「バルト三国の旅、リトアニア」

「J  REPORT 2017 9月第4週号」
「リタイアメント・ノート 9年3ヶ月目」
「VOL。1020号 SINCE AUG.12th、1983」
ご意見ご要望等が御座いましたら、こちらへメールをください。
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「旅暦74」「バルト三国の旅」
「リトアニア」第一日目(9月12日)
中学の友人のM君との旅は久し振りだ。二ヶ月に一度は日本で会っているが、旅はそれなりに別の楽しみもある。成田第二ターミナルから、荷物同様のエコノミーでフィンランドのヘルシンキに向かう。機内はほぼ満席。クラス4という最も安いチケットのようでコードシェアのJALのマイルも貯まらない。エアバス350-900という大型機で約9時間半、北欧の国を目指す。二度食事が出た。どれもこんなものだろうという食事。期待しないし、期待されない。ヘルシンキ空港の空は鉛色の雲に覆われていた。(写真:L43ヘルシンキの空1)

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あっという間に青空が見える。滑走路の向こう側の木は白樺だ。(写真:L101ヘルシンキの空2)フィンランドの空2
その内、あっという間に灰色の雲だ。北欧独特の空なのだろう。もうこの辺りでは夏は完全に終わっていて、秋真っ最中なのだろう。次に向かったのが、約1時間15分でリトアニアの首都「ヴィリニュス」。こちらでは小雨が降っていた。ホテルにチェックインした後、スーパーを見て、夕食を外のレストランでした。ドイツ風の店で、「ドイツビール」と「ポテトサラダとハム」、それに「ソーセージの盛り合わせ300g」を食べた。(写真:L37ドイツビール)
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(写真:L38 M君)
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(写真:L39ソーセージ)
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いや、お腹が一杯になった。合計で24.3ユーロだが、消費税が21%だった。

第二日目(9月13日)
バルト三国は1988年にソ連から独立をして、直ぐにEUに加盟した。ここリトアニアとは「雨の降る国」という意味らしい。人口は280万人、独立直後は380万人いたが、だんだんEU域内の外国へ出て行って人口が減った。85%がリトアニア人でロシア人が5%住んでいる。出国した人たちはドイツ、フランス、イギリスなどに移った。平均月収が6万円。因みに北のラトビアが8万円、エストニアが12万円だそうだ。出生率も低く1.2だそうだ。原発は2年前に止めたという。若い人の離婚率も高く38%だという。産業は殆どなく、農業が30%、その他は商業で工業は全くない。エネルギーはロシアの天然ガスと、電力は70%がロシアから、30%EUからの輸入に頼っている。家賃は月1万円程度だが冬場の暖房費が一家辺り月2万円掛かるから、結婚すると共働きが80%にもなる。教育は4・4・4制。平均寿命は男性64歳、女性74歳、年金支給年齢は男性63歳、女性58歳というから、男性は年金生活が出来てもたったの一年間だけという勘定になるようだ。ざっとこんな感じの国だ。緑豊かな国。過去には栄光もあった。バルト海から黒海までを収めた大国の時代もあったが、ポーランドとロシアに挟まれ、両方から支配されていた時代が長い。帝政ロシアの後はソ連邦に、第二次世界大戦ではドイツにより開放されたが、またソ連に支配され、漸く冷戦後に独立を勝ち取った。
ヴィリニュスの旧市内には何と250もの教会がある。カソリック、プロテスタント、ロシア正教、ギリシャ正教などが建っている。まず訪れたのが「聖ペテロパウロ教会」だ。(写真:L1)

