「キューバの旅、後記=時間が止まった国」

「J  REPORT 2016 2月第4週」
「リタイアメント・ノート 7年8ヶ月目」、
「VOL。938 SINCE AUG.12th、1983」
ご意見ご要望等が御座いましたら、こちらへメールください。
 sekoguti@aa.e-mansion.com

「キューバの旅、後記」
「時間が止まった国、キューバ」
1959年の「キューバ革命」でキューバの時間は止まってしまったのだろうか?確かに車は古いものでは30年代、40年代のものもあり、主力は50年代だ。この時の富裕層が持っていた車、今で言えばクラッシック・カーになっているのだが、それを革命軍が奪い、未だに使用している。アメリカの経済封鎖によるためだ。また、インフラの整備は遅れている。国民は食料品は基本的に支給され、基本的には国家公務員として働いている。しかし、実際には「乞食」もいた。最低生活は保障されているのだろう。だから経済格差は殆どないといえる。だが今も年間1万人以上の人がアメリカに移っている。直接は行けないからVISAのいらない隣国経由でアメリカにさえ入れればアメリカ政府はキューバ人には退去は求めない。ここがメキシコ人とキューバ人との扱いの差だ。富裕層の家もそのまま今も使用している。田舎では馬車と自転車が主な交通手段だ。それとヒッチハイクだ。道路にはヒッチハイクをしようとする人が必ずいた。冷戦の終了と同時にロシアからの援助も減ったのだろう。インフラの遅れはどうしようもない。流石に今回の旅では停電はなかったが、一般的には停電もあるという。それと世代交代の問題だ。今の指導者は所謂「革命世代」だ。現大統領の「ラウル・カストロ」氏までは国民も信頼しているようだが、次世代の指導者が国民から信頼されているとは思えないとガイド氏が言っていたのが印象的だった。キューバの家庭訪問という企画があったが、実際には今回の現地旅行会社を経営している日本人女性の自宅訪問だった。彼女の夫はキューバ人で自宅には自家用車もあり、大きな家だった。古い大きな冷蔵庫が3つもあった。たまたまツアーの中の人が誕生日ということでケーキを焼いてくれた。(写真:キューバ人の家庭にてのバースデイ・ケーキ)

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自営業の人たちは高額の税金を払っているが、それでもお金持ちはお金持ちになっていく。ゆっくりだが、徐々に社会は変わりつつある。政治家の世代交代後のキューバ社会がどうなるのか?非常に興味深い。
話しは変わるが、カナダ人が年間100万人訪れるキューバ。トロントから約3時間半、ということは日本からグアムへ行くようなものだ。物価が安いからアメリカに行くよりも安いのだろう。同じものをキューバ人は我々の25分の1で買える。しかしハバナのホテル近くのスーパーを訪れた人から聞いたところでは商品が殆どなかったという。これがキューバの現実か?

「瓦」

「瓦」
砂糖キビ産業で栄えた町「トリニダード」、17世紀の古い屋敷の屋根には瓦が乗っていた。この瓦、どのように造られたのか?聞くと、奴隷女性を並べて、その太ももを型枠代わりにして粘土を太ももに塗り付けて乾燥させたという。奴隷は正に人間だとは思われていなかったことの象徴のような話しだった。(写真:瓦)

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「2016 私の勝手な映画批評シリーズ」  2015年には映画は222本観ました。
映画「キャロル」(TCみゆき座)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★★(今年20作品目)
第2次世界大戦後のアメリカ。離婚調停中の妻と夫は幼い一人娘の親権を巡って争っていた。そんな時妻のキャロルはデパートの売り場店員の女性と親しくなる。娘の親権か、女性との愛か、選択はどうなるのか?ケイト・ブランシェットの演技がやはり素晴らしい。アカデミー女優主演賞候補だ。

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映画「オデッセイ」(TCスカラ座)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★★(今年21作品目)
事故で火星に取り残された一人の植物学者が生き残るためにする戦い。そして地球から迎えのミッションが到着するのか?面白かった。
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映画「スティーブ・ジョブズ」(TC日劇)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年22作品目)
SJが家庭的に満たされた生活を送っていた訳ではなかったというお話し。認知していない娘との葛藤を描く。
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映画「ザ・ガンマン」(UC豊洲)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年23作品目)
アフリカのコンゴで警備会社の社員は命令されてコンゴの大臣を殺す。そして8年後、次々と追っ手が現われ彼の命を狙う。大臣殺害の秘密を暴露されたくないコングロマリットからの指示だった。銃撃戦の映画でした。
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映画「ディーバーンの闘い」(TCシャンテ)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年24作品目)
スリランカの内戦から逃れた男と見知らぬ女、そしてこれも他人の少女の3人は家族に成りすましてフランスへ不正入国した。難民を装うってだった。そして得た職はアパートの管理人。そこでドラッグを巡る戦いに巻き込まれる。最後に芽生えたのは愛だった。
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映画「ニューヨーク、眺めのよい部屋売ります」(シネスウィッチ銀座)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年25作品目)
ニューヨーク、ブルックリンに住む画家とその妻の老夫婦。かれらのフラットは5階にありエレベーターなし。体力的な問題もあり、新しいエレベーター付きのフラットを買おうとして自宅を売りに出そうとするが、底で起きる騒動。古いアパートでも100万ドルだというから驚きだ。
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日経新聞2月19日夕刊の「シネマ万華鏡」の評価によれば、「女が眠る時」が3つ星、「火の山のマリア」が3つ星、「X-ミッション」が3つ星、「シャーロック 忌まわしき花嫁」が3つ星、「クーパー家の晩餐会」が3つ星、「コインロッカーの女」が3つ星、「牡蠣工場」が3つ星でした。

