギーへの移行を早めている。風力発電も丘陵地帯が続くドイツだから出来ることで、山が海岸線に迫っている部分が大半の日本では安定した風は得られない。従ってドイツ並みの風力発電は無理だということだ。その辺も日本の政治家は果たして理解しているのだろうか?疑問符が付く。脱原発ということが日本で可狽ネのか?議論の余地がある。さていよいよ旧東ドイツに入った。