「木彫り像を造る青年」

4月23日(木)
カリブ海のリゾート地「カンクン」への移動だ。途中、メキシコで二番目に有名なマヤの遺跡「チチェン・イツァ」に行く。入り口を入ると道路の両側に沢山の店が出ている。世界遺産の敷地内では本来禁止されている物売りだが、彼らマヤ人の子孫たちは黙認されているという。元々が彼らの土地であり、一応テンポラリーな店なので許されているらしい。そこで驚いたことはメキシコの最低賃金だ。法律によって許されている最低賃金は、一日8時間労働で5USDだという。これでは生活出来ない。遺跡内の店も小さなものは1ドル、中型のお面などは25ドルで売られていた。また不思議なことに彼らは客引きをしない。我々が通ると「こにちわ」、「貧乏プライス」と声を掛けるものの、積極的な売り込みはしない。それこそどこの観光地に行っても皆さん物売りのしつ濃さには閉口していただろうが、マヤではそういうことはなかった。写真は自分の店で売る木彫りの品物を作っている男性だ。何か侘びしかった。話しは変わるが、メキシコ人たちは楽観主義者らしく、自殺者の最大の原因は失恋だというから驚きだ。またアメリカへの渡航は非常に厳しく、お金持ちでないとVISAが発行されないという。持家や車所有の有無、預金残高等が必要で要は不法滞在させないということだろう。だから不法入国を企てる貧しい人たちがあとを絶たない。また賄賂が当たり前の世界で、警察官の8割は賄賂を受け取っているという。所々で交通違反の摘発を行っているらしいが、これは警官の小遣い稼ぎで違反切符を切る振りして賄賂を取るという。こちらでは運転免許証は最初に発行されてそれから運転の練習を知人に助手席に乗ってもらって習うらしい。免許試験も賄賂で簡単に通過出来るらしい。運転は乱暴だし、ウインカーを出さない人が沢山いるというから怖い。夏の高速道路では路面は加熱され、そこを猛スピードで走るからタイヤが焼けてバーストする。だから事故も多いらしい。遺跡の近くに地下水脈が姿を現している天然のプールがあった。神秘の泉「セノート」というもので、水深50m、澄み切った水で皆泳いでいた。地上から数十メーター下の水面へダイブする人もいるらしいが、死者も多いという。ユカタン半島には恐竜時代に巨大な隕石が落ちて、それが原因で恐竜が絶滅したという話しがあるが、直径180kmもの穴が開き、それがユカタン半島だったという。この半島、地表の土は60cmほどしかなく、従って樹木は低くしか伸びない。疲れて寝ているうちにカンクンに到着、ここは正にアメリカのリゾート地だ。マイアミを真似て作ったという街で、45年経つという。今ではアカプリコを抜いてしまったというほどの人気リゾート地だそうだ。ホテルはオールインクルーズドというシステムで飲むのも食べるのも好き勝手というものだそうだ。
4月24日(金)
ユカタン半島を南下してマヤ文明最後の遺跡「トゥルク遺跡」に向かう。カリブ海に面した遺跡でここは混み合っていた。旅の報告は取り敢えずここまでとしよう。本当に暑いので疲れ果てたと言っておく。

