「バルト三国の旅、後半」

J  REPORT2017 9月第4週号」
「リタイアメント・ノート 9年3ヶ月目」
「VOL.1022号 SINCE AUG.12th、1983」
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「旅暦74」「バルト三国の旅、後半」
「エストニア」第五日目(9月16日)
ラトビアの首都リガからスィグルダを経由してエストニアに入るのだが、この辺りから体調がおかしくなってきた。どうも初日に風邪を引いたらしく、咳が酷かったのが、ここへ来て発熱と関節の痛さに悩まされるようになってきた。殆ど動きたくない。何度も旅行してきたが、風邪でダウンは始めての経験だ。
スィグルダは、ラトビアのスイスと言われるほどの風光明媚な土地らしい。ボブスレーのコースがあった。練習にはヨーロッパ中から選手が集まるという。ちょっと小高い丘と深い渓谷がある土地だ。洞穴があった。「グートゥラニャ」の洞窟というらしい。(写真:V4)

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ここの水は湧き水で薬効があると言われてきたらしい。(写真:V8)
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(写真:V9)
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洞窟は大して大きくないが古いようだ。(写真:V5)
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壁には昔からの年代と名前が記されていた。(写真:V6)
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木々が色付いていた。(写真:V7)
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(写真:V10)
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2kmほど先に「薔薇の墓」というところがあった。昔、美女が亡くなったところらしい。(写真:V11)
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この辺りで動けなくなった。完全に風邪の影響だろう。城があった。「トゥライダ城」だという。(写真:V12)
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一階の椅子に腰掛けてイヤフォーンから流れてくる話しを聞くだけだ。動きたくないような風邪は久し振りだ。お城を一応写真には入れた。(写真:V13)
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(写真:V14)
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(写真:V15)
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昼食でレストランに向かう。薬を飲むためにスーツケースを一時降ろして開ける。葛根湯があったのでまずは飲む。食事は美味しくも何も感じない。(写真:V16)
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(写真:V17)
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一路、エストニアに向かう。雨が降り出した。それもかなり強烈な雨だ。すると虹が見えてきた。(写真:V18)
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(写真V19)
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やがて国境を越える。我々は一番南のリトアニアから北上して、ラトビア、そしてエストニアにやって来た訳だ。このツアーの参加者38名の大半はもうヨーロッパでは行くところがなく、バルトに来たという人だったが、今バルト三国は人気らしい。

「スターリンの遺産」
首都の郊外にはスターリン時代やその前の時代に建てられたアパートが数多くあった。当然古いもので、5階ないし6階建てで、一部屋に二家族が暮らすアパートもあるという。勿論エレベータなどない。年寄りには困るアパートなのだが、これがスターリンの遺産なのだ。スターリンは第二次大戦後、ドイツ軍に捕虜となっていた赤軍兵士が解放されて戻ってくると皆シベリア送りにしたという。自分の独裁が脅かされる恐れのあるものを排除するという姿勢は、今の中国の習氏や北朝鮮の金氏となんら変わらない。こんな不幸な人生を送らされたソ連の人たちに哀悼の意を伝えたい。それにしても未だにロシアは領土拡張を常に標榜している。だから北方4島など帰って来る訳がないのに、無駄な努力をしている日本政府にも呆れる。ロシア帝国時代から、革命後の共産ソ連もそしてその後の民主化されたロシアも何ら考え方に変わりはない。
さて、タリンのホテルにチェックインしてから直ぐに食事に出掛ける。だがこの時には既に体力を使い果たしていた。「ペッパーバック」という店なのだが、まずはビールを頼む。(写真:E1)

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次がスープ、豆のようだ。(写真:E“)
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民族舞踊が始まった。これが終わらないとメインが出て来ないらしい。(写真:E3)
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漸く舞踏が終わってメインのポークが出てきた。(写真:E4)
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しかし、食欲全く沸かず、少しだけ肉を食べただけで、早々に一人帰らせてもらった。

第6日目(9月17日)
昨日は薬を飲んで寝て、ぐっすり眠った。しかし、関節は痛いし、微熱もまだある。それでも朝食は食べたのだが、これでもうダウン。午前の観光も昼食も午後の自由行動も全てパスしてベッドに倒れていた。辛うじて窓からバルト海が見える。(写真:E5)

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(写真:E6)
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クルーズ船も見える。沢山の観光客を運んできたのだろう。(写真:E7)
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バルト海はこの辺りでは不凍結なのだろう。だから昔から重要な港だったのだ。それからただひたすらに眠った。
夕方からは食事をしないと体力が持たない。朝少量の食事をしたが、昼抜きなので夜は少しは食べないと、と思い出掛けた。「オールド・ハンザ」という中世の店造りが売り物のようで、中世が体験出来ると言う。入り口に可愛らしい女性がいたので写真を撮らせて貰う。(写真:E9)
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兎に角暗い。基本的にはテーブルの上のロウソクだけが明かりだ。壁紙だ。(写真:E10)
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室内は広いが暗い。(写真:E11)
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メニューを見る。「シュナップス」とある。(写真:E13)
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所謂強い蒸留酒だ。ウォッカだがちょっと甘みがあるのを頼んだ。(写真:E12)
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料理のメニューだ。(写真:E14)
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「ブラックアンガス」のステーキを頼んだ。(写真:E15)
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しかし、食欲が全く沸かない。結果、ステーキを漸く飲み込んだといった具合だった。途中から民族楽器の演奏と歌が始まった。(写真:E16)
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(写真:E17)
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ここでも一番先に帰らせてもらった。まだまだ体調は戻っていない。帰りに振り返ると二つの塔があるのが、ライトアップされていた。午後8時20分だった。(写真:E18)
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結果、エストニアでは夕食時に2度、ホテルとレストランを往復しただけだった。
最終日、午前中はフリーだったのだが、朝方、5分ほど外出し、土産物店に寄った。目的は「国旗のバッジ」だ。ピンバッジなのだが、その国の国旗を模ったものを必ず買い求めている。今回は68カ国目から70カ国目なので3つ買い求めた、椅子に牛が座っていた。(写真:G1)
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このホテルの最上階に「KGB」の博物館があるという。(写真:G2)
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時間もなかったので訪れなかったが、ソ連時代には多くの人がこのKGBに泣かされたのだろう。シベリア送りにされた人もいたのかも知れない。さあ、飛行機は飛び立った。(写真:G3)
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さらば、バルト三国よ。そうそう、空港までの間の森に沢山の人がいて、キノコ狩りをしていた。今がシーズン真っ盛りだそうで、かの国の人もキノコが大好きらしい。
どうにか無事に帰宅をしたが、日本に着いたら、暑いのに驚かされ、汗だくになった。いやあ、寒かったバルト三国が懐かしく感じる暑さでした。