「私の去年2016年の映画の評価は?」あくまで私の私感ですからね!!
今年の★★★★★は、「俳優、亀岡拓次」「サウルの息子」

今年の★★★★は、「はなちゃんのみそ汁」「ブリッジ・オブ・スパイ」「最愛の子」「ザ・ウォーク」「ブラック・スキャンダル」「キャロル」「オデッセイ」

「2016 観劇シリーズ」
・1回目の観劇=二月喜劇名作公演(新橋演舞場)「名代 きつねずし」

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「2016 旅の記憶シリーズ」
国内は1月の北東北「角館、秋田市内(秋田)」、「三内丸山遺跡(青森)」、「あつみ温泉、酒田(山形)」、「村上、新潟市内、瓢湖、燕三条、弥彦(新潟)」へ旅しました。海外旅行は、2月のキューバ(65カ国目)でした。

「2016 本の記憶シリーズ」
「邪心」(堂場 瞬一 著)講談社文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年25冊目)「警視庁犯罪被害者支援課」シリーズ第2弾

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「ペルソナの告発」(六道 慧 著)徳間文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年26冊目)「警視庁α特務班」シリーズ第2弾
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「くぐつ子の糸」(鈴木 英治 著)双葉文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年27冊目)「口入屋用心棒」シリーズ第33弾

「大根足」(岡本 さとる 著)幻冬舎文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年28冊目)「居酒屋お夏」シリーズ第4弾

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「ヘミングウェイの家」

「ヘミングウェイの家」
ヘミングウェイの自宅は完全に保護されている。室内には入れないが、窓からは見ることが出来る。ここは「バスルーム」だが、糖尿病だった彼はトイレの便器の横に体重計を置き、体重の変化を壁に書き付けていた後が今も残っている。(写真:バスルーム)

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ヘミングウェイは「ノーベル文学賞」を受賞したが、その時のメダルも賞金も全てキューバに寄付したという。それほど彼はキューバを愛していたのだ。革命後アメリカ政府は彼にアメリカに戻るように説得したというが、彼の意思は強かったのだろう。しかし、彼はうつ病によって1961年、銃で自殺した。

「カポネ」

「カポネ」
キューバで最も有名なリゾート地である「バラデロ」にある「カポネ邸」。元々の地主であった「デュポン」の家に比べると石造りの質素なものだった。今はレストランになっていて部屋中に「カポネ」の写真が貼ってあった。(写真:カポネ1)

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(写真:カポネ2)
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バラデロの富裕層の家だったものは、今は大半がレストランや土産物売り屋になっていた。当時、革命軍を恐れた人たちはボートピープルのようにしてフロリダ半島に逃げ出した。取るものも取り合えず、恐らく手荷物やバッグ一つで着のみ着のままで逃げ出したのだろう。カポネはイタリア系マフィアのボスで禁酒法下のアメリカにキューバから酒類を密輸して大儲けしていた。革命当時は既にカポネは死んでいたが。

「カクテル」

「手前勝手世界食物語、第397号」
「カクテル」
65カ国目の訪問国「キューバ」の名物の一つは「ラム酒」をベースとした「カクテル」だ。ラム酒は砂糖キビを原料として蒸留を数回繰り返して造る。このラム酒をベースとしたカクテルの一つが「モヒート」だ。(写真:モヒート)
モヒート1
基本はライムジュースでラム酒を割り、ミントを入れ、更にソーダを加えたものだ。(写真:モヒート)
モヒート2
氷が入っていないのがモヒートだ。その他、「クーバ・リブレ」(自由キューバの意味)は、ラム酒をコーラで割ったものだし、「クバータ(CUBATA)」は、ラム酒のオンザロックだと思えばよい。そして一番有名なのが「ダイキリ」だ。先週号で作り方は説明したのでここでは行わないが、色が白やブラウンやブルーがあるのだが、基本形はブラウンのダイキリで「コーヒー・リキッド」が加えられている。(写真:ダイキリ2)

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ブルーのカクテルはどのように何が加えられているのかは知らないが、中々美しいダイキリだった。(写真・ダイキリ1)
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最悪だったのがレストランのワインだった。リゾート地「バラデロ」のホテル内の和食レストラン「さくら」で出された白ワインは水で割ってあった。最悪!