「トゥクトゥク」

4月22日(水)
前日の深夜、メキシコ・シティから空路ユカタン半島の北西部のメリダに着く。地図を見るとメキシコ湾近くにあった。だから湿度が高く蒸し暑い。ホテルチェックインは午前0時半、なんだかんだしていたら眠気が覚めてしまい、朝方まで起きてしまった。ほぼ徹夜状態だ。日中は気温41度にもなるという。さて昨日訪れた国立人類学博物館のアステカの展示物の中で最も有名なのが「太陽の石」と呼ばれる直径3.6m、重さ24トンの石版だろう。アステカの宇宙観が表されているというが、一種のカレンダーのようなものなのか?いずれにしても貴重なものなのだろう。朝の最初の観光は近くの村の朝市というかマーケットに行った。正に産地直送のもので、野菜、果物、トルティーヤの粉、肉類、衣類等々何でもござれの市場だった。肉はその日に絞めたもので勿論冷蔵庫などないから即完売しかありえない。市場周辺には「トゥクトゥク」という三輪自転車、三輪バイクが客を乗せて走っていた。タイムスリップしたみたいな気分だ。マヤ人たちの農耕は焼き畑農業だったようで、主食のトウモロコシは7年に一度作るだけで、焼き畑して後は放置して土地を休めたという。収穫も少なかったのだろう。このユカタン半島には川がなく、水は地下水脈から取るしか方法がなかったらしい。だから、雨水を逃さないように地下タンクを造り雨水を貯めていたという。そんな遺跡の一つが「ウシュマル遺跡」でマヤ文明の象徴的は遺跡だった。だが、快晴、かんかん照りで気温41度だというから参りました。遺跡は階段状になっていてこれを登り下りしなければならないから本当に疲れました。水ばかり飲んでいた。でも流石世界遺産の素晴らしいピラミッド群でした。メリダの街に野口英世の銅像があるという。一時アメリカから訪れた野口博士が、ここで黄熱病のワクチンを開発したところ、非常に効果があり、そのために銅像もあるという。ご承知の通り、嘗ては英雄しされていた博士だが、実は近年になり病原体の発見は間違いだったということが分かり、日本でも偶像視されなくなっていて、評価が落ちたと言われている。勿論今メキシコで野口博士のことを知っている人は一部の医療関係者以外は皆無だろう。ホテルに戻り、シャワーを浴びた後、近くのスーパーマーケットに買出しに出掛けた。辛い「タバネロ」を数本買い込んだ。唐辛子でも青唐辛子で最高に辛いものだそうだ。でも地元民には人気のものを買った。

「踊るインディオ役」

4月21日(火) 
アメリカとメキシコの関係はその昔は戦争にまで発展したということは日本では余り知られていない。昔「アラモ砦」という映画があり、メキシコ領だったテキサスで、勝手に入植者たちが独立を宣言したが、アラモ砦のアメリカ人たちがメキシコ軍により全滅させられるというのがあったが、あれもアメリカによる対メキシコ戦の謀略の一つだというのだ。全滅させられてアメリカの国論が対メキシコ戦開戦へと向かうような動きになり、最終的にはアメリカは勝利する。これと同じことが太平洋戦争の真珠湾奇襲だ。事前に分かっていたから主力の空母は避難させていて、「リメンバー・パールハーバー」で世論を纏めて戦争へと向かわせたという。メキシコに勝ったアメリカは独立していたテキサスをやがて併合する。まるでロシアのクリミア併合のようだ。更にアメリカはカリフォルニア他南部地区をメキシコから買収するという手まで打つ。カリフォルニア進出はアメリカが太平洋に進出し日本へ向かうための極東戦略上の必要条件だったらしい。