「手前勝手世界食物語、第316」

第二日目
昼食は、「鴨料理」ということだったが、先月にフランスで食べた鴨と比べると、「これが鴨?」と言いたい位のもので、鴨肉の挽肉を詰め物状態にしたものだった。これは駄目だった。夕食は、「サーモン」だったが、フランス風に焼いたサーモンに白ワインメ[スをかけてあったが、逆でメ[スなしが本当は美味しいのに、むしろ素材の味を壊していた。また白ワインのボトルを頼んだが、こちらは20数ドルのワインを頼んだつもりだったのが(添乗員経由でオーダーしたのだが)64ドルも請求された。全くおかしな話しだ。憤慨してます。料理も美味くなかった。

第三日目
昼食は、ホテルでのバイキングだった。時間帯が重なるとお客で一杯になり、おいそれと食べられないのがビュッフェスタイルの食事だ。特に私はダイエット中なので、遠慮しいしい食べた。夕食はステーキ。女性の方と交換してちょっと大きめの肉をいただく。赤身のステーキでちょっと焼き過ぎかとは思ったが、まあまあでした。白ワイン1000mlで39.5ドルでした。

第四日目
朝はいつもと同じでコーヒー、牛乳、味噌汁、果物、そしてヨーグルト。昼は遊覧船の中での井握り弁当。これは食べなかった。夕食はレストランで「タラのャeー」だったが、本当に欧米人はタラが好きだね。魚というと必ず出てくる。日本人にとっては魚は必需品だが、今カナダは「寿司ブーム」に沸いているという。独特の寿司になっているのだろうが、それでも世界的に日本の美味しい食文化が認められたということは嬉しいことだ。ワインは36ドルでした。まあまあ美味しかった。

第五日目
昼食は州立公園でのお弁当。夜はホテルのレストランでの中華料理。これもいい加減な中華料理でした。美味くないし、サーブも悪いし、最悪の夕食でした。語る気もしないね。紹興酒45ドル、高いね。ぼったぐりだよ。

第六日目
昨日の夕食は殆ど食べていないからお腹が減った。ダイエットにはよかったが、お腹の皮と背中の皮が付きそうです。腕時計がぐるぐる回るほどになった。少しは痩せたかな?ダイエットは成功するかな?昼はナイアガラで鳥料理、鳥の足が一本出てきた。夜は和食、刺身、酢の物、鮭の塩焼き、ご飯に味噌汁といった具合。カナダではましな和食なのだろうか?まあ、和食を食べる気にもならないが、白ワインを一本飲んだ。ここではサービス料15%、税金15%と30%も取られるから結局高いものになってしまう。45ドルでした。
以上、勢古口がカナダよりお送りしました。

第六日目(10月23日、水曜日)

