「あおでみる江戸東京」特別展

「青でみる江戸東京」特別展(於:江戸東京博物館)
江戸東京博物館は両国国技館の隣にある独特の建物だ。内部の一番目に付く場所に江戸時代の日本橋の模様が描かれたものがある。凄い賑わいだ。(写真:B1)
特別展入口。(写真:B2)
では入ってみよう。「徳川秀忠像」(写真:B3)
二代将軍の秀忠は将軍になったが、父家康が大御所として駿府にいたため、実質的には権力は余りなかった。また彼は2度失態を犯している。最初は関ケ原の戦いへの遅参。3万の軍を引き連れていながら、信州で真田にてこずって遅れたこと。もう一つは長男の家光より弟の忠長を可愛がり3代将軍を譲ろうとしたのだが、家光の乳母の春日局が駿府の家康へと駆け付け判断を仰ぎ、結果として長子相続を大御所家康が認めた。これらの結末は秀忠の死後、忠長は家光から自裁を求められ殺されたこと。
「村梨子地葵浮線菊紋牡丹唐草、蒔絵耳盥、輪台共」(写真:B4)
「葵浮線菊紋松竹鶴亀文様 柄鏡」(写真:B5)
「山岡鉄舟像」(写真:B6)
天保13年、浅草聖天町の小出伊勢守の中屋敷に移転させられた歌舞伎の図。(写真:B7)
天保の改革で圧迫された庶民の楽しみも奪った政策の結果だった。
「きむすめ」一歩線香即席噺 三笑亭可楽(写真:B8)
「当盛見立人形之内 粂の仙人」(写真:B9)
ここまでは江戸時代の作品群だ。

次が関東大震災のものだ。直後の風景だ。12階建ての「凌雲閣」(写真:B10)
同じく「花屋敷」(写真:B11)
「浅草寺」には多くの人が避難してきた。(写真:B12)
東京市の出した「誰でも無料で入院出来ます」(写真:B13)
関東戒厳司令部発「病気の方は次の救護所へ」(写真:B14)
同司令部発「飲食物に御注意」(写真:B15)
逓信省発「震災後の衛生注意」(写真:B16)
「被災地免税」(写真:B17)
「帝都復興 双六」(写真:B18)
(写真:B19)
「禁酒せよ」(写真:B20)
大震災の人命被害は13万、富を失うは百億、飲酒の被害は人命で年々震災以上、富で年々十億などと書かれている。よほど酒が嫌いな人なのだろう。
震災の詳細が報じられている。(写真:B21)

それでは戦後の復興を見てみよう。霞が関ビルの建築の模様だ。
1966年11月27日(写真:B22)
1967年5月8日(写真:B23)
完成したビル。高層建築の正に先駆けだった。周囲に高い建物は見当たらない。(写真:B24)
1954年 丸の内(写真:B25)
丸ビルが見える。
1956年 有楽町(写真:B26)
日劇が中央に見える。川は今、高速道路になっている。
1954年 八重洲(写真:B27)
丸ビルや中央郵便局が見える。
 同    銀座(写真:B28)
1956年 後楽園(写真:B29)
 同    渋谷駅(写真:B30)
 同    浅草(写真:B31)
1955年 蔵前国技館(写真:B32)
1954年 勝鬨橋(写真:B33)
染付芙蓉手VOC字文曲(写真:B36)
オランダ東インド会社の頭文字である「VOC」が付けられたもので、オランダからの依頼で製造され伊万里港から出荷されたので「IMARI」の名前で愛用されたという。
こうした江戸時代から東京への移り変わりが展示品から見て取れる特別展でした。