「J REPORT 2020 8月第6週号&9月第1週号」
「リタイアメント・ノート 11年3ヶ月目」
「VOL.1175 SINCE AUG.12th、1983」
「旅暦94」「釧路の旅」
「初日、8月23日、日曜日 市内観光」
久々の羽田空港第2ターミナル。日曜というのに人が少ない。ラウンジの入口に新しいトイレの模型があった。(写真:A1)
手を触れないでドアが開けられるというものだったが、使い方が分からない。試作品みたいで、まだ完成品にはなっていないようだった。未来は手を触れないというのが一つのキーワードになるのだろうか?
機内の荷物も足元に置く分には袋が渡されて、そこに収納した。(写真:A2)
酷暑の東京から約1時間半。「釧路たんちょう空港」に到着だ。(写真:A3)
お出迎えは熊さん親子。(写真:A4)
しかし事件突発。メガネが壊れてしまった。胸のポケットに入れていたのだが、弦が外れてしまった。やむなくテープで応急処置し帰京後に修理しよう。
ホテルは西武系のプリンスホテル。窓からの景色だ。釧路の港が真近に見える。(写真:A5)
(写真:A6)
午後4時に現地ガイドさんが来て市内探索に出掛けるのだが、火曜日の釧路湿原への行き方について相談したところ、ノロッコ列車が運転されていないので、レンタカーの方がよいとのアドバイスをもらい、早速レンタカーを予約した。町歩きは約1時間。ホテルから南下し、幣舞橋(ぬさまい)まで行き、そこから北上して駅まで、観光スポットを巡る。観光会館には大きな丹頂のはく製があった。(写真:A7)
幣舞橋は夕日を見る絶好のポイントだという。(写真:A8)
港にはサンマ漁船がいた。(写真:A9)
全国各地から集まってきていたが、その日厚岸に揚がったサンマは昨年の不漁だった量の何と1%だったという。絶不漁だそうだ。幣舞橋も心なしが沈んでいた。(写真:A10)
対岸に観光船がいた。(写真:A11)
何度かガイドさんが石川啄木が住んだことがある町、釧路と色々と説明していたが、釧路と啄木の関係が今一つ分からなかった。釧路は昔は20万人都市だったそうだが、今は16万人に減り、衰退の一途だという。主な産業は水産、石炭、紙パルプだというが、いずれも斜陽産業だ。日本の田舎の象徴のような街なのだろう。道の脇に咲く花が綺麗だ。(写真:A12)
幣舞橋辺りには街頭放送が大音量で鳴り響いていた。コマーシャルのようで宣伝企業を連呼していたが、周囲の人には大いなる迷惑だろう。
釧路駅は本当に田舎の駅舎だ。昭和36年に建てられたというから古い。(写真:A13)
蒸気機関車が公園に置かれていた。(写真:A14)
花たち。(写真:A15)
(写真:A16)
お勧めレストランやラーメン屋を紹介してくれた。
一回りしてホテルへ戻る。最上階のレストランで食事を。港が目の前に見える。(写真:A17)
「夕日ハイボール」を頼む。(写真:A18)
フランス料理のコースでまずは、鴨と秋刀魚他。(写真:A19)
船が入港してきた。海上保安庁の船かな?(写真:A20)
追加は「角ハイボール」(写真:A21)
海老の入ったスープ。(写真:A22)
夕暮れ時、船が接岸する。(写真:A23)
魚が出てきた。(写真:A24)
本格的なコース料理など本当にいつ食べたのか思い出せない位だ。メインはビーフシチューだ。(写真:A25)
デザートでお終い。(写真:A26)
釧路の気温は22度でした。夕方になると急に寒くなり、大半の人が長袖を羽織っていた。ちょっと曇り勝ちが天候で明日以降もどうも快晴とはいかないようだ。でも涼しいのは助かる。来た目的の一つが避暑だから、身体には優しい釧路でした。
月: 2020年8月
「今週の映画と本」
「今週の映画と本」
「私の2020年の映画評価は?」 あくまでも私感ですからね!!
