「今週の映画と本」

「今週の映画と本」
この暑さと病院通いで体力を消耗して、映画も読書も出来ない状態です!

「ツイスターズ」(TC日比谷にて)私的評価★★★(今年57作目)

また、8月30日付け経新聞夕刊の「シネマ万華鏡」には、「ナミビアの砂漠」「石がある」「オキナワより愛を込めて」「きみの色」「愛に乱暴」「ACIDE/アシッド」「ボストン1947」「香港、ウエアぎられた約束」が紹介されていました。

「2024年の映画で私が良いと思ったのは」
★★★★★=「哀れなるものたち」「ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人」「コット、はじまりの夏」「オッペンハイマー」

★★★★=「枯れ葉」「ゴールデンカムイ」「ダム・マネー ウォール街を狙え!」「ブルックリンでオペラ」「パスト ライブス/再会」「人間の境界」「無名」「鬼平犯科帳/血闘」「碁盤斬り」「関心領域」「ハロルド・フライのまさかの旅立ち」

「私の2023年に観た映画は98本、星5つは
★★★★★=「ドリーム・ホース」「SHE SAID その名を暴け」「生きる LIVING」「パリタクシー」「クロース」「ふたりのマエストロ」「JFK/新証言 知られざる陰謀」

「2024 観劇シリーズ」 2023年の歌舞伎観劇は12度でした。
寿初春大歌舞伎昼の部「常辰歳歌舞伎」と「荒川十太夫」「狐狸狐狸ばなし」を観劇。
一月大歌舞伎「平家女護嶋」(新橋演舞場にて)を観劇。
猿若祭二月大歌舞伎、昼の部を歌舞伎座にて観劇。「新版歌祭文」、「釣女」、「籠釣瓶花街酔醒」の3題目。
三月大歌舞伎、昼の部「菅原伝授手習鑑」、「傾城道成寺」、「小浜御殿綱豊卿」を観劇。
四月大歌舞伎、夜の部「於染久松色読販」、「神田祭」、「四季」を観劇。久々の玉三郎でした。
團菊祭五月大歌舞伎、昼の部「鴛鴦襖恋睦」「極付番隨長兵衛」「毛抜」を観劇。
六月大歌舞伎、昼の部「上州土産百両首」「義経千本桜・時鳥花有里」「妹背山婦女庭訓・三笠山御殿」を観劇。
七月大歌舞伎、昼の部「星合世十三團・成田千本桜」市川團十郎十三役早替り宙乗り相勤め申し候を観劇。(写真:K71)
八月納涼大歌舞伎、第二部「梅雨小袖昔八丈」「艶紅曙接拙」を観劇。(写真:K8月)
歌舞伎も観劇中止としました。

「2024年旅暦」
1月に蕎麦の旅で東北と信州に、6月には福岡と佐賀に行きました。
更に6月には山形へ蕎麦の旅へ、行きましたが、直後入院となり、釧路行きハワイ行きは断念しました。
また8月には家族全員で壱岐の島へ旅しました。通院の予定があるために、旅行は難しいですね。
海外には2月にハワイに行きました。

「2023 本の記憶シリーズ」  2022年の読書数は、185冊でした。
「秘めた殺意」(喜安 幸夫 著)光文社文庫 私的批評眼★★★(今年96作目)「新・木戸番影始末」シリーズ第9話

