「向島百花園」

『J REPORT 2019年10月第1週号』
「リタイアメント・ノート 11年4か月目」
「VOL.1127号 SINCE  AUG.12th, 1983」
「向島百花園」
東向島の住宅街の一角に野花が咲き乱れる静かなオアシスが向島百花園だ。東武鉄道東向島駅から歩いて10分ほどで着く。(写真:M1)M1
(写真:M2)M2
古い木で出来た門がある。(写真:M3)M3
入ってすぐに松尾芭蕉の句碑があった。(写真:M4)M4
「春もやや けしきととう 月と梅」
「墨陀花記碑」(写真:M5)M5
「梅洞水」(写真:M6)M6
野花が咲いていた。名前は知らない。(写真:M7)M7
オレンジ色の花。(写真:M8)M8
(写真:M9)M9
白い花。(写真:M10)M10
「おみなえし」(写真:M11)M11
池とスカイツリー。(写真:M12)M12
秋だ。ススキだ。(写真:M13)M13
竹林もある。(写真:M14)M14
彼岸花が咲いていた。曼殊沙華ともいう。(写真:M15)M15
池の花は「みずあおい」(写真:M16)M16
「ひめつつじ」(写真:M17)M17
「とうごうぎく」(写真:M18)M18
萩の花のトンネルだ。(写真:M19)M19
(写真:M29)M20
(写真:M21)M21
「たむらそう」(写真:M22)M22
「すすき」(写真:M23)M23
「ひょうたん」(写真:M24)M24
園内の小道だ。(写真:M25)M25
(写真:M26)M26
(写真:M27)M27
本当に静かな百花園。でもかなりの人出でした。萩の花はまだまだこれからが満開なのだろう。かなり遅れているようでした。

「今週の映画と本」

「今週の映画と本」
「私の2019年の映画の評価は?」あくまで私の私感ですからね!!
「帰ってきたムッソリーニ」(HTC有楽町にて)私的批評眼★★★(今年142作品目)映画帰ってきたムッソリーニ
突然現在のイタリアに独裁者ムッソリーニが蘇ったとしたら、どうなる?という皮肉だ。政治の行き詰まりや移民問題を抱えるイタリアを痛切に皮肉っている。テレビデビューしたムッソリーニは役者がやっていると思われていたのだが、実は本物だったというお話し。

「アド・アストラ」(TC日比谷にて)私的批評眼★★★★(今年143作品目)映画アド・アストラ
近未来。地球から遥か彼方海王星に探索に出たチームが行方不明になった。それを探しに行くのは探検隊隊長の息子だった。果たしてそこでは何が起こっていたのか?中々に面白い。映像が綺麗だ。

「任侠学園」(TC日本橋にて)私的批評眼★★★(今年144作品目)映画任侠学園
本当のやくざ「阿岐本組」のモットーは、1:素人には手を出さない。2:戦いは正直に。3:出された食べ物は残さない。これが起きての純粋やくざが葛飾区の私立高校「仁徳京和学園高校」の立て直しに参加するという話し。まあおふざけだが面白い。

9月27日の日経新聞「シネマ万華鏡」の評価は、「悪の華」が5つ星、「お嬢ちゃん」が4つ星、「ホテル。ムンバイ」が3つ星、「エセルとアーネスト」が4つ星、「パリに見いだされたピアニスト」3つ星、「サラブレッド」が3つ星、「ハミングバード・プロジェクト」が3つ星でした。

「2019年の映画、私的評価表」
★★★★★=「ボヘミアン・ラプソディ」「グリーンブック」「運び屋」「こどもしょくどう」「さよなら くちびる」「ディリリのパリの時間旅行」
★★★★=「蜘蛛の巣を払う女」「バハールの涙」「メリーポピンズ リターンズ」「女王陛下のお気に入り」「ちいさな独裁者」「ヴィクトリア女王」「半世界」「ねことじいちゃん」「翔んで、埼玉」「あの日のオルガン」「天国でまた会おう」「マイ・ブック・ショプ」「Bの戦場」「ブラック・クランズマン」「ROMA」「ザ・プレイス」「バイス」「ハンターキラー」「パリの家族たち」「誰もがそれを知っている」「小さな恋のメロディ」「アラジン」「アマンダと僕」「COLD WAR あの歌、2つの心」「今日も嫌がらせ弁当」「存在のない子供たち」「天気の子」「北の果ての村で」「ロケットマン」「やっぱり、契約破棄していいですか」「ガーンジー島の秘密の読書会」「記憶にございません」「今さら言えない小さな秘密」「アド・アストラ」