「2分の1の魔法」(HTC有楽町にて)私的評価眼★★★(今年84作品目)
アニメ。魔法の力を得た兄弟が死んだ父親を蘇らせようとするのだが、問題山積。流石ディズニーでした。
8月28日付け日経新聞の「シネマ万華鏡」の映画評価は、「七リア―ノ 裏切りの美学」が5つ星、「行き止まりの世界に生まれて」が4つ星、「オフィシャル・シークレット」が4つ星、「アロナの幻想的な物語り」が4つ星、「ようこそ映画音響の世界へ」が4つ星、「ソワレ」が4つ星、「事故物件 恐い間取り」が3つ星でした。
「私の2020年の映画の評価は?」あくまで私の私感ですからね!!
★★★★★=「ジョジョ・ラビット」「リチャード・ジュエル」「九人の翻訳家」「ナイブス・アウト」「男と女 人生最高の日々」「黒い司法」「ジュディ 虹の彼方へ」「パブリック」
★★★★=「フィッツシャーマンズ・ソング」「パラサイト」「ダイントン・アビー」「風の電話」「偽りのゲーム」「スキャンダル」「ラスト・ディール」「ビッグ・リトル・ファーム」「ジョン・ドノバンの死と生」「世界で一番貧しい大統領」「ハリエット」「バルーン 奇跡の脱出飛行」「WAVES」「ブリット=マリーの幸せはひとりだち」「T34」{ジョーンの秘密}
「2019年の映画はこんなでした」2019年は199作品の映画を観ました。
★★★★★=「ボヘミアン・ラプソディー」「グリーンブック」「運び屋」「こども食堂」「さよなら くちびる」「ディリリのパリの時間旅行」「イエスタデイ」「決算!忠臣蔵」「再会の夏」「男はつらいよ、お帰り、寅さん」
「2020 観劇シリーズ」 2019年の歌舞伎観劇は6度でした。
一月大歌舞伎=新橋演舞場(昼の部)
八月花形歌舞伎=歌舞伎座にて観劇(第2部と第3部)しました。
大相撲=1月場所観戦。
7月場所10日目観戦しました。
「2020年旅暦」
国内旅行は、3月の九州(博多、長崎、武雄温泉)。8月に壱岐の島。更に8月末には釧路へ。
海外旅行は、2月のハワイ。残念ながら5月連休の予定でしたハワイは中止になりました。次は8月もANAは運休となりました。次は12月か?
これまでに行った国々の合計は72か国です。再調査の結果、アルゼンチンが抜けていましたので、72か国に訂正します。
「2020 本の記憶シリーズ」 2019年の読書数は、259冊でした。
「姥捨ノ郷」(佐伯 泰英 著)文春文庫 私的批評眼★★★(今年261冊目)「居眠り磐音決定版」シリーズ第35弾
「3湖巡り」
「第二日目、8月24日、月曜日 東北海道3湖巡り」
朝は名物の霧が出ていた。(写真:B1)
地元の人は「霧」「じり」「雨」の順で言うそうで、「じり」とは霧雨の状態で雨粒が服に染み込むようなことらしい。
(写真:B2)
気温16度。寒いくらいだ。観光バスに乗る。「ピリカ号」だ。アイヌ語で「美しい」という意味らしい。
バスの車中から観たのが「鳥取神社」。(写真:B3)
この辺りは鳥取町という。明治の初めに鳥取藩池田家の家中が開拓者としてやってきたことから出雲神社を持ってきたことに始まるという。所謂屯田兵か開拓者か。郊外は酪農地域だ。(写真:B4)
家畜の餌用の藁の束を運ぶトラックに遭遇。(写真:B5)
釧路川だ。(写真:B6)
摩周岳が見える。(写真:B7)
摩周湖だ。ここも霧で有名だ。(写真:B8)
(写真:B9)
(写真:B10)
ソフトクリーム。湖のブルーをあしらったもの。(写真:B11)