「病は気よりと、奇跡を信じて」

「J  REPORT 2024 9月第2週号」
「リタイアメント・ノート 15年2ヶ月目」
「VOL.1381 SINCE  AUG.12th、1983」

「走るな! 転ぶな! 風邪引くな!」が老人には大切らしいです。75歳後期高齢者の㔟古口より、
追加して「癌になるな」もね。

「病は気よりと、奇跡を信じて」
色々な方がお見舞いに来てくださった。従妹とその娘さん。家族は勿論だが、友人のMさん、学生時代の友人B君、N君、A君ら、高校時代からの腐り縁の悪仲間らだが(写真:A3)
気持ちのいい仲間たちだ。妹夫婦も来てくれた。フットボール仲間ではO君、K君らもやってきてくれた。
何か皆さん、重病人で面会謝絶だと思っておられるようだが、意識を変えて奇跡を信じて治るとの信念で生きている私にびっくりしているようだ。こちらは一向に元気だし、何とか生き延びようとしている。来客大歓迎だから遠慮なく来てくださいね。
私が参加出来なかった神奈川会の仲間の写真も。(写真:A1)
フットボール部の仲間D君とY君(写真:A2)
8月は九州への家族旅行の最中に足首と腹のむくみが判明して歩行困難となり、車椅子とタクシーの生活になってしまった。帰京後転倒し4時間自宅の床の上で七転八倒したが、偶然次男の設置した見守りカメラで発見され九死に一生を得た。直ぐに再入院したが、緩和ケアでの対応となり、入院一週間となった。今は痛み止めとその他の薬を併用して何とか暮らしている。でももう退院し一度やり直したいのが真実だ。出来れば今週中に退院出来ればありがたいのだが。
まあ、一応金曜日には退院の目途が一応立った。元気出すぞ。帰宅したらやることも沢山あるから、頑張ろう。
9月1日は満76歳の誕生日だ。
現状は肋骨への癌の転移による痛みに、腎臓の機能悪貨による足と腹の腫れが問題だ。退院後も通院での投薬を継続するのと、介護保険の申請によりケアマネさんらの協力を得て体調管理に進むことにする。どれだけ自宅での治療が可能なのかは分からないが、まあ頑張って奇跡を信じよう。

「人生は旅の如くー7月のチュニジア&11月のロシアにて」

「人生は旅の如くNO20―2011年編第1話、7月のチュニジアにて」
いよいよアフリカ大陸だ。エジプトに続いて2度目の大陸上陸だ。ここは人生で一度は行きたかった場所だった。理由はカルタゴの遺跡だった。ご存じの通りカルタゴはローマ帝国に対立する形で地中海で向かい合っていた。そして2度に亙る戦争で唯一ローマまで侵入しかけた国なのだ。ジブラルタル海峡を渡りスペイン、フランスを経て、更にアルプスを象で超えてイタリアに侵入したのだ。その衝撃はローマ人にとっていかほどの物だったのだろうか?象でアルプス山脈を越えるという発想が凄い。しかしカルタゴもローマには勝てなかった。今遺跡ではローマ軍が放った火で焼け焦げた石垣が観える。こうして滅びたカルタゴに栄えてローマ。歴史はこれらの事実を今の我々も観ることが出来るのだ。
この時、女子サッカーワールドカップが開催されていた。その通り、なでしこジャパンが優勝した時だ。ホテルのロビーで我々ツアー客も観ていて大興奮した。
チュニジアには映画のロケ地もある。あの有名はスターウォーズだ。ほぼそのまま保存されている。
そして一番美しいのは「チュニジアン・ブルー」と呼ばれる濃紺の色をした屋根や扉だ。空は青く、家の壁は白く、屋根とドアは正にチュニジアン・ブルーが映えるのだ。砂漠にはオアシスがあり沢山の木々が生えていた。ここで初めてラクダに乗った。
早朝日の出を観に出掛ける。砂漠の朝は気持ちがいい。昼の朝が嘘のようだ。
なつめやし 山羊などが店先に並ぶ普通の街だ。空も海も全てがブルーだった。

「人生は旅の如くNO21―2011年編第2話、11月のロシアにて」
2011年は1月にタイ、4月に韓国、7月にチュニジアを訪れた。そして11月にロシアを訪れた。タイと韓国は既に訪れたので削除して、一挙にロシアに飛ぶ。当然モスクワからサンクトぺテルブルグへと向かう。正に古都だ。美術品や美しい宮殿の数々に刻まれたその歴史の深さに圧倒させられた。余りの数の多さにカメラの電源が無くなった。そんな時日本から連絡が入った。初孫が生まれたのだが、心臓に穴が開いていると言いうのだ。びっくり驚き慌てた。良く聞くと赤ん坊にはよくある話しで心臓の一部が未発達で大きくなれば穴は自然と塞がるというのだ。でも遠いロシアへそんなことを伝えられても、真意は伝わらない。不安な数日を過ごして帰国して初孫を観てほっと一安心したのを思い出した。でもツアーの最後は宇宙へと旅立つ英雄たちを称賛し鼓舞するものだった。
そしてクレムリンの赤の広場は共産ロシアの象徴そのままだった。もう一つ驚いたのが、「ダ―チャ」と呼ばれる郊外の別荘だ。訳せば別荘になるのだろうが、一般市民が持つ田舎の癒し場所とでも言おうか。ロシアにはロシア人にしか分からないものがあるのだろう。決して豊かではないロシアだが、そういった心持は豊かなのだろう。そこが日本人と違う処なのだろうか。
もう一つ観たかったのが、悪名を名高い「KGB」の建物だった。スパイ小説には必ず出て来る悪の総本山だった。
でも11月のモスクワは意外に暖かった。日本と変わらない気候に思わず笑みが。
最近プーチンはロシア人のGDPが日本と抜いたと言っているようだが、ある意味正しいかも知れない。だが決してロシアに住みたいとは思わないのでした。
兎に角巨大で画一的美を好む彼らとはやはり住む世界が違うのでした。

