J REPORT2017 11月第5週号」
「リタイアメント・ノート 9年5ヶ月目」
「VOL.1031号 SINCE AUG.12th、1983」
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「六儀園の紅葉」
ご存知「六儀園」は5代将軍綱吉の側近だった川越城主の「柳沢吉保」の下屋敷跡だ。(写真:R1)
彼は有名な「和歌」の風景をこの庭に織り込んで造らせたという。それよりも出来たのが、1702年ということで315年前なのだが、江戸の昔の大名屋敷の庭園で造成当時の姿をそのまま残しているのはここだけだという。荒れ果てていたが、明治11年に岩崎弥太郎氏が買い求めて復旧に努め、その後東京都に寄贈したことで当時のままの姿を我々は見ることが出来るのだ。(写真:R2)
偶然裏門を入った途端に、これからボランティアガイドが出発するというので、参加した。女性が3名と私の4名だった。
入り口を入って少し行ったところにあるのが、「渡月橋」だ。後堀川天皇が詠まれた歌で「わかのうら あし辺のたづのなくこゑに 夜わたる月のかげぞひさしき」の場面をイメージしているという。(写真:R3)
中央の石の橋が渡月橋だが、この橋は東から西に掛かっているので、月はこの橋の上を通過し、且つその姿を池の水面に映すという。この橋の左側にあるのが「いろはもみじ」で、右側にあるのが「はぜ」の木だ。「はぜ」の方は赤く色付いているが、「もみじ」の方はまだ青いままだ。そしてボランティアガイドさんによれば、「今年の紅葉は期待してもらいたくない」とのことだ。理由は夏のゲリラ豪雨の時に降ったゴルフボール代の雹だという。雹により木々の葉が半分以上落とされてしまったということなのだ。また「もみじ」の紅葉は12月初めとのことで、「はぜ」と「もみじ」が一緒に色付くのはほんの数日間とのことだった。「はぜ」からは「和ロウソク」の原料が採れる。(写真:R4)
江戸時代は各地ではぜの木が植えられ、和ロウソクの生産が行われ、藩の財政の一端を担っていたという。和ロウソクが使用出来るのは裕福な層の人たちだったが。(写真:R5)
池には渡り鳥の「きんくろはじろ」がいた。(写真:R6)
シベリアから1週間ほど前に着いたという。身体中汚れ疲れ果てて漸く日本に辿り着いて鳥たちだ。春になるとまたシベリアに戻り雛を生み、冬になると日本に再び渡るという。最近はシベリアに帰らない鳥もいるという。帰らないと子孫が出来ない訳で困ったものだ。「お茶の木」があった。(写真:R7)
小高い岡「藤代峠」に登る。この庭園は池(深さ約2m)を掘った土で作られた山だ。ここからは富士山が一望出来たという。(写真:R8)
しかし、2011年の東日本大震災ではこの山が半分崩れて復旧までに2年間掛かったという。(写真:R9)
池の周りには「つつじ」が植えられている。(写真:R10)
この「つつじ」は4月中旬から一ヶ月ほど咲き、見事な姿を見せるという。「いろはもみじ」は残念ながらすかすかの葉になっていた。(写真:R11)
近くに「つつじ茶屋」がある。(写真:R12)
この茶屋の柱は「つつじ」の古木で出来ている。「染井桜」の古木があった。(写真:R13)
樹齢100年超のものだそうで、倒壊寸前の古木だ。(写真:R14)
ここ駒込の北に「染井村」があり、偶然ここで見つかった桜が江戸時代に広まり、今の染井吉野となっている。
赤松の木がある。ここに「こも巻き」があるのだが、この木のみ結びの縄が3箇所ある特別な松なのだ。(写真:R15)
普通のこも巻きは上下に一本づつの2本のみだ。(写真:R16)
また松が沢山植えられているのは、徳川家の元の姓であった「松平」を敬って、各大名家は庭に松を沢山植えて恭順の意志を示したためと言われている。(写真:R17)
水源が見える(写真:R18)
ここの水は当初は「玉川上水」から引いていた。だから飲み水としても使える水だった。「雪吊り」がある。(写真:R19)
しかしよく観てみるとこの雪吊りは役目を果たす雪吊りではなく、見掛けだけの観光用だという。もともと雪吊りは青森の「りんご」農家が雪対策として始めた「りんご吊り」がその原点である。これが金沢の兼六園に伝わり、雪吊りとして有名になった。金沢の場合、枝一本に約2トンもの重量が掛かるという。東京でそんな量の雪が降ることなどありえない。園内に一箇所金沢流の雪吊りがあった。(写真:R20)
確かに枝一本一本に縄が結ばれて上に引っ張られている。池の中央部に「中の島」があり、そこに「背山」というのがある。(写真:R21)
今は立ち入り禁止になっている島だ。(写真:R22)
こちら側にも紅葉している「はぜ」の木があった。(写真:R23)
「鶺鴒(セキレイ)」がいた。(写真:R24)
「江戸大道芸」というのが行われていた。(写真:R26)
春の桜の季節で一番有名なのが、この「しだれ桜」だ。(写真:R27)
今は葉を落としている。「菊人形」があった。(写真:R28)
ボランティアガイドさんと一緒に一回りした。「ここに綱吉は来たのか?」と聞いたら、「来ていない。吉保の上屋敷には50数度訪れたという」とのこと。ガイドさん曰く、昔の将軍は殆ど江戸城を出ていないといっていたが、吉宗は鷹狩りをかなりしたし、活動的な将軍もいたということだろう。それにしても江戸時代の庭園が原型のまま残っているなんて、この21世紀に奇跡的な話しだった。