硫黄山の山肌が見える。脇には屈斜路湖も見える。(写真:B12)
線路の脇には花が咲き揃う。美しい。(写真:B13)
硫黄山からは硫黄の匂いと共に白い煙が立ち上る。(写真:B14)
(写真:B15)
(写真:B16)
温泉卵だ。まずは食べ方を見る。(写真:B20)
熱い卵にガムテープを巻いて、それから殻を砕く。(写真:B17)
(写真:B18)
(写真:B20)
川湯温泉という街を通過。昭和の大横綱の大鵬関の生まれ故郷だそうで記念館があった。(写真:B21)
釧路川の源流だ。(写真:B22)
屈斜路湖に到着。空も晴れてきた。ネッシーならぬクッシーがいた。(写真:B23)
(写真:B24)
岸辺に穴が開いていて、温かい温泉水が湧き出ていた。(写真:B25)
(写真:B26)
温泉がそのまま川になっていた。(写真:B27)
阿寒湖に到着。気温24度だ。温泉街に「熱い水」というのがあった。(写真:B28)
「阿寒湖畔エコミュージアムセンター」を訪れる。木彫りの熊と鹿がお出迎え。(写真:B29)
鷲だ。(写真:B30)
それではこの地方の動物を見て行こう。ヒメマスだ。(写真:B31)
「イトウ」(写真:B32)
「マリモ」(写真:B33)
「ホンガラス」(写真:B34)
「ヒグマ」(写真:B35)
「エゾモモンガ」(写真:B36)
「雄阿寒岳」(写真:B38)
何年か前に一人で来た時は冬だったので、湖面は全て凍結していたことを思い出す。(写真:B39)
(写真:B40)
(写真:B41)
おや、もうコスモスが咲いていた。秋だねえ。(写真:B42)
生簀があり、マスが飼われていた。(写真:B43)
釧路に戻る。辺りは牧草地帯か、トウモロコシ畑だ。(写真:B44)
夕日が落ちようとしている。(写真:B45)
幣舞橋からの夕日。釧路名物だそうだ。(写真:B46)
(写真:B47)
さあ、夕食に向かう。中学同級生のA君お勧めの店で昨年の1月にも来た店「八千代本店」だ。今日も季節外れながら「蟹コース」を選択。蟹尽くしの料理だ。
まずは「小鉢」(写真:B48)
酢味噌掛けで、北寄貝、毛蟹、胡瓜、海月。
「造里」(写真:B49)
毛蟹の洗い
「焼物」(写真:B50)
毛蟹甲羅炭火焼き
「揚げ物」(写真:B51)
蟹の天麩羅で、ずわい爪、ずわい足、青唐
蟹の天麩羅には初めてでした。
「蓋物」(写真:B52)
鱈場蟹の柳川、三つ葉
「お食事」(写真:B53)
握り寿司で、毛蟹、鱈場、鱈場ばら身、ずわい、鱈場外子
「留椀」(写真:B54)
毛蟹吉野椀、貝割れ
「水菓子」(写真:B55)
富良野メロン
以上でした。店内です。(写真:B56)
コースター(写真:B57)
店の前(写真:B58)
いやあ、美味しかったが、まさに蟹尽くしでした。ご馳走様でした。
「釧路湿原」
「第三日目、8月25日、火曜日 釧路湿原」
またまた名物の霧が出ている。(写真:C1)
始めてホテルの朝食会場に行く。(写真:C2)
今日はレンタカーを借りて、釧路湿原巡りだ。まずは釧路市展望台へ。(写真:C3)
探索道へと進む。(写真:C4)(写真:C5)
木道が延々と続く。つり橋があった。揺れて怖い。(写真:C38)
(写真:C39)
(写真:C40)
上り下りを続けて足が痛くなりそうな時に、総延長2km程の中間地点が丹頂広場。決して丹頂が見える訳ではないが、驚くことに大嫌いな蛇がいた。キャー。(写真:C6)
北斗展望台。(写真:C7)
湿原。(写真:C8)