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ペテロとパウロの像が正面ファザードを飾る。(写真:L2)
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周囲の木々も紅葉に色付き始めていた。(写真:L3)
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内部に入る。この教会の特徴は彫刻の多さだ。何と2000もの彫刻があるという。勿論最近出来たものだ。幼子イエスを肩にする像。(写真:L4)
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ガイコツの像。(写真:L5)
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聖母マリア像。(写真:L6)
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マグダラのマリア像(写真:L7)
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舟形のシャンデリア。(写真:L8)
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これはスウェーデン王から贈られたものだという。
勿論イエスキリストの木像もある。(写真:L9)
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衣装は全て本物で髪の毛も人の毛だそうだ。
正面の祭壇。(写真:L10)
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地獄を描いたもの。(写真:L11)
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丘の上から旧市内を見る。
M君と私。(写真:L13)
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「夜明けの門」だ。今残されているのはこの門しかない。(写真:L14)
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エストニア大公国の紋章だ。(写真:L15)
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奇跡を起こすと言われている「黒い顔のマリア」。マグダラのマリアだ。(写真:L16)
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門には「フィリーメイスン」の象徴があった。(写真:L17)
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大聖堂前の広場から見上げると「ゲディミナスの塔」がある。(写真:L18)
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独立時にここから始まってバルト三国650kmに亘る200万人の人間の鎖が4時間の間形成された記念すべき場所なのだ。広場には「ゲディミナス大公」の像がある。(写真:L19)
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この国の英雄だ。大公とは国王ではなく、国王とはローマ法王に認められた者をいう。
いよいよ「大聖堂」だ。(写真:L20)
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内部はクラッシック様式の人工大理石で出来ている。
パイプオルガンはリトアニア最大だ。(写真:L21)
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外をメインストリートの「ゲディミナス通り」。(写真:L23)
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次に訪れたのが「聖アンナ教会」。(写真:L24)
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ナポレオンがロシア侵攻の折に行きと帰りにここを通過した際、この教会ごとパリに運ぼうと考えたらしいが、結果ロシアで敗北して逃げてきたので実現しなかったという。
昼はレストランでの「サラダ」。(写真:L25)
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リトアニア風、水餃子の「コウドゥーナイ」。(写真:L26)
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郊外に30kmほど行くと美しい湖があり、その中にある城が「トラカイ城」だ。ここは550年前のリトアニアの首都だった。(写真:L27)
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M君とお城。(写真:L28)
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中は破壊されていたのを大半を修復したものだ。玉座があった。(写真:L29)
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ドイツ十字軍騎士団との2世紀にも亘る戦いがあったという。しかし、この城は落ちなかった。当時のドイツ軍の鎧兜。(写真:L30)
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とても重く1時間から1時間半で勝負がついたという。重過ぎて体力が尽きたらしい。まだ時差ぼけで眠くてしょうがない。最も繁栄したのは「ヴィタウタス大公」の時だという。(写真:L100)
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ホテルに一度戻ってから、夕食に出発。夕食は「ロールキャベツ」だ。(写真:L32)
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ビールを大1カップ飲んだ。(写真:L31)
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夕食後、もう一度ライトアップされた「夜明けの門」を訪れた。(写真:L33)
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マリア様にも再度ご挨拶した。不思議だ昼間黒かった顔が白い。奇跡か?(写真:L34)
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お土産屋さんのウィンドー。(写真:L36)
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ロシアの有名な土産もあった。

「今週の映画と本」

「今週の映画と本」
「2017 私の映画鑑賞記録」
「あしたは最高のはじまり」(角川シネマ有楽町にて)私的批評眼★★★★★(今年145作品目)映画あしたは最高
フランス映画。リゾートで働く黒人男性の元に突然昔付き合っていた白人女性がやってきた。「あなたの子供」と言って女の赤ちゃんを置いていってしまった。慌てて彼女を追ってロンドンに行く。しかし彼女は見つからない。それから8年。彼はスタントマンをやりながら男手一つで少女に育てる。そこに彼女が少女を取り返しに来る。果たして結末は?本当に心温まる映画でした。今年一番の映画だった。

「カンフーパンダ3」(フィンエアー機内にて)私的批評眼★★★(今年146作品目)

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日本未公開映画だ。シリーズ物で全シリーズ見ている。

9月15日付け日経新聞「シネマ万華鏡」の評価は、「オン・ザ・ミルキー・ロード」が4つ星、「汚れたダイヤモンド」が4つ星、「エイリアン コヴェナント」が3つ星、「50年後のボクたちは」が3つ星、「あさがくるまえに」が3つ星、「笑う故郷」が4つ星、「三つの光」が3つ星でした。

