「J REPORT 2017 6月第5週号&7月第1週号」
「リタイアメント・ノート 9年 1ヶ月目」
「VOL。1008号 SINCE AUG.12th、1983」
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「旅暦73 シルクロードと西域への旅」
6月21日、第一日目
2010年3月の大連以来、久々の中国だ。成田から中国東方航空のエアバスA321で3時間の旅。雨の上海、浦東国際空港に降り立つ。3時間の乗り継ぎ時間があったので、空港内で簡単な食事をした。ビールを飲み、続いて白酒を、おつまみと共に飲む。おつまみは「チャーシュウ」「餃子」「海草サラダ」「3種盛り」「山菜」を。(写真:おつまみ1)
(写真:おつまみ2)
(写真:おつまみ3)
(写真:おつまみ4)
それにしても浦東空港は広い。(写真:空港の天井部分)
と、ここまでは順調かに思えたのだが、落とし穴があった。飛行機が到着しないのだ。大幅遅れとのこと。余りにも出発が遅れているので航空会社が弁当を配った。(写真:差し入れ弁当)
それでも4時間遅れで「上海航空」のボーイング737は深夜の上海を飛び立った。3時間後経由地の「蘭州」で一度機内から降ろされる。(写真:蘭州空港内)
(写真:上海航空の機体)
丁度ここが上海とウルムチの中間に当る。それから2時間半、新疆ウイグル自治区の首都ウルムチに着く。気温28度、新月の月が地平線上に見える。じきにラマダン明けとなる。こちらの時間午前5時半だが、まだ真っ暗。中国は北京の時間を国の標準時にしているから、遠い西の地区でははっきり言って時差が生じてしまう。現地時間を無視した政策だ。ようやく東の空に薄明かりが見えてきた。聞くと、北京時間は官庁や学校で使われている時間で、時差2時間でウルムチ時間となり、これはウルムチのウイグル人が使う時間だという。これも共産党の力によるものなのだろう。
6月22日、第二日目
ホテルにチェックインしたのが、現地午前6時ということで本日の観光スケジュールは大幅変更となる。参ったなあ。ホテルではWIFIが全く繋がらない。これではどうしようもない。スマフォもパソコンも全て駄目だ。困りました。一時的にスマフォのメールやネットは通じることがあるが、これもあくまで一時的。パソコンは全く駄目だ。さて、3S会の我々は朝食後、市内の高台にある公園に出掛けた。ホテルのコンシェルジュにタクシーを呼ぶように伝えたのだが、英語を全く理解していない。結局フロントの女性に頼み漸くタクシーが来た。距離にして約2km、金額10.5元。「紅山公園」に着く。(写真:U1紅山公園)
右側通行なのでタクシーは公園の反対側に着く。そこで見かけたセキュリティーの女性は西洋系の顔をしたウイグル人美女だった。ところが道路を渡れる横断歩道がないので、車と車の間を抜けて道路を走って渡った。
ちょっと小高い丘にある公園で市民が朝から集っていた。「大仏寺」というお寺の前で記念撮影。(写真:サワやん、スーさん)
めったやたらに政治的なスローガンの掲示が目立つ。国家と市民の理想的な方向性なのだろうが、この国に「自由、平等」というテーマが果たしてあるのだろうか?否、ない。(写真:U4)
寺には当然仏様が鎮座されていた。(写真:U10)
「南無阿弥陀仏」と書かれてもいた。極、普通の寺だ。蓮の花がある。(写真:U15)
突然、霧が発生か?いや違う。人工的にミスとを発生させて雲の中にいるような演出をしていた。(写真:U16)
市民が刀を持って太極拳をしていた。ゆったりとした動きだ。(写真:U18)
山の天辺に三重の塔があった。(写真:U22)
登ると市内中心部が一望出来た。(写真:U25)