「日本は天災天国か?」

「日本は天災天国か?」
特にこの8月は酷かった。地震あり台風あり兎に角ありとあらゆる災害が日本列島を襲った。今から150年以上前に日本を植民地化しようとして訪れた欧米列強は流石に驚いたと思われる。彼らが予想していた黄金の国ではなく、何とも危険な国だった。ありとあらゆる災害が一方的に人間を襲ってきたのだった。こんな国には住めないと思っただろう。しかしそこには知的で文化的には高度な日本人と言う民族が住んでいた。災害が起きてもすぐに復旧させてしまう民の力に驚くばかりだっただろう。そんな天災が日本を植民地化から救ったのかも知れなかった。でも勘弁してくれよ。本当は助けてくれと叫びたいのが本音なのに。小さな列島に押し込められ、これ以上どこにも行く場所がない我々はここから逃げる訳には行かないのだった。

「通信不能事態が発生」
このブログはBCCで発信させてもらっているが、最近「ブログの案内が来ない」という連絡が頻繁にある。調べてみるとどうも大手ブロバイダーの一部がBCCの大量発信を不信なメールと言うレンジに入れてしまうようで、私のメールが届いていない例が頻発している。これは私が意図的に行っていることではないので、どうにもならないということをまずはお伝えしておく。度々メールが届かない場合にはご連絡を頂けるとありがたいのですが。宜しくお願い致します。

以上、迷走台風に翻弄された東京から㔟古口がお送り致しました。

以下は前号のJREPORTへと繋がります。

「人生は旅の如くー7月のチュニジア&11月のロシアにて」

「J  REPORT 2024 9月第1週号」
「リタイアメント・ノート 15年2ヶ月目」
「VOL.1380 SINCE  AUG.12th、1983」

「走るな! 転ぶな! 風邪引くな!」が老人には大切らしいです。75歳後期高齢者の㔟古口より、
追加して「癌になるな」もね。

2011年7月のチュニジ
いよいよアフリカ大陸だ。エジプトに続いて2度目の大陸上陸だ。ここは人生で一度は行きたかった場所だった。理由はカルタゴの遺跡だった。ご存じの通りカルタゴはローマ帝国に対立する形で地中海で向かい合っていた。そして2度に亙る戦争で唯一ローマまで侵入しかけた国なのだ。ジブラルタル海峡を渡りスペイン、フランスを経て、更にアルプスを象で超えてイタリアに侵入したのだ。その衝撃はローマ人にとっていかほどの物だったのだろうか?象でアルプス山脈を越えるという発想が凄い。しかしカルタゴもローマには勝てなかった。今遺跡ではローマ軍が放った火で焼け焦げた石垣が観える。こうして滅びたカルタゴに栄えてローマ。歴史はこれらの事実を今の我々も観ることが出来るのだ。
この時、女子サッカーワールドカップが開催されていた。その通り、なでしこジャパンが優勝した時だ。ホテルのロビーで我々ツアー客も観ていて大興奮した。
チュニジアには映画のロケ地もある。あの有名はスターウォーズだ。ほぼそのまま保存されている。
そして一番美しいのは「チュニジアン・ブルー」と呼ばれる濃紺の色をした屋根や扉だ。空は青く、家の壁は白く、屋根とドアは正にチュニジアン・ブルーが映えるのだ。砂漠にはオアシスがあり沢山の木々が生えていた。ここで初めてラクダに乗った。
早朝日の出を観に出掛ける。砂漠の朝は気持ちがいい。昼のn朝が2011年7月のチュニジ
いよいよアフリカ大陸だ。エジプトに続いて2度目の大陸上陸だ。ここは人生で一度は行きたかった場所だった。理由はカルタゴの遺跡だった。ご存じの通りカルタゴはローマ帝国に対立する形で地中海で向かい合っていた。そして2度に亙る戦争で唯一ローマまで侵入しかけた国なのだ。ジブラルタル海峡を渡りスペイン、フランスを経て、更にアルプスを象で超えてイタリアに侵入したのだ。その衝撃はローマ人にとっていかほどの物だったのだろうか?象でアルプス山脈を越えるという発想が凄い。しかしカルタゴもローマには勝てなかった。今遺跡ではローマ軍が放った火で焼け焦げた石垣が観える。こうして滅びたカルタゴに栄えてローマ。歴史はこれらの事実を今の我々も観ることが出来るのだ。
この時、女子サッカーワールドカップが開催されていた。その通り、なでしこジャパンが優勝した時だ。ホテルのロビーで我々ツアー客も観ていて大興奮した。
チュニジアには映画のロケ地もある。あの有名はスターウォーズだ。ほぼそのまま保存されている。
そして一番美しいのは「チュニジアン・ブルー」と呼ばれる濃紺の色をした屋根や扉だ。空は青く、家の壁は白く、屋根とドアは正にチュニジアン・ブルーが映えるのだ。砂漠にはオアシスがあり沢山の木々が生えていた。ここで初めてラクダに乗った。
早朝日の出を観に出掛ける。砂漠の朝は気持ちがいい。昼の熱気が嘘のようだ。
なつめやし 山羊が店先に並んでいた。