「私の2017年の映画の評価は?」あくまで私の私感ですからね!!
★★★★★=「彼らが本気で編むときは」「わたしはダニエル・ブレイク」「はじまりの旅」「ブランカとギター弾き」「ボブという名の猫」「あしたは最高のはじまり」
★ ★★★=「ショコラ」「アイヒマンを追え」「マグミフィセント・セブン」「愚行録」「ラビング 愛という名前のふたり」「パッセンジャー」「しゃぼん玉」「ジャッキー」「ライオン 25年目のただいま」「グレイト・ウォール」「追憶」「マンチェスター・バイ・ザ・シー」「怪物はささやく」「ザ・ダンサー」「怪盗グルーのミニオン大脱走」「ボン・ボヤージュ 家族旅行は大暴走」「君の膵臓をたべたい」「ファウンダー」「夜明けの祈り」

「2017 観劇シリーズ」
・6月大歌舞伎

「2017 旅の記憶シリーズ」
国内旅行は、2月の北海道(札幌、旭川)、9月の宮城県(石巻、松島海岸)。
海外旅行は、1月のキプロス(66カ国)経由マルタ島(67カ国)。3月のタイ。5月のハワイ。そして6月に中国(西域とシルクロードの旅)。

「2017 本の記憶シリーズ」
「御免状」(上田 秀人 著)中公文庫 私的批評眼★★★(今年194冊目)「けつ所物奉行裏帳合」シリーズ第1弾本御免

「群青のとき」(今井 絵美子 著)角川文庫 私的批評眼★★★(今年195冊目)本群青

「冬日淡々」(佐伯 泰英著)文春文庫 私的批評眼★★★(今年196冊目)「酔いどれ小藤次決定版」シリーズ第14弾

「遠謀」(上田 秀人 著)文春文庫 私的批評眼★★★(今年197冊目)「奏者番陰謀記録」シリーズ第1弾

「カウナスと杉原千畝」

第3日目(9月14日)
「カウナス」
リトアニア第2の都市、人口約30万人。ここでの目玉は「杉原千畝氏」の勇気ある業績に尽きよう。カウナスの静かな高級住宅街の一軒がその元「日本領事館」跡だ。実はこの中には当時のものは殆ど残っていない。唯一あるのが執務室に掲げられた日章旗と裏庭のリンゴの木のみだ。主に日本人観光客とユダヤ人観光客のみ訪れる場所だし、時間が余りにも経過しているから仕方がない。でも当時を再現していた。杉原氏のことは二度映画にもなっているし、皆さんご存知だろう。第二次世界大戦前のリトアニアに家族共々赴任した彼らは、ナチスの迫害から逃れようとするオランダ系ユダヤ人に「日本通過ヴィザ」を発給したことにより、多数のユダヤ人が救われたのだ。彼は1939年(昭和14年)6月に赴任した。その直後独ソ不可侵条約が締結され、その裏で秘密協定が結ばれ、ドイツとソ連はポーランドの分割とバルトと三国のソ連への割譲を認めていた。写真は締結時のもの。(写真:K4)

