「キューバの旅」

「J  REPORT 2016 2月第3週」
「リタイアメント・ノート 7年8ヶ月目」、
「VOL。937 SINCE AUG.12th、1983」
ご意見ご要望等が御座いましたら、こちらへメールください。  sekoguti@aa.e-mansion.com

「旅暦64、キューバの旅」
第一日目、2月4日(木曜日)
羽田のANAラウンジでいつものように「かき揚げ蕎麦」を食べる。(写真1:ANAラウンジにて)

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勿論ワインを飲みながらだ。エア・カナダ機でトロントに向かう。今回はプレミアム・エコノミ席にした。余り寝心地はよくないが、それでもエコノミー席よりはましだろう。かなり眠れた。12時間後、トロント上空、地上に雪は全くない。遠くにダウンタウンが見え、NCタワーも見えた。(写真2:トロント上空にて)気温3度。
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トロントからキューバの首都「ハバナ」へ。気温20度だが、意外に涼しいのに驚く。時差ボケで困る。実はトロントで本来のエコノミーの席からビジネスクラスに航空会社が親切にも変えてくれた。エコノミーだと食事もお酒も有料だというが、ビジネスはフリーだ。助かりました。3時間半の旅でした。

第2日目、2月5日(金曜日)
今日は一日中「ハバナ観光」だ。最初に訪れたのが、「ハバナ・クラブ」という「ラム酒」の博物館だ。勿論、このブランド名「ハバナ・クラブ」が最もよいラム酒だ。(写真3:ハバナ・クラブ)

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1495年のコロンブスのアメリカ発見に伴い、スペインがこのキューバを植民地として、コロンブスによってカナリア諸島から「砂糖キビ」が持ち込まれ、砂糖キビ農場が誕生した。現地住民はスペインとの戦いや彼らが持ち込んだ疫病によりほぼ全滅したために、アフリカより奴隷を連れて来て砂糖キビ畑で働かせたという。ジオラマ式の当時の砂糖キビ工場の模型があった。当時スペイン本国より早くキューバでは鉄道が敷設されたという。(写真4:工場模型)
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奴隷は動物並で人間とは思われていなかったし、動物と同じ扱いを受けていた。勿論売買の対象として。そして重労働を課せられた。(写真5:奴隷たち)
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昨年9月のアメリカ南部の旅でも聞いたが、白人と黒人の混血を「ムラノ」と呼ぶ。一部のムラノは解放奴隷となることもあったようだ。さて奴隷たちの手で刈り取られた砂糖キビは工場で液体砂糖になる。その液体を発酵させてラムの原酒が出来る。その状態ではアルコール度数は6度。そこから蒸留を3度繰り返し、85度まで高める。それを濾していよいよラム酒の完成だ。アメリカからボトリングの機械も輸入されていたという。(写真6:ボトル詰め機械)
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10年物以上のラム酒は一壜10数万円以上の価値があるという。貴重品だ。
ハバナの街は古い「歴史地区」と「新市街地」に大別されるが、街の運河を挟んだ反対側に「モロ要塞」がある。ここは1596年に造られた。スペインは南米各地で集めた黄金等の宝物をまずここハバナに集め、そこからスペイン本国に送ったという。いわば中継基地として重要な地だったのだ。従って海賊たちが多数襲ってきたので城砦が必要なのだ。そしてここを英国が襲う。3か月の戦いにより、モロ要塞の一部は完全に破壊される。それにしても本日の大西洋は荒れている。凄まじい波が押し寄せて来る。風も強いから寒い。写真は破壊された城壁の一部が欠けた部分だ。(写真7:モロ要塞)
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(写真8:モロ要塞の欠けた部分)
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そして11か月による戦いでハバナは英国の手に落ちた。スペインはハバナ、一都市とフロリダ半島全体との交換を英国に示すことで、ハバナを取り戻すことが出来た。それほどハバナはスペインにとって重要な拠点だった訳だ。(写真9:モロ要塞より眺める新市街地)
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キューバには2度の革命の歴史がある。最初がスペインからの独立で1868年からの10年間の独立戦争だ。その後アメリカに支配され、再び革命が起きたのは1959年で、フィデロ・カストロやチェ・ゲバラらが活躍した時のものだ。その後は皆さまもご存知の通りのアメリカからの経済封鎖で疲弊したキューバの現状だ。漸くアメリカとの間の関係も緩みつつあるが、未だ航空機の直行便は両者の間にはない。さて、「支倉常長」をご存知だろう。仙台藩藩主「伊達政宗」の命を受けてローマまで旅した人だ。彼がキューバを訪れた最初の日本人となったのはもう400年も前のお話しだ。その像がハバナにある。(写真10:常長の像)
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彼は太平洋を横断しメキシコからキューバに渡り、そこから大西洋を越えてスペイン経由ローマに入った。それを記念して最近日本の学校法人が像を建てたという。さて、スペイン総督が住んでいたのがハバナで当時の総督がフロリダ半島に赴いたが、現地人との戦いで命を失った。残された妻はいつまでも夫の帰りを待ち、「風見鳥」を屋根の上に建て早い帰国を願っていたという。今もその風見鳥が残されていた。(写真11:風見鳥)
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ハバナで特徴的なのは兎に角「古い車」が多く走っていることと、犬が多いこと。そして公衆電話があることだ。クラッシック・カーと呼ばれるような、1950年代を中心にして、30年代、40年代の車もあるという。皆立派に手入れされていた。海に近いハバナでは塗装も直ぐに錆びるだろうし、維持するのは大変な努力がいるのだろう。犬は野犬もいるのだろうが、首輪をして名札を付けているのも多い。後日判明したが、野犬の一部なのだが、政府が管理している野犬だった。(写真12:犬)
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また携帯電話は普及が遅れているので昔ならば当たり前の一般の公衆電話があちらこちらにあり、皆利用していた。さてキューバと言えば忘れることが出来ないのが文豪「アーネスト・ヘミングウェイ」だろう。まず彼がハバナ滞在中に定宿といていたピンクのホテルを観る。一番、最上階の角部屋が彼の部屋だそうだ。(写真13:ヘミングウェイの定宿)
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