「2018年の映画はこんなでした」
★★★★★=「はじめてのおもてなし」「スリー・ビルボード」「リメンバー・ミー」「レディー プレイヤーワン」「万引き家族」「空飛ぶタイヤ」「輝ける人生」「判決 ふたつの希望」「日日是好日」

「2019 観劇シリーズ」 2018年の歌舞伎観劇は3度でした。
一月大歌舞伎=歌舞伎座にて 
二月競春名作喜劇公演観劇=新橋演舞場にて
團菊祭五月大歌舞伎=歌舞伎座にて
七月大歌舞伎観劇=歌舞伎座にて
八月納涼歌舞伎観劇=歌舞伎座にて
相撲観戦=1月、5月、9月場所観戦しました。

「2019 旅暦」
国内旅行は、1月は北海道2回と佐賀武雄温泉。6月末からは神奈川会の仲間と三陸で震災復興ツアーを、7月には4S会で壱岐の島から長崎へと、7月後半は妻と娘、孫娘たちと一緒に再び壱岐に行きました。
海外旅行は、2月と5月と8月のハワイ。
これまで行った国々の合計数は、71か国(直近18年5月のモンゴル)

「2018 読書記録」 2018年の読書数は、252冊でした。
「江戸は浅草」(知野 みさき 著)講談社文庫 私的批評眼★★★(今年200冊目)本江戸は浅草

「うちの旦那が甘ちゃんで5」(神楽坂 淳 著)講談社文庫 私的批評眼★★★(今年201冊目)本うちの旦那が甘ちゃんで5

「サムライ 天下太平を支えた人びと」

「サムライ 天下太平を支えた人びと」特別展
両国の「江戸東京博物館」で開催中の「サムライ」特別展に行ってきた。(写真:S1)S1
徳川家康が天下を納めて以来、侍のポジションは変わった。それまでの戦士から官僚になったことだ。依然として二刀を腰に挿して武士としての面目は保っているものの、実質大半は事務系の官僚になってしまった。
これは庶民と侍が一緒に過ごす屏風絵だ。(写真:S2)S2
(写真:S3)S3
(写真:S4)S4
江戸は侍の数が圧倒的に多く、人口の半分以上いたと思われるが、もう庶民と一緒に暮らしている。土地は幕府からの「拝領地」で所謂借り物だ。先手組とか将軍警護の武士団もいたが、大半は事務方、勘定方だ。
基本江戸の町は各帖内での自治が行われていて、もめごとは訴訟を起こすが、それも江戸庶民は町奉行所の管轄だ。少ない奉行所の人々では解決できそうもないから、町のことは町の中で解決するのが当たり前だった。
さて幕末、これが公武合体で江戸に下られた和宮下賜の御所人形だ。(写真:S5)S5
この絵巻物は、江戸の名物の火事の模様とその消化作業を描いている。(写真:S6)S6
(写真:S7)S7
(写真:S8)S8
(写真:S9)S9
江戸の火消しの「町火消」の制度は八代吉宗の時代に大岡越前守の提案により設けられた。
江戸幕府所持の船図鑑だ。皆木造船だ。(写真:S10)S10
(写真:S11)S11
(写真:S12)S12
(写真:S13)S13
(写真:S14)S14
「午砲」と呼ばれるもの。時を告げるために撃った。(写真:S15)S15
(写真:S17)S17
「四斤砲弾」(写真:S16)S16
幕末で世の中は一変したが、その中でもある武士の遺書は面白かった。「死んだら遺体は焼くな、埋めるな、野にさらして犬の餌にしろ」というのだ。
最後は和装した西洋人男女図(写真:S18)S18
文明開化と共に侍は消滅した。
中々興味ある催しでした。