私たちはウルムチを辺境の地の田舎町で、砂漠のオアシスだと思っていたが、驚くほど大都市だった。地下鉄の建設も行われていた。それよりも実は後で驚くのだが、ウルムチ郊外は住宅建設ラッシュで至る処で高層アパートが建てられていた。本当に凄い数のアパートだった。塔の内部には「毛沢東」時代の絵が沢山あった。(写真:U28)
さて、正午にロビーに集合して向かったのは「新疆ウイグル自治区歴史的記憶」という名の博物館だ。(写真:U33)
所謂「シルクロード」の中心に位置し、過去数千年の歴史を見てきた、この地域の主に古墳群から出土した遺物を飾っていた。沢山あるので紹介は一部とするが、乾燥した砂漠地域なので何でも保存状態が良い。これは金の装飾品だろうか?見事なものだ。(写真:U38)
昔の街の市場の模様を再現した模型だ。人々の生活が生き生きと描かれている。(写真:U44)
沢山の埋葬品は人々と動物だ。(写真:U52)
綺麗な壁画もある。(写真:U60)
「眼鏡」には驚いた。砂嵐の中、眼鏡なしでは動けないとのこと。中心部に細かい穴がいくつも開いていて、そこから眺めることが出来る砂防止用の眼鏡だ。考えたものだ。(写真:U62)
2階はミイラの部屋だ。ここでも一部をご紹介すると、1500年前の将軍のミイラと再現像だ。(写真:U71)
エジプトと違い、こちらのミイラは内臓も残したまま乾燥させるので、全てが残ったミイラだという。急速乾燥により出来上がった保存状態の良いミイラたちだった。一番有名なのが3800年前の「桜蘭の美女」だ。ヨーロッパ系の鼻筋の通った美女だ。(写真:U81)
(写真:U82)
私は一度数年前に東京でもお目に掛かっている。
昼は予定が狂ったので、午後2時から近くのレストランで普通の中華料理を食べた。そして120km離れた「天山天池」に向かう。流石に昨日から殆ど寝ていないので、バスの中では熟睡した。巨大な駐車場と立派な建物があり、バスを乗り換えて目的地の天池に向かう。(写真:U85)
17km先の目的地までは、いろは坂のような曲がりくねった道を走ること40分。この道の両側にはスプリンクラーが設置されていて樹木に水を供給していた。人工的な樹林が造られていたのだった。着いたところが「天池」は湖だった。この先に「天山山脈」の一つの峰「ボゴタ峰」が万年雪を抱いているのだが、雲の間に入ってしまってよく見えない。(写真:U97)
天池は1950m何がしという高さにある。峰峰は5500m級だそうだ。本来ならば3つの峰が見えるのだそうだが、残念見えません。湖を船で周遊して記念写真。(写真:U101)
カナダディアンロッキーのレイク・ルイーズほどの美しさもなく、自然が何か人工的に作り出されたという印象の湖だった。
ウルムチに戻ったのだが、行きは寝ていたので分からなかったが、帰り道の高速道路の舗装の悪さで揺れが酷い。コップに入れた飲み物も飲めない揺れに参りました。途中には発電所が2箇所、二つの高炉を持つ製鉄所があったり、巨大な骨材工場があったりと産業開発があちこちで行われていた。ここは石油と天然ガスも中国で最大の生産地らしい。そして漢民族の移住が進むところでもあった。
さて本来ならば23日(金)トルファン、24日(土)敦煌でこのブログをアップする予定なのだが、果たしてどこまで通信事情がましなのか分からず、先行き不安だ。
夕食は北京時間午後10時、現地時間午後8時に、昼食と同じレストランで「シャブシャブ」となった。肉は羊肉、野菜と魚が個人の火鍋で食べるものだ。(写真:U111)
肉は一度しか出て来ないが。その他野菜などは食べ放題で満足、満足。付けだれは各自お好みで醤油やお酢、辛味調味料や薬味を入れて作った。ホテルに戻るともう12時過ぎ。そこから3S会反省会を開き、午前1時半過ぎに就寝についた。