第3日目、2月6日(土曜日)
食事は朝も夜もビュッフェだし、昼は決まりきったような「豚肉」か「鶏肉」か「魚」のソテーかフライかで味付けが殆ど一緒で食欲が湧かない。
キューバの産業は、今はサービス業が一番で、次は観光業、その次が砂糖キビを含めた農業だという。18世紀には砂糖キビ農場で財をなした農場主が沢山いて奴隷を使っていた。(写真24:サトウキビ畑)
今が刈り入れ時だそうだ。キューバは面積11万平方キロで人口1千1百万人。70%が平野で30%が山地だが、東部に山脈が集中している。原油も年間400万トン取れるが、硫黄分が高いので発電向けだという。冷戦時代はソ連などから年間1千300万トン原油を輸入していたが、今はベネゼイラから輸入いているのでガソリン代は非常に高く、1リッター120円程度だという。これが如何に高いかは後のち分かる。牧畜業も盛んで道路沿いは、牧場がサトウキビ畑だ。田舎に行くと「馬車」が庶民の交通の手段となっている。馬車ステーションもちゃんとある。(写真25:馬車)
ヒッチハイクをする人も多いという。 ハバナには地下鉄も勿論ないからバスが輸送手段だが、地方はバスに代わって馬車なのだろう。さて、ハバナから南へ向かい、カリブ海に出たところにも世界遺産の街がある。「シエンフェゴス」だ。ここはアメリカ南部からとフランスからの移民であるフランス人家族50世帯が造った街だという。(写真26:街の地図)
食後、大邸宅のレストランの屋上からカリブ海を眺める。遠くに「原発」が見えた。といっても70%出来たところでチェルノブイリの事故が起きたので中止された原発なのだ。ドーム型の建物が観えるだけだ。(写真27:原発)
我々はカリブ海沿岸を東に向かう。そこには砂糖キビで設けた大商人たちの豪華絢爛な家が立ち並んでいた。「トリニダード」という街だ。「三位一体」の意味の街だ。天井が物凄く高く10m以上はある建物が今は博物館となっている。内部はイタリアのカラーラからの白い大理石、イギリスやアメリカ、フランスの調度品で飾られていた。博物館の中庭で花が咲いていた。(写真28:中庭にて)
この邸宅、侯爵だか伯爵の家だったらしいが、スペイン王に献金すると爵位が貰えたらしい。夫婦に子供14人、召使の奴隷30人が住んでいたという。博物館だから色々なものが飾られていたが、キューバの国の紋章があった。(写真29:国の紋章)
頭の部分の帽子は平和の象徴、向かって右側がフロリダ半島、左側がユカタン半島、間にある「キー」がキューバを表している。即ち、大西洋、カリブ海、鍵であるキューバを過ぎるとメキシコ湾という形になる。3つの海への鍵がキューバなのだ。「ゲバラ」の写真も飾られていた。右から2番目の人がゲバラだそうだ。(写真30:ゲバラ)
中庭から塔を見上げる。真っ青な空、これがキューバの空なのだという。(写真31:塔と空)
街の大広場の先にも塔があった。実はこの塔を周辺の建物と風景が、25セント硬貨に掘られているという。(写真32:塔と街並み)
(写真33:25セント硬貨)
その場所に「配給所」があった。キューバ国民は、平均的には月収700人民ペソ、大体日本円で3500円程度らしい。その前に昔の中国と同じように、兌換ペソと人民ペソがあり、我々外国人には兌換ペソが渡される。兌換ペソと人民ペソではレートが全く違う。兌換ペソ1ペソは日本円120円程度、人民ペソ1ペソは約5円。だが我々旅行者は人民ペソは使えないと思っていたら、今は現地の人も混ぜて使っているという。配給所は現物を安値で国が売ってくれる場所だ。例えば月に一人当りお米3kgまでが約10円。その他肉、豆、砂糖、オリーブオイル、粉、塩、等々生活必需品の食品をここで手に入れることが出来るが、大体配給量は半月分だという。残りはスーパーで買うしかない。(写真34:配給所内部)
(写真35:配給所価格表)
キューバ国民は学費と医療費は無料だ。歯医者も無料、インプラントも無料だという。だからガソリンが如何に高いかお分かりいただけると思う。キューバには私企業というのはない。企業は皆国営だ。但し個人商店が4万人ほどある。例えばレストランだとかお土産屋さん(基本的に皆手作り)だとか、小さな野菜販売だとか、個人タクシーだとかで、税金は収入の50%だそうだ。今後は外資が入ってきてどんどん変わるのかはこれからの問題だ。まずはアメリカの制裁解除だ。米議会の反対で簡単には行かないようだ。昨晩のダンサーたちも国家公務員だという。ホテルのサービスの悪さには驚かされる。共産主義、社会主義の悪い麺、即ち働いても働かなくても賃金に変わりはない。従って労働意欲が湧かなくなる。サービスも低下する。逆スパイラルなのだ。観光客向けのホテルの従業員もこの調子だから推して知るべしだろう。社会主義の理想と現実のギャップをどう解消していくのだろうか?