「Y君の死」

「Y君の死」
突然、先日一緒に相撲観戦したN君からのメールで知った。Y君とは中学の同級生で高校時代は共にアメリカンフットボール部で同じ釜の飯を食った仲間だった。大学時代は接触はなかったが、卒業後20年に学校行事で一緒に参加したことがあって以来だから、もう30年近く音信を知らなかった。聞くと昨年春に膵臓癌が判明し病と闘っていたという。それでも好きな煙草やお酒、そしてゴルフは止めなかったという。今月5日にはキリスト教の洗礼を受けたという。そして不自由な入院生活を嫌い自宅で煙草と酒と音楽を楽しんで静かな最期を迎えたという。彼はY汽船の創業者の孫であり、何不自由なく暮らしていたと思っていたら、会社が倒産の危機にも晒されたが何とか乗り越えて息子さんにあとを託したという。
葬儀は米国大使館の裏手の「霊南坂教会」。厳かなミサだった。大学時代からバンドにのめり込んでいた彼らしい遺影だ。(写真:Y1)Y1
立派なパイプオルガンがあった。(写真:Y2)Y2
友人代表で弔辞を述べたのはN君。(写真:Y3)Y3
感動的な弔辞だった。N君は発病直後Y君から癌を知らされていたが、約束で誰にも言わないと誓ったという。だからつい先日の相撲観戦でもそんな話しは全くでなかった。これで中学の同級生50名で物故者は6名になった。
Y君、お疲れ様でした。御冥福をお祈り申し上げます。Y4
以上、彼岸花も咲き、いよいよ秋めいてきた東京より勢古口がお送りしました。

「大相撲九月場所観戦記」

『J REPORT 2019年9月第4週号』
「リタイアメント・ノート 11年3か月目」
「VOL.1126号 SINCE  AUG.12th, 1983」
「大相撲九月場所観戦記」
十一日目の18日、友人二人と一緒にJR両国駅で待ち合わせ。今まで気が付かなかったが、そこに二つの浮世絵の写しがあった。一つは江戸時代の相撲の繁盛ぶりを描いたもの。(写真:K1)K1
もう一つは日本橋周辺の賑わい。(写真:K2)K2
ちょっと小雨模様の中、国技館に向かう。幟端。(写真:K3)K3
(写真:K4)K4
両横綱が休みのため、土俵入りは東西の幕内力士だけだ。(写真:K5)K5
(写真:K6)K6
それでも相撲人気は高まって来ていて館内は歓声に埋められていた。
友人のN君は栃ノ心のファンだという。今日の一番人気は結び一つ前の貴景勝と栃ノ心戦だ。
小兵力士が登場すると声援が増す。石浦対明生戦。(写真:K7)K7
小兵の石浦は善戦及ばず破れる。
今日も満員御礼だ。(写真:K8)K8
途中の勝負は割愛するが、大勝負となった貴景勝と栃ノ心の戦いは、栃ノ心も上手く立会して前に出たが、当たりが強い貴景勝に受け止められ、今度は逆に押し込まれると、自らが反転してしまう。背を見せてしまい、最後は
東溜まりに行司を押し倒しながら崩れた。(写真:K9)K9
これで優勝争いは貴景勝と明生が二敗で並び、それを5人が三敗で追う展開だ。千秋楽まで目が離せない。
ところで桝席は大人4人分なのだが、今回は3人で座ったが、それでも狭いし、何しろ腰が痛くなり、どうしようもない。相撲ももういい加減伝統ばかりを唱えないで、新しい相撲の見方を考えるべきだろう。椅子席に全部変えて、仮に値上がりしてもその方が観客にはありがたいと私は思うのだが、皆さまは如何に思われますか?
それとテレビのモニター位設置すべきだ。

「今週の映画と本」

「今週の映画と本」
「私の2019年の映画の評価は?」あくまで私の私感ですからね!!
「プライベート・ウォー」(TCシャンテにて)私的批評眼★★★(今年138作品目)映画プライベート・ウォー
アメリカ人戦場女性記者の2001年から2012年を描く実話。2001年スリランカの内戦で左目を失明したが、その後も戦場に向かい世界中に記事を配信した。そして2012年シリアで死す。彼女が伝えたかったのは、普通の民間人が如何に戦争で怪我をし、飢え、貧困にあえぎ、そして死ぬか、だった。

「記憶にございません」(TC日本橋にて)私的批評眼★★★★(今年139作品目)映画記憶にございません
構想十年というがよく練られた話しだ。文句なしに面白い。記憶を失った首相の支持率は2.4%、兎に角最低の首相だったが、記憶がないから何でも出来るという発想が面白い。

「今さら言えない小さな秘密」(シネスイッチ銀座にて)私的批評眼★★★★(今年140作品目)映画今さら言えない小さな秘密
フランスの田舎村の自転車修理屋の男性。実は彼は子供の頃から自転車に乗れなかった。しかしそれを一生の秘密にしていたのだが、どうしても嘘を付き続ける訳にはいかなくなるのだが。これが実に面白い。フランスらしい映画でした。

「三人の信長」(TC日比谷にて)私的批評眼★★(今年141作品目)映画三人の信長
浅井の裏切で北陸遠征に失敗して逃げに逃げた信長が敵に捕まった。しかしそこには3人もの信長がいた。誰が影武者なのか?