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同じ年9月1日、遂にドイツ軍はポーランドに侵攻、第二次世界大戦の火蓋が切って落とされた。9月17日ソ連軍はバルト三国に侵攻してきた。主にポーランドに住んでいた350万人のユダヤ人がルーマニアやリトアニアに逃げてきた。1940年6月ソ連はバルト三国を併合した。7月下旬多くのユダヤ人たちが日本のヴィザを求めて領事館前に並ぶようになった。本省へ問い合わせたが、当時「日独同盟」があり、日本側はドイツ側を忖度してヴィザ発給を認めなかったが、松岡外相の指示があり(ちょっとこの辺が曖昧なのだが)杉原は日本通過ヴィザを発給することにした。日本通過ヴィザを取得すればソ連通過ヴィザもほぼ自動的に取得でき、ユダヤ人たちはシベリア鉄道経由、船で敦賀に渡り、そこから太平洋を経て新天地に向かうことが出来た。しかし、ソ連側は杉原の国外退去を求めており、領事館は閉鎖、一時的にホテルで発給業務をこなすが、これも時間切れでベルリン行きの特急列車の発車ぎりぎりまで杉原はヴィザを書き続けていたという。発給したヴィザは正式なもので1600枚、これは大人のみなので子供連れを含めて約6000名のユダヤ人が日本に渡ったという。裏で偽物ヴィザが横行し、総勢8000人から1万人の人命が救われたという。杉原氏は1900年1月1日に岐阜県で生まれ、ハルビンでロシア語を学び、帝政ロシア時代の貴族の末裔を妻としたが、子供が出気ず、その後離婚し、日本人女性と再婚した。5ヶ国語(日、露、独、仏、英語)を操る外交官だったが、戦後は外務省では日陰暮らしだったという。1940年当時オランダ領事館でも同様のヴィザの発給があり、このことは戦後すぐイスラエルから発表されて、オランダ人外交官が評価されていたが、杉原のことは全く不明だった。1960年イスラエルは漸く杉原の足跡を辿る事が出来、杉原を発見し、全世界に彼の勇気ある偉大な業績を発表し勲章を授与した。さて「カウナス」に戻ろう。執務室を再現したものだ。(写真:K1)
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机の上だ。パスポートが乗せられている。これは本物の当時のユダヤ人のものだ。(写真:K2)
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古いパスポートだ。(写真:K3)
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家族の写真だ。(写真:K5)
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机に座る私。(写真:K6)
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彼の写真は沢山あったが、一枚だけご紹介。(写真:K25)
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唯一当時のもので残っているのが裏庭に杉原夫人が植えた「りんごの木」だ。当時の姿を留めている。小さな実がなっていた。(写真:LK)
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門がある。これも復元されたものだろう。「希望の門 命のヴィザ」とある。(写真:K8)
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屋敷は改築して大きくし広く杉原氏の業績を讃えるようだ。(写真:K9)
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次に訪れたのはカウナスの旧市街の中の「雷の家」、「ペルクーナスの家」だ。赤レンガが美しい。(写真:LK0)
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ここエストニアはバスケットボールが盛んでオリンピックで2度銅メダルを獲得しているという。歩いて直ぐのところに「旧市庁舎」があった。白い建物がびっくりする位の晴れ渡った青い空に映えている。(写真:K11)
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大聖堂もある。(写真:K12)
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中に入ってみる。正面の祭壇だ。(写真;K13)
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キリスト受難の像もある。これらは全て人口大理石だ。(写真:K14)
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昔、カウナスはリトアニアの中心だった時期があり、ドイツ十字軍騎士団との永い永い戦争の歴史がある。その中心だったのが「カウナス城」だ。(写真:K15)
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これも殆ど全て再建されたものだ。
昼は「スープ」(写真:K16)
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地元のジャガイモ料理「ツェッペリナス」(写真:K17)
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挽き肉をジャガイモで包んで蒸したもの?か煮込んだもの。皮の部分のジャガイモの弾力性を保ちながら作るのが非常に難しいらしい。ジャガイモの粉がしっとりとしながら、もちもち感があるのが特徴だというのと、飛行船ツェッペリン号に形が似ているから名付けられたともいう。
ここから国境を越えて「ラトビア」に向かう。その前に「十字架の丘」に行く。元々この地方に住んでいた人たちは「自然崇拝」だった。それがキリスト教が入ってきて強引な布教が行われた。排他的なキリスト教により地元の自然崇拝は完全に駆逐された。その後この地方は、ロシアやポーランド、ドイツ、スウェーデン等にいいように侵略され今日に至っている。そんな中で反ロシア、反ドイツの象徴として、十字架をこの丘に立てたという。反骨精神の表れだ。何度もブルドーザーで潰そうとしたが、瞬く間に復活してしまったという。10mほどの丘一帯に、そして更に裾野まで一杯に十字架が立ち並ぶ。(写真:K18)
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右も(写真:K19)
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左も(写真:K20)
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十字架だらけだ。観光客も店で十字架を買い求め何かを書いて置いて来ることが出来る。頂上にマリア様とイエスの像があった。(写真:K21)
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(写真K22)
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十字架の数、なんと20万本だというから凄い。何とも異様な風景でした。1993年にローマ法王がここを訪れた時には10万人の信者がこの地を埋め尽くしたという。
さて、いよいよ国境。(写真:K23)
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あっという間に通過する。今日は天候に恵まれていたのが、突然雨脚が早まる(写真:K24)
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ラトビアに入った。首都リガに向かう。実は高速道路はリトアニアにしかなく、ラトビアやエストニアにはないそうだ。人口が少ないから別に地道を走っても都市部は別として車が多いほうではないから問題ないのだろう。それにしても日本車、特にトヨタ、それも高級車レクサスの多いのには驚きだ。ホンダも日産もスバルもマツダもあった。
夕食はホテルのレストランにて。まずはビールを頼む。今回の旅行、一日にビール一杯だけ飲んでいる。この地方はビールの大消費地で、リトアニア人のアルコール消費量は一人当たり世界一だそうだ。自殺率も世界一だという。

