「堀切菖蒲園」

『J REPORT 2019年7月第1週』
「リタイアメント・ノート 11年1か月目」
「VOL.1114号 SINCE  AUG.12th, 1983」
「堀切菖蒲園」
色々と都合があり、中々行けなかった「堀切菖蒲園」に漸く行くことが出来た。もうじき6月末なのでちょっと時期が遅かった。途中、花に戯れる蝶を見つけた。(写真:P1)P1
京成本線の堀切菖蒲園駅から660m歩く。流石平日の園内は空いていた。(写真:P2)P2
やはり菖蒲の花は遅過ぎました。残念ですが、仕方がありません。カメラ片手に園内を歩きながら撮影する。
(写真:P3)P3
(写真:P4)P4
(写真:P5)P5
(写真:P6)P6
(写真:P7)P7
兎に角暑い。都内は30度となっているし、南の海では台風3号が発生するとかで、湿度も高く不快指数も上がっているだろう。(写真:P8)P8
(写真:P9)P9
(写真:P10)P10
閑散とした園内を一回りした。(写真:P11)P11
(写真:P12)P12
(写真:P13)P13
入口付近の石碑。(写真:P14)P14
帰り道に「菖蒲七福神」がありました。(写真:P15)P15
来年は6月初めには菖蒲園を訪れたいものだ。

「今週の映画と本」

「今週の映画と本」
「私の2019年の映画の評価は?」あくまで私の私感ですからね!!
「アマンダと僕」(シネスイッチ銀座にて)私的批評眼★★★★(今年101作品目)英愛アマンダと僕
シングルマザーをテロで失ったアマンダ7歳。彼女の叔父、僕23歳。二人は一緒に生活するのだが、果たしてこのコンビ、どうなるのか?心の襞に感じる映画でした。良かったよ。少女役の彼女の演技に感動。

「パピヨン」(TCシャンテにて)私的批評眼★★★(今年102作品目)映画パピオン
若い頃、観たことがあったが、リメイクされたものだった。実話で主人公自らが自伝を公開し世界中で1300万部も売れたベストセラーの映画化だ。1931年に偽の殺人罪で逮捕されたパピヨン(フランス語で蝶々)が脱走を図り、その都度捕まり独房入りをするが、最後は遂に逃げ出すというもの。

6月21日の日経新聞「シネマ万華鏡」の評価は、「アマンダと僕」が4つ星、「きみと、波にのれたら」が3つ星、「M-MEN ダーク・フェニックス」が3つ星、「パピオン」が3つ星、「家族にサルーテ!」が3つ星、「ザ・ファブル」が2つ星、「ファイナルファンタジーXⅣ光のお父さん」が3つ星でした。

「2019年の映画、私的評価表」
★★★★★=「ボヘミアン・ラプソディ」「グリーンブック」「運び屋」「こどもしょくどう」「さよなら くちびる」
★★★★=「蜘蛛の巣を払う女」「バハールの涙」「メリーポピンズ リターンズ」「女王陛下のお気に入り」「ちいさな独裁者」「ヴィクトリア女王」「半世界」「ねことじいちゃん」「翔んで、埼玉」「あの日のオルガン」「天国でまた会おう」「マイ・ブック・ショプ」「Bの戦場」「ブラック・クランズマン」「ROMA」「ザ・プレイス」「バイス」「ハンターキラー」「パリの家族たち」「誰もがそれを知っている」「小さな恋のメロディ」「アラジン」「アマンダと僕」

「2018年の映画はこんなでした」
★★★★★=「はじめてのおもてなし」「スリー・ビルボード」「リメンバー・ミー」「レディー プレイヤーワン」「万引き家族」「空飛ぶタイヤ」「輝ける人生」「判決 ふたつの希望」「日日是好日」

「2019 観劇シリーズ」 2018年の歌舞伎観劇は3度でした。
一月大歌舞伎=歌舞伎座にて 
二月競春名作喜劇公演観劇=新橋演舞場にて
團菊祭五月大歌舞伎=歌舞伎座にて
七月大歌舞伎観劇の予定。

「2019 旅暦」
国内旅行は、1月は北海道2回と佐賀武雄温泉。6月末からは神奈川会の仲間と三陸に、7月に4S会で壱岐の島から長崎へと、7月後半は妻と娘、孫娘たちと一緒に再び壱岐に、そして9月はG46の仲間と北海道へ競争馬を観に行く予定。
海外旅行は、2月と5月のハワイ、8月もハワイの予定。
これまで行った国々の合計数は、71か国(直近18年5月のモンゴル)