おや、変な草があった。(写真:C9)
ここは釧路湿原の西側だ。今日は釧路湿原を一周するつもりだ。北へ向かう。地図にもナビにも出ているのにその道は通行止めとなっていた。(写真:C10)
湿原らしい川が流れていた。(写真:C11)
湿原の最北端だ。(写真:C12)
結局、来た道を戻り釧路市へ。そこから半時計回りで湿原へと向かう。細岡展望台に到着。(写真:C13)
湿原の東側からの光景だ。(写真:C14)
(写真:C15)
(写真:C16)
夕食は回転寿司を。ホテルからタクシーで向かう。「なごやか亭」というチェーン店だ。
まあ兎に角食べてみよう。まずは〆鯖。(写真:C18)
思い出せる限り内容もお知らせする。
(写真:C19)
メニュー(写真:C20)
(写真:C21)
(写真:C22)
(写真:C23)
ホッキ(写真:C24)
蟹味噌(写真:C25)
(写真:C26)
マグロ赤身(写真:C27)
(写真:C28)
穴子(写真:C30)
烏賊(写真:C31)
納豆巻(写真:C32)
イクラ巻(写真:C33)
甘海老(写真:C34)
サーモン(写真:C35)
蛸サラダ(写真:C36)
卵焼き(写真:C37)
こんなところでした。それで結局約1万円でした。
「知床半島」
「第四日目、8月26日、水曜日 知床半島」
今日は朝霧が凄い。(写真:D1)
行き先は知床半島。まずは「斜里岳」が見える。(写真:D2)
釧路からは釧網線で知床斜里に向かう。観光バスに乗り換える。
知床半島入口にあるのが、有名な「オシンコシンの滝」(写真:D3)
ウトロから半島横断の道路に入る。
知床自然センターに入り、まずは学術研究の成果を見よう。熊の食い残しだ。(写真:D4)
鮭の遡上。(写真:D5)
大きな木があった。(写真:D6)
ヒグマ。(写真:D7)
鹿。(写真:D8)
知床峠からは目の前に羅臼岳があり、晴れ渡っていた。こんな天気は実に珍しいという。(写真:D9)
峠道は冬は閉鎖される。半島のオホーツク側は2月になると流氷に覆われる。
冬は強風が吹くので、木々は低い灌木状態だ。(写真:D10)
知床峠からはロシア領の「国後島」が見えた。(写真:D19)
知床連山だ。(写真:D11)
(写真:D12)
右から羅臼岳。左が知床岳。気温30度と高い。でも湿度が低いからまだましだ。
知床五胡に行く。ここは安全のために高圧電流が周囲を流れる高架木道が一湖までの800mに渡り続き、観光客を楽しませる。おっ、鹿が食事中でした。(写真:D13)
知床にはヒグマが500~600頭いて、蝦夷鹿が2万から3万頭いるという。年間1200頭は駆除しているらしい。GPSを付けての生態研究も行われているという。鹿は8割が雌で、2割が雄だそうだ。今は雌は鹿の子状の夏毛だ。冬になると鹿の子がなくなるという。でも鹿に出会えてよかった。
湖に着きました。(写真:D14)
(写真:D15)
知床半島からの帰路、道端に雄の鹿がいた。(写真:D16)
(写真:D17)
(写真:D18)
雄は既に冬毛になりつつあり、首のあたりは黒くなっている。雄は春に角が外れて、その後頭から新しい角が生えてくるという。今は生えている途中だという。でも知床で雄・雌両方の鹿を観ることが出来てよかった。
「天国道路」という総延長28kmの直線道路があるという。正に天国に通ずるような道だ。日本で二番目に長い直線道路だという。(写真:D20)
