「手前勝手世界食物語、第256話」

いつもの通り、ドイツはフランクフルト空港のルフトハンザのラウンジに入る。ANAとは「スターアライアンス」のメンバーなので当然私はこのラウンジを使える。目的は「フランクフルト・メ[セージ」だ。いつもフランクフルトによると必ずこのラウンジでメ[セージを食べる。意外に美味しいので「ベック」のビールを飲みながら楽しむ。ドイツの人たちはビールとフランクフルト・メ[セージが好きだ。食べ方を観ていると「ホットドッグ」にしてメ[セージとジャガイモ、酢漬けのキャベツ等にマスタードをたっぷりぬっていた。なるほどなかなか美味しい。私はパンは食べないので、メ[セージをビールで流し込むのが好きでそれで満足している。フランクフルトを訪れた時はぜひメ[セージを味わって欲しいと思う。ドイツ旅行をした昨年10月には各地でそれぞれ特徴的なメ[セージを食べた。地域によって味も形も食べ方も違うのがドイツのメ[セージだった。ところで「メ[セージ・ドッグ」ってどういうことか知ってますか?これは「ダックスフンド」の英国での言い方です。

「レバ刺し」

遂に牛の「レバ刺し」が7月から禁止となった。6月末にいつもの焼肉店に行くと「レバ刺し、食べますか?」と言われ、勿論食べた。今月初めに福岡でも食べたが、7月1日からは提供が禁止されるという。こんな美味しいものを禁止する政府と言うのは本当に「自己責任」というものを理解していないし、理解していない国民を抱えた日本と言う国は可哀想な国だ。「リスクは自己責任」という考え方で、「食べて死んでも自己責任」でやればいいと思う私だが、どうも誰にでも頼る国民性はどうにもならないようだ。何か事故が起きると、他人の責任にする考え方の日本。「安全は自己責任」という意識がない限り、レバ刺しは帰ってこないのだろう。以上、梅雨の中休みの東京から勢古口がお送りしました。

「墓参り」

平成21年に亡くなった友人の墓参りに宮城県栗駒市を訪れた。梅雨の合間だったが、晴れ渡った日だった。アムステルダムから帰国した翌日だったので時差ぼけだったが、色々あり漸く実現した墓参りだった。東京から私を含めて2名、地元仙台から2名の4名での参加だった。東北新幹線の「くりこま高原」駅からレンタカーで約30分、静かな田舎町の寺にその墓はあった。その辺りの家は本当に立派な大きな家ばかりで驚かされる。墓も素晴らしい大きさでこれまたびっくり。更に驚いたのは墓にいた「雨蛙」だった。そのカエルは私たちがいる間、じっとして墓石のところから動かない。まるで故人が蘇ってカエルに身を変えたような姿だった。墓を磨き、掃除し、そして手を合わせた。「般若心経」を唱え故人を偲んだ。

2012年の映画のお話し 「私の今年の映画の評価は?」

今年の★★★★★ 「ヘルプ」「わが母の記」
今年の★★★★  「ロボジー」「麒麟の翼」「ドラゴンタトゥーの女」「ポエトリー」「ピラミッド」「シャレード」         「PINA」「エル・ブリ」「マーガレット・サッチャー」「マリリン 7日間の恋」「スターウォーズ EPISODE1」「アーティスト」「ジョン・カーター」「裏切りのサーカス」「ファミリー・ツリー」「星の旅人たち」「ミッドナイト・イン・パリ」

映画「メン・イン・ブラック3」(日劇にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年106作目)
柳の下の泥鰌三作目。宇宙人をやっつける彼等が遂に過去にタイムスリップして悪者を退治するというもの。まあ馬鹿馬鹿しいから面白いか。

映画「幸せのきせき」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年107作目)
実話に基づくというもの。妻を失った家族3人は郊外に引越しする。しかしそこは元動物園だった。この動物園を復活再生させようとするもの。家族愛、隣人愛を描く。まあまあの出来でした。

映画「ホタルノヒカリ」(日劇にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★(今年108作目)
もう2週間も経ったのでどんな映画だったのか忘れかけていた。若い男女が結婚式をローマで行おうと男性の出張に付き合って出掛けたローマで事件が起きる。たわいのない話しでした。