「2018 読書記録」 2018年の読書数は、252冊でした。
「岩燕」(鈴木 英治 著)小学館文庫 私的批評眼★★★(今年130冊目)「突きの鬼一」シリーズ第4弾本岩燕

「門出」(佐々木 裕一 著)幻冬舎文庫 私的批評眼★★★(今年131冊目)「若旦那隠密」シリーズ第4弾完結編本門出

「銚子港」

「銚子港」
何年か振りに銚子を訪れた。前回来たのは自家用車があり、自分で運転してきたのだから、もう7~8年以上前だろう。JRの駅から歩き出す。向かうは利根川だ。ここ銚子は水揚げ日本一の漁港だ。その昔から利根川の水運を利用し発展し、また醤油の大産地でもあった町だ。利根川に架かる橋が望める。(写真:C1)C1
銚子灯台も遠くに見える。(写真:C2)C2
川岸に魚市場もあったが、既に水揚げは終わっているのか、締め切られていた。(写真:C3)C3
河口だ。(写真:C4)C4
太平洋が見える。(写真:C5)C5
港には漁船もいたが、数は少ない。(写真:C6)C6
おや、漁船から魚を水揚げしていた。(写真:C7)C7
船内から網に入れられた魚がトラックの荷台に吐き出されている。(写真:C8)C8
(写真:C9)C9
(写真:C10)C10
見ていると魚を積んだトラックは道路脇の建物からパイプで氷を積んでいた。
(写真:C11)C11
駅から利根川、そして河口へと歩く。港も終わりになったので、山側に入り、銚子電鉄の駅を探す。地元の人に聞きながら歩くと、山の上の小さな駅に到着した。この駅の名は「笠上黒生駅」、何と読むかというと「かさかみ・くろはえ」駅だという。ところが反対側のホームに書かれていた駅名は、「髪毛黒生」駅となっていた。これは「かみのけ・くろはえ」というのだそうだ。ジョークだな。
電車がやってきた。3両編成のレトロな電車だ。(写真:C12)C12
銚子駅に向かう途中の駅名が「元銚子」という駅があったが、車内放送は「次は元銚子。本調子、上り調子、元銚子」と連呼していた。ユニークな銚子電鉄でした。
本当は美味い魚でも食べようかと思っていたが、歩き疲れて早々に帰ってきた。途中雨が降って来た。後で聞くと成田付近では一時間当たり100mm近くの大雨で京成電鉄は一時運転休止していたというから、早めの帰宅の判断は良かったのだろう。

「浜離宮」

「浜離宮」
梅雨空の日だった。浜離宮に行った。入り口近くの道路の端の石に驚くなかれ「丸に十の字」の薩摩藩島津家の家紋が入っていた。見つけた私のほうがびっくり。(写真:H1)H1
どこかで使われていた江戸時代の石を使い回していたのだろうか?薩摩屋敷でも壊したときに出た石なのだろうか?入口の門だ。(写真:H2)H2
鬱陶しい空模様だったが、遂に雨が降り出した。それに季節の変わり目か、庭園内は植え替えのためか何も植わっていなかった。鴉が飛んでいるだけだ。(写真:H3)H3
植わったばかりの草の周りを白い蝶々が飛んでいた。(写真:H4)H4
残念ながら都会の中の落ち着いた場所も空虚な感じだ。周囲のビル群が空しい。(写真:H5)H5
(写真:H6)H6
雨さえ降らなければ、丁度タイミングよくボランティアガイドの案内があったのだが、残念ながら傘がないので諦めた。こういう日もあるのだ。仕方がない。天気には逆らえない。
ここには将軍専用の船着き場がある。第十五代将軍徳川慶喜は、元々御三家の一つ「水戸家」の出で、御三卿の一橋家に養子に入り、偶然にも十四代将軍の急逝で将軍になった人だ。彼は「大政奉還」を突然行ったり、「鳥羽伏見の戦い」では逃げ出し、大坂城も捨てて軍艦で江戸に逃げ帰った人物だ。彼が江戸に着いた時に上陸したのもこの場所なのだった。
以上、梅雨の東京から勢古口がお送りしました。

