「J REPORT 2017 6月第4週号」
「リタイアメント・ノート 8年12ヶ月目」
「VOL。1007号 SINCE AUG.12th、1983」
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「刻名奉告式」
稀勢の里の刻名奉告式は最初の部分だけ観て帰った私だったが、翌日人出もまばらになったので再度富岡八幡に伺った。夏の例大祭までに間に合わせようと工事中の神社。(写真:富岡1)
鳥居を潜って直ぐ左には「伊能忠敬」の像がある。(写真:富岡2)
ご存知日地図を自ら歩いて作った人だ。彼は佐原の商家に婿入りし事業を成功させた後、隠居して江戸は深川に住んだという。そして一念発起して50歳を過ぎてから地図作成に取り掛かったというから凄い。
ここ深川の八幡様は相撲との縁が深い。色々な相撲関係の石碑がある。(写真:富岡3)
また昔は紀伊国屋文左衛門が寄贈したという巨大神輿があったが、大正時代の関東大震災で焼けてしまい、近年は佐川急便の創始者が寄贈したのが2基飾ってある。(写真:富岡4)
江戸時代は旧暦の8月15日に例大祭は行われた。ということはその日の夜は中秋の名月に当たる。今は新暦の8月15日に行われ、今年は3年に一度の「連合渡御」の年に当たる。百数十基の神輿が町町を練り歩く。巨大神輿も3年に一度だけ出される。手水場には金色の鳳凰があった。(写真:富岡5)
本殿も工事中だ。(写真:富岡6)
境内の奥にその碑はある。「横綱力士碑」だ。(写真:富岡7)
大きな石碑の表と裏に力士の名前が刻まれていた。真新しいのが「稀勢の里」だ。白鳳の名前もある。(写真:富岡8)
(写真:富岡9)
若貴兄弟の名もある。彼ら以降日本人の名前がない。(写真:富岡10)
「初代横綱」は「明石」と刻まれていた。四代目「谷風」の四股名もある。(写真:富岡11)
勿論一番新しいのが「稀勢の里」だ。