「ラトビアのリガ」

第4日目(9月15日)
「バウスカ」
リガのホテルは何とスウィートルームだった。二間続きでバスルームも二つある広い部屋だ。ダウガヴァ川に面していて、大聖堂やお城が見える。(写真:V1)

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素晴らしい景色なのだが、雨模様に朝を迎えた。気温11度とのこと。結構寒い。パソコンを2台持ってきて、いつも通り古いXPをメール専用に、10をネットとメール、写真処理用に使っていたのだが、XPがダウンしてしまい、全くメールの受発信が出来なくなった。東京のブロイダーと電話連絡したが、時間切れで中途半端なままの状態となっている。写真は取り込んで何とか処理出来たが、メールの配信が10のパソコンの住所録は古いままにしておいたので、土曜日のブログ配信案内ではエラー続出と思われる。仕方ないか。まあ明日朝トライしてみよう。昨日までの原稿は書き上げ写真も紛いなりには整理出来た。後は運試しかな?
まず、地元ガイドさんエリカさんの歴史認識からご紹介しよう。といってもとてもではないけれど、複雑過ぎて着いて行けない。何故ならば、この地域は常に流動的で周囲の敵からの攻撃に晒され続け、占領され続け、独立の時期が短いのだ。元々リボ原人が住んでいたという。11世紀から12世紀はイタリア人商人の力が強く、やむなく中央ヨーロッパのドイツ人たちは東に追いやられて、バルト三国へ入ってきた。13世紀にはドイツはドイツ十字軍騎士団の力を借りて、ハンザ同盟を作り勢力を増す。同時にキリスト教化させられた。14世紀にはタリンの町をドイツ人たちが造る。そしてバルト海沿岸の港はドイツ人のものとなり、これが長く続く。16世紀になると、ロシアが東から、そして南からはポーランドが進出する。プロシアもまた強くなる。こういった歴史的にはこの地はドイツ人たちの支配化に永く置かれた。スウェーデンもまた一時期侵攻するという複雑さ。18世紀に入るとバルト海の港が欲しいロシアのピョートル大帝。その後エテカリーナ2世の時代には、ロシアとポーランドの戦いが起きる。19世紀にはロシアの工場がリガに出来、バルト三国中3番目の大都市になる。1914年、第一次世界大戦により、ロシアとドイツが弱体化する。ロシア革命後、占領される。等々、まず侵略、占領の歴史の繰り返しだった。ソ連時代の産業といえば、麻、リネン、ローソク、蜂蜜、豚肉だった。今は独立して、港湾による海運業、蜂蜜、キノコ、白樺の合板、豚肉、鯰、鰻、豆、ジャガイモ等がメインの生産物、産業だ。
さて、本日はまずバウスカの「ルンダーレ宮殿」に向かう。パリのベルサイユ宮殿を模したというもの。確かにスケールはちょっと小さいが、それなりに豪華絢爛な宮殿だった。ロシアのエテカリーナ2世の持ち物だったという。まずは入り口から見てみよう。(写真:LU1)
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宮殿の全景だ。(写真:LU2)
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門も立派だ。(写真:LU3)
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内部の階段とシャンデリア。(写真:LU4)
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(写真:LU5)
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黄金の間は流石素晴らしい。木造に金箔を貼っている。(写真:LU6)
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(写真:LU7)
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(写真:LU14)
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黄金の間の子供を描いた彫刻だ。生き生きとしている。(写真:LU8)
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紋章だ。(写真:LU9)
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写真を撮っている私、鏡に映っている。(写真:LU11)
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ダンスホールもある。ここで着飾った男女が踊ったのだろう。(写真:LU12)
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陶磁器類が並んでいた。中国の景徳鎮に混じって、日本の有田焼も5つほどある。その他多数の偽物が並んでいるという。当時の人気の作品だ。(写真:LU13)
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ロシアのエテカリーネ2世の若い時と晩年の肖像画だ。(写真:LU15)
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(写真:LU16)
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立派な寝室とベッドがあった。(写真:LU17)
