10月18日(火曜日)第8日目

「ライン川」の船旅に出かける。ここフランクフルトは正式には「フランクフルト アム マイン」というらしい。「マイン川沿いのフランクフルト」とのこと。外は今日も好天だ。日曜日の夜は「NFL」のフットボールの試合を「ESPN」で観たし、月曜日の朝は大リーグ「ナ・リーグ」のチャンピオンシップの決勝戦を、今朝はNFLのマンデーフットボールを観た。満足です。リューデスハイムというところから「ライン川下り」をしたが、一番驚いたのは、ここが「ルール工業地帯」の大動脈の輸送路だということだった。川の両側、東側は貨物列車が、そして西側は旅客列車がそれこそひっきりなしに運行されていたことだった。写真は自動車を運ぶ列車だ。川は勿論石炭を運ぶ船、油を運ぶ船、観光客を運ぶ船等々、この川が流通の主動脈だということを痛感させられた。本来の目的の観光としてはライン川沿いの古いお城なのだろうが、私にとってはドイツ産業の動脈を見た思いでそればかりに感心していたという具合だ。そしてブリュール経由で「ケルンの大聖堂」を観たが、遂に雨の洗礼を受けてしまった。これまで少なくとも日中には雨はなかったが、ここケルンで雨に出会ってしまった。帰りのバスの中で不思議に意気投合してしまった人たちが集まって夕食会場に6人で集った。まあ事実上独り者みたいなものでそれぞれが友人同士か個人参加の6人だった。但し男性はたったの二人。これだから女性はまだまだ長生きするわけだ。男性はといえば私を筆頭にもうしょぼくれている。いつ、お迎えが来てもとは言わないが、女性人は皆元気溌剌としている。子供も独立し孫も生まれもう安心して旅行に行ける立場になったわけだから彼女たちは強い。反面、男性はまだまだ肩の荷を降ろし終えていないのだろうか?インターネットで明日の便の座席を蘭?オ、ほっとしているのが今だ。「人生色々」とはよく言ったもので我々団塊の世代はこの後、どのような日本に漂うのだろうか?次の時代は間違いなく「中国」だ。だがその中国が今の我々のような経済的な立場を得ることが果たしてあるのだろうか?13億人をそこまで持っていくということは事実上不可狽セからだ。今世界を「99%」運動が走り回っている。流石にドイツで我々の眼には触れなかったが、潜在的にそういった過激な思想はあるはずだ。あと一日考えてみよう。さてよく考えてみると還暦を過ぎた連中(我々団塊の世代もその一つなのだが)が今の海外旅行の主役ではないだろうか?お金と時間に余裕がある世代だけが旅を満喫できるのだ。これも1%に代浮ウれる特権階級か?そんなことはないだろう。

10月19日(水曜日)第9日目
いよいよドイツ滞在最後の日となった。本当に駆け足の旅だった。「行った、観た、帰った」という印象だった。それも「観ながら通過した」という感じだ。旅の半ばから私にあだ名が付けられた。「隊長」という名だ。理由は添乗員よりも前に出て歩くからだそうだ。まあ迷子になりそうな人たちを探しに行ったりしているから(余計なお節介だが)そんな名前を付けられた訳だ。今日は「フランクフルトと隣町のマインツ」という街の旧市街観光だった。ドイツの古い街の基本形は、「広場」があり、その前にどっかりと大きな「市役所」、広場の中に「井戸か噴水」、そばに「教会」か「大聖堂」といった具合だ。どこもこの基本は一緒だ。「宗教の力」というのは恐ろしい。「天国に行けない」と教会から言われた人々は右往左往して寄付をして免罪符と買う。オーム真理教と何が違うのか?否、全く違わない。だから宗教は恐ろしいのだ。さてドイツ国民だが、出稼ぎの外国人も多いのだろうが、ゲルマン民族特有というような巨大な身体の人ではなく、意外と小柄な人が多いのに驚かされた。だんだん縮まっているのだろうか?そんなことはないと思うのだが。自転車が多いと同時に「乳母車」も多い。中には自転車に乳母車を付けて引っ張っているのまである。またバス停、路面電車の底流所には「侮ヲ板」があり、次の車両が何分後にどこ行きが来るかが侮ヲされていた。これは便利だ。だが疲れた。マインツの広場で幼稚園生たちが疑似体験で「病院ごっこ」をしていた。患者さんは縫い包みの御人形さんたち。これをオペとは針で縫うこと。等々、色々なお医者さんごっこをしていたのが微笑ましかった。
今、フランクフルト空港のフルトハンザのラウンジでこれを書いている。15時間後には成田に到着嵐閧セ。ご苦労様でした。大変疲れました。ある意味、飲み疲れたのかも知れないが。

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