「成田山新勝寺と鰻」

「成田山新勝寺と鰻」
江戸時代、歌舞伎の初代市川團十郎が男の子の誕生を祈願したところ見事授かったことから、その後同寺を信奉し、その屋号を「成田屋」としたという有名なお寺様だ。深川にも別院がある。成田と言えば「鰻」が有名だ。団十郎は老中水野忠邦の「天保の改革」の奢侈禁止令で江戸所払いにもなりかけた役者だ。
さて、参道を進む。駅前から100mほどのところにあるラーメン屋「ばやし」だ。(写真;N1)N1
何が有名かというと、外国航空会社のスタッフたちが集まることから、海外では超有名なのだとか。なんの変哲もない店でした。一番人気は「葱味噌チャーシュー麵」だそうだ。
参道を進む。(写真;N2)N2
歌舞伎の絵もある。(写真;N3)N3-1
更に参道があり、いよいよ下りだ。高低差20m以上はあるだろう。(写真;N4)N4
鰻の店で入ったのは、今日は初めての「菊屋」だ。(写真;N5)N5
入口には綺麗な花が。(写真;N6)N6
店の資料によると、『飲食業は、昔は「煮売屋」と呼ばれていたという。江戸時代の天保年間に残された文章に成田山門前に煮売屋「菊屋」の名が残されていた。成田山新勝寺は天慶の乱の折、勅命により建立され、以来宮家の菊の御紋の使用を許されているという。天保の当主がその折、新勝寺よりその御紋を拝領し、屋号も菊屋と称した』という。
江戸時代、人々は江戸の「行徳河岸」から船で塩の産地「行徳」に渡り、そこから佐倉を経て成田に参詣したという。
さていよいよ菊屋さんの鰻「国産鰻重」@4500円だ。(写真;N7)N7
お重の蓋の上には「大安」と書かれていた。「今日は大安ですか?」と店の人に聞くと「いえ、毎日大安になるようにとの気持ちです」とのことだった。
蓋を取る。(写真;N8)N8
いやあ、美味そうな鰻だ。山椒を掛けて食べる。柔らかくてしっとりして美味しいのは当たり前か。満腹になりお茶を6杯飲み、鰻を堪能した。
それでは「成田山新勝寺」を参詣しよう。私は毎度ながらエレベーターを利用して登る。本堂だ。(写真;N9)N9
三重塔が建つ。(写真;N10)N10
参拝して帰る。「総門」だ。(写真;N11)N11
帰り道、山門近くに新興勢力の鰻屋「駿河屋」がある。ここはネットの口コミでは人気ナンバーワンだった。(写真;N12)N12
成田には古い旅館が沢山残っている・(写真;N13)N13
(写真;N14)N14
さて最も有名な鰻屋が「川豊」だ。(写真;N15)N15
沢山の職人が捌き、串打ち、焼きと分業で働いている。ここは焼き処。(写真;N16)N16
非常に混んでいる店だ。
成田には地元の酒屋もある。「寿命泉」という蔵元だ。(写真;N17)N17
沿道には、鰻屋だけでなく、煎餅、漬物、天麩羅、饅頭、お土産等々の店が立ち並んでいた、ここも例外に漏れず外国人観光客が多かった。
鰻についての私事なのだが、私の一番嫌いなのが「蛇」なのだ。だから鰻は蛇に似ていて、一切食べられなかった。中学生の頃、ある日の食事で「かば焼き」が出てきた。母に聞くと「サンマのかば焼きだ」と言われた。それで食べたら本当に美味しかった。食べ終えて母が「鰻だった」と言った。それから鰻が食べられるようになった。母に感謝、感謝だ。
話しを戻して、「何故、今鰻なのか?」ということなのだが、実は久々に鰻が食べたくなり、南千住の「尾花」に行こうと思ったのだが、尾花は畳の座敷なので膝の悪い私には座るのが難しいので、それではどこにしようか?と考えた時、都内では詰まらないので成田にまで行くことにしたのでした。別にさいたまでも良かったのだが。