「火の見やぐら」

江戸の昔、江戸の華は「火事」と言われていて、たびたび「大火」に襲われた歴史があるという。江戸の下町の代蕪Iな町「門前仲町」の交差点近くの「黒船橋」の袂に「火の見やぐら」が復元されて建てられている。3階建ての建物となっていて、江戸時代ならばこのやぐらから遠くは西に「富士山」、東北に「筑波山」が見られただろう。最近時代物の小説に凝っているので、今にでも火事場装束の「火消し」の一団が現れてきそうな気になってしまった。ここ門前仲町は元々は「永代寺」の門前町から始まったらしいが、永代寺の和尚さんが「深川八幡」所謂「富岡八幡」の禰宜も兼ねていて、お寺と神社の両方の門前町として発展したらしい。神仏混合のいかにも日本らしいお話しだ。江戸時代後期には料理屋や遊女屋が林立していた江戸有数の繁華街があったという。そんな街の火の見やぐらは、きっと何度も何度も火事を発見して半鐘を鳴らし庶民に避難を促したのだろう。さてこの門前仲町を中心とする下町「深川」には大名や旗本の「下屋敷」と水運を利用するための「掘割」が多かったという。今も掘割は「なになに川」と称して残されている。隅田川の東側と繋ぐのが「永代橋」だ。江戸の人たちはこの橋を渡って門前仲町に通って来たに違いない。古地図を観ると武家屋敷に持ち主の名前が書かれているのだが、どう観ても逆向きになっていたりして、地図を動かさないと名前が読めない場合があるのだが、その理由が屋敷の正面入口がどこにあるかを示していると知って、なるほどと感心した。確かに武家屋敷には侮Dなどないし、屋敷の楓蛯ェどこにあるのか、分かり難いのを地図の名前が読めるほうが楓蛯セと分かれば助かる。昔の人も工夫をしたものだ。

「ネズミ捕り」
築地の新大橋通りから「佃大橋」を亘って晴海通りにぶつかる手前の下り坂ではかなり頻繁に警察のスピード違反取り締まり、所謂「ネズミ捕り」が行われる。この道、皆さんもご存知の「東京マラャ刀vのコースにも当り、かなりの上り下りのある場所なのだ。地元民の私はこの道路を通過する際は制限速度の50kmをきちんと守って走っている。知らない人はついつい70km位はすぐに出してしまう道なのだ。その日は私は反対側を走行していたのだが、反対側の道路では次々と車が警察に捕まっていた。哀れ、哀れ。というのもその道路の脇には警察の白バイの基地があるのだ。宿泊施設もあり、職住近接で警察にとっては掻き入れ場所なのだ。皆さん、気を付けて下さいね。大体「ネズミ捕り」という呼び名がまるで明治時代の「おいこら」警官のスタイルを踏襲しているようでお上の威光を嵩にきているのが嫌だ。堂々と隠れてないで取り締まれよ。

「遂に地デジ化」
永い間お世話になったアナログテレビが終了して、デジタル化になった24日。その前日に愛車も地デジ化したのだが、幾らスウィッチを押してもチャンネルが変わらない。トヨタに文句を言ったのだが、時間切れで翌日の24日再度車をトヨタに持ち込んだ。頭にきたので「取り外し金を返せ」と言ってやったら、後から電話が掛かり、取り付けミスで受信するほうのセンサーが逆になっていたとのこと。何やっているんだ、トヨタ。しっかりしろ。

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