帰国後、最初に行ったレストランは「牛タン」の店だった。チェーン店になっている「太助」だったが、先日先代で食べた「利久」の牛タンに比べて余りにも厚みが薄くがっかりした。太助の厚みは2-3mm、利久は1cm以上と見た目も味も決定的に違っていた。(写真:太助の牛タン)

2月末に「タイ」に行く。2011年にも行ったのだが、3度目のタイは学生時代のフットボールの仲間達との旅だ。その後は4月に3S会のスーさんと一緒に3度目のスペインに行く予定だ。中学同級生のA君は既に80カ国以上を廻られているとのことだが、私はもうこれ以上新しい国巡りはしないつもりだ。身体も疲れているし、孫の世話にも気を配る必要があり、当面爺様役に徹することにする。

「キューバの旅」

「J  REPORT 2016 2月第3週」
「リタイアメント・ノート 7年8ヶ月目」、
「VOL。937 SINCE AUG.12th、1983」
ご意見ご要望等が御座いましたら、こちらへメールください。  sekoguti@aa.e-mansion.com

「旅暦64、キューバの旅」
第一日目、2月4日(木曜日)
羽田のANAラウンジでいつものように「かき揚げ蕎麦」を食べる。(写真1:ANAラウンジにて)

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勿論ワインを飲みながらだ。エア・カナダ機でトロントに向かう。今回はプレミアム・エコノミ席にした。余り寝心地はよくないが、それでもエコノミー席よりはましだろう。かなり眠れた。12時間後、トロント上空、地上に雪は全くない。遠くにダウンタウンが見え、NCタワーも見えた。(写真2:トロント上空にて)気温3度。
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トロントからキューバの首都「ハバナ」へ。気温20度だが、意外に涼しいのに驚く。時差ボケで困る。実はトロントで本来のエコノミーの席からビジネスクラスに航空会社が親切にも変えてくれた。エコノミーだと食事もお酒も有料だというが、ビジネスはフリーだ。助かりました。3時間半の旅でした。

第2日目、2月5日(金曜日)
今日は一日中「ハバナ観光」だ。最初に訪れたのが、「ハバナ・クラブ」という「ラム酒」の博物館だ。勿論、このブランド名「ハバナ・クラブ」が最もよいラム酒だ。(写真3:ハバナ・クラブ)

