朝食後、スキー場があるのでゲレンデを登って行った。すると鹿が二匹走って山を登っていた。慌てて追いかける。見るとゲレンデで三匹の鹿が草を食んでいた。奈良の鹿位の大きさで親子なのだろうか?邪魔をしても可哀そうだから、10m以上離れて写真を撮った。少し寒い。くしゃみが連続して出る。約1時間その辺をうろうろしてからホテルに戻る。日本からは東北楽天イーグルスの勝利が伝えられた。買い物に出掛けると広場に鹿が迷い込んでいた。人間を恐れないが、犬が吠えたら走って逃げて行った。お土産を少々買い求めた。午前中に湖の遊覧観光にも参加、紅葉は盛りも過ぎ、落葉といった感じだったが、湖の周囲には別荘が立ち並び豊かさの象徴のようだった。聞くところによると、これらの別荘は8億から10億円はするとのこと。さて日本時間だとこちらの午後は22日の午前ということになる。10月22日は亡き母の命日だ。旅行前に墓参りには行ってきていたが、今から8年前のその日の朝、私は北海道の知床半島にいた。移動中のバスの中に掛かってきた甥からの電話で母の死を知り、慌てて東京へ戻った記憶がある。あれからもう8年か、早いものだ。人生は短い。やれることはやれる時にやっておこう。悔いのない人生を送るためにも。午後から首都の「オタワ」へと向かう。着くとオタワ川を挟んで、対岸がケベック州、こちら側がオンタリオ州のオタワとなる。法律も違い、例えば煙草と飲酒は、ケベック州では18歳からだが、オンタリオ州では19歳となるという。一番驚いたのは、ケベック州の信号は、4つ光る部分がある。外側2箇所は赤の信号だ。勿論内側は緑と黄色だ。ところがオタワでは日本と同じ3つ色の信号からなっている。なぜなのか?聞いてみると、ケベックは民族的にフランス系が多く、これが近親交配的になり、色盲が多いために事故防止で4つにしてあるという。だから赤の色がわからなくても、信号が2つ付いていれば赤だと分かるというのだ。なるほど納得だ。色盲は母系で遺伝するというから、ケベックの女性と結婚する時は慎重にね。ケベックの独立運動は未だに盛んだそうだが、血縁関係が濃くなるのはどうも納得できないね?!さて、カナダの政治だが、議会は二つあり、「貴族院」は定員105名、定年75歳で「総督」(英国国王の代理)が任命する、所謂「終身制」だ。一方「下院」は定員308名、もちろん選挙でえらばれる。カナダの人口が3500万人だということから考えるとちょっと多いのかな?ともいえる。カナダは高福祉国家で、所得税が30%?50%と高水準。しかし高福祉だから安心して老後も暮らせるという。
第五日目(10月22日、火曜日)
これまでカナダ国内をまずカナダ東部の「モントリオール」に入り、東北に移動し「ケベック・シティ」、西に戻って「オタワ」、そして更に南西の「トロント」に着く。途中の「アルゴンキン州立公園」では雪に見舞われた。これも何かの啓示か?白くなった大地、肝心の紅葉など真っ白な雪の中では見えるはずもない。この季節の初雪だという。雪の中を歩いて展望台まで進むが、それこそ雪以外に何が観えるというのか?この州立公園にはたくさんの動物がいるというが、この雪では皆さん巣に戻ってお休み中なのだろう。代蕪Iなのが「ムース(へらじか)」「オオカミ」「鹿」「りす」「ねずみ」「熊」「ビーバー」などだそうだ。鳥も勿論いますよ。さてトロントはカナダ最大の都市だそうだ。驚いたのは、片道6車線の道路が車で埋め尽くられている夕方のラッシュアワーの姿だった。移動には車が必需品だというのはアメリカと同様で分かるが、同じ時間帯になぜこれだけの車が帰宅しようとするのか?本当に理解に苦しむ。カナダ人は働かないらしい。楽して暮らすことのほうを好むという。老後が安心だからだろうか?この都市は大リーグの「トロント・ブルージェイズ」の本拠地でもある。川崎選手が人気だとか。話しは変わるが、カナダにもゴルフ場はある。コースの脇の道を行ったら、コースには白杭がない。即ち「OB」がないのだ。これこそ苦難の旅だ。OBは救済措置であり、OBなしは泥沼に足を入れるとの同じ事だ。あのゴルフコースは厳しいね。それと驚いたのは、遠くヨーロッパの戦争に、第一次世界大戦、第二次世界大戦とカナダは参戦している。更に朝鮮戦争にも多分国連軍として戦っているというのだ。知らなかった。カナダ軍ご苦労様でした。英連邦だからなのか?それとも米国に対する擦り寄りなのか?よく分からない。今日は雪が全てだった。