トロント市内観光とナイアガラ観光が本日の目玉だ。毎朝CNNのテレビ「NEW DAY」という番組を観ているが、アメリカ、カナダで報道されているのは、「ギリシャのミッシング・ガール」、「ミドルスクールでの少年の銃発砲、殺人事件」、「オバマ・ケアーのウエッブサイト問題」、「フロリダの囚人脱走」等だ。ギリシャで少女が見つかったが、アメリカから誘拐されたのではないか?と報じられていた。多分年齢が違い過ぎるのだが。トロントはカナダ最大の都市で600万人が住む「人種のモザイク」だという。それぞれの民族が小さな町を作ってモザイクのように暮らしているというのだ。流石日本人街はないそうだが。さて、ナイアガラに着いた。期待とは違って、都会の真ん中に滝があるという感じだ。「イグアス」の滝を観た後では無理だ。感想も言えない。スケールが違い過ぎる。違うのは水の色だ。こちらは水の色は緑だ。イグアスは前日に振った雨の影響で濁っていたが、ここは緑の水が流れていた。晴れたり、雨だったりとやたらに変化する気候、気温5度のナイアガラだった。カジノあり、豪華なホテルあり、一大観光地だということが分かった。3月のイグアス、そして今回のナイアガラ、来月のビクトリアで世界三大瀑布を制覇するのだが、ちょっぴりこれでいいのか?と思ってもしまう。これが三大瀑布なのかねえ?ナイアガラはエリー湖とオンタリオ湖を結ぶナイアガラ川の途中にある。両方の湖の落差が50数メートルあるために、ここに滝が出来た。これまでは年間数メートルほど滝は後退し浸食を続けてきたが、発電所が多量の水を上流で取るために水量が減り、後退は殆どなくなったという。20世紀半ばには運河も完成し、五大湖を結ぶことができるようになったという。話しは変わるが、カナダにも原発があり、電力の三分の一を供給しているという。驚きだ。水力で賄えるのではないかと思っていたが、工業地帯のオンタリオ州やケベック州ではそれでは足りないという。ナイアガラにはカナダ、アメリカ共に巨大は水力発電所があるが、それでも足りないらしい。オンタリオはカナダの自動車産業のメッカであり、日本メーカーもトヨタもホンダも工場を出しているというから、当然鉄鋼や部品メーカーもたくさんあるのだろう。医療費について聞いたら、殆どの人は無料だそうだ。大金持ちが保険料をたくさん払い、国として医療の無料化に取り組んでいるというから素晴らしい福祉大国がカナダだ。あっという間に旅は終わってしまった。これから帰国への長い空の旅が始まる。今回はアメリカに陸路入って、バッファロー経由ニューヨークのニューアーク空港から成田に戻るコースだ。ほぼ一日掛かって帰ります。途中、ワイナリーに行ったので、「アイスワイン」を180ドル分、50ml入り小瓶で18本買った。これで荷物も重くなった。このナイアガラでは冬場の寒さが厳しいのでアイスワインがよく出来るという。確かにドイツよりよほど寒いのだろう。カナダでもこの地方は良いワインの産地だそうだ。最後に寄ったのが、タレントの大橋巨泉が経営するお土産店、ここで「サーモン・ジャーキー」と孫への「白熊の人形」を買った。今回はかなり土産物代を使いました。それとお酒代だなあ。
第七日目(10月24日、木曜日)
朝、2時過ぎに起床して、ナイアガラからアメリカに再入国して、バッファローに行く。朝早いから眠たいよ。UAのラウンジでパンとコーヒーで簡単な朝食を摂る。

第四日目(10月21日、月曜日)

朝食後、スキー場があるのでゲレンデを登って行った。すると鹿が二匹走って山を登っていた。慌てて追いかける。見るとゲレンデで三匹の鹿が草を食んでいた。奈良の鹿位の大きさで親子なのだろうか?邪魔をしても可哀そうだから、10m以上離れて写真を撮った。少し寒い。くしゃみが連続して出る。約1時間その辺をうろうろしてからホテルに戻る。日本からは東北楽天イーグルスの勝利が伝えられた。買い物に出掛けると広場に鹿が迷い込んでいた。人間を恐れないが、犬が吠えたら走って逃げて行った。お土産を少々買い求めた。午前中に湖の遊覧観光にも参加、紅葉は盛りも過ぎ、落葉といった感じだったが、湖の周囲には別荘が立ち並び豊かさの象徴のようだった。聞くところによると、これらの別荘は8億から10億円はするとのこと。さて日本時間だとこちらの午後は22日の午前ということになる。10月22日は亡き母の命日だ。旅行前に墓参りには行ってきていたが、今から8年前のその日の朝、私は北海道の知床半島にいた。移動中のバスの中に掛かってきた甥からの電話で母の死を知り、慌てて東京へ戻った記憶がある。あれからもう8年か、早いものだ。人生は短い。やれることはやれる時にやっておこう。悔いのない人生を送るためにも。午後から首都の「オタワ」へと向かう。着くとオタワ川を挟んで、対岸がケベック州、こちら側がオンタリオ州のオタワとなる。法律も違い、例えば煙草と飲酒は、ケベック州では18歳からだが、オンタリオ州では19歳となるという。一番驚いたのは、ケベック州の信号は、4つ光る部分がある。外側2箇所は赤の信号だ。勿論内側は緑と黄色だ。ところがオタワでは日本と同じ3つ色の信号からなっている。なぜなのか?聞いてみると、ケベックは民族的にフランス系が多く、これが近親交配的になり、色盲が多いために事故防止で4つにしてあるという。だから赤の色がわからなくても、信号が2つ付いていれば赤だと分かるというのだ。なるほど納得だ。色盲は母系で遺伝するというから、ケベックの女性と結婚する時は慎重にね。ケベックの独立運動は未だに盛んだそうだが、血縁関係が濃くなるのはどうも納得できないね?!さて、カナダの政治だが、議会は二つあり、「貴族院」は定員105名、定年75歳で「総督」(英国国王の代理)が任命する、所謂「終身制」だ。一方「下院」は定員308名、もちろん選挙でえらばれる。カナダの人口が3500万人だということから考えるとちょっと多いのかな?ともいえる。カナダは高福祉国家で、所得税が30%?50%と高水準。しかし高福祉だから安心して老後も暮らせるという。

