「退院しました」

「J  REPORT 2024 7月第3週号」
「リタイアメント・ノート 15年1ヶ月目」
「VOL.1375 SINCE  AUG.12th、1983」

「走るな! 転ぶな! 風邪引くな!」が老人には大切らしいです。㔟古口
追加して「癌になるな」もね。

「人生は旅の如くNO.15-2010年編・第2話、2月のカナダ・イエローナイフにて」
成田からのJALバンクーバー行きが約2時間遅れで到着したが、既に予約便は出発していた。仕方なく現地旅行会社に電話して相談したところ、パスポートとエアチケットを持参してカウンターで手続きをと言われ、ついでに他のツアー客10数名の分も振り替えてくれるよう頼まれてしまった。まあ仕方ないと思い日本人らしき人に話しをしたらツアー客だったのでパスポートとチケットを集めてカウンターへ。1時間後の便を手配出来た。
遅れに遅れたが着いたのは既に北極圏にあるイエローナイフだった。白クマの大きな剥製に迎えられ極寒の地に立った。その日早速街から1時間バスに揺られてオーロラを観る場所に行く。もう真夜中だ。支給された防寒具を身に付け着いたキャンプは原住民が運営する施設で日本人女性のガイドもいた。とんがり帽子のようなテントの中はストーブががんがん焚かれ暑い位だ。やがて外で声がして出ると空一面にオーロラが輝いていた。初めて見るオーロラ。外気温はマイナス20度。空は晴れ渡り、黄色、緑、青、赤など素晴らしい色彩のオーロラが乱舞していた。私の持参したデジカメではオーロラは全く映らず、プロのカメラマンの写真を後日入手した。
約1時間見物して町へ戻る。
翌朝はこれまた晴れ渡っていた。気温マイナス12度に驚く。午後から近くの公共施設を見学。兎に角原住民のイヌイットを優先した政策が取られていた。準州と言うことで議会も見学した。
昼間はプロフットボールのスーパーボウルが開催されていたのでテレビで観戦した。
夜早速オーロラ見物に出掛けたが、町を出る前から既に空にはオーロラが出ていた。非常に珍しいという。オーロラの下、1時間移動してキャンプへ。もう空一杯のオーロラだった。これで二日連続でのオーロラだ。こればかりは天候に左右されるから必ず見られるというものではない。運と言えよう。実はその後翌日もその翌日もオーロラは観ることが出来なかった。4戦2勝と勝率5割は大成功と言えよう。全く観られない人も多くいるのだから。
当時の私はお酒は浴びるほど飲んでいたし、カナダのステーキもキングサーモンも実に美味かった。充実したオーロラ見物の旅でした。出来ればもう一度行きたいなあと思っている。しかしオーロラは天候次第、運次第だ。