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1495年のコロンブスのアメリカ発見に伴い、スペインがこのキューバを植民地として、コロンブスによってカナリア諸島から「砂糖キビ」が持ち込まれ、砂糖キビ農場が誕生した。現地住民はスペインとの戦いや彼らが持ち込んだ疫病によりほぼ全滅したために、アフリカより奴隷を連れて来て砂糖キビ畑で働かせたという。ジオラマ式の当時の砂糖キビ工場の模型があった。当時スペイン本国より早くキューバでは鉄道が敷設されたという。(写真4:工場模型)
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奴隷は動物並で人間とは思われていなかったし、動物と同じ扱いを受けていた。勿論売買の対象として。そして重労働を課せられた。(写真5:奴隷たち)
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昨年9月のアメリカ南部の旅でも聞いたが、白人と黒人の混血を「ムラノ」と呼ぶ。一部のムラノは解放奴隷となることもあったようだ。さて奴隷たちの手で刈り取られた砂糖キビは工場で液体砂糖になる。その液体を発酵させてラムの原酒が出来る。その状態ではアルコール度数は6度。そこから蒸留を3度繰り返し、85度まで高める。それを濾していよいよラム酒の完成だ。アメリカからボトリングの機械も輸入されていたという。(写真6:ボトル詰め機械)
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10年物以上のラム酒は一壜10数万円以上の価値があるという。貴重品だ。
ハバナの街は古い「歴史地区」と「新市街地」に大別されるが、街の運河を挟んだ反対側に「モロ要塞」がある。ここは1596年に造られた。スペインは南米各地で集めた黄金等の宝物をまずここハバナに集め、そこからスペイン本国に送ったという。いわば中継基地として重要な地だったのだ。従って海賊たちが多数襲ってきたので城砦が必要なのだ。そしてここを英国が襲う。3か月の戦いにより、モロ要塞の一部は完全に破壊される。それにしても本日の大西洋は荒れている。凄まじい波が押し寄せて来る。風も強いから寒い。写真は破壊された城壁の一部が欠けた部分だ。(写真7:モロ要塞)
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(写真8:モロ要塞の欠けた部分)
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そして11か月による戦いでハバナは英国の手に落ちた。スペインはハバナ、一都市とフロリダ半島全体との交換を英国に示すことで、ハバナを取り戻すことが出来た。それほどハバナはスペインにとって重要な拠点だった訳だ。(写真9:モロ要塞より眺める新市街地)
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キューバには2度の革命の歴史がある。最初がスペインからの独立で1868年からの10年間の独立戦争だ。その後アメリカに支配され、再び革命が起きたのは1959年で、フィデロ・カストロやチェ・ゲバラらが活躍した時のものだ。その後は皆さまもご存知の通りのアメリカからの経済封鎖で疲弊したキューバの現状だ。漸くアメリカとの間の関係も緩みつつあるが、未だ航空機の直行便は両者の間にはない。さて、「支倉常長」をご存知だろう。仙台藩藩主「伊達政宗」の命を受けてローマまで旅した人だ。彼がキューバを訪れた最初の日本人となったのはもう400年も前のお話しだ。その像がハバナにある。(写真10:常長の像)
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彼は太平洋を横断しメキシコからキューバに渡り、そこから大西洋を越えてスペイン経由ローマに入った。それを記念して最近日本の学校法人が像を建てたという。さて、スペイン総督が住んでいたのがハバナで当時の総督がフロリダ半島に赴いたが、現地人との戦いで命を失った。残された妻はいつまでも夫の帰りを待ち、「風見鳥」を屋根の上に建て早い帰国を願っていたという。今もその風見鳥が残されていた。(写真11:風見鳥)
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ハバナで特徴的なのは兎に角「古い車」が多く走っていることと、犬が多いこと。そして公衆電話があることだ。クラッシック・カーと呼ばれるような、1950年代を中心にして、30年代、40年代の車もあるという。皆立派に手入れされていた。海に近いハバナでは塗装も直ぐに錆びるだろうし、維持するのは大変な努力がいるのだろう。犬は野犬もいるのだろうが、首輪をして名札を付けているのも多い。後日判明したが、野犬の一部なのだが、政府が管理している野犬だった。(写真12:犬)
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また携帯電話は普及が遅れているので昔ならば当たり前の一般の公衆電話があちらこちらにあり、皆利用していた。さてキューバと言えば忘れることが出来ないのが文豪「アーネスト・ヘミングウェイ」だろう。まず彼がハバナ滞在中に定宿といていたピンクのホテルを観る。一番、最上階の角部屋が彼の部屋だそうだ。(写真13:ヘミングウェイの定宿)
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「ヘミングウェイ」

次に訪れたのが「革命広場」だ。一つのビルにゲバラの最後の手紙の文章が書かれている。ゲバラはボリビアで銃殺されたが、革命の英雄として今でも称えられている。この広場の周囲は官庁街で彼は経済部門を担当する閣僚になっていたらしい。彼はボリビアでの革命運動中に逮捕され殺されたが、ボリビア軍は彼の両手を切り取って遺体を分からないようにして隠したという。その後キューバ政府が発見して本国に持ち帰った。(写真14:ゲバラの顔が描かれたビル)

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ヘミングウェイに戻ろう。彼が常に訪れて座り、ダイキリを飲んだ店がある。(写真15:ダイキリの店)
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ヘミングウェイの定席には彼の像もある。(写真16:ヘミングウェイ像)
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「ダイキリ」を飲んだ。クラッシュした氷に砂糖をスプーン1杯、15ccのライムジュース、30ccのコーヒーリキッド、45ccのハバナ・クラブ・ラム酒を加えて30秒間混ぜて出来上がりだ。余りアルコールは感じられなかった。(写真17:ダイキリ)
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ハバナ名物の「ココタクシー」に乗る。ココナッツの形をしているからそう呼ぶらしいが、50ccのバイクの後ろに二人乗りの座席を設けたものだ。東南アジアにもあったような記憶がある。これが物凄いスピードで走るから寒いこと寒いこと。(写真18:ココタクシー)
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アイスクリームの店まで約10分走った。名物のアイスを食べ、それからクラッシク・カーに乗り、市内を走り回りホテルへと向かった。この車、当時のアメリカのビッグスリーの「GM」[フォード]「クライスラー」の車だ。30分程走ったが、オープンカーなので寒かった。(写真19:クラッシック・カー)
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革命広場には「モニュメント」が立っている。(写真20:モニュメント)革命の成功と独立の象徴だという。
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ホテルで夕食後、「トロピカーナ・ショー」を観に行く。オプションで2万3千円もした。その代り、ラム酒が一人当り250ccと、コーラ一缶、スパークリングワイン1杯とおつまみが付く。そんなに沢山のラム酒が飲める訳ない。アルコール度40度のラム酒だ。(写真21:ラム酒のボトル)
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ダンサーたちが出て来てテンポのよいラテンの音楽で踊り出す。歌と演奏と踊りとがマッチしたショーだ。たっぷり2時間あった。(写真22:ダンサーたち)
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(写真23:ダンサーたち2)
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10時から始まったショーは12時過ぎて終わった。疲れました。