9月20日の日経新聞「シネマ万華鏡」の評価は、「アド・アストラ」が4つ星、「宮本から君へ」が4つ星、「帰ってきた、ムッソリーニ」が3つ星、「エイス・グレード」が3つ星、「レディ・マエストロ」が3つ星、「アイネクライネナハトムジーク」が2つ星、「葬式の名人」が2つ星でした。

「2019年の映画、私的評価表」
★★★★★=「ボヘミアン・ラプソディ」「グリーンブック」「運び屋」「こどもしょくどう」「さよなら くちびる」「ディリリのパリの時間旅行」
★★★★=「蜘蛛の巣を払う女」「バハールの涙」「メリーポピンズ リターンズ」「女王陛下のお気に入り」「ちいさな独裁者」「ヴィクトリア女王」「半世界」「ねことじいちゃん」「翔んで、埼玉」「あの日のオルガン」「天国でまた会おう」「マイ・ブック・ショプ」「Bの戦場」「ブラック・クランズマン」「ROMA」「ザ・プレイス」「バイス」「ハンターキラー」「パリの家族たち」「誰もがそれを知っている」「小さな恋のメロディ」「アラジン」「アマンダと僕」「COLD WAR あの歌、2つの心」「今日も嫌がらせ弁当」「存在のない子供たち」「天気の子」「北の果ての村で」「ロケットマン」「やっぱり、契約破棄していいですか」「ガーンジー島の秘密の読書会」「記憶にございません」「今さら言えない小さな秘密」

「2018年の映画はこんなでした」
★★★★★=「はじめてのおもてなし」「スリー・ビルボード」「リメンバー・ミー」「レディー プレイヤーワン」「万引き家族」「空飛ぶタイヤ」「輝ける人生」「判決 ふたつの希望」「日日是好日」

「2019 観劇シリーズ」 2018年の歌舞伎観劇は3度でした。
一月大歌舞伎=歌舞伎座にて 
二月競春名作喜劇公演観劇=新橋演舞場にて
團菊祭五月大歌舞伎=歌舞伎座にて
七月大歌舞伎観劇=歌舞伎座にて
八月納涼歌舞伎観劇=歌舞伎座にて

「2019 旅暦」
国内旅行は、1月は北海道2回と佐賀武雄温泉。6月末からは神奈川会の仲間と三陸で震災復興ツアーを、7月には4S会で壱岐の島から長崎へと、7月後半は妻と娘、孫娘たちと一緒に再び壱岐に行きました。
海外旅行は、2月と5月と8月のハワイ。
これまで行った国々の合計数は、71か国(直近18年5月のモンゴル)

「2018 読書記録」 2018年の読書数は、252冊でした。
「北斎まんだら」(梶 よう子 著)講談社文庫 私的批評眼★★★(今年194冊目)本北斎まんだら

「世直し忠介人情帖1」(梶 よう子 著)講談社文庫 私的批評眼★★★(今年195冊目)本世直し忠介1

「世直し忠介人情帖2」(梶 よう子 著)講談社文庫 私的批評眼★★★(今年196冊目)本世直し忠介2

「よろず屋お市 深川事件帖」(誉田 龍一 著)ハヤカワ文庫 私的批評眼★★★(今年197冊目)本よろず屋お市

「謹慎」(稲葉 稔 著)光文社文庫 私的批評眼★★★★(今年198冊目)「隠密船頭」シリーズ第3弾本謹慎

「狙撃手のゲーム 上」(スティーブヴン・ハンター 著)扶桑社文庫 私的批評眼★★★★(今年199冊目)本狙撃手のゲーム上

「狙撃手のゲーム 下」(スティーブヴン・ハンター 著)扶桑社文庫 私的批評眼★★★★(今年199冊目)本狙撃手のゲーム下

「満月」

「満月」
中秋の名月の翌日の東の空に満月が現れた。(写真:満月)満月
十六夜(いざよい)の月だ。夜空には低く黒い雲が漂っていたが、その合間から満月が顔を出した。実に美しい月だ。
そしてその翌日は「立待月」だ。まだまだ満月に近い状態の月だ。(写真:立待月)tsuki
日本人はどうしてこんなにも月が好きなのだろう。いよいよ秋の空気に囲まれてきた。