斜里町に戻る。今から400年も昔のことだが、ロシアがアイヌと交易しているという事を知った江戸幕府は蝦夷地防衛のために「津軽藩」から100名強の武士をここ斜里に派遣したという。しかし津軽の冬とは全く違う環境に越冬できたのは1割しかおらず、皆死に絶えたという。そこで斜里では津軽藩士のために郷土芸能の「ネプタ」を飾って祭を行っているという。(写真:D21)
帰りの車内で嫌な野郎に遭遇。突然後ろの席から私の目の前に30cm位の望遠が付いたカメラを差し出して写真撮影をしようとした。人の迷惑などどこの空、自分の目的のためには人の迷惑など考えてもいない馬鹿者だ。それも迷惑行為を全く迷惑だと思っていない。更に席に割り込んできて写真と撮ろうとする。ふざけるな馬鹿者。こういうのが線路に立ち入ったり、人の庭先けに勝手に侵入する奴らなのだ。言っていることも日本語とは思えない幼稚な言語。どうしようもない若者たちだ。
釧路に戻り夕食に。地元の店「醍醐」に行く。この店はミシュランガイドで紹介していた店だ。
地場産食材のコースを選ぶ。
蟹足、海月、胡瓜の酢味噌(写真:D22)
釧路沖柳葉魚(写真:D23)
鮭たたき、北寄貝、鮃、生甘海老(写真:D24)
写真は釧路川の絵。(写真:D25)
皿(写真:D26)
目抜き西京焼き、はじかみ、葉唐辛子(写真:D27)
釧路沖母々鰈煮付け(写真:D28)
網走沖鯨竜田揚げ(写真:D29)
イクラご飯に厚岸沖浅利汁(写真:D30)
デザート(写真:D31)
以上でした。
「納沙布岬」
「第五日目、8月27日、納沙布岬」
今日も朝霧が酷い。まずは根室に向かう。厚岸の海岸だ。(写真:E1)
(写真:E2)
(写真:E3)
湿原がここにもある。(写真:E4)
根室からバスで約1時間、納沙布岬に着くが、生憎と海霧で何も見えない。この時期、オホーツクからの冷たい風が吹き寄せて海霧が出るという。(写真:E5)
従って全く北方領土は見えませんでした。まあ仕方ないね。一応見て回りましょう。(写真:E6)
(写真:E7)
(写真:E8)
北方領土を繋ぐモニュメント。(写真:E9)
色々なものがある。(写真:E10)
鐘だ。(写真:E11)
碑がある。(写真:E12)
(写真:E13)
各県から産出された石(写真:E14)
東京のもありました。(写真:E15)
トドの巨大なはく製があった。(写真:E16)
この辺りの動物たち。(写真:E17)
鳥です。大鷲、オジロワシ。(写真:E18)
魚です。(写真:E19)
海に住む動物たち。(写真:E20)
風力発電も行われていたが、まさに過疎地域だ。廃校となった小学校が二校あった。(写真:E21)
今日も鹿に御対面。根室への行に1頭、帰りに2頭の雌鹿がいた。
釧路に戻り、今日の夕食は釧路川に面した漁港にある「MOO」という施設の一つ「岸壁炉端焼き」の店に行く。午後5時開店と同時に沢山の人が来店していた。現金でチケットを購入し、3店舗ある店から焼物を選び購入し、炭火で自らが焼くシステムだ。
牡蠣(写真:E22)
つぶ貝(写真:E23)
コーンバターとベーコン、アスパラ入り(写真:E24)
つくね、アスパラベーコン(写真:E25)
豚肉としし唐(写真:E26)
烏賊(写真:E27)
(写真:E28)
鶏肉、チーズベーコン(写真:E29)
店の雰囲気はこんなもの。(写真:E30)
(写真:E31)
5月から10月までの期間営業している。満足でした。野性味あり美味しかったです。でも高いかな?