映画「別離」(ANAフランクフルト便機内にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年109作目)
観たかったイラン映画だったが、偶然機内で観ることができた。「アカデミー賞外国映画賞」受賞作品だ。アルツハイマーの父親を抱える夫婦が別居を決める。一人娘は父親の元に残る。男性は父親の面倒を見るためにパートで子持ちの女性を雇うのだが、そこで起こる物語を描くのだが、家庭とは?個人の人生とは?家族とは?色々と考えさせられる映画だった。どこの世界でも同じことが起こるということを示すよい映画だった。

映画「スノーホワイト」(日劇にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年110作目)
「白雪姫」の新しい解釈か?王妃を失った王は新しい妻を迎えるが、その妻は魔女だった。そして王は殺され、魔女に王国は支配される。幼い白雪姫は幽閉される。10年後、姫は城を逃れ、魔女との戦いを始めるというもの。

映画「一枚のめぐり逢い」(丸の内ピカデリーにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年111作目)
戦場で偶然見つけた一枚の写真。それに歩み寄り取り上げた時、迫撃砲が彼の元いた場所に落ちた。その写真を拾うことで彼は命を拾うことが出来た。帰国後、彼はその女性を探して歩く。見つけた彼女に彼はひかれていく。運命とは?偶然とは?

日経新聞6月22日夕刊「シネマ万華鏡」によれば、「愛の残像」が4つ星、「アメイジング・スパイダーマン」が4つ星、「それでも、愛してる」が3つ星、「ワン・デイ」が3つ星、「ブラック・ブレッド」が3つ星、「ブレイクアウト」が3つ星、「プレイヤー」が2つ星でした。6月29日夕刊「シネマ万華鏡」によれば、「少年は残酷な弓を射る」が4つ星、「クレージーホース・パリ」が4つ星、「きっとここが帰る場所」が4つ星、「夜のとばりの物語」が3つ星、「コナン・ザ・バーバリアン」が3つ星、「臨場 劇場版」が2つ星、「モバイルハウスのつくりかた」が2つ星でした。

「シノプスシ177」
「ぼやき地蔵」(井川 香四郎 著)KKベストセラーズ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年156冊目)「くらがり同心裁許帳」シリーズ13作目
「釣り仙人」(井川 香四郎 著)KKベストセラーズ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年157冊目)「くらがり同心裁許帳」シリーズ14作目

「鬼手」(濱 嘉之 著)講談社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年158冊目)
「世田谷駐在刑事・小林健」。世田谷の駐在所の警官「小林」は、警視庁では「鬼コバ」と呼ばれる敏腕刑事だった。管轄は都内でも有数の高級住宅街。そこで起きる事件は?

「親鸞 激動編」上(五木 寛之 著)講談社 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年159冊目)
「親鸞 激動編」下(五木 寛之 著)講談社 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年160冊目)
親鸞が新潟に流された時代から、関東へ移る時代を描く。

「追撃の森」(ジェフリー・ディーヴァー 著)文春文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年161冊目)
好きな作家の作品だったが、流石ですね。別荘で人が殺されたようだ。駆けつけた女性保安官補は犯人達に追われ一晩中森の中を逃げ回るのだが、どんでん返しが面白い。

「渡り鳥」(藤井 邦夫 著)双葉文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年162冊目)「知らぬが半兵衛手控帖」シリーズ16作目

