「釧路市と石川啄木」

「第六日目、8月28日、金曜日 釧路市と石川啄木」
いつもは食べない朝食を。(写真:F1)
昨晩お世話になったフィッシャーマンズワーフMOOの対岸へ。(写真:F2)
石川啄木は明治19年に盛岡に生まれた。(写真:F3)
肺病で明治45年に26歳の若さで亡くなった。釧路には明治41年に76日間滞在したという。即席でその一部を追ってみた。(写真:F4)
(写真:F36)
「東海の小島の磯の白砂を われ泣きぬれて蟹とたわむる」
「たはむれに母を背負いて そのあまり軽きに泣きて 三歩あゆまず」
「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中に そを聴きにいく」等が有名な歌だ。
天才歌人と言われているが、実像は働かず、借金まみれで、女たらしのとんでもない人だったようだ。同郷で友人の金田一京助らに随分と助けられてようだ。啄木の資料を集めた「港文館」があった。(写真:F36)
(写真:F37)
啄木の下宿跡。(写真:F5)
丘の上の釧路市生涯学習センターを訪れる。10Fの展望台から市内を一望する。(写真:F6)
(写真:F7)
(写真:F8)
襟裳岬も見える。(写真:F9)

昭和37年の港の航空写真だ。船が多い。繁盛していたことが分かる。(写真:F12)
偶然このビルの3階の市立美術館で「フェルメール展」が開催されていた。(写真:F13)
生涯学習センタービル(写真:F14)
(写真:F15)
(写真:F16)
(写真:F17)
(写真:F18)
(写真:F19)
(写真:F20)
勿論本物ではなく「リ・クリエイト」と呼ばれるものだった。全37作品が一挙に観られることは貴重だ。(写真:F35)

夕食だが、食通のA君お勧めの「八千代本店」に再び赴く。
まずは付け出しのサーモンから(写真:F21)
北寄貝(写真:F22)
馬糞雲丹(写真:F23)
鯖(写真:F24)
鰯(写真:F25)
つぶ貝(写真:F26)
ボタン海老(写真:F27)
ボタン海老の唐揚げ(写真:F28)
握りでホタテ(写真:F29)
サーモン(写真:F30)
ソイ(写真:F31)
ソイという魚は深海魚みたいな顔をしていて、かなり怖い魚のようだ。でも美味い。
烏賊(写真:F32)
イクラ(写真:F33)
いやあ、美味しかったです。感謝感激でした。
それにしても本日は日中27度と暑くなった釧路。でも東京は35度近くまで上がったとか。
「摩周湖」「屈斜路湖」「阿寒湖」「釧路湿原」「知床半島」「納沙布岬」「釧路市内観光」と盛り沢山の旅でした。何がいいかと言えば、涼しいこと。これに限ります。酷暑の東京から離れて北海道の自然を満喫した旅でした。
以上、北海道は釧路市から勢古口がお送りしました。
追伸:先週の1174号で申し上げた「安倍首相、引退せよ」と申し上げたことが現実となりました。永ければいいという問題ではなく、人間引き時を知るべきでした。遅かりし決断だといえます。