「4S会」
いつもは反省会?なのだが、今回は「さいたま新都市」の合同庁舎31階にあるレストランでS氏の壮行会として開いた。英語通訳士と一級建築士の国家資格を持つS氏だが、今回スウェーデンの観光会社からの招待で2週間のヨーロッパの旅に行くことになったからだ。スウェーデンからは建築関係の人たちが度々日本を訪れてほてるおり、その都度S氏が案内人として日本各地を回ったことに対する感謝の意だという。
久し振りに「さいたま新都心駅」に降りると、目の前には新しいホテルや大きな病院が立ち並び、その変化に驚かされた。周囲ではまだ新しいビルの建築工事が行われていた。
さて31階からは関東平野が一望出来る。まずは東のほうに微かだが「筑波山」が見える。(写真:4S1)4S1
それにしても真っ平だ。(写真:4S2)4S2
北東の方角には「大宮公園」が見える。もう夕暮れだ。(写真:4S3)4S3
残念ながら、この写真の一部に小学校5年生の男児が殺された現場がある。丁度殺害されたと思われる時間帯に我々は現場を見下ろしながら食事をしていたのだった。
西側に行く。本来ならば富士山を見たかったのだが、薄い雲が低く垂れていて残念ながら見えなかった。(写真:4S4)4S4
雲の下は秩父の山並みだろう。(写真:4S5)4S5
西北方向。(写真:4S6)4S6
ぐるりと一回りした。
さて、料理が出てきた。まあご覧あれ。(写真:4S7)4S7
(写真:4S8)4S8
(写真:4S9)4S9
飲み放題付きで@3000円でした。安いね。但しセキュリテイーが厳しいし、完全予約制かな?
皆元気です。(写真:4S10)4S10
2022年にはまた4S会でオランダを中心にして電車の旅に行く予定です。

「増上寺」

「増上寺」
門前は何度も通ったことがあったが、中に入ったことがなかったのが、徳川家の菩提寺でもある「増上寺」だった。
芝大門駅から進む。(写真:Z1)Z1
参道からは東京タワーも良く見える。(写真:Z2)Z2
これが大門なのだろう。立派な門だ。「三解脱門」というらしい。重要文化財だ。(写真:Z3)Z3
元和8年(1622)に建てられたもので現存するものだ。江戸初期の面影を残す大変貴重なものだ。
門の前の石柱も立派なものだ。(写真:Z4)Z4
ここは徳川家の菩提寺だから、法事の時は大奥からも沢山の代参の人たちが訪れたであろう。
境内に松の古木があった。何と明治12年に当時のアメリカ大統領「グラント氏」が国賓で訪れた際に植えられた松だという。(写真:Z5)Z5
正面には「大殿」がある。(写真:Z6)Z6
大きな釣り鐘もあった。除夜の鐘でよく出てくる鐘だ。(写真:Z7)Z7
境内の真ん中に立って、眼を巡らせる。左から(写真:Z8)Z8
正面(写真:Z9)Z9
右へと(写真:Z10)Z10
右手に進むと「千射子育て地蔵菩薩」だ。たくさんの、それこそ千体もあるのだろうか。(写真:Z11)Z11
なかなかに可愛い顔をしている。(写真:Z26)Z26
それでは徳川将軍家の墓所に入ろう。(写真:Z12)Z12
入口の扉は旧国宝「鋳抜門」だ。正面(写真:Z25)Z25
裏から見る(写真:Z13)Z13
この門は六代将軍家宣公宝塔前にあったものだという。
将軍の墓は元々霊廟を造りその中に安置してあったが、戦争の空襲で焼け落ちてしまって、石塔か青銅製の塔のみここに移されていた。
右回りで観て行こう。十二代家慶公(石塔)(写真:Z14)Z14
九代家重公(石塔)(写真:Z15)Z15
七代家継公(石塔)(写真:Z16)Z16
二代秀忠公夫妻(将軍と正室江与殿)(写真:Z17)Z17
六代家宣公(青銅製)(写真:Z18)Z18
十四代家茂公(石塔)(写真:Z19)Z19
皇女和宮(青銅製)(写真:Z20)Z20
合祀塔(将軍生母側室等)(石塔)(写真:Z21)Z21
秀忠公霊廟(写真:Z22)Z22
家宣公霊廟(写真:Z23)Z23
同(写真:Z24)Z24
宝物展示室へ行く。(写真:Z27)Z27
実はこの中には二代秀忠公の霊廟の模型があった。霊廟は昭和20年に空襲で焼け落ちたが、江戸初期の豪華絢爛、将軍の中でも最も素晴らしい霊廟が存在した。それを明治時代に「日英博覧会」がロンドンであった際に、百分の一のスケールで造られた模型を英国王室に送ったそうだ。それが近年発見されて日本に里帰りしたものが飾られていたのだ。完璧に百分の一にしたもので細部まで完全に造られていた。宝物の霊廟は焼け落ちるまでは国宝だった。
将軍墓所には、二代、六代、七代、九代、十二代、十四代と6名の将軍が祀らえていた。初代家康公は神となり日光に安置されているので、その他の将軍は上野の寛永寺に墓があるはずだ。

