「J REPORT 2023 5月第5週号&6月第1週号」
「リタイアメント・ノート 13年12ヶ月目」
「VOL.1318 SINCE AUG.12th、1983」
「走るな! 転ぶな! 風邪引くな!」が老人には大切らしいです。
「膝の手術終わりました」於:聖路加国際病院整形外科
18日午前8時に手術室へ入り、なんだかんだと支度があり、その内、意識が途絶え、気が付いたら11時45分だった。約3時間の手術だった。今回は神経ブロック麻酔とかいうのでかなり痛みは抑えられていた。だから2010年の左膝の時と比べると痛みが全然違った。医師に言わせると、入院期間内は痛み止めを常に使って機能回復に努めるとのこと。「骨が固かったね」とも言われた。骨が固いのは健康なのかな?痛みに耐えながらも歩き続けたことが骨密度が増したのだろうとの見解でした。
夕食が出た。主食:玄米180g、漬け汁(花麩・葱)、魚煮付け、もやしのポン酢和え、とろろ芋、出汁割り醤油
熱量624kcal、蛋白23.6g、炭化80.18g、塩分2.6g(写真:A1)
驚いたことに味が濃いこと。皆さん普通にこのくらいの濃さの食べ物を食べているのかなあ?
最初の夜は殆ど眠れなかった。うとうとまどろむうちに朝が来た。
看護師さんが来る度に検温、血圧測定、血糖値と忙しい。
19日金曜日の朝食だ。玄米180g、牛乳200cc、味噌汁(ワカメ、大根)、赤魚ミリン漬け焼き60、白菜と揚げ煮浸し。熱量549kcal (写真:A2)
こんな調子の食事で兎に角玄米が食べられなかった。
手術前に自己血を採取していたが、実際には出血は20ccしかなく、使わなかったので自己血の再輸血を行った。400ccで4時間掛かり体内に戻した。(写真:自己血)
そして午後2時から最初のリハビルが始まった。ベッドに腰を掛け立ち上げる練習。そこから車椅子に移る。
トイレまで連れて行ってもらい、今度は車椅子からトイレに座る練習。これらの一連の動きを看護師さんにも手助けしてもらい一応終了。トイレはベッド上でのお丸から便器でのトイレが可能となる。
20日土曜日からは歩行訓練が始まった。リハビル室で並行したパイプの間を歩行する。当然手術した右膝は地面に付けられないので、両腕で支えて左足だけでの歩行だ。これが辛い。何とは数mを往復しただけでバテバテ。次が歩行器を使っての練習。これが出来るようになると自分でトイレに行けるようになるという。(写真:歩行器)
これも辛かった。午後からは長男家族が来てくれたが、孫息子は小学生なので病室には来られず携帯電話での会話だけでした。手術翌日からのリハビリには参りました。
21日日曜日。漸くシャワーを浴びることが出来ました。さっぱりしました。トイレには何度も行きましたが、どうやら歩行器にも慣れつつある。右膝にも少しづつ体重を乗せられるようになった。
私の食事は「1800kcal Full」とある。通常人の量のカロリー摂取なのだが、如何せん塩気が強過ぎる。いつもが如何に塩分少な目で過ごしているかが分かるというもの。それで減塩食に変えてもらいました。
毎日の日課は3食の食事とリハビリが基本。後は寝て待てとなる。二日に1回のシャワーが一番嬉しい。
22日月曜日と23日火曜日からリハビリは平行棒で片手付きでの歩行と、杖での歩行へと移行した。まだ腫れは引かないもののかなりしっかりとした歩行にはなってきているようだ。また部屋へ戻ってからも歩行練習を看護師さんと一緒に行った。
「火曜日はサンドイッチの日」昼にはサンドイッチが出た。聞くと火曜日はサンドイッチで日曜日は麺類だという。そう言えば日曜日にはうどんが出たなあと思い出した。(写真:サンドイッチ)
24日の水曜日もリハビリに始まり、リハビリに終わる生活でした。昼はスパゲッティがでた。玄米だけでは叶わないから目先が替わるのは助かる。(写真:スパゲッティ)
25日木曜日になり、丁度入院後1週間が経った。傷口は長さ20cmほどで右ひざの上を細長いS字状にカットされていて、ホッチキスのようなもので20か所縫合されていた。(写真:傷口)
また、床ずれが痛いのが最大の悩みになっているが、大型の絆創膏を貼って貰ったお陰で大分楽になった。
杖による歩行も100mや200mは歩けるようになった。もう少しの頑張りだ。