「マンモス展」

『J REPORT 2019年6月第5週』
「リタイアメント・ノート 10年12か月目」
「VOL.1113号 SINCE  AUG.12th, 1983」
「マンモス展」
お台場の「日本科学技術館」で開催中の「マンモス展」に行ってきた。夏休みになると大混雑すると思い、少し早いが訪れた。自宅前のバス停から都バスで向かう。豊洲を過ぎてからは高層マンション群が林立しているし、更に多数の建築中のマンションがあった。おっと、オリンピックの施設が建設中だった。(写真;M1)M1
水素ステーションもあった。時代の最先端だ。(写真;M2)M2
バス停の目の前があの「東京湾岸警察署」だった。兎に角、麻薬関連の事件では必ず出てくる警察署だ。(写真;M3)M3
いよいよマンモス展だ。(写真;M4)M4
丁度時間があったのでドーム・シアターで行われていた「9次元から来た男」という3D映画を観ることにした。(写真;M5)M5
(写真;M6)M6
所謂「宇宙の謎」なのだが、270億年前のビッグバンは「紐」の世界だったというのだ。よく分からない話しだった。
近くに「船の科学館」が見える。(写真:M7)M7
その向こう側は「クルーズ船発着場」だ。高さ制限でレインボーブリッジを越えられない大型クルーズ船が停泊するところだ。フジテレビも遠くに見える。(写真:M8)M8
それでは入場しよう。
永久凍土から掘り出された4万年前の子供の「ケナガマンモス」の実物だ。零下20度で保管されている。(写真:M9)M9
次は「ケナガマンモス」の骨格だ。(写真:M10)M10
(写真:M12)M12
ケナガマンモスの毛の実物が触れる。針金みたいな感じの固さだ。(写真:M13)M13
ケナガマンモスが過ごした時代の動物たちの骨だ。(写真:M14)M14
(写真:M15)M15
(写真:M16)M16
ケナガマンモスの下あごの骨だ。(写真:M17)M17
歯は上下2本づつで合計4本。平たい歯で草を磨り潰して食べる。一日200kgもの草を食べていたという。そのため、すり減った歯は生涯に5度も生え変わるという。ケナガマンモスの寿命は大体60-70歳程度だそうだ。
(写真:M18)M18
仔馬とケナガマンモスの皮。(写真:M19)M19
バイソン、子犬、雷鳥。(写真:M20)M20
ケナガマンモスの雌の鼻。この中から凍っていない血液が採取された。(写真:M21)M21
今、DNAを元にしてマンモスの再現が近畿大学を中心にして試みられているという。復元予想の「ユカルギマンモス」(写真:M22)M22
(写真:M23)M23
(写真:M24)M24
(写真:M25)M25
(写真:M26)M26
(写真:M27)M27
(写真:M28)M28
仔マンモスの模型。(写真:M29)M29
牙の模型。(写真:M30)M30
中々に面白い企画展でした。子供は喜ぶだろうな。夢があるからね。
日本科学技術館。(写真:M31)M31
東京湾岸警察署。(写真:M32)M32
パンフレットです。(写真:M33)M33
氷河期の寒さに適応し進化して生き残っていたマンモスの絶滅にはいくつかの理由があるという。一つには人間による捕獲による滅亡、気候変動による食糧不足等々あるようだが、原因は未だ不明だ。しかし、シベリアの永久凍土の中から発見されたケナガマンモスの調査から徐々にその生態が分かりつつあるという。貴重な発見の数々は大変参考になりました。勿論日本にもマンモスはいた。

「満月」
梅雨の合間の夜空に満月が光る。ちょっと雲が出ていた。その雲間から覗く満月の光。(写真:満月1)満月1
(写真:満月2)満月2
暫くすると漸く満月が見え出した。久しぶりの満月に感激。(写真;満月3)満月3
良いね、満月は。(写真:満月4)満月4
つかの間の宇宙探訪でした。

「今週の映画と本」

「今週の映画と本」
「私の2019年の映画の評価は?」あくまで私の私感ですからね!!
「メン・イン・ブラック インターナショナル」(TC日比谷にて)私的批評眼★★★(今年98作品目)映画MIB
SONYピクチャーズのヒット作品で4作目だそうだが、主役が変わり内容も随分と豪華絢爛になってはいた。

「ガラスの恋の約束」(恵比寿ガーデンシネマにて)私的批評眼★★★(今年99作品目)映画ガラスの城の約束
実話の映画化。主人公は次女の女性。下には弟と妹の4人姉妹弟。父親は毎日煙草4箱、ウィスキー2Lというアル中。母親は売れない画家。彼らの生き方は自然の中で自由に生き、夢はガラスで出来た城を造ること、学校にも行かない。そんな姉妹が親から逃げて独立する姿を描くのだが、最後は家族愛に引き戻される。