第五日目(10月22日、火曜日)
これまでカナダ国内をまずカナダ東部の「モントリオール」に入り、東北に移動し「ケベック・シティ」、西に戻って「オタワ」、そして更に南西の「トロント」に着く。途中の「アルゴンキン州立公園」では雪に見舞われた。これも何かの啓示か?白くなった大地、肝心の紅葉など真っ白な雪の中では見えるはずもない。この季節の初雪だという。雪の中を歩いて展望台まで進むが、それこそ雪以外に何が観えるというのか?この州立公園にはたくさんの動物がいるというが、この雪では皆さん巣に戻ってお休み中なのだろう。代蕪Iなのが「ムース(へらじか)」「オオカミ」「鹿」「りす」「ねずみ」「熊」「ビーバー」などだそうだ。鳥も勿論いますよ。さてトロントはカナダ最大の都市だそうだ。驚いたのは、片道6車線の道路が車で埋め尽くられている夕方のラッシュアワーの姿だった。移動には車が必需品だというのはアメリカと同様で分かるが、同じ時間帯になぜこれだけの車が帰宅しようとするのか?本当に理解に苦しむ。カナダ人は働かないらしい。楽して暮らすことのほうを好むという。老後が安心だからだろうか?この都市は大リーグの「トロント・ブルージェイズ」の本拠地でもある。川崎選手が人気だとか。話しは変わるが、カナダにもゴルフ場はある。コースの脇の道を行ったら、コースには白杭がない。即ち「OB」がないのだ。これこそ苦難の旅だ。OBは救済措置であり、OBなしは泥沼に足を入れるとの同じ事だ。あのゴルフコースは厳しいね。それと驚いたのは、遠くヨーロッパの戦争に、第一次世界大戦、第二次世界大戦とカナダは参戦している。更に朝鮮戦争にも多分国連軍として戦っているというのだ。知らなかった。カナダ軍ご苦労様でした。英連邦だからなのか?それとも米国に対する擦り寄りなのか?よく分からない。今日は雪が全てだった。

第三日目(10月20日、日曜日)

朝、ホテルの目の前の建設現場にリスがいた。全く物怖じしない様子のリスだった。我々が宿泊したホテルはケベックで一番古いホテルだとか。市庁舎の前にある。ケベックは城壁のある街で世界遺産にもなっている。確かにフランス風の街並みが美しい。大聖堂のあるカャ潟bク教会を二つ訪れたが、日曜ということでミサをやっていた。「カャ潟bクのミサ」も初めてだったが、美しい歌声にも感動した。英仏が戦ったのが、カナダで捕れるビーバーの毛皮でそれを巡って植民地争奪戦となったとのことだったが、ビーバーは今も生息しているのだろうか?乱獲の犠牲になったということはないのだろうか?ケベックもセントローレンス川の港町だ。長い冬の間は川も氷つくという。それだけ厳しい冬が半年続くという。一時カナダ連邦から独立する動きもあったという。ケベック州の車のナンバープレートは後ろのみに付いていて、そこには小さな字で「私は忘れない」とフランス語で書かれている。意味は「私はフランスを忘れない」ということだという。それほどこの地方の人は、カナダよりケベックを愛しているということらしい。今日は朝から雨、風が時々強くなり、また晴れたり曇ったりとまるで日本海側の気候のように目まぐるしく変化している。紅葉は盛りを過ぎ、冬を迎える直前のケベックだった。旧市街地の中心部に「シャトー・フロンテナック」というホテルがある。丘の上に高くそびえ立つのだが、このホテルはエリザベス女王始めVIPやセレブが泊まるホテルだ。昼食はこのホテルで摂った。午後からは今度は西に方角を変えて夏は避暑地、冬はスキーリゾートとなる「ローンレンシャン・トレンプラン」という標高1000mほどのところへ向かう。

