「原爆ドーム」

「原爆ドーム」
これまでの晴天続きが今日は朝から雨だ。有名な原爆ドームにやってきた。何度も広島には来ていたが、ドーム見物は初めてだ。まずはドームの周辺を歩く。(写真:G1)

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(写真:G2)
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(写真:G3)
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テニアン島と飛び立った3機のB29、その内の1機が「エノラゲイ」だ。昭和20年8月6日午前8時15分、高度9800mから原子爆弾「ビッグ・ボーイ」が落とされ、600mの高度で爆発、3-4000度の高熱と爆風を発した。市内の大半がこれで破壊された。目標は原爆ドームの北側にあるT字型の橋「相生橋」だったが、約300mに連れて「島内科医院」というところの上空で爆発。直下にあったお地蔵様はその影が真下の石に残されていた。(写真)G4)
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爆心地の標識だ。(写真:G5)
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当時、島院長は前日から往診出張していて無事だったという。平和の少女の像があった。(写真:G6)
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沢山の千羽鶴があった。次に訪れたのは「無縁仏の墓」だ。ここには約7万体の遺骨が納められているという。大半が身元不明だという。(写真:G7)
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爆風で吹き飛んだ灯篭の残骸があった。(写真:G8)
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昭和24年、ここを平和公園として整備し、原爆ドームを後世に残そうという機運が出た時に設計コンペで優勝したのが「丹下健三」氏だった。ドームを見通す一直線の位置を設定して、並べていったという。埴輪からヒントを得た湾曲した屋根があり、そこには戦没者名簿が納められている。その先に手を広げた形をした平和の灯火があり、その先がドームなのだ。(写真:G9)
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(写真:G10)
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記念館に行く。進駐してきた米軍が撮った写真があった。20年の9月から10月に掛けてだという。(写真:G11)
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無残で表現し切れない。とてもではないが、写真になど撮ることは出来なかった。
地下に平山郁夫氏作の大きな絵、「広島生空図」があった。(写真:G12)
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真っ赤な炎が町中を覆っている。惨劇を描いた傑作だ。
オバマ前大統領が来られた時に折られた鶴の折り紙があった。(写真:G13)
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(写真:G14)
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(写真:G15)
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何だろう、このコントラストは。折鶴は平和の象徴だった。
以上、疲れ果てて帰京した勢古口がお送りしました。
追伸:オーストラリアの中学生とホテルが一緒だった。聞くと第一外国語が日本語だと言う。これまたびっくり。