「防府、山口、萩、岩国」

「防府天満宮」
二日目は私がドライバーの番だ。まずは「防府」へ行く。毛利氏は今の広島と山口で120万石を持っていたが、関が原で破れ、山口の萩に城下町を移された。それ以前は防府に居城があった。ここは瀬戸内の交通の要衝でもあり、戦略的にも重要な拠点だったという。そこの「防府天満宮」に行った。勿論菅原道真公が祭られている。(写真:H1)

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牛がいた。(写真:H2)
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日本三天神だとか。本来は毛利家の屋敷に行きたかったが時間がない。山口に向かう。

「山口」
五重塔があった。美しいものだ。(写真:H3)

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次に雪舟が造った庭がある「常栄寺」に行く。雪舟が書いたとされる絵が最近発見され話題になっているが、この寺の絵もひょっとして雪舟かな?不明とのこと。(写真:H4)
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石の庭があったが、これは雪舟作ではない。(写真:H5)
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裏に雪舟が造ったという庭があった。岩と水、滝が配置された実にシンプルなものだ。(写真:H6)
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「ザビエル教会」
山口市内にあるザビエル所縁の教会に向かう。この地で当時の支配者だった「大内氏」からザビエルは布教の許可を得てキリスト教の布教を始めたのだ。(写真:H7)

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「萩往還」
毛利氏は萩に移った後に、防府と萩を結ぶ「萩往還」という石畳の道を造った。40数キロだという。今も一部が残っている。(写真:H8)

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「吉田松陰」
萩の「松蔭神社」に行く。結構観光客が多い。(写真:H9)

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絵があった。右が松蔭、左が久坂玄葉だ。(写真:H10)
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松下村塾の3傑の一人だ。惜しむらくは蛤ご門の変で戦死した。妻は「文」。大河ドラマにもなった話しだ。松蔭が書き送った手紙に歌があった。「親おもう こころにまさる 親こころ きょうの 音ずれ なんと聞くらん 寅二郎(幼名、本名)」(写真:H11)
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右肩上がりの非常な癖字だ。江戸の牢獄から死を覚悟して母親に送ったものだという。親より早く死ぬことの悲しみが込められている。小さな納屋が松下村塾になった。(写真:H12)
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ここで90名もの学生が学んだ。威信の英雄たちの写真があった。皆ここで学んだ者たちだ。(写真:H13)
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左上が久坂だ。教室は今も残されている。狭い部屋に寿司詰め状態だったのだろう。(写真:H14)
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萩の「旧町人街」を歩く。ここはお城から遠い。即ち下級武士の家と町人街があった。だからこの辺りから沢山の維新の志士が多く出た。夏みかんが植わっていた。幕末、この夏みかんは「代々」と呼ばれていた。これを大坂方面の人は「代々、だいだい、よよ、よいよい」と中風のよいよいと勘違いされると言ったので、萩では考えて「夏みかん」と名を付けたという。それが今に伝わっている。この柑橘類、3-4個で米1升と同じ対価だったので、これで町人は大儲けしたという。(写真:H15)
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藩の出入り商人だった「菊屋」は9000坪の店舗と屋敷を抱え、幕府からの使者の接待も行った大店だった。(写真:H16)
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菊屋家は今も続く。

「錦帯橋」
萩を出て岩国に向かう。まずは橋の近くの「半月庵」という料亭で食事をする。ここの名物は「岩国寿司」というものでお殿様に献上されたものだという。懐石料理を食べる。(写真:食7)

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岩国寿司というのは沢山の具材を重ね合わせて作り、これを切り分けて食べるという。(写真:食8)
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さていよいよ「錦帯橋」だ。ライトアップされていた。山の上にお城があり、そこもライトアップしていた。(写真:H17)
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20年ほど前に解体して作り直した。まあ木組みだから、保存のためには手を掛けないと仕方がない訳だ。さて広島に戻る。今日だけで400kmも走った。疲れた。