「旅暦46、カナダの紅葉とナイヤガラ」

第一日目(10月18日、金曜日)
成田を出て約10時間半でシカゴに到着した。今回はユナイテッド航空のボーイング777機、「エコノミー・プラス」というエコノミーより少し広い席にした。3,3,3席の並びだ。通常のエコノミーは横に3,4,3席だ。前も少し広いか?今、シカゴのオヘア空港のUAのラウンジで書いている。初めてこの新しいパャRンでのワードの作業だから落ち着かない。使い慣れていないから未体験ゾーンにいるみたいだ。東京から約1万km、時差14時間のシカゴ。これからトランジットでカナダのモントリオールに行く。成田でもここシカゴでも「ユナイテッド」のラウンジに入ったが、やはりANAのラウンジのほうが絶対にいい。食べ物も飲み物も品数、内容、全てでANAラウンジのほうが上回っている。さて、シカゴは気温9度、モントリオールは気温11度だった。やはり日本よりかなり寒そうだ。モントリオールのホテルで愛犬「もも」にそっくりの犬に出会った。「ジョン」と呼ばれていた「シーズー犬」だった。思わず可愛くて写真を撮りました。今回は26名の旅、どうも一人旅が男性3人、女性1人いるみたいだ。シカゴでもどこかへ行ってしまう人たち、自分勝手に行動する人たちと困ってしまう人たちがグループの中にいる。お年寄りが思い込みで人の話しを聞かないで行動しているみたいだ。ホテル到着は現地時間午後11時過ぎ、日本との時差は13時間。カナダは三回目の訪問だ。最初は2008年のカナディアン・ロッキー、そして次はイエローナイフでのオーロラ見物に続いてだった。

第二日目(10月19日、土曜日)
朝、起きてホテル周辺を散歩したが、郊外なので自動車販売店が並んでいた。ホンダ、スバル、BMWがあり、広い道路を車が猛スピードで走っていた。カナダでは車は日中でもライトをつける必要がある。まあ車がないとどうにもならない広大なカナダだから仕方がない。ここモントリオールは、五大湖の一つオンタリオ湖から流れ出たセントローレンス川の中州にある島で日本の淡路島ほどの大きさだという。16世紀にフランス人カャ潟bク教徒が布教のためにやってきて造った街とのこと。その後フランス人入植者が住み着き、動物(ビーバー)の毛皮を得るために、英国との植民地戦争となるが、英国が勝利し、後は英は国領となったが、未だにフランス語を唯一の公用語としているのが、モントリオールのある「ケベック州」だという。レストランのメニューもフランス語で、英語は小さくあとに書かれているという。更にここは1976年のオリンピック開催都市であり、ルーマニアのコマネチが体操で10点満点を挙げた都市でもある。古い話しだ。「モントリオール大聖堂」は流石素晴らしいもので、感心した。ゴシック建築のドーム内、特に正面の祭壇のレリーフには目を見張るものがあった。野球の大リーグのチームも以前は「エキスポズ」があったらしいが、今はないそうだ。やはり国技は「アイスホッケー」だろう。さてモントリオール市内見物後、セントローレンス川沿いに東の「ケベック・シティー」に移動する。ケベック州の州都だ。途中、「黄葉」とでも言おうか、素晴らしい黄色の葉の樹木が立ち並ぶ紅葉風景が点在していた。

