10月14日(金曜日) 第4日目

「マイセン」経由で首都「ベルリン」に向かう。マイセンはご承知の通りの「陶磁器」の街。「陶磁器博物館」を観て、ひたすらベルリンへ。ドイツ最大の都市は、1990年の統合後に社会主義の東ドイツの首都から正式に「ドイツ連邦共和国」の首都となった。1989年の「ベルリンの壁」崩壊の名残りの壁の跡などを見るが、大都会だ。ここでも戦争で破壊された古いものを再建しようとする努力が至る所に垣間見られるのが最大の特徴か。市内の美術館で「北斎展」が開かれていたのが、これまた印象的だった。「ブランデンブルグ門」や「チェックポイント・チャーリー」などの東西分断の象徴もこれまた印象に残った。「ベルガモン博物館」ではトルコの遺跡を見学もした。ベルリンの壁に描かれていた二人の男性のキッスシーンの絵には本気で驚かされた。「旧・Aのブレジネフと旧東ドイツのホーネッカーのキッスシーン」だ。これは当時の冷戦時代を象徴するもので東側の結束の強さをアピールしているものだろうが、それをベルリンの芸術家が皮肉った作品なのだ。駆け足で今日も強行軍を終えた。「チェックポイント・チャーリー」は冷戦時代を描いたスパイ小説には必ず出てくる米軍占領地と・A占領地の東ベルリンとの接点で、どのスパイもこの地点を抜けて無事に西側に戻れるかが生死を分けるという設定が多かった。そんな冷戦の遺物ももうお話しの中でしか残っていなかった。夜、ホテルの部屋でこれを書きながら、アウトバーンのドライブインで買い求めた地元産のウィスキーを飲んでいる。700mlで13ユーロだったから、多分安いのだろう。ウォッカの方が安かったが、余り馴染みがないのでウィスキーにしたのだが、果たして正解だったのだろうか?分かりません。
ベルリンに来て漸くハイブリッド車「トヨタのプリウス」を2台観た。環境大国ドイツにしては少ないとは思いませんか?ドイツも小型車ばかりが走っていた。勿論「ジーゼル・ガャ潟刀vで。

10月15日(土曜日) 第5日目
朝のベルリンは空気が引き締まっていた。最低気温は摂氏0度近く高気圧に覆われていて快晴だが、本日の最高気温の卵zは12度位らしい。秋も深まり「黄葉」の季節だ。紅色ではなく黄色の葉になるのが特徴とか。ベルリンの広さは東京都の1.5倍あるらしいが、その40%は森、畑、公園、湖だという。そして氷河の影響で土壌は砂地で痩せていてジャガイモ位しか育たないとのこと。因みに南は小麦が名産だという。肉は豚肉が中心。ゴルフ場は占領軍の米英占領軍の基地の中にはあったとのこと。ポツダムにはドイツ滞在30年の日本人女性がガイドとしてやってきた。空には白い飛行機雲が何本も走っている。本当に澄み切った空だ。逆に川や湖からは湯気が立ち上り、気温の低さを示している。
「ポツダム宣言」が出された都市「ポツダム」に行く。ここは戦後のドイツ処理問題を含めたヨーロッパ対策を連合国3カ国首脳が集まって考えた場所でもあり、日本に対しての「無条件降伏」を促すこととした歴史的なところだ。7月26日、日本に対して無条件降伏を通告するが、当時の鈴木貫太郎首相がこれを拒否。翌日米軍による広島への原爆投下が命令されたという。勿論・Aの対日参戦も決まっていた。知らぬは日本ばかりなり。昭和天皇の8月15日の「玉音放送」でポツダム宣言を受諾して日本は敗戦となる。日本国民にとって歴史上最も長い一日だったはずだ。そんな歴史的な街は今どうなっているのだろうか?その歴史的な部屋に入る。アメリカはトルーマン、イギリスはチャーチル、・Aはスターリン。その3人がこの部屋で終戦処理と日本の無条件降伏を決めた部屋に入った私は感動感激の余り涙が出そうになり、思わず堪えなくてはならなかった。日本人にとっての戦後を決める重要な会議の場所だ。涙以外に何があるというのか?あの時の判断を間違えなければ、広島長崎への原爆投下や・A参戦もなかったかも知れない。歴史に「if」はない。ただただ遠い過ぎ去った日々を悔やむだけだ。東西冷戦を経て、今世界は新たな試練と向き合っている。それは宗教的な考え方の相違だ。ドイツは南はカャ潟bク、北はプロテスタントと異なっている。更に世界はイスラム対キリスト教、ユダヤ教と、イスラム教内部対立と、我々日本人には理解出来難い世の中であることは事実である。
「ライプチッヒ」で昼食をし、「ワイマール」へ到着し、「ゲーテの家」や「ゲーテとシラーの像」といった観光ポイントを観る。ここはドイツ憲法の「ワイマール憲章」が制定された場所でもある。さてアウトバーンのドライブインのトイレは有料だ。50?70セントかかる。観ていたら地元の人でも男性は近くの茂みに入っていって立ち小便をしていた。街中の公衆トイレも有料だ。だからそれなりに綺麗にされているが、日本人にはチップ制のトイレには馴染めないものがある。「エコ」ということから奨励されている「自転車」だが、ドイツは前にも垂オ上げたように都市部にも「自転車専用レーン」が設けられている。そこで慣れない我々が専用レーンで自転車に衝突しても、罰せられるのは歩行者だということに慣れることは無理だろう。自転車は猛スピードで歩行者の脇を通過していく。危険極まりないが、専用レーンに侵入した歩行者が悪いのだというのだ。平和ボケした日本人には理解できない部分だろう。また市内は路面電車、所謂「ライト・トレイン」が走っている都市が多い。電力は自然エネルギーで生み出し、輸送機関は電気で動かし、二酸化炭素の発生を防ごうとする努力にはやはり感服せざるを得ないのだった。

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