「釧路市と石川啄木」
「第六日目、8月28日、金曜日 釧路市と石川啄木」
いつもは食べない朝食を。(写真:F1)
昨晩お世話になったフィッシャーマンズワーフMOOの対岸へ。(写真:F2)
石川啄木は明治19年に盛岡に生まれた。(写真:F3)
肺病で明治45年に26歳の若さで亡くなった。釧路には明治41年に76日間滞在したという。即席でその一部を追ってみた。(写真:F4)
(写真:F36)
「東海の小島の磯の白砂を われ泣きぬれて蟹とたわむる」
「たはむれに母を背負いて そのあまり軽きに泣きて 三歩あゆまず」
「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中に そを聴きにいく」等が有名な歌だ。
天才歌人と言われているが、実像は働かず、借金まみれで、女たらしのとんでもない人だったようだ。同郷で友人の金田一京助らに随分と助けられてようだ。啄木の資料を集めた「港文館」があった。(写真:F36)
(写真:F37)
啄木の下宿跡。(写真:F5)
丘の上の釧路市生涯学習センターを訪れる。10Fの展望台から市内を一望する。(写真:F6)
(写真:F7)
(写真:F8)
襟裳岬も見える。(写真:F9)
昭和37年の港の航空写真だ。船が多い。繁盛していたことが分かる。(写真:F12)
偶然このビルの3階の市立美術館で「フェルメール展」が開催されていた。(写真:F13)
生涯学習センタービル(写真:F14)
(写真:F15)
(写真:F16)
(写真:F17)
(写真:F18)
(写真:F19)
(写真:F20)
勿論本物ではなく「リ・クリエイト」と呼ばれるものだった。全37作品が一挙に観られることは貴重だ。(写真:F35)
夕食だが、食通のA君お勧めの「八千代本店」に再び赴く。
まずは付け出しのサーモンから(写真:F21)
北寄貝(写真:F22)
馬糞雲丹(写真:F23)
鯖(写真:F24)
鰯(写真:F25)
つぶ貝(写真:F26)
ボタン海老(写真:F27)
ボタン海老の唐揚げ(写真:F28)
握りでホタテ(写真:F29)
サーモン(写真:F30)
ソイ(写真:F31)
ソイという魚は深海魚みたいな顔をしていて、かなり怖い魚のようだ。でも美味い。
烏賊(写真:F32)
イクラ(写真:F33)
いやあ、美味しかったです。感謝感激でした。
それにしても本日は日中27度と暑くなった釧路。でも東京は35度近くまで上がったとか。
「摩周湖」「屈斜路湖」「阿寒湖」「釧路湿原」「知床半島」「納沙布岬」「釧路市内観光」と盛り沢山の旅でした。何がいいかと言えば、涼しいこと。これに限ります。酷暑の東京から離れて北海道の自然を満喫した旅でした。
以上、北海道は釧路市から勢古口がお送りしました。
追伸:先週の1174号で申し上げた「安倍首相、引退せよ」と申し上げたことが現実となりました。永ければいいという問題ではなく、人間引き時を知るべきでした。遅かりし決断だといえます。
「今週の映画と本」
「今週の映画と本」
「私の2020年の映画評価は?」 あくまでも私感ですからね!!
「ファヒム パリが見た奇跡」(UC豊洲にて)私的評価眼★★★(今年80作品目)
実話だ。バングラディシュから難民としてフランスに来た父と子。子供はチェスのチャンピオンだった。彼はフランスの全国大会に出る。不法移民、不法滞在者は出場出来るのか?微妙な国際問題を取り扱った作品。
「インセプション」(TC日比谷にて)私的評価眼★★★(今年81作品目)
若干古い映画だ。夢の中で夢を見て、現実と夢とが混同するという不思議な映画でした。でもアカデミー賞を沢山獲得しています。
「ブックスマート」(HTC有楽町にて)私的評価眼★★★(今年82作品目)
卒業式前日の女子高校生二人が最後の高校生活をエンジョイしようとするのだが。
「ポルトガル夏の終わり」(HTC有楽町にて)私的評価眼★★★(今年83作品目)
8月21日付け日経新聞の「シネマ万華鏡」の映画評価は、「シリアにて」が4つ星、「ブックマート 卒業前夜のパーティーデビュー」が4つ星、「2分のⅠの魔法」が3つ星、「きっと、またあえる」が3つ星、「グッバイ、リチャード」が3つ星、「狂武蔵」が3つ星、「弱虫ペダル」が3つ星でした。
「私の2020年の映画の評価は?」あくまで私の私感ですからね!!
