J REPORT2018年 7月第1週」
「リタイアメント・ノート 10年1ヶ月目」
「VOL.1062号 SINCE AUG.12th、1983」
ご意見ご要望等が御座いましたら、こちらへメールをください。
sekoguti@aa.e-mansion.com
「蕎麦の旅、松本市、もとき」
JR東日本の大人の休日倶楽部パスで今回は蕎麦の旅に挑戦した。初日は長野県松本市へ。長野から特急で向かう。途中、長野盆地が見える。(写真:S1)
盆地には麦秋も過ぎ、刈り入れ前の「麦畑」に黄色く色付いた麦の穂が垂れていた。(写真:S3)
水田はまだ苗を植えたばかりのようだった。(写真:S4)
「もとき」は松本城の裏側にあった。タクシーで向かう。昼前なのでまだ空いていた。早速メニューを見て、極々無難な「もりそば」2枚を頼む(1200円)。出てきたのはちょっと透明な蕎麦だった。香りが仄かに通う。(写真:S2)
鰹節の香りもよいタレに漬けてすする。喉越しのよい蕎麦だ。腰も強い。これが信州の蕎麦なのだろう。あっという間に店は混雑してきた。タクシーを呼んでもらい直ぐに帰京した。田舎の素朴な蕎麦とは違い、意外に現代的な蕎麦だったが、他のお客は、冷たい蕎麦のほかに天ぷら蕎麦も一緒に頼んでいた。食べ過ぎかな?
「蕎麦の旅、山形県米沢市、粉名屋小太郎」
山形新幹線で米沢に向かう。新幹線とは名ばかりの特急並みのスピードで山間部を進む。回りは緑一色だ。今の時期は「さくらんぼ」が盛んに売られている時期だ。訪れた店「小太郎」は、歴史のある店で元禄15年の赤穂浪士討ち入りの10年後に米沢藩から御用達を得た老舗の蕎麦屋で、13代目だという。立派な店構えだ。(写真S5)
隣に地元のお婆さんが座って彼女が「割りこの5段」と注文したので、「今のがこの店のお勧めですか?」と聞いたら、「色々な具が乗っていて食べ易いし、美味しい」というので同じのを頼んだ。聞くと亡くなった夫と一緒に山形の蕎麦屋を食べ歩いたということで、今は地元の蕎麦屋が一番だとのこと。さあ、出てきた蕎麦は「出雲蕎麦」のような形式で、5段に重ねた蕎麦に、具が別にあり、段々に上から蕎麦を食べて言うというもの。具は山菜有り、鮪あり、海老の天麩羅ありと多彩だ(@1800円)。(写真:S6)
これが実は本当に美味しかった。蕎麦が噛めば噛むほど甘かった。それにタレも独特の香りでもう嬉しくて嬉しくて感激の蕎麦だった。これは絶対にお勧めだ。本当に蕎麦を堪能した。
帰りにもう40年も前になるのだろうが、スキーに来た時に泊まった駅前の宿を訪れた。「音羽家」という。昭和天皇が泊まられたという部屋を見せてもらったことがあったが、今は自動車学校の生徒さんの宿舎になっているという。(写真:S7)
(写真:S8)
最後に有名な駅弁を買った。(写真:S9)
「米沢名物どまんなか」という弁当だが、これは駅弁の中では抜群の美味さを誇るだろう。ついでに駅前の「佐藤精肉店」で米沢牛の肉も買い求めて帰った。これは後日食べることとする。
「蕎麦の旅、赤湯温泉、龍上海」
訪れたのは山形県南陽市赤湯温泉。(写真:S10)
本当はレンタカーを借りて、20km位離れた場所の蕎麦屋2軒訪ねる予定だったのだが、どうもこの地方は案に相違して「ラーメン」が有名だとか?そこで駅の観光案内所で聞いたところ、ラーメン店が数多くあり、「龍上海」という店が特に有名で県外からの客も多く、いつも行列になるとのこと。今の時間は午前11時、開店の11時半まで時間があるので、温泉街までゆっくり歩く。途中の和菓子屋に立ち寄ると、「じんだん饅頭」というのがあった。枝豆を潰したもので餡を包んであった。これを2個買い求めた。@108円(写真:S17)
池があり蓮の花が咲いていた。(写真:S11)
約20分歩いて店に到着したら何と既に30人ほどの行列が出来ていた。(写真:S12)
11時30分開店し、運よく?最初に店内に入れた。(写真:S13)
席はテーブル席、カウンター席合わせて30席、列に並んでいる時に既に注文は済んでいるが、「最後のほうに店内に入った方は次の配膳になるからお待ち下さい」とのこと。メニューは単純、名物の「からみそラーメン」と「醤油ラーメン」@830円の2種類のみ。(写真:S14)
(写真:S15)
待つこと15分ほどして、最初の早い入店の方のラーメンが出てきた。約20個だった。だから私を含めて店内の10名はまだまだ待つことに。そして最初の20名の半分くらいが食べ終えて頃、漸く私の番が来た。(写真:S16)
まず、スープをすくって飲む。熱い。表面に油が浮いていて中のスープを冷めさせないようにしているようだ。実は佐野ラーメンの有名店でここも一挙に大量に出す店に行ったことがあったのだが、大量生産ということはスープを入れてから麺が茹で上がり、更に運ぶまでの時間があるために、スープが温くてがっかりした記憶があったので、心配していたが、この店は大丈夫だった。製麺所も経営しているので、麺がなくなり次第、店は終了するという。中太ちじれ麺に刻み葱、支那竹、チャーシュー、鳴門に自家製辛い味噌が乗っていた。中々に美味しい。期待外れではなかった。パンフレットによれば、創業は昭和33年、余り流行る店ではなかったので、スープが毎日余ったという。そこで残りのスープに味噌を入れて味噌汁にして家族で食べたという。そこで幾つか工夫をしてこれでラーメンが食べられないか?と思い、唐辛子にニンニクなどを加えて「からみそ」にしたところ、大好評を得たという。それが昭和35年頃のこと。従って札幌の味噌ラーメンが出来たのが昭和45年頃だから、それより10年ほど早く味噌のラーメンを造ったと書いてあった。これが今の「からみそラーメン」の前身の「みそ中華」だという。大辛にしてもらったが、辛さとスープが上手く合わさり、麺との絡みもよく、美味しいラーメンだった。確かに人気になる刺激的なラーメンでした。食べ終えたら、12時20分になっていた。
さて今日も日帰りの旅、当初の目的の蕎麦がラーメンになってしまったが、地元は今は「さくらんぼ」の季節。駅の売店もさくらんぼの香りがする。新幹線の窓から見ると、まだ取り入れていないさくらんぼ畑にはネットが張られていた。(写真:S18)