「旅暦137話 壱岐の旅 追加福岡編」
台風の影響で飛行機がキャンセルとなる、福岡で二泊追加することになった。孫たちは大喜びでまずは土曜日には「ティーム ラボ」へと向かったらしい。大変な人混みだったらしかったが、孫たちは遊び疲れるほど楽しんだようだった。(写真:B1)
(写真:B2)
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(写真:B10)
その夜はもう25年も付き合いのある馴染みの店「よしむら」に行った。元々はご主人の出身地佐賀県七山あやかり「山」として薬院にあったが、10年ほど前に赤坂に移って来ていた。残念ながらご主人は数年前に肝臓癌で亡くなっている。ママさんは元気で向かい入れてくれた。写真は余り気力が湧かず、断片になってしまったがお許しください。
(写真:A1)
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(写真:A3)
(写真:A4)
(写真:A5)
(写真:A6)
(写真:A7)
(写真:A8)
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その夜満月でした(写真:moon)

「余命宣告 そして」

「癌闘病記―第28回」
今回よりこのコラムを当面休止とします。(2024年8月8日記)

「癌闘病記―第29回」
「余命宣告 そして」
医師より早くて1-2か月、年越しはできないだろうと言われた。緩和ケア病棟への入院を勧められたが、自宅で過ごしたいので、家族が調整して毎日誰かが泊まれる準備をするまで一時的に入院し、新体制が出来たなら自宅へ戻ることにした。その後死期が近づいたら再度入院することとした。もう身体中に癌が転移している状態で正に末期がん症状だった。余りにも速い展開に自らも驚いている。
(写真:画像)

本来胸には肋骨があり、白く映る筈だが癌が転移しておりステージ4となっていた。

「余命宣告」

「癌闘病記―第28回」
今回よりこのコラムを当面休止とします。(2024年8月8日記)

「癌闘病記―第29回」
「余命宣告」
医師より早くて1-2か月、年越しはできないだろうと言われた。緩和ケア病棟への入院を勧められたが、自宅で過ごしたいので、家族が調整して毎日誰かが泊まれる準備をするまで一時的に入院し、新体制が出来たなら自宅へ戻ることにした。その後死期が近づいたら再度入院することとした。もう身体中に癌が転移している状態で正に末期がん症状だった。余りにも速い展開に自らも驚いている。
(写真:画像)

