「釧路の旅」

「J  REPORT 2020 8月第6週号&9月第1週号」
「リタイアメント・ノート 11年3ヶ月目」
「VOL.1175 SINCE AUG.12th、1983」
「旅暦94」「釧路の旅」
「初日、8月23日、日曜日 市内観光」
久々の羽田空港第2ターミナル。日曜というのに人が少ない。ラウンジの入口に新しいトイレの模型があった。(写真:A1)
手を触れないでドアが開けられるというものだったが、使い方が分からない。試作品みたいで、まだ完成品にはなっていないようだった。未来は手を触れないというのが一つのキーワードになるのだろうか?
機内の荷物も足元に置く分には袋が渡されて、そこに収納した。(写真:A2)
酷暑の東京から約1時間半。「釧路たんちょう空港」に到着だ。(写真:A3)
お出迎えは熊さん親子。(写真:A4)
しかし事件突発。メガネが壊れてしまった。胸のポケットに入れていたのだが、弦が外れてしまった。やむなくテープで応急処置し帰京後に修理しよう。
ホテルは西武系のプリンスホテル。窓からの景色だ。釧路の港が真近に見える。(写真:A5)
(写真:A6)
午後4時に現地ガイドさんが来て市内探索に出掛けるのだが、火曜日の釧路湿原への行き方について相談したところ、ノロッコ列車が運転されていないので、レンタカーの方がよいとのアドバイスをもらい、早速レンタカーを予約した。町歩きは約1時間。ホテルから南下し、幣舞橋(ぬさまい)まで行き、そこから北上して駅まで、観光スポットを巡る。観光会館には大きな丹頂のはく製があった。(写真:A7)
幣舞橋は夕日を見る絶好のポイントだという。(写真:A8)
港にはサンマ漁船がいた。(写真:A9)
全国各地から集まってきていたが、その日厚岸に揚がったサンマは昨年の不漁だった量の何と1%だったという。絶不漁だそうだ。幣舞橋も心なしが沈んでいた。(写真:A10)
対岸に観光船がいた。(写真:A11)
何度かガイドさんが石川啄木が住んだことがある町、釧路と色々と説明していたが、釧路と啄木の関係が今一つ分からなかった。釧路は昔は20万人都市だったそうだが、今は16万人に減り、衰退の一途だという。主な産業は水産、石炭、紙パルプだというが、いずれも斜陽産業だ。日本の田舎の象徴のような街なのだろう。道の脇に咲く花が綺麗だ。(写真:A12)
幣舞橋辺りには街頭放送が大音量で鳴り響いていた。コマーシャルのようで宣伝企業を連呼していたが、周囲の人には大いなる迷惑だろう。
釧路駅は本当に田舎の駅舎だ。昭和36年に建てられたというから古い。(写真:A13)
蒸気機関車が公園に置かれていた。(写真:A14)
花たち。(写真:A15)
(写真:A16)
お勧めレストランやラーメン屋を紹介してくれた。
一回りしてホテルへ戻る。最上階のレストランで食事を。港が目の前に見える。(写真:A17)
「夕日ハイボール」を頼む。(写真:A18)
フランス料理のコースでまずは、鴨と秋刀魚他。(写真:A19)
船が入港してきた。海上保安庁の船かな?(写真:A20)
追加は「角ハイボール」(写真:A21)
海老の入ったスープ。(写真:A22)
夕暮れ時、船が接岸する。(写真:A23)
魚が出てきた。(写真:A24)
本格的なコース料理など本当にいつ食べたのか思い出せない位だ。メインはビーフシチューだ。(写真:A25)
デザートでお終い。(写真:A26)
釧路の気温は22度でした。夕方になると急に寒くなり、大半の人が長袖を羽織っていた。ちょっと曇り勝ちが天候で明日以降もどうも快晴とはいかないようだ。でも涼しいのは助かる。来た目的の一つが避暑だから、身体には優しい釧路でした。