これによりペリー提督が太平洋を横断して日本にやって来る所謂「黒船来航」となるのだ。朝の街はすがすがしい。ジャカランダという紫色をした花を咲かせた木が沢山ある。現在メキシコ在住日本人は約8000人というが、大半がメキシコ・シティ周辺に住んでいるという。話しは変わるが、メキシコは徴兵制度が一応あるようだ。18歳になるとくじ引きをさせられ当たると1年間の軍役に付かされるという。陸軍中心で13万人、他に若干の空軍と海軍があるが、基本は国内治安対策向けだという。確かに北のアメリカは強すぎて勝てる訳ないし、中米の国は弱すぎるので戦争にならないというのだ。また大卒でまともに就職出来て初任給が6万円から高くて7万円で、非常に厳しい就職難だという。勿論私立大学出身者はコネで良い会社に就職出来るという。お金持ちネットワークらしい。国立大学卒の人たちは文系では殆ど就職先がないという。理科系、法律系は別だが。「国立人類学博物館」は凄い。メキシコの有史前から現代までの歴史を観ることが出来る。余りにも広いので一部しか観ることが出来なかったが、素晴らしかった。1510年のスペイン侵略は、約500名の騎乗の兵士と約100名の船乗りによって成し遂げられたと言われているが、果たして本当にそうだったのだろうか?実はアステカ王国の内部に反アステカの部族がいて、これがスペインに協力して5万人から8万人もの兵力を動員したのでアステカは倒れたという説があるそうだ。これのほうが、真実味がありそうだ。だからアステカはある意味内部崩壊したというのだ。アステカの王族たちは「ジャガー」と「翼のある蛇=所謂、龍」を信仰していたが、それ以前のマヤ文明(BC1200?AD1400)も同じ考え方の信仰があり、ジャガーの形に頭がなるように頭蓋骨を変形させたというのだ。ジャガーを横から観ると、鼻先が尖っていて、そのまま鼻筋が頭部迄続いている。王族も鼻からそのままオデコが出っ張っておらず、真っ直ぐに頭の頂点まで続いていた。正に人間がジャガーになったような頭蓋骨なのだ。これは幼児期に板のようなもので頭蓋骨を強制的に変形させたことによるらしい。王族の墓から出た人骨は正にそのようになっていた。当時のマヤ人の平均寿命は22歳なのに王族の中には60歳、70歳、果ては80歳にもなる長寿の人たちがいたという。その飲み物が「カカオ」即ちチョコレートだったというのだ。さてマヤには文字があり、石に刻まれたマヤ文字などはその典型例だ。マヤは翡翠を非常に重要視していて、翡翠の品々が王の墓から出土されていた。午前中に「世界三大聖地」の一つである市内中心部の修道院に行った。1531年に丘の上にマリア様が現れ、その姿が大きな風呂敷上のマントに写し描かれたという奇跡が起こったカソリックの聖地なのだという。その聖布を観ることが出来、写真も撮れた。この絵の前で度々奇跡が起こったという。マリア様が現れたのは、他にフランスの泉とポルトガルの丘があり、メキシコの丘で3つの聖地となるらしい。午後からはマヤ文明の中心都市「テオティワカン」の月のピラミッドと太陽のピラミッドへ行った。ここも凄い建造物だが、中南米全体では100以上の巨大なピラミッドがあるというから驚きだ。この遺跡はメキシコ最大のものだという。私は膝のこともあり、月のピラミッドの中腹まで登ったが、大きいほうの太陽のピラミッドには登らなかった。写真は昼食のレストランで働いていた人でインディオ風の踊りを踊って歓迎してくれた。