「初穂曳き」

翌日は台風26号の影響で雨だった。白装束に身を包み、今日の午前中は「第62回順宮式年遷宮御年」の「大神嘗奉祝祭」(だいかんなめほうししゅくさい)の一環としての「初穂曳き」に参加した。旅立つ前日の夜に旅行会社の添乗員から電話があり、服装は白の上下に白の靴だというではないか。何も事前に案内書を読んでいなかったから、驚き慌てて準備と電話で他の二人に連絡をすることとなった。お米も一合奉納するという。白のTシャツ、白のズボン、白の靴は仕方ないのでゴルフシューズを準備した。当日は雨合羽を被って仕度をした。何百人もの白装束の人たちが「初穂」を乗せた「山車」を曳く。「木遣り」歌の後に我々は「エイヤーッ」「エイヤーッ」「エイヤーッ」「エイヤーッ」「エイヤーッ」「エイヤーッ」と掛け声を上げて直径10cmほどの「綱」を引く。中々豪快なものだ。約1.2kmの道程を1時間強掛けて曳き歩く。これは「奉仕」だから勿論無料の奉仕だ。雨が強くなってきた。だが元気をだして「エイヤーッ」「エイヤーッ」「エイヤーッ」「エイヤーッ」と練り歩く。漸く外宮の前に到着した。「奉納のお米」をまずは納めて一安心。山形から来ていた団体は「本物の稲穂」を持参して奉納していた。

「新しい外宮」

我々「初穂曳きの奉仕団」は外宮の一般参拝客より一つ中に入ることが出来て、そこで参拝となる。だが写真撮影は禁止なので真新しい内宮を観ながら「二拝二拍手一拝」して、足早に外宮を出る。その代わり、帰り道は「古い外宮」の真近を歩くことが出来た。流石20年の風雪に耐えてきたから、その屋根の「茅葺き」は苔むして枯れ果てていたのが印象的だった。建物自体はどっしりとしてまだまだ充分使えそうだったし、組み合わされた木材の空に伸びた部分に使われている「黄金」の輝きは決して衰えていなかった。内宮も外宮も入れる場所が身分によって異なる。例えば一番近くへ行けるのは「天皇陛下」それから皇族、首相等々の順で一般の人は外からしか拝めないのだ。その階級は4段階あるらしい。雨は更に一段と強くなってきた。こうして「伊勢詣り」の二日間は終わった。次回の式年遷宮は20年後ということは、私は85歳だ。果たしてそこまで生きていられるだろうか?生きていたら「御蔭詣り」には必ず行こうと思うのでした。
以上、伊勢から勢古口がお送りしました。18日金曜日からは「カナダ東部」で「紅葉」と「ナイヤガラの滝」を楽しんで来ます。

新しい内宮」

勿論写真撮影は禁止なので、内宮の前の石階段で写真を撮る。すぐ隣りといっても古い内宮と新しい内宮では地面の高さが違うことに初めて気がついた。古いほうが少し高い場所にあり、新しい内宮はちょっと低いところにあるのだ。私は両方とも同じ高さの地面にあるのだと思っていたが、多いに間違っていた。

2013年の映画のお話し
映画「おしん」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年177作目)
昔のTVドラマの映画化だろうが、私は元のTVドラマを観ていない。今回のは?、も?と言うべきか涙を誘う。健気な少女が凄い生命力生活力を見せるのだが、ピン子がよいばあさん役だったのが、気に食わなかったし、父親役の縁起が下手だった。

観劇「婦系図」(三越劇場にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年4度目)
お蔦、主税の悲恋物語。「月は晴れても心は闇だ」と「分かれろ切れろは芸者の時に言う言葉」等々が有名な芝居だ。