スイスから帰って

「J  REPORT 2012 7月第1週号」
「リタイアメント・ノート 4年2ヶ月目」、
「VOL。747 SINCE AUG.12th、1983」
「旅暦39、スイス、オランダの旅 後記」
今、フランクフルト空港のラウンジにいる。今日は大失敗をしてしまった。午前中は例の叔父さん3人組で「国立ミュージアム」と「国立ゴッホ美術館」(写真撮影禁止でした)を訪れ、絵画を堪狽オた。ゴッホは余り好きな画家ではないが、その絵の色使いには驚かされる。やはり天才なのだろう。19世紀を代浮キる画家であることは間違いない。彼の代附・ナある「自画像」「ジャガイモを食べる家族」「ひまわり」その他200点もの作品が並ぶ。とてもゆっくりは観て回れない。それぞれ1時間づつ観て、ホテルに戻り急いで空港へ向かった。私はフランクフルトに向かったのだが、アムステルダムの空港のラウンジで白ワインを飲み過ぎて、機内では寝ていたが、フランクフルトで降り方を間違ってしまい。一旦出国のゲートに入ってしまい、大どじをして漸くバゲッジクレームで荷物を確保できた。空港の止まっているターンテーブルの上に私の荷物だけが寂しく残されていた。ショックだった。この間45分、私としたことが酔っ払いで失敗をしてしまった。それでも何とかANAのカウンターに到着、チェックインして今はラウンジで名物の「フランクフルト・メ[セージ」とビールを飲んでいるところだ。目の前の席に中国人と思われる新婚さんがいるが、お金持ちらしく(注:本人がお金持ちではなく、多分親がお金持ちだと思うのだが)、持っているのはヴィトンのスーツケース。余り品が良いとはいえない夫婦だが、これが中国のお金持ちの一つの姿なのだろう。と思っていたらハングルの新聞を読み出した。韓国人だった。男性40歳、女性38歳程度であろうか?ここまでの総括で、ジュネーブの医師の話しとして、スイスでも飲酒運転はある程度認められていて、ワイン2杯分、ビール1本程度は飲酒と認めないそうだ。車大国のアメリカも同じようなものだ。ヨーロッパ、特に海のないスイスでは魚が極端に少なかった。酢漬けが精一杯か。食事といえば朝昼晩と「パン、ハム、サラミメ[セージ、チーズとワイン」で暮らしました。スイスもオランダも線路上は歩かないほうがよい。牛ではない糞が落ちているからだ。こう言えば分かるでしょう。今日の朝のイギリスBBC放送は昨晩のサッカーの負け試合の話しばかりで、落胆、憤慨する話しの連続だった。アムステルダムのホテルの食堂にも変なおじさんがいて、係りの人に部屋番号を尋ねられて答えられず、「金を払えばいいんだろう」と開き直っていた。やはり変な人がうろついていて治安は決してよくない。トイレと言えばANAのボーイング777のビジネスクラスのトイレはウォシュレットだった。旅行中、本当に困っていたのがトイレだった。ウォシュレットで一安心したのでした。話しは戻るがスイスの発電の2/3は水力、1/3は原子力だという。所謂化石燃料の発電はないのだという。そのスイスは福島原発事故のあと、国民投票で原発の廃止を決めた。日本はいよいよ原発再開だ。果たしてどちらが正しいのか?分からない。

2012年6月23日(土曜日) 第11日目

いよいよスイスを去り、オランダに向かう。他の二人は「モンブラン」に向かった。今日も天気は最高に良い。朝食の時、庭で食べていたら「うさぎ」が現れた。ホテルの女性によると2週間くらい前から現れたということで彼女は「ポポ」と名付けたという。「アリス・イン・ワンダーランド」に出てくるウサギの名だという。憎めないウサギでパンやチーズを貰って元気欲走り回っていた。さて、昨晩のWHOの医師のO氏によると、WHOの現在のトップは香港系の中国人で、ミャンマーが対外開放に向かったのも軍事政権としては中国にこのままではしてやられてしまうという判断があったのだという。また、彼がしょっちゅう訪れているアフリカでは中国の援助で道路や橋が出来ているが労働者は全て中国から連れてきているという。だからエチオピア航空は中国便を日に2便飛ばしているが満席だそうだ。如何に中国が東南アジアやアフリカに利権を求めているのかが分かるという話しだった。大変ためになる話しだった。さてオランダはアムステルダムに到着した。ここからはユーロの世界だ。スイスフランはとりあえずしまう。ホテルにチェックインしようとしたら、ロビーで警官が3人ほどの男を確保していた。「自分のパスポートを出せ」と警官が言っている。どうやら犯人逮捕の場面に出くわしたらしい。昨日の事件もあるので、改めて治安の良くないヨーロッパにいることを認識して行動するようにしよう。如何に旅慣れているとはいえ油断は禁物だ。ホテルチェックインしてすぐに街へ出かける。まず目指すは「国立ミュージアム」。オランダ中世絵画の巨匠「レンブラント」と「フェルメール」の絵が目的だ。日本語のイヤホンガイドを借りて、まずはレンブラントの部屋へ。素晴らしい絵が飾られている。同時代の画家たちの絵も素晴らしい。狙いのフェルメールは?な、なんと、一点しかない。「牛乳を注ぐ女」だけしかない。今や「フェルメールはオランダの観光大使」みたいなもので各国に貸し出されているようだ。東京にも現在2作品が来ている。がっかりだ。レンブラントの大作「夜警」には圧倒される。大きな絵だが、細やかな美しさがレンブラントの繊細さを滲み出させている。絵の数が少ないので1時間ほどで美術館を出た。そこから徒歩で「アンネ・フランクの家」に行ってみる。ところが入場待ちの行列が出来ていたのでパスすることにした。運河沿いの建物だったが、現在は保存されて観光客に見せられるようになっていた。歩いて往復2時間、美術館で1時間、ほどほどに疲れたので途中のスーパーでビール、ワイン、ハム、サラミ、チーズ、パンを買ってきてホテルで夕食とした。驚いたことがある。それはここアムステルダムは「自転車天国」だということだ。自転車専用道路があり、優先度合は自転車がまず第一、次が人間、最後が車という具合みたいだ。それとやはり「運河」「水運」だ。今も川を多数の船が行き交う。ここから16世紀にも日本始めアジアにも覇を唱えた国家の原点があるのか?