「走る自転車」

4月20日(月)
メキシコ・シティの自動車の氾濫は物凄いものがある。ラッシュアワーは本当に大変なようだ。これに対して市は自転車の使用を勧めているようだから、市内の主な道路には自転車専用車線やバスと自転車専用路線が右端にあるようだ。だが、余り走っているのは見掛けなかった。勿論地下鉄もバスも走っているが、ステイタスか皆自動車に乗るようだ。地下鉄には下層の貧乏人しか乗ってないと地元ガイドが言っていた。人口1億2千万人弱、日本に次いでの人口を抱えるメキシコは、混血が70%、20%がヨーロッパ系、残り10%が61の少数民族のネイティヴだという。恐らくメキシコの産業というか商業というか、資本の大半は白人が握っているようで、私立学校へ通うとなると高額な授業料を払わなくてはならないから、極々一部のエリート層しか行けないという。何と月額30万円だというから驚きだ。彼らは車での送り迎えか、自分で運転して通学するという。更に驚きは国土の広さが日本の5倍なのに、そのうちの3分の1が嘗ては外国人の所有だったというからまた驚きだ。識字率が低かった文盲の農民が農地を騙され奪われたという。それを農民と共産主義者が立ち上がって革命が起き、今のメキシコ合衆国になったという。さてメキシコ・シティ自体は広大な湖の中にあった島にアステカの首都があり、島に多くの道が陸地から繋げられていたという。それで湖を干拓して出来たメキシコ・シティを中心として、車で5時間以内の場所に今や日本の自動車メーカーが本格的に進出している。確かに街を走る車の大半は間違いなく日本車だろう。日産、マツダ、ホンダ、トヨタ、スズキ、三菱、スバルと色々な車に出会う。勿論アメリカ車も欧州車も韓国車走っているが、日本車がずば抜けていると言えよう。日産は1960年代に進出したというから愛好者も多いようだ。話しはスペインが攻め来た時代に戻るが、1510年にスペイン人がアステカ王国に来た時には祭壇で多数の「生贄」が捧げられていたという。3年後、そこにフランシスコ会の修道士たちがやってきて生贄という残酷なことを止めさせるために、アステカの宗教家を集めて全員焼き殺したと言う。約1000人だったというのだ。当時から農耕民族のアステカの人たちは雨乞いには頭のつむじが二つありよく泣く子供を生贄にしたという。つむじは蛇の目、涙は雨を表していたという。アステカの象徴は「翼のある蛇」即ち龍である。この蛇が雨を呼ぶと信じられていたらしい。また太陽は東より元気よく登るが、西に力なく沈んで行くので、太陽の力を増すように、生贄の心臓を捧げたという。これには戦争で捕虜にした人たちを使ったようだ。残酷だが宗教的な儀式として度々行われていたらしい。邪教をなくすというのが宣教師たちの信念だった。少数のスペイン人たちが勝利したのは「鉄、銃、疫病」によるもので、免疫のない原住民は大半がこれで死んだと言われている。今日は午前中「オリンピック・スタジアム」と「国立大学」の壁画を見てから、午後メキシコ・シティの南南西にある「ソチカルコ遺跡」に行ったが、途中3000mを超す峠を越えた。ここに日産自動車の工場があるという。まあ、それでも田舎だ。遺跡はピラミッド構造をしていたが、観光客は全くいなかった。この遺跡はアステカ王国の前の「トルテカ文明」(AD650?900)の時代のもので天文学が進んでいたことを示す天文台が印象的だった。洞穴の天井に穴を通し、その上を通る太陽の動きから一年を計ったという。春分と秋分の間の年2回だけ、この穴の真上に太陽が来るというのだ。マヤ文明を引き継いだトルテカの暦には2つの暦があり、365日(農業のための暦)と260日(宗教的儀式のための暦=20進法x13の神々)の二つの異なる歯車が同じ歯車通し重なるのが52年後いうと何だか不思議な数字になるという。この52は天文台の穴から出る太陽の行き来と同じだという。これは次のアステカ時代になり更に発展されたという。
さて、食事だが、メキシコ人の主食は「トルティーヤ」というトウモロコシの粉を練って焼いたものだ。北京ダックの皮のように焼き立てだから熱くて美味しい。これに色々な具材を挟んで食べるのが「タコス」だが、青唐辛子と青唐辛子のミックスした辛いものや、果物のアボカドを潰してペースト状にしたものなどの調味料市場が出て来て、色々と合わせて食べるというシンプルなものだ。このトルティーヤは冷たくなると固くなって不味いという。「マス」というと追加してくれた。夜は「マリアッチ」の演奏付の夕食だ。中々切れの良い歌と音楽で観客も舞台に上がって踊り、最高に楽しい夜だった。我がグループの女性陣も積極的に踊りの輪に参加して楽しんでいた。プロの歌と音楽はやはり素晴らしい。十分に楽しめ夜だった。最後は我々のために美空ひばりの「川の流れのように」をスペイン語と日本語で歌ってくれた。

「2015年の映画のお話し」
映画「名探偵コナン」(TC日本橋にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年64作目)
今回は「ゴッホの向日葵」の絵を巡る事件。いつもながら大人も楽しめる。

映画「グッド・ライ」(TCシャンテにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年65作目)
アフリカの紛争地帯から難民としてアメリカに渡った4人の兄弟と妹の物語。アフリカと現代アメリカの風土の違いが良く描かれている。

日経新聞4月24日夕刊の「シネマ万華鏡」の評価によれば、「マミー」が4つ星、「龍三と七人の子分たち」が4つ星、「イマジン」が4つ星、「あの日の声を探して」が3つ星、「シンデレラ」が3つ星、「ラスト5イヤーズ」が2つ星、「群盗」が3つ星でした。

「私の去年2015年の映画の評価は?」あくまで私の私感ですからね!!
今年の★★★★★は、「ドラフト・デイ」「アメリカン・スナイパー」「博士と彼女のセオリー」「中島みゆき」
今年の★★★★は、「ゴーン・ガール」「トラッシュ」「スパイ・レジェンド」「アゲイン、28年目の甲子園」「おみおくりの作法」「ビッグ・アイズ」「KANO」「深夜食堂」「シェフ」「パリよ、永遠に」「ソロモンの偽証」「くちびるに歌を」「イミテーション・ゲーム」「バードマン」「ギリシャに消えた嘘」

「2015 旅の記憶シリーズ」
2015年の国内旅行は、1月に福岡(博多)、大分(中津)、佐賀(武雄温泉)、岐阜(白川郷、)、富山(五箇山、氷見、高岡)、新潟(越後湯沢)、3月は長野(長野)、千葉(銚子)を訪れました。

