「増上寺」

「増上寺」
門前は何度も通ったことがあったが、中に入ったことがなかったのが、徳川家の菩提寺でもある「増上寺」だった。
芝大門駅から進む。(写真:Z1)Z1
参道からは東京タワーも良く見える。(写真:Z2)Z2
これが大門なのだろう。立派な門だ。「三解脱門」というらしい。重要文化財だ。(写真:Z3)Z3
元和8年(1622)に建てられたもので現存するものだ。江戸初期の面影を残す大変貴重なものだ。
門の前の石柱も立派なものだ。(写真:Z4)Z4
ここは徳川家の菩提寺だから、法事の時は大奥からも沢山の代参の人たちが訪れたであろう。
境内に松の古木があった。何と明治12年に当時のアメリカ大統領「グラント氏」が国賓で訪れた際に植えられた松だという。(写真:Z5)Z5
正面には「大殿」がある。(写真:Z6)Z6
大きな釣り鐘もあった。除夜の鐘でよく出てくる鐘だ。(写真:Z7)Z7
境内の真ん中に立って、眼を巡らせる。左から(写真:Z8)Z8
正面(写真:Z9)Z9
右へと(写真:Z10)Z10
右手に進むと「千射子育て地蔵菩薩」だ。たくさんの、それこそ千体もあるのだろうか。(写真:Z11)Z11
なかなかに可愛い顔をしている。(写真:Z26)Z26
それでは徳川将軍家の墓所に入ろう。(写真:Z12)Z12
入口の扉は旧国宝「鋳抜門」だ。正面(写真:Z25)Z25
裏から見る(写真:Z13)Z13
この門は六代将軍家宣公宝塔前にあったものだという。
将軍の墓は元々霊廟を造りその中に安置してあったが、戦争の空襲で焼け落ちてしまって、石塔か青銅製の塔のみここに移されていた。
右回りで観て行こう。十二代家慶公(石塔)(写真:Z14)Z14
九代家重公(石塔)(写真:Z15)Z15
七代家継公(石塔)(写真:Z16)Z16
二代秀忠公夫妻(将軍と正室江与殿)(写真:Z17)Z17
六代家宣公(青銅製)(写真:Z18)Z18
十四代家茂公(石塔)(写真:Z19)Z19
皇女和宮(青銅製)(写真:Z20)Z20
合祀塔(将軍生母側室等)(石塔)(写真:Z21)Z21
秀忠公霊廟(写真:Z22)Z22
家宣公霊廟(写真:Z23)Z23
同(写真:Z24)Z24
宝物展示室へ行く。(写真:Z27)Z27
実はこの中には二代秀忠公の霊廟の模型があった。霊廟は昭和20年に空襲で焼け落ちたが、江戸初期の豪華絢爛、将軍の中でも最も素晴らしい霊廟が存在した。それを明治時代に「日英博覧会」がロンドンであった際に、百分の一のスケールで造られた模型を英国王室に送ったそうだ。それが近年発見されて日本に里帰りしたものが飾られていたのだ。完璧に百分の一にしたもので細部まで完全に造られていた。宝物の霊廟は焼け落ちるまでは国宝だった。
将軍墓所には、二代、六代、七代、九代、十二代、十四代と6名の将軍が祀らえていた。初代家康公は神となり日光に安置されているので、その他の将軍は上野の寛永寺に墓があるはずだ。