本来胸には肋骨があり、白く映る筈だが癌が転移しておりステージ4となっていた。

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次は前週のJ REPORTに続きます。

「壱岐の旅」

「J  REPORT 2024 8月第4週号」
「リタイアメント・ノート 15年2ヶ月目」
「VOL.1380 SINCE  AUG.12th、1983」

「走るな! 転ぶな! 風邪引くな!」が老人には大切らしいです。75歳後期高齢者の㔟古口より、
追加して「癌になるな」もね。

「旅暦137話 壱岐の旅」
「初日」
家族一族郎党での旅は多分これが最後となるだろう。私も妻も人に頼らないと生活できないし、皆それぞれ忙しい現代人だからこれが最後の御奉仕と思っての旅だ。快晴の東京からまずは小倉へ。妻の実家があったところだ。スカイフライヤーのエアバス320で一時間10分ほどの旅だ。空港からタクシーで皆はお寺へと墓参りに。私は小倉駅近くで皆を待っている。昼は小倉の名店「もり田」の鮨だ。(写真:A2)
この店には妻の家族は70年以上も通っていた。特に妻は小学校をさぼって午前中から鮨屋に入りびたりだったという。今は代替わりして息子さんが握っているが、先代と比較されると味に変わりがあるかも。不満を持たれる方もいるかしら。確かに先代は鮨屋の先生と言われた位全国から学びに来た人も多かった。ネタに拘り味付けに独自の介錯を取り入れ、殆ど醤油を使わずにそのまま鮨を食べさせた。今は二代目はまだまだ修行中だろうから客が板前を育てる気持ちが必要だと思う。小倉の鮨は天寿司ともり田が2強だ。元々先代も天寿司で修業して独立した。25歳で独立したという。やはり苦労の連続だったのだろう。さてこの店カウンターのみの8席しかないし、家族経営だから沢山のお客は取れない。本日は我が家11名を2グループに分けて席を確保して貰った。(写真:A3)
カウンターの上には冷気によるネタの乾燥を防ぐため、冷房のパイプは全てネタの下を通しているという。店内は実にシンプルだ。(写真:A4)
飾り気はない。勝負は味だ。(写真:A5)
まずは関門海峡の「煮蛸」。(写真:A6)
「ひらまさ」(写真:A7)
「くえ」(写真:A8)
藍島の「赤雲丹」(写真:A9)
「車エビ」(写真:A10)
10年前の親子二人(写真:A11)
先代は3年前に亡くなったという。今の店主は築地の魚屋で修業してから小倉へ戻ったという。だから魚の目利きは、間違いない。
「まぐろ」(写真:A12)
「まあじ」(写真:A13)
「のどぐろ」(写真:A14)
私はもうお腹一杯なので握りはここまで。他の家族はまだまだ食べる。
「お吸い物」ジュンサイ入り(写真:A15)
ご馳走様でした。美味しかったです。
午後3時、再度皆が集まって博多へ。駅で驚いた。タクシー乗り場が長蛇の列なのだ。何回も博多には来ているが、こんな光景は初めてだ。博多港のフェリーターミナルへ向かう。
壱岐の島は歴史的にも重要な島だ。魏志倭人伝にも出て来る島で大陸や半島との連絡窓口でもあり、重要人物はこの島を経由して北から南へと。そして南から北へと渡っていった。島には古墳があちこちにある。我らの住処は7-8年前に買った福岡の企業の保養所だったところだ。今は人に貸している。
ジェットフォイールで、70分の船旅だ。(写真:A16)
壱岐の島郷ノ浦港だ。(写真:A17)
(写真:A18)
(写真:A19)
その建物は丘の上にあり、玄界灘が目の前に見える。夕陽だ。(写真:A20)
この夜は家を貸している会社が経営しているレストランに行った。(写真:A21)
(写真:A22)
(写真:A1)
もう時刻は午後9時だ。まずは「イサキのカルパッチョ」(写真:A23)
「肉と野菜」(写真:A24)
「豆腐とトマト」(写真:A25)
孫たち(写真:A26)
「パンとハワイ風マグロ」(写真:A27)
「烏賊」(写真:A28)
「スパゲティ」(写真:A29)
「ナシゴレン」(写真:A30)
兎に角量も多いし食べるのには努力が必要な状態だった。
「豚肉」(写真:A31)
地元壱岐の「スイカ」(写真:A32)
このスイカ、皮が実に薄いのだ。そして甘い。
皆満足でした。結局食べ残しは包んでもらい持ち帰った。(写真:A33)
午後11時にお開きとしました。もうお腹一杯ですよ。