「ハウス・ジャック・ビルド」(HTC有楽町にて)私的批評眼★★★(今年100作品目)映画ハウスジャックビルド
評価が分かれる映画だろう。自称建築家で大量殺人犯のジャックが自分の犯した殺人事件を5件、回想い告白する。実に残酷な映画なのだ。ショッキングな場面の連続で観終わっても声も出なかった。怖がりの人は見ないほうがいい。

6月21日の日経新聞「シネマ万華鏡」の評価は、「アマンダと僕」が4つ星、「きみと、波にのれたら」が3つ星、「M-MEN ダーク・フェニックス」が3つ星、「パピオン」が3つ星、「家族にサルーテ!」が3つ星、「ザ・ファブル」が2つ星、「ファイナルファンタジーXⅣ光のお父さん」が3つ星でした。

「2019年の映画、私的評価表」
★★★★★=「ボヘミアン・ラプソディ」「グリーンブック」「運び屋」「こどもしょくどう」「さよなら くちびる」
★★★★=「蜘蛛の巣を払う女」「バハールの涙」「メリーポピンズ リターンズ」「女王陛下のお気に入り」「ちいさな独裁者」「ヴィクトリア女王」「半世界」「ねことじいちゃん」「翔んで、埼玉」「あの日のオルガン」「天国でまた会おう」「マイ・ブック・ショプ」「Bの戦場」「ブラック・クランズマン」「ROMA」「ザ・プレイス」「バイス」「ハンターキラー」「パリの家族たち」「誰もがそれを知っている」「小さな恋のメロディ」「アラジン」

「2018年の映画はこんなでした」
★★★★★=「はじめてのおもてなし」「スリー・ビルボード」「リメンバー・ミー」「レディー プレイヤーワン」「万引き家族」「空飛ぶタイヤ」「輝ける人生」「判決 ふたつの希望」「日日是好日」

「2019 観劇シリーズ」 2018年の歌舞伎観劇は3度でした。
一月大歌舞伎=歌舞伎座にて 
二月競春名作喜劇公演観劇=新橋演舞場にて
團菊祭五月大歌舞伎=歌舞伎座にて
七月大歌舞伎観劇の予定。

「2019 旅暦」
国内旅行は、1月は北海道2回と佐賀武雄温泉。6月末からは神奈川会の仲間と三陸に、7月に4S会で壱岐の島から長崎へと、7月後半は妻と娘、孫娘たちと一緒に再び壱岐に、そして9月はG46の仲間と北海道へ競争馬を観に行く予定。
海外旅行は、2月と5月のハワイ、8月もハワイの予定。
これまで行った国々の合計数は、71か国(直近18年5月のモンゴル)

