「安芸の宮島」
瀬戸内の島「宮島」は神の島とされている。島にないものは「信号、墓地、畑」だそうだ。島そのものが神様であり、神様の肌を傷付けないということから、鍬も入れないという。勿論不浄の墓はない。早朝7時過ぎ、干潮の時間に島に渡る。もう浴衣姿の人たちが大鳥居の周囲にいる。小潮なのでぎりぎりかと思っていたが、意外に引き潮だ。(写真:M1)
この鳥居、自然の楠木の巨木をそのまま使っているという。自重のみで立っている。まず松の杭を沢山打ち込み、その上に平らな石を置き、そこに大鳥居を置いただけ。但し一番上の鳥居の横木の部分は箱状になっていて、石が詰め込まれているという。総重量約60トン。只海に浮いている?だけだそうだ。決して浮いてはいない。海底にどっかりと乗っているのだ。(写真:M2)
平清盛がここ「厳島神社」を整えて今の姿にした。この神社の神様のお使いは「カラス」だそうだ。(写真:M3)
「鏡の池」というのがある。ここに月が写るのを観るのが風流の極めだという。(写真:M4)
五重塔と鏡の池、そして五重塔の横には「千畳閣」がある。これは秀吉が寄進したものだが、1598年に秀吉が死去したために未完成のまま放置されてしまった大きな伽藍だ。(写真:M5)
本殿とその前の舞台だ。(写真:M6)
天皇の勅使のみが渡れる太鼓橋だ。「勅使橋」という。(写真:M7)
この神社の近くにあるお寺で第2次長州征伐時の和平交渉が行われ、「勝海舟」と「木戸孝充」(実際は代理の人)が会談し、幕府軍の撤退が決まった部屋だという。(写真:M8)
この時、幕府には長州を打ち破る力はもう残されていなかった。
もう海が満ちてきていた。(写真:M9)
ここにも野生の鹿がいる。(写真:M10)
奈良のように獲付けしていないので、大半は山の中で暮らしているようだった。