「二日目」
嫌なニュースが入って来た。台風7号が東京直撃だという。帰京の日に正に直撃だ。飛行機は飛ばないだろう。仕方なくまずは当初予定の翌々日の日曜日に便を何とか予約した。ホテルもお金さえ出せば取れるようだ。
さて家族たちは午前中から海水浴に出掛けた。私は留守番役だ。初日に歩き過ぎて太ももがパンパンに腫れてしまい。段差のある所は歩けない。
鳥居前で。(写真:B4)
孫息子。(写真:B5)
孫娘たち。(写真:B6)
海には30cmほどの魚も泳いでいたと言っていた。実に美しく透明度の高い海だそうだ。
(写真:B7)
ばあばと(写真:B8)
夕方は地元勝山漁港主催の花火大会だ。8時から約1時間、2000発を打ち上げるという。地元民が続々と集まってきた。協賛企業が紹介されいよいよ打ち上げだ。(写真:B9)
(写真:B10)
(写真:B11)
(写真:B12)
(写真:B1)
(写真:B2)
(写真:B3)
私は車内からの観戦だ。目の前で打ち上げられる花火。規模は小さいが心の籠った花火大会だった。
我が家も皆楽しんでいるようだ。

「三日目」
本日は辰の島へ海水浴だ。子供らは早々に出発していった。島で一番綺麗で遠浅の海だから小さな子供も安心だ。本当に綺麗な海なのだ。夏来ると必ずこの海に行っていた。
小型船で島に渡り遠浅の海岸で水遊びする。ここも本当に綺麗な海だ。小さな魚が沢山泳いでいる。辰の島にて(写真:C20)
(写真:C21)
これは猿岩だろう。(写真:C19)
少し観光もしたみたいだ。
夜はBBQだ。この施設にはサウナあり、屋外バスタブあり、ドッグランあり、屋根付きBBQ場ありだ。(写真:C1)
サウナ(写真:C2)
目の前は海(写真:C3)
それではBBQを始めよう。(写真:C4)
(写真:C5)
(写真:C6)
(写真:C7)


焚火にも点火。(写真:C10)
突然誕生日の歌が。家内と私の誕生日が近いのでバースデイケーキが出て来た。(写真:C11)
(写真:C12)
記念の写真集もくれた。そして花火大会だ。(写真:C13)
(写真:C14)
(写真:C15)
(写真:C16)
(写真:C17)
そして大人たちは延長して宴会をしていた。

「今週の映画と本」

「今週の映画と本」
この暑さと病院通いで体力を消耗して、映画も読書も出来ない状態です!
「ツイスターズ」(TC日比谷にて)私的評価★★★(今年57作目)

また、8月16日付け日経新聞夕刊の「シネマ万華鏡」には、「至福のレストラン/三ツ星トロワグロ」「助産婦たちの夜が明ける」「侍タイムスリッパ―」「フォールガイ」「美食家ダフのレストラン」「ぼくの家族と祖国の戦争」「二ユーノーマル」が紹介されていました。

「2024年の映画で私が良いと思ったのは」
★★★★★=「哀れなるものたち」「ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人」「コット、はじまりの夏」「オッペンハイマー」

★★★★=「枯れ葉」「ゴールデンカムイ」「ダム・マネー ウォール街を狙え!」「ブルックリンでオペラ」「パスト ライブス/再会」「人間の境界」「無名」「鬼平犯科帳/血闘」「碁盤斬り」「関心領域」「ハロルド・フライのまさかの旅立ち」

「私の2023年に観た映画は98本、星5つは
★★★★★=「ドリーム・ホース」「SHE SAID その名を暴け」「生きる LIVING」「パリタクシー」「クロース」「ふたりのマエストロ」「JFK/新証言 知られざる陰謀」

「2024 観劇シリーズ」 2023年の歌舞伎観劇は12度でした。
寿初春大歌舞伎昼の部「常辰歳歌舞伎」と「荒川十太夫」「狐狸狐狸ばなし」を観劇。
一月大歌舞伎「平家女護嶋」(新橋演舞場にて)を観劇。
猿若祭二月大歌舞伎、昼の部を歌舞伎座にて観劇。「新版歌祭文」、「釣女」、「籠釣瓶花街酔醒」の3題目。
三月大歌舞伎、昼の部「菅原伝授手習鑑」、「傾城道成寺」、「小浜御殿綱豊卿」を観劇。
四月大歌舞伎、夜の部「於染久松色読販」、「神田祭」、「四季」を観劇。久々の玉三郎でした。
團菊祭五月大歌舞伎、昼の部「鴛鴦襖恋睦」「極付番隨長兵衛」「毛抜」を観劇。
六月大歌舞伎、昼の部「上州土産百両首」「義経千本桜・時鳥花有里」「妹背山婦女庭訓・三笠山御殿」を観劇。
七月大歌舞伎、昼の部「星合世十三團・成田千本桜」市川團十郎十三役早替り宙乗り相勤め申し候を観劇。(写真:K71)
八月納涼大歌舞伎、第二部「梅雨小袖昔八丈」「艶紅曙接拙」を観劇。(写真:K8月)
秀山祭九月大歌舞伎、第二部「摂州合邦辻」「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」を観劇予定。(写真:K9月)