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寝室の窓から見えるのが庭園だ。これは凄い見事な眺めだ。(写真:LU18)
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食堂もある。(写真:LU19)
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実はこの建物、ロシア革命後には宮殿ではなくなり、病院、倉庫、学校、博物館と変遷しており、元々あったものは殆どない。復元されたものばかりなのだ。
昼食は宮殿内のレストランで食べた。野菜スープ。(写真:LU20)
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魚料理、白身のテラピアというものだ。結構美味しかった。(写真LU21)
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リガの町に戻る。旧市街はドイツ系の人たちが永く棲んでいたので、他の人種の人たちは新市街を建てた。5階建てか6階建ての所謂「アールヌーボー」と呼ばれるファザードの部分に多数の彫刻を用いた建築物を建てた。その中の一部をご紹介しよう。中心のドアからは車が出入りする。両側が人の出入り口。これが一つの典型的な様式の一つだ。(写真:V3)
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このドアの上の楕円形の窓は実は三つの部屋がそれぞれ用いている窓なのだ。(写真:V4)
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龍が飾ってある。(写真:V5)
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色合いといい、彫刻といい典型的なアールヌーボー様式の建物だ。(写真:V6)
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次に旧市内に行く。まずは大聖堂。(写真:V7)
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内部のステンドグラスには聖母マリア様のと、ドイツ十字軍騎士団のが並んでいた。(写真:V8)
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(写真:V9)
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枢機卿が座る椅子だ。(写真:V10)
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祭壇。(写真:V11)
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大きなパイプオルガンがあった。パイプの長さは最小が15mm、最長が10mだという。(写真:V12)
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外に出たら結婚式を終えたカップルがいた。寒そうにね。(写真:V13)
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でも心は温かく盛り上がっているのかな?
昔の建物で上層部を倉庫にしていた名残のリフトがあった。(写真:V14)
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スウェーデン門があった。スウェーデン統治下に城壁の部分を開けて造られたといがヴぁう。(写真:V15)
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「猫の家」と呼ばれている建物。上部に猫が二匹いる。(写真:V16)
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「三兄弟の家」と呼ばれている古い建物が三棟並んでいた。(写真:V17)
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ブレーメンの犬の像があった。ブレーメン市とリガ市は姉妹都市らしい。(写真:V18)
さあ、市庁舎前にやってきた。(写真:V19)
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これで新市街と旧市街の散策は終了。ダウガヴァ川が静かに流れている。ここから8kmでバルト海だ。(写真:V20)
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以上、バルト三国から勢古口順がお送りしました。

「被災地、石巻へ」

「J  REPORT 2017 9月第3週号」
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「VOL。1019号 SINCE AUG.12th、1983」
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「被災地、石巻へ」
昭和40年代後半に商社の仙台支店で勤務していた仲間たちの会を「仙台会」と称して、これまでもう46回も集まっている。かれこれ20年にも及ぶ。今回は47回目として被災地「石巻」に行こうということになり、東北新幹線に乗った。日照不足ということで米の収穫が不安視されていたので、まずは北関東の稲を見てみた。(写真:S1)

