「浜離宮」

「浜離宮」
梅雨空の日だった。浜離宮に行った。入り口近くの道路の端の石に驚くなかれ「丸に十の字」の薩摩藩島津家の家紋が入っていた。見つけた私のほうがびっくり。(写真:H1)H1
どこかで使われていた江戸時代の石を使い回していたのだろうか?薩摩屋敷でも壊したときに出た石なのだろうか?入口の門だ。(写真:H2)H2
鬱陶しい空模様だったが、遂に雨が降り出した。それに季節の変わり目か、庭園内は植え替えのためか何も植わっていなかった。鴉が飛んでいるだけだ。(写真:H3)H3
植わったばかりの草の周りを白い蝶々が飛んでいた。(写真:H4)H4
残念ながら都会の中の落ち着いた場所も空虚な感じだ。周囲のビル群が空しい。(写真:H5)H5
(写真:H6)H6
雨さえ降らなければ、丁度タイミングよくボランティアガイドの案内があったのだが、残念ながら傘がないので諦めた。こういう日もあるのだ。仕方がない。天気には逆らえない。
ここには将軍専用の船着き場がある。第十五代将軍徳川慶喜は、元々御三家の一つ「水戸家」の出で、御三卿の一橋家に養子に入り、偶然にも十四代将軍の急逝で将軍になった人だ。彼は「大政奉還」を突然行ったり、「鳥羽伏見の戦い」では逃げ出し、大坂城も捨てて軍艦で江戸に逃げ帰った人物だ。彼が江戸に着いた時に上陸したのもこの場所なのだった。
以上、梅雨の東京から勢古口がお送りしました。