「2024年旅暦」
1月に蕎麦の旅で東北と信州に、6月には福岡と佐賀に行きました。
更に6月には山形へ蕎麦の旅へ、行きましたが、直後入院となり、釧路行きハワイ行きは断念しました。
また8月には家族全員で壱岐の島へ旅しました。通院の予定があるために、旅行は難しいですね。
海外には2月にハワイに行きました。

「2023 本の記憶シリーズ」  2022年の読書数は、185冊でした。
「秘めた殺意」(喜安 幸夫 著)光文社文庫 私的批評眼★★★(今年96作目)「新・木戸番影始末」シリーズ第9話

「八月納涼大歌舞伎観劇記」
河竹黙阿弥作 幕末から明治にかけて二つの時代で活躍した劇作家だ。

「梅雨小袖昔八丈 髪結新三」
松本幸四郎に中村勘九郎と七之助兄弟の芝居だ。
白子屋は老舗ながら店が傾きつつあり、娘のお熊(亀松)に婿を取り持参金で屋台骨を建て直そうとしていた。ところがお熊は手代の忠七(七之助)と恋仲。そこへ現れたのが髪結新三(勘九郎)。二人を唆して駆け落ちさせようとする。世間知らずのお熊に忠七はその手に乗るが、新三はお熊をかどわかしてしまう。困った果てに頼ったのは浅草の顔役弥太五郎源七(幸四郎)。ところが悪者の新三は交渉に応じず源七を追い返してしまう。最後に登場したのが新三の家の大家だ。ここでの二人の丁々発止のやり取りが見ものだ。
お熊は何とか助け出したが、これで収まらないのが源七だ。遂に新三を闇討ちにしようとするというもの。2時間の長丁場でした。

「艶紅曙接拙(いろもみじつなぎのふつつか)紅かん」
江戸の数々ある大道芸や物売りが登場して浅草の雰囲気を踊りで示す。

「壱岐の旅 後半 そして」

「癌闘病記―第28回」
今回よりこのコラムを当面休止とします。(2024年8月8日記)
「緊急報告」
完全に車椅子状態になりました。もう独りでは動けません。

「壱岐の旅 四日目」
最悪のニュースが入って来た。金曜日帰京予定の便は台風の影響で欠航となったのだ。参りましたね。次に取ってある予約は日曜日18日の便になるので博多で2連泊することになった。
壱岐の島も観光立国を目指していて、これまではこの小島には神社はあったもののカラスの塒だった島は干潮時にはモンサンミッシェルのように島への道が現れるのだ。ここを小島神社も含めて整備して観光の目玉にしようとしていた。(写真:D1)
海辺にて(写真:D2)
孫たち(写真:D3)
夕方は小島の対岸の牡蛎小屋を訪れた。既に潮は満ちていて島は海の中だった。(写真:D4)
早速牡蛎を焼く。(写真:D5)
(写真:D6)
貝も焼く。(写真:D7)
結構美味しい。皆楽しんでいる。(写真:D8)
(写真:D9)
締めは牡蛎の出汁から採った汁でうどん。を食べる。これも中々の美味しさだ。

「五日目」
不思議なことに長崎県の行政区は変わっている。壱岐も対馬も長崎県なのだ。五島列島のように海にある島々は全て長崎県なのだ。ところが一番近い福岡県とは経済的に強い絆があるのに長崎県に入っているのだ。
昼はテルで休み夕食は博多駅のレストランで食べた。鉄板焼きステーキの「天」と言う高級店だ。(写真:D11)
シーザーサラダ(写真:D12)
(写真:D13)
(写真:D14)
ステーキ(写真:D15)
ガーリックライス(D17)
他にも色々と食べたが、写真を撮り忘れた。
もう疲れたし、」動けなくて車椅子状態です。

以上、壱岐の島から㔟古口がお送りしました。