「チェ・ゲバラ」

第4日目、2月7日(日曜日)
最初に訪れたのは、17世紀18世紀に砂糖産業で栄えた「トリニダード」の郊外だ。盆地全体が昔は砂糖キビ畑だったそうだが、20世紀に入って「ビート」の生産が世界的に盛んになり、キューバの砂糖キビはその座を奪われたという。(写真36:ロス・インヘニオス渓谷)

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キューバの国の木は「バオバオ」の一種で「ダイオー椰子」だ。沢山生えていた。(写真37:ダイオー椰子)
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「マナス・イスナガ」という村に立ち寄る。ここは「イスナガ」という人が中心で造られた村で、イスナガ兄弟が美人の女性を巡り、兄は塔を、弟は井戸を掘り、どちらが高いか深いかを競ったという。結果兄の塔が45m、弟の井戸が43mで兄が女性を妻とした逸話があるらしい。(写真38:兄の塔)
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村には今も使用している「砂糖キビ絞り機」があり、奴隷や馬、牛の労力により絞っていたという。同じものは沖縄でも見た。(写真39:砂糖キビ搾り機のある小屋)
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村の人たちは観光客相手に手作りの品を売っていた。木彫りものや、綿布などだった。(写真40:木彫りのお土産品)
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それにしても貧しい農村だった。働く老人の姿が痛ましい。砂糖キビの皮を剥いていた。(写真41:老人)
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子供たちはどこでも一緒。集団で鶏を追いかけて石を投げていた。(写真42:子供たち)
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駅もあったから鉄道は通っているのだろう。(写真43:鉄道の駅)
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村人たちがトラックの荷台に乗って移動していた。(写真44:トラックに乗る村人)
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さて、いよいよ「チェ・ゲバラ」の霊廟に来た。「サンタクララ」という街で革命軍にとっては歴史的な街なのだ。(写真45:霊廟全体)
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ここで歴史的な戦いを行ったことを示す浮き出した絵があった。馬上はゲバラだ。(写真46:ゲバラの絵)
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ここで何が起きたか?1959年10月、革命軍はメキシコから船でキューバの南東部に上陸し、ハバナに向けて二つに分かれて西進していった。ゲバラ率いる400名の革命軍はキューバの南の海岸に沿って進み、やがて北進して、ここサンタクララに到達した。ここの中心部に「カピーロの丘」があり、政府軍4000人が立てこもっていた。更にハバナから増援軍400人が列車でやってきた。丘まで来た列車は結局そのままハバナに引き返すことになったという。なぜなのかは分からない。それを察知したゲバラ率いる革命軍は18名を先回りさせ、線路の犬釘を抜き、ブルドーザーで線路を持ちあげてしまった。そこへ列車がやってきて機関車が脱線転覆し、革命軍が火炎瓶を投げつけ攻撃したので、政府軍は壊滅した。その翌日アメリカの傀儡政権バティスタ大統領はベネゼイラに逃げ出し、連れて富裕層もフロリダ半島に逃げて行ったという。革命が成功した記念すべき場所なのだ。(写真47:列車転覆現場)
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「チェ・ゲバラ」とは何者なのか?元々はアルゼンチン人でブエノスアイレス大学の医学部卒業の医師である。それが革命思想に触れて、メキシコからキューバに上陸したのだった。「チェ」とは所謂愛称で「君」とか「同士」とかいう意味らしい。仲間内で使う言葉だという。ゲバラの銅像の後ろに彼のサインが観える。「CHE」と書かれている。本名「アルフォンソ・ゲバラ+母親の姓」(写真48:ゲバラ像とサイン)
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革命広場にあったゲバラの顔の下に書かれていた最後の手紙の末尾には「平和よ、永遠なれ」と記されていた。天候が回復したので霊廟の中に入れたが、写真撮影禁止だった。遺品と写真が沢山残されていたし、お墓もあった。黒人の警備員のおばちゃんにブローチを褒められた。本日の宿泊地「バルデロ」はキューバの北、大西洋に面した街でキューバ一の保養地だという。