2015年の海外旅行は、2月のアメリカ(ハワイ)、3月のウズベキスタン(61カ国目)、4月のメキシコ(62カ国目)でした。

「2015年 歌舞伎観劇シリーズ」第1回目=2月大歌舞伎(歌舞伎座)、第2回目=4月大歌舞伎(歌舞伎座)

「2015 本の記憶シリーズ」
「光圀」(佐伯 泰英 著)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年98冊目)
「古着屋総兵衛初傳」

「奇策屋見届け人 仕掛の章」(関根 聖 著)角川文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年99冊目)

「掟破り」(小杉 健治 著)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年100冊目)
「般若同心と変化小僧」シリーズ第7弾

「幸せの小福餅」(風野 真知雄 著)講談社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年101冊目)「隠密味見方同心」シリーズ第3弾

「闇同心そぼろ」(坂岡 真 著)幻冬舎文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年102冊目)

「さくら 」(佐々木 裕一 著)双葉文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年103冊目)

「メキシコの旅」

「J  REPORT 2015 5月第1週」
「リタイアメント・ノート 6年11ヶ月目」、
「VOL。896 SINCE AUG.12th、1983」
「旅暦59 メキシコの旅(62カ国目)」
4月19日(日)
アエロメキシコの便で成田からメキシコ・シティに向かう。まず成田ではデルタ航空のラウンジで白ワインを飲む。デルタのラウンジは広いが人も少なく、また食べ物も余りない。ミニ野菜サラダ、ミニカレーライス、焼き鳥を食べたが、美味くなかった。ビジネスクラスは満席だった。ワインを飲んで眠ることにした。約6時間は寝たかな。11時間30分のフライトでメキシコ到着。入国は比較的すぐ出来たが、荷物がなかなか出ず、1時間近く待たされた。メキシコ時間なのだろうか?スペイン系の国はこういうのが困る。しっかり働けよ。飛行場を出たのは、出発した日と同じ19日日曜日の現地時間午後1時過ぎ。気温21度だというが、もっと暑いように感じる。兎に角日曜なのであちらこちらに人が一杯だ。まず一番驚いたのは、メタボの人が多いこと。アメリカを抜いて世界一のメタボ王国になったと言うが、本当に腹の出た人が多い。男女共だ。また貧富の差も激しいらしい。昔香港で見たような露店で風呂敷を広げて販売していた人たちは警察官が来ると、風呂敷を慌てて畳んで持って逃げて行った。正にどこかで見た光景だった。スペインの植民地時代が300年も続き、現地のインディオと白人の混血が進み、独特のメキシコ人が出来上がったようだ。スペイン人が破壊したアステカ文明、そこから彼らは大量の金をヨーロッパに持ち帰り、これが原資となって欧州で「産業革命」を起こすことが出来たという。市内中心部には掘り出された遺跡があったが、不思議なことにアステカ人たちは古い建物の上に新しい建物を建てていくので、階層になって時代が分かるようだ。また驚いたことに市内の建物がかなり傾いている。理由は、メキシコ・シティは元々琵琶湖の数倍もある湖だったそうで、そこの水を抜いて造った街だという。だから地盤が軟らかく、石造りの建物はやがて傾いていくというのだ。傾いていても生活出来るのだろうか?面白い話しを聞いた。「コロンブス」はアメリカ大陸発見者として知られているが、メキシコでは悪人として名が通っているらしい。彼がアメリカを発見せずにいれば、原住民たちは今も生き残っていられたのに、彼がヨーロッパにアメリカのことを教えたために、征服され植民地化され、今ではカリブ海の島々の原住民は絶滅したし、アステカ文明を含む中南米の古代国家も消滅させられたという考え方だという。成る程、そういう見方もある訳だ。