「2018 読書記録」 2018年の読書数は、252冊でした。
「歩兵の本領」(浅田 次郎 著)講談社文庫 私的批評眼★★★★(今年121冊目)本歩兵の本領

「昼行灯」(和久田 正明 著)ハルキ文庫 私的批評眼★★★(今年122冊目)「布引左内影御用」シリーズ第1弾

「人でなしの恋」(和久田 正明 著)ハルキ文庫 私的批評眼★★★(今年123冊目)「布引左内影御用」シリーズ第2弾本人でなしの恋

「武士の流儀 一」(稲葉 稔 著)文春文庫 私的批評眼★★★★(今年124冊目)「武士の流儀」シリーズ第1弾本武士の流儀

「江戸入城」(誉田 龍一 著)コミック時代文庫 私的批評眼★★★(今年125冊目)「天下御免の剣客大名」シリーズ第1弾本江戸入城

「鬼面地獄」(倉坂 鬼一郎 著)コミック時代文庫 私的批評眼★★★(今年126冊目)「裏町奉行闇仕置」シリーズ第3弾本鬼面地獄

「陰謀奉行」(早見 俊 著)光文社文庫 私的批評眼★★★(今年127冊目)「闇御庭番」シリーズ第3弾本陰謀奉行

「唐渡り花」(早見 俊 著)光文社文庫 私的批評眼★★★(今年128冊目)「闇御庭番」シリーズ第4弾本唐渡り花

「密命下る」(牧 秀彦 著)徳間文庫 私的批評眼★★★(今年129冊目)「婿殿開眼」シリーズ第1弾本密命下る

「成田山新勝寺と鰻」

「成田山新勝寺と鰻」
江戸時代、歌舞伎の初代市川團十郎が男の子の誕生を祈願したところ見事授かったことから、その後同寺を信奉し、その屋号を「成田屋」としたという有名なお寺様だ。深川にも別院がある。成田と言えば「鰻」が有名だ。団十郎は老中水野忠邦の「天保の改革」の奢侈禁止令で江戸所払いにもなりかけた役者だ。
さて、参道を進む。駅前から100mほどのところにあるラーメン屋「ばやし」だ。(写真;N1)N1
何が有名かというと、外国航空会社のスタッフたちが集まることから、海外では超有名なのだとか。なんの変哲もない店でした。一番人気は「葱味噌チャーシュー麵」だそうだ。
参道を進む。(写真;N2)N2
歌舞伎の絵もある。(写真;N3)N3-1
更に参道があり、いよいよ下りだ。高低差20m以上はあるだろう。(写真;N4)N4
鰻の店で入ったのは、今日は初めての「菊屋」だ。(写真;N5)N5
入口には綺麗な花が。(写真;N6)N6
店の資料によると、『飲食業は、昔は「煮売屋」と呼ばれていたという。江戸時代の天保年間に残された文章に成田山門前に煮売屋「菊屋」の名が残されていた。成田山新勝寺は天慶の乱の折、勅命により建立され、以来宮家の菊の御紋の使用を許されているという。天保の当主がその折、新勝寺よりその御紋を拝領し、屋号も菊屋と称した』という。
江戸時代、人々は江戸の「行徳河岸」から船で塩の産地「行徳」に渡り、そこから佐倉を経て成田に参詣したという。
さていよいよ菊屋さんの鰻「国産鰻重」@4500円だ。(写真;N7)N7
お重の蓋の上には「大安」と書かれていた。「今日は大安ですか?」と店の人に聞くと「いえ、毎日大安になるようにとの気持ちです」とのことだった。
蓋を取る。(写真;N8)N8
いやあ、美味そうな鰻だ。山椒を掛けて食べる。柔らかくてしっとりして美味しいのは当たり前か。満腹になりお茶を6杯飲み、鰻を堪能した。
それでは「成田山新勝寺」を参詣しよう。私は毎度ながらエレベーターを利用して登る。本堂だ。(写真;N9)N9
三重塔が建つ。(写真;N10)N10
参拝して帰る。「総門」だ。(写真;N11)N11
帰り道、山門近くに新興勢力の鰻屋「駿河屋」がある。ここはネットの口コミでは人気ナンバーワンだった。(写真;N12)N12
成田には古い旅館が沢山残っている・(写真;N13)N13
(写真;N14)N14
さて最も有名な鰻屋が「川豊」だ。(写真;N15)N15
沢山の職人が捌き、串打ち、焼きと分業で働いている。ここは焼き処。(写真;N16)N16
非常に混んでいる店だ。
成田には地元の酒屋もある。「寿命泉」という蔵元だ。(写真;N17)N17
沿道には、鰻屋だけでなく、煎餅、漬物、天麩羅、饅頭、お土産等々の店が立ち並んでいた、ここも例外に漏れず外国人観光客が多かった。
鰻についての私事なのだが、私の一番嫌いなのが「蛇」なのだ。だから鰻は蛇に似ていて、一切食べられなかった。中学生の頃、ある日の食事で「かば焼き」が出てきた。母に聞くと「サンマのかば焼きだ」と言われた。それで食べたら本当に美味しかった。食べ終えて母が「鰻だった」と言った。それから鰻が食べられるようになった。母に感謝、感謝だ。
話しを戻して、「何故、今鰻なのか?」ということなのだが、実は久々に鰻が食べたくなり、南千住の「尾花」に行こうと思ったのだが、尾花は畳の座敷なので膝の悪い私には座るのが難しいので、それではどこにしようか?と考えた時、都内では詰まらないので成田にまで行くことにしたのでした。別にさいたまでも良かったのだが。