2012年6月24日(日曜日) 第12日目
残すは後一日。午前10時に別行動だった二人組みと合流して「国際花博覧会」へと行く。それにしても世の中「WIFI」時代だ。ありとあらゆる場所がインターネットで全世界と即座に繋がる。今回料金を取られたのはグリンデルワルドのホテルのみで後は全てフリーだった。朝から雨のアムステルダムだ。小雨が降り続いている。ホテルの窓ガラスも二重だから冬の寒さが想像出来よう。この地はアイススケートと自転車が盛んなところだったのだ。今日は日曜日、雨の日曜日、なんだか感傷的になってしまう。漸く10時半に合流。早速電車で「フェンロー」というところまで約2時間掛けて向かう。「フォロリアード」(花博覧会)10年に一度行われている世界的な花の祭典だそうだ。ここで「日本政府展示ブース」や「川口市展示野外会場」等を見学したが、兎に角雨風が強く参りました。世界中の珍しい花、美しい花が展示されていて「花マニア」には応えられないものだろうが、余り花に興味のない私には感慨のないものだった。アムステルダムに戻って、最後の晩餐なので豪華にレストランに繰り出す。白ワインを2本、赤ワインを1本注文し、「エビ入りコロッケ」「前菜のアラカルト」「USA牛ステーキ」「サーモン」「ラムステーキ」を頼み堪狽キる。毎晩、加工食品ばかり食べていたので本当に美味しかった。129ユーロはまあまあの値段か?ジュネーブの医師の息子さんが原宿のイタリアンレストランで働いていて昨年年末に我々も食事に訪れたことがあったが、その息子さんが今年3ヶ月ほどイタリアにやってきて修行をしたらしいが、イタリア人のシェフがいうには、「イタリア料理は、ニューヨークと東京にはかなわない」ということらしい。

2012年6月25日(月曜日) 第13日目
遂に旅も最後の日がやってきた。朝日が雲間からのぞいている。今日は晴れそうだ。朝焼けが見える。午前中にもう一度「国立ミュージアム」や「国立ゴッホ美術館」等を見学して、帰国の途に着く。一人はダイレクトに日本へ、もう一人はイギリスへ、私はフランクフルト経由で日本に帰るが、乗り継ぎが悪く、フランクフルトで5時間半待ちとなってしまうが、持ってきている本を読もうと思っている。
以上、スイス、オランダの旅を終えようとしている勢古口がアムステルダムからお送りしました。