日経新聞10月11日付け夕刊「シネマ万華鏡」の評価によれば、「おしん」が4つ星、「トランス」が4つ星、「天使の処刑人、バイオレット&デイジー」が3つ星、「ムード・インディゴ・うたかたの日々」が3つ星、「陽だまりの彼女」が3つ星、「飛べ!ダコタ」が3つ星、「キッズ・リターン 再会の時」が3つ星でした。

「私の去年2013年の映画の評価は?」
今年の★★★★★は、「舟を編む」「少年H」「タイピスト」「そして父になる」
今年の★★★★は、「シェフ」「アルバート氏の人生」「ライフ オブ パイ」「東京家族」「ムーンライズ・キングダム」「ジャンゴ」「愛、アムール」「ヒチコック」「天使の分け前」「藁の盾」「アイアンマン3」「ラストスタンド」「カルテット」「旅立ちの島唄」「奇跡のリンゴ」「アンコール」「真夏の方程式」「ワイルド・スピード ユーロミッション」「風立ちぬ」「クロワッサンで朝食を」「最愛の大地」「スマイル・アゲイン」「サイド・エフェクト」「凶悪」

「シノプスシ239」
「晩秋の別れ」(稲葉 稔 著)幻冬舎文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年285冊目)「よろず屋稼業早乙女じゅう内」シリーズ第5弾

「かっぱ夫婦」(井川 香四郎 著)文春文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年286冊目)「樽屋三四郎言上帳」シリーズ第11弾

「極楽横丁の鬼」(鳥羽 亮 著)幻冬舎文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年287冊目)「半次とじゅう兵衛捕物帳」シリーズ第2弾

「おかげ横丁」

内宮を参拝した後、五女髏・?・るとそこにはあの有名な「おかげ横丁」がある。どうも地元の「赤福」がお金を出して、昔風の横丁を造ったようだ。「赤福本店」を中心にして沢山の食べ物屋や土産屋さんがある。非常に沢山のお客で賑わっていた。伊勢での有名なのは「赤福」、「伊勢うどん」、「てこね寿司」等々あるが、勿論「桑名の焼きハマグリ」「伊勢海老」「アサリ」等もあり、皆観光客は食べながら歩いていた。我々3人組は清酒メーカー「白鷹」でお酒を頂き、ちょっとほろ酔いかげんで横丁を歩いた。さて、内宮外宮共に古い建物の木材はどうなるのか?聞いてみると、全てリサイクルされ、違う神社内の建物に使われたり、或いは町に払い下げられたりして、使い尽くされるという。最近では東日本大震災で壊れた「東北の神社再建」のためにも送られたという。

伊勢詣り

「J  REPORT 2013 10月第4週号」
「リタイアメント・ノート 5年4ヶ月目」、
「VOL。817 SINCE AUG.12th、1983」
「伊勢詣り」
20年に一度の「式年遷宮」で大賑わいの「伊勢神宮」に行ってきた。もともと我が家は「伊勢」の出身だから、苗字にも伊勢の「勢」の字が入っている。伊勢詣りには江戸時代も盛んで「お蔭詣り」という年には何と500万人が一年間に訪れたとの記録もあるという。当時の人口は日本全体でも2000万人位だから、その人気度が分かろうというもの。「御師」という所謂ツアーコンダクターもいて、伊勢までの旅行の手配もしていたという。さて、今回も例の3人組での旅だ。まずは新幹線のこだま号で豊橋で下車し岡崎の「味噌屋」に行く。ここは「岡崎味噌、赤味噌の製造元」だ。その後、伊勢湾岸道路、東名阪国道、伊勢自動車道で津市に行く。今日は「内宮」への参拝だ。「五女髏・vを超えると神域に入り、身も心も一新されたような気がする。大きな樹木が立ち並ぶ中を新しく出来た内宮へ来た。踏み締める「玉砂利」が靴底を下から突き上げる。確かに歩きにくいが、神々の前へ進むと思えば致し方ない。五女髏・ナは建築用の「ひのき」の木材が木曽から切り出されてきて古式に則り、川の中を浮かべながら現場へと運ばれるという。川の深さは浅いが千数百年の昔から、ここで綿綿と行事が行われてきたことを感じると印象深い。