「井の頭恩賜公園とモネの睡蓮」

「井の頭恩賜公園とモネの睡蓮」
有名なモネの絵画「睡蓮」。(写真:モネの睡蓮)モネ睡蓮
ジヴェルニーの自邸の庭に造った日本風の蓮池を描いたモネの「睡蓮」は200作以上に上るが、それに似た水面を観ることができるかもしれないということで、初めて「井の頭恩賜公園」を訪れた。
都会にありながら、武蔵野の実に緑豊かな森の中に池があった。そこで周囲を歩きながら、睡蓮の雰囲気を探して歩いてみた。どう感じるかは皆さまのご判断にお任せする。
(写真:I1)I1
(写真:I2)I2
(写真:I3)I3
(写真:I4)I4
「野口雨情」の石碑があった。(写真:I5)I5
(写真:I6)I6
書かれていた詩は、「鳴いて さわいで 日の暮れごろは 葦(よし)に 行々子(よしきり) はなりゃせぬ」。
野口雨情は「七つの子」、「赤い靴」、「雨降りお月さん」などの童謡で名高い詩人だ。1924年から約20年間、井の頭恩賜公園に近い武蔵野村吉祥寺に居を構えて創作活動を行っていたという。
林の道が美しい。(写真:I7)I7
社が見える。(写真:I8)I8
睡蓮に似ているかな?(写真:I9)I9
(写真:I10)I10
(写真:I11)I11
(写真:I12)I12
梅雨の時期の池もいいものだ。果たして睡蓮とはいかなかったが、それなりの雰囲気を私は感じたのでした。

「東京銀座食堂」

「手前勝手世界食物語、第525号」
「東京銀座食堂」
いつも行くステーキハウスの斜め前にある店だが、かなり前に一度行ったきりだったが、行ってみたら店名が変わっていた。「東京銀座食堂」というのになっていたが、中は大きいスペースだが、がらがらだった。
頼んだのは「オリジナル前割り焼酎」@600円。(写真:食1)食1
「銀座食堂のサラダ」@780円。(写真:食2)食2
「ガーリックシュリンプ」@980円(写真:食3)食3
「アスパラベーコン」@780円(写真:食4)食4
ここまで来ると正に居酒屋だ。実はこの店に来る前に近くの店を回ってみたのだが、どこへ行っても喫煙可となっており、煙草の煙が嫌で店を次々と探し回っていたのだった。ここは禁煙みたいだったので安心して入ったという訳。
最後は「焙り板ウニのカルボナーラ」@1300円(写真:食5)食5
この店、味はまあまあだが、お酒類が高いのが玉に瑕かな?リピーターになるのはちょっと難しいか。
梅雨の中休みの東京から勢古口がお送りしました。

「白山神社の紫陽花祭」

『J REPORT 2019年6月第4週』
「リタイアメント・ノート 10年12か月目」
「VOL.1112号 SINCE  AUG.12th, 1983」
「白山神社の紫陽花祭」
ここ数年、この時期になると訪れているのが「白山神社」だ。梅雨入り宣言して、いよいよこの季節だ。それが季節の花「紫陽花」だ。東洋大学がある「白山」で下車し、少し坂を上ると「白山神社」だ。
鳥居が見えた。(写真:S1)S1
境内に入るが、まだ紫陽花は七分咲き程度か?それでも綺麗な花もある。(写真:S2)S2
(写真:S3)S3
手洗い場も綺麗だ。(写真:S4)S4
神社には「阿吽」が対になっている当たり前の光景だ。(写真:S5)S5
(写真:S6)S6
本殿に向かう。(写真:S7)S7
では境内の紫陽花を見て行こう。(写真:S8)S8
(写真:S9)S9
(写真:S10)S10
(写真:S11)S11
(写真:S12)S12
紫陽花は日本の季節を彩る花だ。どこにでもある普通の花がこれほど美しいとは何故だろう?
(写真:S13)S13
(写真:S14)S14
おや、楓があった。(写真:S15)S15
紫陽花は裏の公園にもあった。(写真:S16)S16
(写真:S17)S17
本殿の裏側から見た。(写真:S18)S18
(写真:S19)S19
知らなかったが、「東京十社巡り」というのがあり、皇居を囲んでぐるりと巡るコースがあることを知る。(写真:S20)S20
(写真:S21)S21
(写真:S22)S22
白山神社から逆時計回りに観てみると、永田馬場の「日枝神社」、赤坂の「氷川神社」、北品川の「品川神社」、芝の「神明宮」、深川の「富岡八幡宮」、亀戸の「亀戸天神」、神田の「神田神社」、根津の「根津神社」、そして王子の「王子神社」となっていた。これは面白そうだ。一度全部を回って見よう。
由来は徳川幕府が崩壊し、江戸、今の東京に遷都した際に明治天皇が東京の鎮守と万民の安寧を祈るため、明治元年11月8日、「准勅祭神社」として東京十社を定め、勅使を派遣して祈願されたことによるという。
楽しみだ。