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黄色く色付いていて、不作のようには見えない。宮城蔵王の麓の田もまあまあか。(写真:S2)
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仙台平野の実りもそこそこのようだ。稲穂が頭を垂れていた。(写真:S3)
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いよいよ石巻駅に着く。(写真:S4)
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メインストリートを歩くが、半分ほどの店は津波にやられた後、復興していないようだ。寂しい町並みだ。それでも商工会議所が新しく建てられたり、市役所が撤退したイオンのショッピングセンターに入ったりしているようだ。津波の到達点が示されていた。2m以上市内中心部にも津波が襲ったということだ。(写真:S5)
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北上川の河口の町「石巻」は江戸時代から川と海での輸送の拠点となっていた。南部藩の米なども一旦ここに集められた。北方の物資も太平洋の東岸経由でやって来た。そしてここからまた江戸を目指したのだ。
中州にはこの地出身の「石森章太郎マンガ館」があった。よく残ったものだ。(写真:S6)
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小高い丘である「日和山」に登る。結構厳しい坂だ。汗を掻いてしまった。頂上から下を見る。約1年前に来た時には、全く復興の足音も聞こえなかったが、唯一残っていたお寺の前に2棟の復興住宅が建てられていた。石巻市の復興住宅の一階は駐車場、二階は集会場等になっていて住民たちは三階以上に住むことになるようだ。北上川の左岸の工場地区もほぼ工場群は復興したようだ。(写真:S8)
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中州はマンガ館しかまだないようだ。(写真:S9)
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やはり6年の歳月は確実に進んでいたのだ。資料を集めた「つなぐ館」というところを訪れた。写真が飾ってあった。魚の加工場のようで津波痕の清掃風景だという。(写真:S10)
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中州の昔と津波被害時の写真を見る。まずは津波以前。(写真:S11)
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そして津波被害の直後の模様。(写真:S12)
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日和山から歩いて駅へ。駅にもマンガのフィギアが飾ってあった。(写真:S13)
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石森氏は仮面ライダーを描いた人らしい。さて松島海岸の宿「雲静庵」に入る。
温泉にも浸かってリラックスした我々でした。(写真:S14)
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翌朝、一人で松島海岸を散歩した。瑞巌寺に行くが、8時からしか入れない。(写真:S16)
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仕方ないね。松尾芭蕉の句碑もある。(写真:S15)
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奥の細道でこの地にも立ち寄ったのだ。「五大堂」もあったが、この辺は津波の被害も大きかったようだ。(写真:S19)
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松島は小雨に煙っていた。(写真:S17)
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仙台からの帰りに見た「広瀬川」。(写真:S18)
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お疲れ様でした。
旅行をするためには、まず妻をショートステイに預け、次に愛犬を子供たちに預けなければならない。手数が掛かるのだ。愛犬を引き取りに娘に自宅に行くと、玄関前に孫娘たちがいて、「おじいちゃん、たんじょうびおめでとう」と大声で叫んでいた。思わず涙ぐみそうになった。本当に孫娘たちは可愛いなあ。

「今週の映画と本」

「今週の映画と本」
「2017 私の映画鑑賞記録」
「新感染」(UC豊洲にて)私的批評眼★★★(今年142作品目)映画新感染
韓国映画。謎の病気が蔓延する。人が人を襲い狂い出すというもの。新幹線に閉じ込められ、そこで保菌者が入ってきたら、どうなるのか?

「スキップ・トレース」(TCみゆき座にて)私的批評眼★★★(今年143作品目)映画スキップ徒レース
ジャッキー・チェンの映画だ。還暦を過ぎても無理してやっているという感じでした。

「ギフト」(HTC有楽町にて)私的批評眼★★★(今年144作品目)
NFLプロフットボールのニューオーリンズ・セインツの名ラインバッカー「スティーブ・グリース」の半生を描いたドキュメント。彼はALDに掛かってしまい、生まれてくる子供のためにVTRを撮り、自分が生きていたという記録を残そうとする。彼の努力により法律も変わることになる。

9月8日付け日経新聞「シネマ万華鏡」の評価は、「三度目の殺人」が5つ星、「散歩する侵略者」が4つ星、「西遊記2」が4つ星、「ナインイレヴン 運命を分けた日」が3つ星、「旅する写真家」が4つ星、「三里塚のイカロス」が3つ星、「おクジラさま」が3つ星でした。