2012年6月22日(金曜日) 第九日目

ジュネーブの朝、国際機関が多く集まる「レマン湖」湖畔の街だ。早朝5時半から外出していた2人がホテルに戻ってきた。本日より泊まるホテルのチェックインを既にしてきたという。朝食後早速移動を開始。ジュネーブには外国から来た旅行者には「ジュネーブ・トランスポート・カード」なる無料パスをホテルが発行してくれる。公共交通機関である「バス、ライトレール、近郊電車、船」がただになるというものだ。バスを利用して都心へ出て、まずは「市内観光バス」に乗ることにした。待合所で私一人が残り二人の荷物(リュック二つ)を預かって椅子に座っていた。右手が大きなガラス窓、その一番ガラス側に私は据わり、左手の椅子にリュックを二つ置いておいた。自分のリュックは右手のガラスと私の座っている椅子の間に置いた。するとガラスをノックする背広姿でネクタイサングラスをした中年小太りの男がしきりに私を見て指で向こうのほうを示す。何かと思ってその指のほうを見た。だが不可思議なので左手を見るとリュックの一つがない。慌てて立ち上がり振り向くと別の男が一人荷物を片手に歩み去ろうとして、待合室のドアから出るところだった。私が大声を上げて追いかけるとドアの外側にリュックを捨てて走って逃げた。私も走ってリュックを確保、直ぐにガラスのほうを見たが、外にいた男もいなくなっていた。危なかった。置き引きに合うところだった。二人が帰ってきて事情説明したら、なんとリュックの中にはパスポートも入っていたという。本当に良かった。助かった。預かっていた私の責任だ。近くにいた日本人女性がたまたま写真を撮っていたのでその写真に犯人が写っていないか観て欲しいといわれたが、どうやらそうではなさそうだった。直ぐに待合室の係員の女性がやってきて被害状況を聞かれたが、荷物は盗まれなかったと説明すると、「警察に届けるので後で書類にサインしほしい」とのことだった。やがてバスツアーが始まる。ジュネーブ市内の国際機関の建物や、旧市街地を約2時間廻った。戻ると早速警察向けの書類にサインをした。中身は「私はここで泥棒に襲われたが、被害はありませんでした」という内容のものだった。昼食後、今度は観光船で「レマン湖」を一時間クルーズすることとした。綺麗な空と湖、周囲の町並みは古いヨーロッパそのもの。船が出る埠頭が「モンブラン」というので何なのだろうと思っていたら、なんとこの場所から本物の「モンブラン」が見えるのだ。勿論湖上からも雪を被ったモンブランとその一連の山々が見えたのには驚いた。感動ものだ。これで目指すスイスの山々を完全に快晴の空の下、観ることが出来た訳だ。私は今回はモンブランには行かないが、ジュネーブの湖畔から観たからよしとしよう。本当に今日は色々なことがありました。WHOに勤務する医師の案内でWHO内部の施設等を見た後、湖畔の日本食レストランで食事をした。医師は結核蘭h治療の専門家で東南アジアやアフリカで活躍しているらしい。結核の薬を作る製薬メーカーがなくなって困っているとのこと。需要と供給の関係だという。需要の激減がメーカーを生産中止に追い込んでいるが、世界から結核がなくなった訳ではないのだ。

2012年6月21日(木曜日) 第八日目

早朝から天候が気になる。午前2時、空には星も出ているようだ。午前4時、まだ暗いが雲は見当たらない。午前5時、間違いなく今日は晴れだ。それも快晴のようだ。午前5時半、アイガーの頂上部分に朝日が当たる。時間の経過と共に徐々に朝日の当たる部分が拡大していく。メンヒやユングフラウなどの山はアイガーの後ろなので見えないが、空は晴れ渡っている。我々の願いが届いたようだ。素晴らしい写真が撮れる事を期待してみよう。ユングフラウヨッホ行きの登山列車の運賃はスイスパスの割引(25%)を使っても一人当たり1万円以上するので2度目は金銭的には辛いが人生二度ないのだから頑張って行って見よう。行って大正解、全く雲なし。「ユングフラウ・ヨッホ」別名「トップ・オブ・ヨーロッパ」は、鉄道駅としては最高地点の3454mにある。昨日全く見えなかった地点からは「ユングフラウ」「メンヒ」「アイガー」が全て360度の大パノラマの中に見える。白銀の輝きの中で驚きの体験だった。イタリア側、即ち東側の眼下には大きな氷河がうねっている。位置的には「ヨッホ」の西に「ユングフラウ」、東に「アイガー」、東南に「メンヒ」があるということになる。北側は「グリンデルワルド」を始めとするスイス側の街々が点在している。昼までに降りてきたら、もう上は雲に覆われていて山頂は見えなくなっていた。朝から昼間での限定ショーでした。更にケーブルカーを使って「フィルスト」というアイガーの北の谷を越えた地点まで行ったが、ジュネーブ行きの列車の都合もあり、そうそうに戻る。ホテルには駆け足で戻り、漸く列車に間に合った。夜7時ジュネーブ到着。スイスで考え違いしていたことがあった。「GASOLIN価格」だ。これまでディーゼルが安いと思っていたが、ヨーロッパもアメリカもレギュラーよりも若干だが、ディーゼルのほうが高いのだ。日本だけかディーゼルが安いのは。これは日本の税制、多分運輸業界へ政治的の配慮の結果でコストから産出されたことではないのだろう。車は圧倒的にドイツ車が多かったが、それでも日本車も例えばジュネーブでは「トヨタ・プリウス」のタクシーが走っていたのには何か感激したのだった。さて「スイスの国旗」の話しをしたが、「赤字に白のクロス」が描かれた正方形の国旗は印象的だった。人口750万人が九州よりちょっとだけ大きいところに住み、鉄道網は日本より多く長くあるというのだから驚く。確かに列車に乗ってみると実に便利であちこちに移動できるのを体験できた。逆に不便なのは店の営業時間。スーパーも基本的には6時か7時で終了してしまう。働き過ぎの日本人にはいい薬かも知れないが?