「失敗談」

「手前勝手世界食物語、第368号」
「失敗談」
新しい店を開拓するのは難しい。その一つが今の従業員不足にある。兎に角店のサービスが悪化している。アルバイトの店員を確保するのが大変なのだろうが、教育不足の上、おもてなし精神の欠如とまあ散々な目に合う事も希ではない。先日訪れたイタリアンレストランでは不思議なことに外国人が3組、日本人が2組入っていた。ところがここの女店員が酷い。サービスは悪いし直ぐに皿は下げるし気分悪く出てきた。彼女、挙句調理場で皿を割っていた。翌翌日、例のさいたまの3S会で訪れた居酒屋ではアルバイトの男の子がメニューの受け方も慣れずにおろおろしていて、結局一品注文が漏れていた。まあ良かったと言えば日本酒の冷酒の注ぎ方を先輩から指導されて、たっぷり注いでくれたこと位か。中皿の上に一合桝、その中にグラスを入れて、酒を瓶からどくどくと注ぐ。グラスが満たされると下の桝に移り、更に皿にまで満タンとなる。まあこれは満足でした。
「俺のそばがだしに?」
西銀座の地下街にある「俺のそば」の暖簾が変わっていた。最近気付いたのでいつからなのか分からないが、元々は「俺のそば」だったのが「そば、俺のだし」に変わっていたのだ。出汁をメインにしたのか、よく分からないが、何で変える必要があったのか、知りたいが、まあどうでもいいか。因みに一度もこの店で食べたことはない。
以上、東京から勢古口がお送りしました。

「大関ヶ原展」

「江戸東京博物館・大関ヶ原展」
5月までやっているが、今江戸東京博物館では「大関ヶ原展」をやっている。中々観ることの出来ない武将たちの甲冑や自筆の手紙などがあり、見応えがある。途中で内容も変わるので前後半と2度見る必要がある。豊臣秀頼の5歳の時の書などは本当に幼さが滲み出ていたが、5歳というのは数え年だから3?4歳の頃の書だろう。それにしても実に立派な書には驚かされた。国宝級のものだった。

「相次ぐ先輩の訃報」
商社時代の上司がお亡くなりになった。享年80歳。午後2時に自転車で帰宅途中、転倒したようで、病院に担ぎ込まれた時には心停止状態だったという。左の肋骨が数本折れ、首の頚骨も折れていたという。病院側は不審死だとして警察に通報、警察が付近の聞き込みを行ったが、最終的には自転車は無傷であり、事件性はないとしたようだが、果たしてどうだったのか?車に撥ねられたのか?誰かに暴力を振るわれたか?分からないことだらけだ。さて数日前、商社時代に関係会社から逆出向してきて頂き、下請け仕事をして頂いた方の親族の方から訃報を知らされた。享年81歳、3月中旬から体調を崩していて、家族に看取られて静かにお亡くなりになったという。私は66歳だが、残された人生は果たして何年あるのだろうか?益々有意義に生きなければならないと痛感した。平均寿命でいけば、あと15年位しかないのだろうから、やれることをやる。悔いのない人生を送る。本当は孫娘の成人式までは行きたい。2032年まで生きなければならないとすると、83歳までは生きる必要がありそうだ。頑張らなくてはならない。

「上野東照宮」

「上野東照宮」
桜を観に上野に行ったついでに「上野東照宮」を訪れた。東照宮は勿論「徳川家康」が神として祭られているのだが、ここには八代将軍「吉宗」と十五代将軍「慶喜」らも祭られているという。そして門の両側には龍の彫り物があったが、「左甚五郎」作だという。素晴らしいものだった。

「旧暦」別名「太陰暦」
今年の旧暦の暦を調べてみた。旧暦11月11日(新暦1月1日元旦)の順に最初が旧暦、カッコ内が新暦で示してみよう。11月29日月末(1月19日)、12月30日年末(2月18日)、1月1日旧暦の元旦(2月19日)、1月29日月末(3月19日)、2月2日(3月21日春分)、2月30日月末(4月18日)、3月29日月末(5月17日)、4月29日月末(6月15日)、5月7日(6月22日夏至)、5月30日月末(7月15日)、6月29日月末(8月13日)、7月30日月末(9月12日)、8月11日(9月23日秋分)、8月30日月末(10月12日)、9月30日月末(11月11日)、10月29日月末(12月10日)、11月12日(12月22日冬至)、11月21日(12月31日大晦日)だった。従って今年は新暦では365日あるが、旧暦では354日が一年となっていた。旧暦は月の満ち欠けで月日を決めているのだが、こうしてみると1月の日数が、29日の月が11月、1月、3月、4月、6月、8月、10月の7ヶ月で、30日の月が12月、2月、5月、7月、9月の5ヶ月だ。新暦と旧暦の日数の差が、365日マイナス354日で11日旧暦が少ないという結果になった。3年経てば一月分違ってしまう。そこで閏月が入り、384日となり、旧暦4年間で354日x3年+384日=1446日、平均で一年間は3612.5日、通常の考え方は旧暦は1年を360日で考えていたらしい。これでも新暦とはかなり狂うことが分かろう。新暦では4年で1461日になる訳だから。