「2016 私の勝手な映画批評シリーズ」  2015年には映画は222本観ました。
映画「ドリームホーム」(UC豊洲にて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年19作品目)
アメリカの光と闇を描く。家を買ったものの実は借金漬け。そこで経済が悪化すれば返済不能となる。男は子供と母親の3人暮らし。買った家を追い出される。そこで逆に不動産会社の社員となり、大儲けして新しい家を買う。この話しは1%の人が99%の人より多い財産を持っているというアメリカのお話し。まあ新しい家も欲しいですがね。アメリカの現実でした。

日経新聞2月5日夕刊の「シネマ万華鏡」の評価によれば、「キャロル」が5つ星、「オデッセイ」が4つ星、「不屈の男、アンブロークン」が3つ星、「ザ・ガンマン」が3つ星、「ロバートキナ、弧高の白鳥」が3つ星、「猫なんかよんでもこない」が2つ星、「蜃気楼の舟」が3つ星でした。
日経新聞2月12日夕刊の「シネマ万華鏡」の評価によれば、「ディーパンの闘い」が4つ星、「スティーブ・ジョブズ」が4つ星、「ドラゴン・ブレイド」が3つ星、「ネコのお葬式」が2つ星、「マンガ肉と僕」が2つ星、「ライチ☆光クラブ」が2つ星、「鉄の子」が2つ星でした。

「私の去年2016年の映画の評価は?」あくまで私の私感ですからね!!
今年の★★★★★は、「俳優、亀岡拓次」「サウルの息子」

今年の★★★★は、「はなちゃんのみそ汁」「ブリッジ・オブ・スパイ」「最愛の子」「ザ・ウォーク」「ブラック・スキャンダル」

「2016 旅の記憶シリーズ」
国内は1月の北東北「角館、秋田市内(秋田)」、「三内丸山遺跡(青森)」、「あつみ温泉、酒田(山形)」、「村上、新潟市内、瓢湖、燕三条、弥彦(新潟)」へ旅しました。

「2016 本の記憶シリーズ」
「闇の目」(鈴木 英治 著)角川文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年19冊目)
「下っ引夏兵衛捕物控」シリーズ第1弾

「ブラックバイト」(六道 慧 著)光文社文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年20冊目)「警視庁行動科学課」

「解放者」(大沢 在昌 著)角川文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年21冊目)
「特殊捜査班カルテット」シリーズ第2弾

「欠落」(今野 敏 著)講談社文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年22冊目)「同期」シリーズ第2弾

「暴力刑事」(小杉 健治 著)光文社文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年23冊目)

「平太郎の命」(佐々木 裕一 著)角川文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年24冊目)「もののけ侍伝伝」シリーズ第6弾

「トリニダードへ」

第3日目、2月6日(土曜日)
食事は朝も夜もビュッフェだし、昼は決まりきったような「豚肉」か「鶏肉」か「魚」のソテーかフライかで味付けが殆ど一緒で食欲が湧かない。
キューバの産業は、今はサービス業が一番で、次は観光業、その次が砂糖キビを含めた農業だという。18世紀には砂糖キビ農場で財をなした農場主が沢山いて奴隷を使っていた。(写真24:サトウキビ畑)