★★★★★=「ジョジョ・ラビット」「リチャード・ジュエル」「九人の翻訳家」「ナイブス・アウト」「男と女 人生最高の日々」「黒い司法」「ジュディ 虹の彼方へ」「パブリック」
★★★★=「フィッツシャーマンズ・ソング」「パラサイト」「ダイントン・アビー」「風の電話」「偽りのゲーム」「スキャンダル」「ラスト・ディール」「ビッグ・リトル・ファーム」「ジョン・ドノバンの死と生」「世界で一番貧しい大統領」「ハリエット」「バルーン 奇跡の脱出飛行」「WAVES」「ブリット=マリーの幸せはひとりだち」「T34」{ジョーンの秘密}
「2019年の映画はこんなでした」2019年は199作品の映画を観ました。
★★★★★=「ボヘミアン・ラプソディー」「グリーンブック」「運び屋」「こども食堂」「さよなら くちびる」「ディリリのパリの時間旅行」「イエスタデイ」「決算!忠臣蔵」「再会の夏」「男はつらいよ、お帰り、寅さん」
「2020 観劇シリーズ」 2019年の歌舞伎観劇は6度でした。
一月大歌舞伎=新橋演舞場(昼の部)
八月花形歌舞伎=歌舞伎座にて観劇(第2部と第3部)しました。
大相撲=1月場所観戦。
7月場所10日目観戦しました。
「2020年旅暦」
国内旅行は、3月の九州(博多、長崎、武雄温泉)。8月に壱岐の島。更に8月末には釧路へ。
海外旅行は、2月のハワイ。残念ながら5月連休の予定でしたハワイは中止になりました。次は8月もANAは運休となりました。次は12月か?
これまでに行った国々の合計は72か国です。再調査の結果、アルゼンチンが抜けていましたので、72か国に訂正します。
「2020 本の記憶シリーズ」 2019年の読書数は、259冊でした。
「偽久蔵」(藤井 邦夫 著)文春文庫 私的批評眼★★★(今年255冊目)「新・秋山久蔵御用控」シリーズ第8弾
「御徒の女」(中島 要 著)実業之日本社文庫 私的批評眼★★★(今年256冊目)
「商武の絆」(千野 隆司 著)双葉文庫 私的批評眼★★★★(今年257冊目)「おれは一万石」シリーズ第14弾
「迷い鳥」(稲葉 稔 著)光文社文庫 私的批評眼★★★★(今年258冊目)「研ぎ師おれは一万石」シリーズ第6弾
「山くじら」(岡本 さとる 著)幻冬舎文庫 私的批評眼★★★(今年259冊目)「居酒屋お夏 春夏秋冬」シリーズ第1弾
「始動」(上田 秀人 著)小学館文庫 私的批評眼★★★★(今年260冊目)「勘定侍 柳生真剣勝負」シリーズ第2弾
「安倍は引退を」
「J REPORT 2020 8月第5週号」
「リタイアメント・ノート 11年2ヶ月目」
「VOL.1174 SINCE AUG.12th、1983」
「安倍は引退を」
やる気のない横綱は引退すべきだ。まして危機に襲われている日本国のリーダーがこのふがいなさ、やる気なさでは引退勧告すべきだろう。長過ぎた政権運営のつけがが回ってきたからだ。後継者がいない?新政権に対する権力や影響力を残したい?長期政権の記録を残したい?ふざけんな!!!小泉元首相のように早く引退しろ。
「東京スカイツリー」
何年振りかに訪れた。今日も大変に混んでいた。事前にネット予約してあったので、直ぐに入れたが、先ずはエレベーターで340mまで登る。エレベーター内部には秋の景色のイメージが飾られていた。(写真:C1)
まずは東北方面を見る。(写真:C2)
北側に廻る。隅田川右岸には白髭団地が壁のように並ぶ。震災の火災予防用の建物群だ。(写真:C3)
北の下を見ると、学校かな?校庭が見える。(写真:C4)
北西側。東武鉄道の線路がある。(写真:C5)
西側。隅田川に罹る桜橋が見える。(写真:C6)
浅草方面だ。(写真:C7)
浅草寺。(写真:C8)