「四代目中村雁次郎襲名披露」

「四代目中村雁次郎襲名披露」
四月大歌舞伎は中村雁次郎襲名披露だった。上方歌舞伎と江戸歌舞伎の違いは、上方は実力主義で名跡を血筋に関わらず実力のある者に継がせるが、江戸では基本的に血筋を大切にしているという。四代目雁次郎は坂田藤十郎と扇千景の息子だというからこれは血筋通りの襲名だ。上方歌舞伎の面々が大勢現われ中々の襲名披露だった。まあ東西の違いの一つだが、江戸歌舞伎は伝統を守り、所作も代々続けて行くが、上方歌舞伎は独創性を尊重し、代が変われば継承するものと新しくしていくものを両方並行して新しい歌舞伎にしていくということらしい。伝統を頑なに守るのも正しいし、新しい息吹を入れるのもこれまた正しいと思う。

「2015年の映画のお話し」
映画「カイト」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年58作目)
近未来の無法地帯で両親の復讐を行い少女が戦う。残酷過ぎます。

映画「ソロモンの偽証 後半 裁判」(丸の内ピカデリーにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年59作目)
結果からすると何だ、こんなものかという話しになるが、それでも2時間以上の長い映画をよく持たせたものだとへんな感心をした。まあ楽しめた。

映画「JIMI」(有楽町スバル座にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年60作目)
伝説のロック・ギタリストの素顔を描く。1960年代後半の音楽界を映し出していたが、薬中毒、誰とでも寝る男、天才ギタリストの黒人、天才とはこんなものなのだろう。私には理解出来ない人物だった。

映画「マジック・イン・ムーンライト」(丸の内ピカデリーにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年61作目)
南仏の避暑地に霊能者の女性が現われたという。友人からの誘いでマジシャンの男が霊能者の嘘を暴くということで訪れた。しかしその霊能者の美人女性は次々とマジシャンの過去を言い当てる。マジシャンは恋の落ちるのだが、実は?面白かった。

映画「ギリシャに消えた嘘」(ヒューマントラストシネマ有楽町にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年62作目)
1962年のアテネを舞台にして、アメリカから逃れてきた金融詐欺犯夫婦を現地でガイドするアメリカ人青年。だが思わぬことで殺人事件に巻き込まれてしまう。サスペンス調の展開が面白いし、結末も非常に面白い。ぜひご覧あれ。

映画「ワイルドスピード スカイミッション」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年63作目)
4DXを初めて体感した。座席が動いたり風が吹いたりと激し過ぎて疲れた。お話しはカーアクションと銃撃戦でした。

日経新聞4月17日夕刊の「シネマ万華鏡」の評価によれば、「セッション」が4つ星、「ザ・トライブ」が4つ星、「ワイルド・スピード スカイミッション」が3つ星、「ゴッド。ライ」が3つ星、「アルプス 天空の交響曲」が3つ星、「あっちゃん」が4つ星、「ナオトひとりっきり」が3つ星でした。

「私の去年2015年の映画の評価は?」あくまで私の私感ですからね!!
今年の★★★★★は、「ドラフト・デイ」「アメリカン・スナイパー」「博士と彼女のセオリー」「中島みゆき」
今年の★★★★は、「ゴーン・ガール」「トラッシュ」「スパイ・レジェンド」「アゲイン、28年目の甲子園」「おみおくりの作法」「ビッグ・アイズ」「KANO」「深夜食堂」「シェフ」「パリよ、永遠に」「ソロモンの偽証」「くちびるに歌を」「イミテーション・ゲーム」「バードマン」「ギリシャに消えた嘘」

「2015 旅の記憶シリーズ」
2015年の国内旅行は、1月に福岡(博多)、大分(中津)、佐賀(武雄温泉)、岐阜(白川郷、)、富山(五箇山、氷見、高岡)、新潟(越後湯沢)、3月は長野(長野)、千葉(銚子)を訪れました。