「江戸蕎麦手打處 あさだ」

「手前勝手世界食物語、第530号」
「江戸蕎麦手打處 あさだ」
相撲の後は、浅草橋の「あさだ」に向かう。この店は聞くと安政元年(1855年)創業で現在の店主で8代目だという歴史の古い店だった。
取り合えず、つまみになりそうなものを頼む。
蕎麦焼酎水割り。(写真:食1)食1
蒲鉾。(写真:食2)食2
漬物。(写真:食3)食3
魚類。(写真:食4)食4
骨。(写真:食5)食5
焼き味噌、これはお店のサービスでした。(写真:食6)食6
卵焼き。(写真:食7)食7
中心がK君、左がN君です。(写真:食8)食8
そして鴨鍋です。これで二人前。(写真:食9)食9
(写真:食10)食10
(写真:食11)食11
最後はもうお腹一杯でしたが、K君のたっての希望で蕎麦を一枚だけ頼み、3人で分けました。(写真:食12)食12
店主の粕谷さんは母校のラグビー部出身なので体育会繋がりで、因みにN君はスキー部、私とK君はアメリカンフットボール部ということで話しも盛り上がった。店主自ら蕎麦を打っているという。店主がしないと使用人は付いてこないとおっしゃっていました。お店の外まで送ってもらいました。(写真:食13)食13
良い店でした。

「台風が東京を直撃」

『J REPORT 2019年9月第3週号』
「リタイアメント・ノート 11年3か月目」
「VOL.1125号 SINCE  AUG.12th, 1983」
「台風が東京を直撃」
8日の日曜日の夕方、台風が夜半から東京を直撃するとの報道もあり、銀座周辺の人出も少ない。JRや私鉄各線も午後10時以降順次運転を中止するというし、翌朝は始発から午前8時過ぎまでは運休と計画も発表された。最近は台風が来るとなると、計画運休を行う鉄道各社が大半になったため、事前に利用者は対策を講じることが出来るようになった。それによって不必要な外出も減り、事故も減ったことなのだろう。大型の台風15号は、日曜日から月曜日にかけての夜半から都内を襲い始め、午前5時近くに千葉市付近に上陸したという。
我が家から見た強風と大雨だ。丁度午前5時だ。(写真:T1)T1
しかし、この時がピークなのか、5時半になるとちょっと風も雨も弱くなりつつあった。(写真:T2)T2
(写真:T3)T3
(写真:T4)T4
そして6時の声を聴いて犬の散歩に出掛けた。小雨が降り時折強い風は吹くが、どうやら大丈夫なようだ。おやおや、新しく建てられつつあった路上のポールが曲がってしまっている。(写真:T5)G5
午前7時には台風の気配はなくなりつつあった。(写真:T6)T6
8時過ぎからはバスの利用者も並び始めていた。通常の一日が始まったようだ。(写真:T7)T7
午前11時、電車も動き出し、台風一過の空の色になり、暑さがぶり返してきた。(写真:T8)T8
私の自宅付近では被害は出なかったが、永代通りの日本橋付近では街路樹が数本倒されていた。(写真:T9)T9
(写真:T10)T10
自宅近くの豊洲でも倒木があった。こんなことは初めてです。(写真:倒木)倒木
今年の2月にもハワイで嵐に出会ったが、その時もホノルル周辺で沢山の木が倒されていたが、都会の弱点なのだろうか?
倒木で交通網が遮断され、送電線鉄塔の倒壊でも停電がと、台風に翻弄された東京でした。