「J REPORT 2024 7月第5週号&8月第1週号」
「リタイアメント・ノート 15年2ヶ月目」
「VOL.1377 SINCE AUG.12th、1983」
「走るな! 転ぶな! 風邪引くな!」が老人には大切らしいです。75歳後期高齢者の㔟古口より、
追加して「癌になるな」もね。
「人生は旅の如くNO.17-2010年編・第4話、3月の中国大連にて」
漸く最終目的地にやってきた。ご存じ日露戦争の山場の戦場痕だ。明治時代の二大戦争の一つで旅順港を占拠するためには越さなくてはならないロシアの要塞がそこにはあった。日本陸軍は乃木大将が指揮を執るが、敵トーチカからの射撃に次々と日本兵は倒れいく。ただ突撃のみのむやみな戦いは膠着状態に陥っていた。まあ歴史を観ればその結果は分かるのでここでは述べない。
しかしこの地で失った兵士の血の尊さは果たして理解されていたのだろうか?乃木将軍の作戦力のなさ、参謀の能力不足、揚げればきりがないが日本軍の失敗作戦の一つであることは事実であろう。
私はこの地に立って、歴史の重みと共に無駄な人的損失を顧みない当時の陸軍の体質が後々にも残されたことに憤慨するのだ。コンクリートで出来たトーチカにただただ突撃を繰り返すという愚策。打ち出される機関砲からの射撃でばたばたと倒れる日本兵。その後大連から満州鉄道が出来、南満州の経営に乗り出した関東軍。その結果は日中戦争から太平洋戦争へと破綻の道を進むとその時の誰が想像しただろうか。大連の街には戦前の日本の建物が数多く残っている。そこには歴史の重みを感じさせるものがあった。
明治大帝の崩御に伴い殉死した乃木夫妻、今は神になり祀られている。孫息子がお宮参りには乃木神社を利用させて頂いたので悪くは言いたくないが、実に頭の固い将軍だったのだろう。
その後中国には2017年6月に3S会で新疆ウイグル自治区を訪れた以外、香港を除いて訪れていない。もう二度と訪れることはないだろう。益々中国を嫌いになったからでもあるが。