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今が刈り入れ時だそうだ。キューバは面積11万平方キロで人口1千1百万人。70%が平野で30%が山地だが、東部に山脈が集中している。原油も年間400万トン取れるが、硫黄分が高いので発電向けだという。冷戦時代はソ連などから年間1千300万トン原油を輸入していたが、今はベネゼイラから輸入いているのでガソリン代は非常に高く、1リッター120円程度だという。これが如何に高いかは後のち分かる。牧畜業も盛んで道路沿いは、牧場がサトウキビ畑だ。田舎に行くと「馬車」が庶民の交通の手段となっている。馬車ステーションもちゃんとある。(写真25:馬車)
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ヒッチハイクをする人も多いという。 ハバナには地下鉄も勿論ないからバスが輸送手段だが、地方はバスに代わって馬車なのだろう。さて、ハバナから南へ向かい、カリブ海に出たところにも世界遺産の街がある。「シエンフェゴス」だ。ここはアメリカ南部からとフランスからの移民であるフランス人家族50世帯が造った街だという。(写真26:街の地図)
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食後、大邸宅のレストランの屋上からカリブ海を眺める。遠くに「原発」が見えた。といっても70%出来たところでチェルノブイリの事故が起きたので中止された原発なのだ。ドーム型の建物が観えるだけだ。(写真27:原発)
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我々はカリブ海沿岸を東に向かう。そこには砂糖キビで設けた大商人たちの豪華絢爛な家が立ち並んでいた。「トリニダード」という街だ。「三位一体」の意味の街だ。天井が物凄く高く10m以上はある建物が今は博物館となっている。内部はイタリアのカラーラからの白い大理石、イギリスやアメリカ、フランスの調度品で飾られていた。博物館の中庭で花が咲いていた。(写真28:中庭にて)
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この邸宅、侯爵だか伯爵の家だったらしいが、スペイン王に献金すると爵位が貰えたらしい。夫婦に子供14人、召使の奴隷30人が住んでいたという。博物館だから色々なものが飾られていたが、キューバの国の紋章があった。(写真29:国の紋章)
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頭の部分の帽子は平和の象徴、向かって右側がフロリダ半島、左側がユカタン半島、間にある「キー」がキューバを表している。即ち、大西洋、カリブ海、鍵であるキューバを過ぎるとメキシコ湾という形になる。3つの海への鍵がキューバなのだ。「ゲバラ」の写真も飾られていた。右から2番目の人がゲバラだそうだ。(写真30:ゲバラ)
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中庭から塔を見上げる。真っ青な空、これがキューバの空なのだという。(写真31:塔と空)
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街の大広場の先にも塔があった。実はこの塔を周辺の建物と風景が、25セント硬貨に掘られているという。(写真32:塔と街並み)
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(写真33:25セント硬貨)
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その場所に「配給所」があった。キューバ国民は、平均的には月収700人民ペソ、大体日本円で3500円程度らしい。その前に昔の中国と同じように、兌換ペソと人民ペソがあり、我々外国人には兌換ペソが渡される。兌換ペソと人民ペソではレートが全く違う。兌換ペソ1ペソは日本円120円程度、人民ペソ1ペソは約5円。だが我々旅行者は人民ペソは使えないと思っていたら、今は現地の人も混ぜて使っているという。配給所は現物を安値で国が売ってくれる場所だ。例えば月に一人当りお米3kgまでが約10円。その他肉、豆、砂糖、オリーブオイル、粉、塩、等々生活必需品の食品をここで手に入れることが出来るが、大体配給量は半月分だという。残りはスーパーで買うしかない。(写真34:配給所内部)
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(写真35:配給所価格表)
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キューバ国民は学費と医療費は無料だ。歯医者も無料、インプラントも無料だという。だからガソリンが如何に高いかお分かりいただけると思う。キューバには私企業というのはない。企業は皆国営だ。但し個人商店が4万人ほどある。例えばレストランだとかお土産屋さん(基本的に皆手作り)だとか、小さな野菜販売だとか、個人タクシーだとかで、税金は収入の50%だそうだ。今後は外資が入ってきてどんどん変わるのかはこれからの問題だ。まずはアメリカの制裁解除だ。米議会の反対で簡単には行かないようだ。昨晩のダンサーたちも国家公務員だという。ホテルのサービスの悪さには驚かされる。共産主義、社会主義の悪い麺、即ち働いても働かなくても賃金に変わりはない。従って労働意欲が湧かなくなる。サービスも低下する。逆スパイラルなのだ。観光客向けのホテルの従業員もこの調子だから推して知るべしだろう。社会主義の理想と現実のギャップをどう解消していくのだろうか?

「チェ・ゲバラ」

第4日目、2月7日(日曜日)
最初に訪れたのは、17世紀18世紀に砂糖産業で栄えた「トリニダード」の郊外だ。盆地全体が昔は砂糖キビ畑だったそうだが、20世紀に入って「ビート」の生産が世界的に盛んになり、キューバの砂糖キビはその座を奪われたという。(写真36:ロス・インヘニオス渓谷)