2012年6月20日(水曜日) 第七日目

今日の目玉は鉄道で行けるヨーロッパ最高地点駅「ユング・フラウ・ヨッホ」だ。メンヒとユングフラウの間にある万年雪の中にある人口施設だ。しかし、朝から空は曇っている。スイスに来て初めての曇り空だ。アイガーは見えているものの、その後ろは雲ばかりだ。登山電車はアイガーの中をくり貫いたトンネルを進む。途中、岩の間から外を見ることができるポイントが数箇所(途中駅)あるが、まあ驚きの光景だ。あの岩山の中を列車が進むのだから驚かされる。「ユングフラウヨッホ」に到着。雲の中に入ってしまっており、周囲は全く見えない。展望台から外に出る。そこは雪に覆われた別世界。本来ならば美しい山々が見えるはずが雲の中で何も見えない。そこには「氷河の中をくり貫いたトンネル」もあり、それなりに楽しい場所だ。だが如何せん、周囲が見えなければ宝の持ち腐れだ。雨も強く降り始めた。仕方なく嵐闥ハり下山した。列車の中で関西から来たJTBのツアーの方とお話しをしたが、ドイツロマンティック街道からスイスに入って今日が最初の日だそうだが、ユングフラウヨッホだけがスイスの観光で今日中にパリに入るという。まあ恐ろしい強行軍だ。ドイツ・スイス・フランスを駆け足で一週間で廻るのは観るではなく、走るという感覚だろう。だから深く観るのではなく、いくつかの有名な観光ポイントを廻ったということになるのだろう。我々は本来ならば午後から「フィルスト」というところに行く嵐閧セったが、雨のため急遽嵐閧??マえてスイスの首都「ベルン」に向かう。古都ベルンを簡単に探索してまた戻る。約6時間の旅だった。ベルンの大聖堂は外からしか見なかったが歴史と伝統を感じさせる建物だった。この街「ベルン」は日本で言えば鎌倉時代初期に造られたものらしい。さあ明日の天気次第だが、天候によっては計画を大幅に変更することにした。これは個人旅行の強みだ。決断と実行力、機敏な判断で旅を楽しもう。何とか晴れてもらいたい。スイスパスにもお世話になっています。

「スイス、オランダの旅、後半」

「J  REPORT 2012 6月第4週号」
「リタイアメント・ノート 4年1ヶ月目」、
「VOL。746 SINCE AUG.12th、1983」
「旅暦39、スイス、オランダの旅 続き」
2012年6月19日(火曜日) 第六日目
早朝2時から星を観に出掛ける。満点の星と天の川の天体ショーが見えた。正に本日も快晴になりそうで雲ひとつなさそうな空模様だった。それにしても通信事情が悪い。インターネットに接続させると隣のホテルの電波が入ってきてしまう。仕方なくホテルロビーにまで降りて行かないと繋がらない。部屋から接続できないことには困った話しだ。今日は移動日だ。列車を乗り継いで「グリンデルワルド」に到着。目の前には「アイガー北壁」の黒い壁が立ちはだかる。午後からゴンドラ・リフトを利用して「メンリッヒェン」2280mまで登る。標高差1295m、全長6.2kmを30分で登る。頂上は左手から「アイガー」「メンヒ」「ユウングフラウ」の山が立ち並ぶ絶景ポイントだ。生憎メンヒは頂上部分に雲があったが、他の山はその全景を見せている。スイスで意外だったのは「気温が高い」ということだ、1000m以上の街でも20度30度は当たり前だ。ツェルマットも日中は30度を越えていた。盆地だからだろうか?今回のホテルは設備も最悪、サービスも最悪だった。