新宿、池袋方面か。東京ドームも見える。(写真:C9)
南には高層ビル群が見える。銀座、丸の内方面。(写真:C10)
南側、汐留か。(写真:C11)
湾岸方面だ。でも殆どは薄曇りで見通せない。靄がかかったような感じだ。(写真:C12)
(写真:C13)
それでは帰ろう。下りのエスカレーターは夏の風景で、江戸切子をイメージした花火だそうだ。(写真:C14)
(写真:C15)
ツリー本体。(写真:C16)
兎に角、暑い。
「あおでみる江戸東京」特別展
「青でみる江戸東京」特別展(於:江戸東京博物館)
江戸東京博物館は両国国技館の隣にある独特の建物だ。内部の一番目に付く場所に江戸時代の日本橋の模様が描かれたものがある。凄い賑わいだ。(写真:B1)
特別展入口。(写真:B2)
では入ってみよう。「徳川秀忠像」(写真:B3)
二代将軍の秀忠は将軍になったが、父家康が大御所として駿府にいたため、実質的には権力は余りなかった。また彼は2度失態を犯している。最初は関ケ原の戦いへの遅参。3万の軍を引き連れていながら、信州で真田にてこずって遅れたこと。もう一つは長男の家光より弟の忠長を可愛がり3代将軍を譲ろうとしたのだが、家光の乳母の春日局が駿府の家康へと駆け付け判断を仰ぎ、結果として長子相続を大御所家康が認めた。これらの結末は秀忠の死後、忠長は家光から自裁を求められ殺されたこと。
「村梨子地葵浮線菊紋牡丹唐草、蒔絵耳盥、輪台共」(写真:B4)
「葵浮線菊紋松竹鶴亀文様 柄鏡」(写真:B5)
「山岡鉄舟像」(写真:B6)
天保13年、浅草聖天町の小出伊勢守の中屋敷に移転させられた歌舞伎の図。(写真:B7)
天保の改革で圧迫された庶民の楽しみも奪った政策の結果だった。
「きむすめ」一歩線香即席噺 三笑亭可楽(写真:B8)
「当盛見立人形之内 粂の仙人」(写真:B9)
ここまでは江戸時代の作品群だ。
次が関東大震災のものだ。直後の風景だ。12階建ての「凌雲閣」(写真:B10)
同じく「花屋敷」(写真:B11)
「浅草寺」には多くの人が避難してきた。(写真:B12)
東京市の出した「誰でも無料で入院出来ます」(写真:B13)
関東戒厳司令部発「病気の方は次の救護所へ」(写真:B14)
同司令部発「飲食物に御注意」(写真:B15)
逓信省発「震災後の衛生注意」(写真:B16)
「被災地免税」(写真:B17)
「帝都復興 双六」(写真:B18)
(写真:B19)
「禁酒せよ」(写真:B20)
大震災の人命被害は13万、富を失うは百億、飲酒の被害は人命で年々震災以上、富で年々十億などと書かれている。よほど酒が嫌いな人なのだろう。
震災の詳細が報じられている。(写真:B21)
それでは戦後の復興を見てみよう。霞が関ビルの建築の模様だ。
1966年11月27日(写真:B22)
1967年5月8日(写真:B23)
完成したビル。高層建築の正に先駆けだった。周囲に高い建物は見当たらない。(写真:B24)
1954年 丸の内(写真:B25)
丸ビルが見える。
1956年 有楽町(写真:B26)
日劇が中央に見える。川は今、高速道路になっている。
1954年 八重洲(写真:B27)
丸ビルや中央郵便局が見える。
同 銀座(写真:B28)
1956年 後楽園(写真:B29)
同 渋谷駅(写真:B30)
同 浅草(写真:B31)
1955年 蔵前国技館(写真:B32)
1954年 勝鬨橋(写真:B33)
染付芙蓉手VOC字文曲(写真:B36)
オランダ東インド会社の頭文字である「VOC」が付けられたもので、オランダからの依頼で製造され伊万里港から出荷されたので「IMARI」の名前で愛用されたという。
こうした江戸時代から東京への移り変わりが展示品から見て取れる特別展でした。