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キューバの国の木は「バオバオ」の一種で「ダイオー椰子」だ。沢山生えていた。(写真37:ダイオー椰子)
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「マナス・イスナガ」という村に立ち寄る。ここは「イスナガ」という人が中心で造られた村で、イスナガ兄弟が美人の女性を巡り、兄は塔を、弟は井戸を掘り、どちらが高いか深いかを競ったという。結果兄の塔が45m、弟の井戸が43mで兄が女性を妻とした逸話があるらしい。(写真38:兄の塔)
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村には今も使用している「砂糖キビ絞り機」があり、奴隷や馬、牛の労力により絞っていたという。同じものは沖縄でも見た。(写真39:砂糖キビ搾り機のある小屋)
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村の人たちは観光客相手に手作りの品を売っていた。木彫りものや、綿布などだった。(写真40:木彫りのお土産品)
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それにしても貧しい農村だった。働く老人の姿が痛ましい。砂糖キビの皮を剥いていた。(写真41:老人)
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子供たちはどこでも一緒。集団で鶏を追いかけて石を投げていた。(写真42:子供たち)
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駅もあったから鉄道は通っているのだろう。(写真43:鉄道の駅)
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村人たちがトラックの荷台に乗って移動していた。(写真44:トラックに乗る村人)
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さて、いよいよ「チェ・ゲバラ」の霊廟に来た。「サンタクララ」という街で革命軍にとっては歴史的な街なのだ。(写真45:霊廟全体)
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ここで歴史的な戦いを行ったことを示す浮き出した絵があった。馬上はゲバラだ。(写真46:ゲバラの絵)
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ここで何が起きたか?1959年10月、革命軍はメキシコから船でキューバの南東部に上陸し、ハバナに向けて二つに分かれて西進していった。ゲバラ率いる400名の革命軍はキューバの南の海岸に沿って進み、やがて北進して、ここサンタクララに到達した。ここの中心部に「カピーロの丘」があり、政府軍4000人が立てこもっていた。更にハバナから増援軍400人が列車でやってきた。丘まで来た列車は結局そのままハバナに引き返すことになったという。なぜなのかは分からない。それを察知したゲバラ率いる革命軍は18名を先回りさせ、線路の犬釘を抜き、ブルドーザーで線路を持ちあげてしまった。そこへ列車がやってきて機関車が脱線転覆し、革命軍が火炎瓶を投げつけ攻撃したので、政府軍は壊滅した。その翌日アメリカの傀儡政権バティスタ大統領はベネゼイラに逃げ出し、連れて富裕層もフロリダ半島に逃げて行ったという。革命が成功した記念すべき場所なのだ。(写真47:列車転覆現場)
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「チェ・ゲバラ」とは何者なのか?元々はアルゼンチン人でブエノスアイレス大学の医学部卒業の医師である。それが革命思想に触れて、メキシコからキューバに上陸したのだった。「チェ」とは所謂愛称で「君」とか「同士」とかいう意味らしい。仲間内で使う言葉だという。ゲバラの銅像の後ろに彼のサインが観える。「CHE」と書かれている。本名「アルフォンソ・ゲバラ+母親の姓」(写真48:ゲバラ像とサイン)
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革命広場にあったゲバラの顔の下に書かれていた最後の手紙の末尾には「平和よ、永遠なれ」と記されていた。天候が回復したので霊廟の中に入れたが、写真撮影禁止だった。遺品と写真が沢山残されていたし、お墓もあった。黒人の警備員のおばちゃんにブローチを褒められた。本日の宿泊地「バルデロ」はキューバの北、大西洋に面した街でキューバ一の保養地だという。

「バラデロ」

第5日目、2月8日(月)
昨晩はプロ・アメリカンフットボールの決勝戦「スーパーボウル」があった。最初の部分を観てから食事に行き、戻ってからまた見たのだが途中から寝てしまう。目覚めたらラスト数分だったが、ダイジェストを延々とやっていたのでゲームの内容は分かった。
さて午前中は島に行く。船で片道1時間半。船と言ってもシーズン中はカジキマグロを釣る船だ。島は「カーヤ・ブランコ」即ち「白い島」という白い砂浜が綺麗な場所だった。(写真49:島)

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余り透明度は良くなく潜った人に聞くと全く何も濁っていて観えなかったそうだ。サヨリに似た魚がいた。(写真50:魚)
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(写真51:白い島の海岸線)
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約1時間島にいてまた戻る。途中から「カモメ」が付いてきて、我々の投げるスナックを奪い合っていた。どこのカモメも同じ行動をとるものだ。(写真52:カモメ)
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午後からはバラデロの街を馬車で観光する。ここは革命以前は高級別荘地だったという。ここで漸く革命の意味とクラッシック・カーや豪邸の理由が分かった。革命軍が奪ったものが「車」であり、「家」であり、富裕層の「財産」だったのだ。富裕層はそれら全てを残して逃げ出すしかなかった。またサンタクララの戦いのように革命軍400人が政府軍4000人に勝つというのは、軍隊自体が戦意喪失しており、命掛けの革命軍の前には戦う前に逃げるしかなかったのだろう。化学会社で財をなした「デュポン」がこの半島の先端部分から10kmを何と1平方メートル当たり16セントで買ったという。その後彼は先端2kmを残して残り8kmを50ドルから100ドルで売ったというから凄い。その中には「アル・カポネ邸」もあった。石造りの家で全てが石で出来ている。ここにカポネは2度訪れたというが実際にはお酒の倉庫だったらしい。当時禁酒法時代のアメリカに密輸するための基地がここだった。(写真53:カポネ邸)
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デュポンの家は半島の先端にあるから、3方が海という最高のロケーションだ。(写真55:デュポン邸からの眺め)
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(写真56:ゴルフコース)
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実際に当時デュポン邸には9ホールのプライベート・ゴルフ・コースもあったという。この屋敷は木造、それもキューバ産のマホガニーで全て造られているから、カポネの家が実にみすぼらしく感じる。エレベータまで付いていた3階建ての邸宅だった。現在のゴルフコースは貸しクラブ含めてビジターが90ドルだそうだ。(写真57:デュポン邸)
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夜は「さくら」という鉄板焼きレストランに行った。隣に座ったのがカナダ人の夫婦だったので話しをし、日本食の食べ方を教えたりしたが、20年前にモンテネグロからカナダに移住し現在はトロントで金融のアドバイザーをしている63歳の人とその妻だった。料理自体は「これが和食」とはとても思えない。まあ、仕方がないが鉄板焼き風の物を食べたと思うしかなかった。