2015年の海外旅行は、2月のアメリカ(ハワイ)、3月のウズベキスタン(61カ国目)でした。

「2015年 歌舞伎観劇シリーズ」第1回目=2月大歌舞伎(歌舞伎座)、
第2回目=4月大歌舞伎(歌舞伎座)は、夜の部で「梶原平三誉石切」、「成駒家歌舞伎賑、木挽町芝居前の場」、「心中天網島、河庄」でした。

「2015 本の記憶シリーズ」
「夢を売る男」(百田 尚樹 著)幻冬舎文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年94冊目)
出版界で自費出版に近い形で小説家希望者を騙す手口巧妙な男たちの物語。さすがベストセラー作家だけに面白かった。このお話しは実際にあった話しだという。

「生き恥」(藤井 邦夫 著)文春文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年95冊目)
「秋山久蔵御用控」シリーズ第23弾

「執着」(堂場 瞬一 著)角川文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年96冊目)
「捜査一課・澤村慶司」シリーズ

「夢幻」(佐伯 泰英 著)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年97冊目)
「吉原裏同心」シリーズ第22弾

「今年の株価は2万5千円?」

「J  REPORT 2015 4月第4週」
「リタイアメント・ノート 6年10ヶ月目」、
「VOL。895 SINCE AUG.12th、1983」
「今年の株価は2万5千円?」
金は天下の廻り物というが、やはり景気は金が廻らないと良くはならないというお話しだ。
先日、株屋さんのセミナーで経済アナリストの「武者 陵司」氏の話しを聞く機会があった。それによると歴史的な大相場が日本ではこれまで3回あったという。1950年代(朝鮮動乱)と60年代(東京オリンピック)、そして1973年から89年だったという。今年が正に次の大相場だというのだ。昨年2014年は消費税増税によってGDPがー1.6%下がったので実質のGDPの伸びは+1.1%、今年は原油の値下がりでー10兆円、GDP換算で+2%となる。また2014年は川上は儲かっていたが、川下はまだ儲かっていなかった。それが2015年は賃金上昇、配当増加により川下も潤うことになるというのだ。アメリカの景気は1896年からの110年間でなんと450倍にもなった。それがこれからの日本にも訪れるというのだ。要因としては、(1)金融の量的緩和が継続される(2)企業利益が史上最高(3)新しい価値想像のビジネスモデルが出来た、以上から株価の上昇は必然だというのだ。リーマンショック以後、日本は一人負けしていた。しかし、2012年末から量的緩和と円安により、輸出の数量は変わらないが、単価上昇による輸出金額の増加となり、それはこれまでの円安では安値での輸出拡大だったが、今は単価競争をしない分野での輸出が増えたことによるというのだ。汎用品での安値競争はしない。高付加価値、日本独自技術(ブラックボックス)による新規部門の開拓(独占的市場)が成功しつつあることの現われだというのだ。日銀の量的緩和以前は、質実剛健、質素倹約が正しい経済政策だとされていて、誤った政策を続けてきていた。それが劇的に変わり、量的緩和が需要創造を生み出したというのだ。こういう話しを聞くと江戸時代の緊縮策(寛政の改革など)みたいな気がする。結論は、2025年日経平均は2万5千円、2020年は4万円になるという。まあ、ご判断はお任せしますが、こういった見方もあるということだ。10日に一時的にも2万円台を回復した日本の株価。米国の金利上昇がいつなのかが一つのポイントなのだろうが、ここで株を買うのも面白いかも知れない。皆が上がると思った時は上がらないし、もやもやしていて意見が割れている時こそチャンスなのかも。注釈:寛永の改革とは、11代将軍家斉の時代に老中松平定信によって行われたもので、歌舞伎の禁止、奢侈なものの禁止、例えば町人の絹の着物の着用禁止、等々の緊縮策だ。最後には棄捐令まで出した。これにより江戸の経済は疲弊し、6年で失政を問われ失脚した。但し、この比喩を使ったのは私で、武者氏が述べたことではないのでご注意を。

「はなかいどう」
道端に植えられていた花は「はなかいどう」というのだそうだ。可愛らしい花だ。さて、19日よりメキシコ(62カ国目)に行きます。27日に帰国しますので、ホームページの行進は28日になります。宜しくお願いします。