第6日目、2月9日(火)
いよいよキューバも最後の日になった。今日一日で明日は帰国日だ。キューバの北海岸を大西洋に沿って西に向かう。途中、海岸線に沿って油田の井戸が観えた。さてキューバで一番高い場所にある橋を通過。(写真58:橋)120数メートルの高さがある。

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1954年にノーベル文学賞を受賞したヘミングウェイが好んでやってきた漁村「ヒコマル」は全く無名の村だったが、彼の「老人と海」が世に知られたことで一躍有名になった田舎の漁村だ。彼がレストランで聞いた地元の漁師の会話からヒントを得て、「老人と海」を書いたという。(写真59:小説のモデルになった漁師)
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角の席がヘミングウェイの指定席で今はそこには像が飾られている。(写真60:ヘミングウェイ像と海)
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ヘミングウェイとカストロの写真もある。1960年革命後にこの地でフィッシングの大会があり、その時の優勝者がカストロだったということでトロフィーをヘミングウェイが寄贈した。(写真61:ヘミングウェイとカストロ)
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この日は波も高く、寒かった。現地の人に聞いたが、既に洪水が2度あり、寒いので異常気象だということだった。(写真62:打ち寄せる波)
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ヘミングウェイは
1899年生まれで1961年に亡くなった。村人は彼への親しみを込めて、漁船のスクリューを自ら提供して彼の像を造ったのだった。彼はうつ病で最後は自殺した。村人は彼の63歳の誕生日に合わせて像を飾ったという。(写真63:村人が造った像)
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更にハバナ近郊に彼の自宅がある。今は博物館となっている。(写真64:自宅前)
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彼は第一次世界大戦時に負傷して膝が悪く、著作時にはベッドルームの壁の本棚にタイプライターを置き、裸足で立ってタイプしていたという。(写真65:ベッドとタイプライター)
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書斎には周囲に鹿の角などが掛けられ、一点「ピカソ」が書いた白い動物の絵がある。彼はこれをスペインでたったの150ドルで求めたという。(写真66:ピカソの作品)
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また食堂には大きな「ミロ」の絵が飾られている。(67写真:ミロの絵)
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プールの横には彼が愛用したボートが置かれていた。フロリダのキーウエストで建造された船で、これで魚を釣りに出たのだ。(写真68:ボート)
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さて社会主義国家キューバも節目を迎えようとしている。カストロに代表される革命期の人たちが去りつつあり、今後世界とどう付き合うかが試されようとしている。少子高齢化が進み、2020年からは人口減少になるとみられるキューバ。現実的には乞食もいるし、少ないとはいえ格差はあるのだろう。また徴兵制があり、男子は18歳から2年間徴兵される。頼みの観光業は年間300万人が訪れるが、その内100万人がカナダからだ。日本からは年間1万人程度だという。アジアからはやはり中国人が多いという。アメリカの経済封鎖はアメリカ製の部材を10%以上使用するものは各国にキューバへの輸出を禁じているという厳しいものだ。車は新しいのは大半が韓国製だった。日本車も少しは走っていた。いずれにしても平等、公平、人道を謳っている国だが、次世代の指導者は何を考え、どのように国民を導こうとしているのかが全く観えないのがキューバだった。これまでの相互扶助精神が資本主義の波にどう揉まれて行くのか?興味津々の国から目が離せない。

第7日目、2月10日(水曜日)
早朝、4時半にホテルを出ていよいよ帰国となる。トロントはマイナス3度で今度は白銀の世界だった。日本は何があったのだろうか?陸の孤島のキューバからやっとネットが使える世界に戻ってきた。キューバでは形態やスマフォの普及率は低く、約400万台らしい。やはり高いのが電気代とガソリンと通信だろう。トロントに来て文明世界に戻った感がある。まあ、無事に羽田に到着できることを願うだけだ。