「私の2017年の映画の評価は?」あくまで私の私感ですからね!!
★★★★★=「彼らが本気で編むときは」「わたしはダニエル・ブレイク」「はじまりの旅」「ブランカとギター弾き」「ボブという名の猫」
★ ★★★=「ショコラ」「アイヒマンを追え」「マグミフィセント・セブン」「愚行録」「ラビング 愛という名前のふたり」「パッセンジャー」「しゃぼん玉」「ジャッキー」「ライオン 25年目のただいま」「グレイト・ウォール」「追憶」「マンチェスター・バイ・ザ・シー」「怪物はささやく」「ザ・ダンサー」「怪盗グルーのミニオン大脱走」「ボン・ボヤージュ 家族旅行は大暴走」「君の膵臓をたべたい」「ファウンダー」「夜明けの祈り」

「2017 観劇シリーズ」
・6月大歌舞伎

「2017 旅の記憶シリーズ」
国内旅行は、2月の北海道(札幌、旭川)、9月の宮城県(石巻、松島海岸)。
海外旅行は、1月のキプロス(66カ国)経由マルタ島(67カ国)。3月のタイ。5月のハワイ。そして6月に中国(西域とシルクロードの旅)。

「2017 本の記憶シリーズ」
「果断の桜」(鈴木 英治 著)ハルキ文庫 私的批評眼★★★(今年188冊目)「沼里藩留守居役忠勤控」シリーズ第2弾映画果断の桜

「宿あ」(上田 秀人 著)ハルキ文庫 私的批評眼★★★(今年189冊目)「表御番医師診療禄」シリーズ第10弾本宿あ

「禊川」(今井 絵美子 著)双葉文庫 私的批評眼★★★(今年190冊目)「すごくろ幽斎診療記」シリーズ第9弾本契川

「金鮪」(国光 著)双葉文庫 私的批評眼★★★(今年191冊目)「魚河岸奉行」シリーズ第2弾本魚河岸

「流」(東山 彰良 著)講談社文庫 私的批評眼★★★★★(今年192冊目)本流れ
第153回直木賞受賞作品

「紀尾井坂版元殺人事件」(風野 真知雄 著)文春文庫 私的批評眼★★★★(今年193冊目)「耳袋秘帖」シリーズ第23弾本紀尾井坂

「火事と喧嘩は江戸の華」

「江戸東京博物館・常設展4」
「火事と喧嘩は江戸の華」
明暦3年(1657年)1月18日、本郷にある「本妙寺」から始まった火事は折からの風に煽られて、三日三晩江戸を蹂躙した。消失した町八百、大名屋敷八百十、神社仏閣三百余り、橋六十以上が被害を受けたという。死者は10万人以上と言われている。確かに二ヶ月以上雨が降っていなかった。強風が吹き荒れたという条件はあったものの、何故?と首をかしげたくなることがある。当時の江戸は秩序なく、猛烈な拡大を見せていた。徳川幕府への忠誠心を示すために大名は競って屋敷を建てた。その家臣、それらを相手にする商人、その屋敷や店を立てるための職人と数十万人が地方から押し寄せたという。なにせ江戸城大手門から歩いて直ぐのところの葺屋町に悪所吉原(火災で焼失したので、浅草の裏手の郊外に倍の広さで新吉原が出来た)があった。少ない土地に多くの人という無理に無理を重ねた江戸に大火が起きた。この当時は道や辻、火除け地がなかった。こういった無秩序状態を解消するために幕府自らが火を付けたという疑惑があるという。為政者のやることだから、これもありうるのだろう。実は本郷からの失火は南に下り、江戸城の東側を焼き尽くし、海に到達して鎮火しているのだ。それから半日経ってから、今度は江戸城の北側から再び出火したのだ。これは南に下り江戸城をも焼き尽くし、海に達して鎮火、この最中にまたまた江戸城の北西から出火し、南下して海で鎮火している。何でこんなにも別なところから、時間が経って鎮火した後に出火したのか?火の広がりを示した図がある。(写真:K5)

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不思議であり、幕府の謀略説はかなり正しそうだ。特に最初の火元のお寺には咎めすらなく、幕府により再建されていて、以前より大きくなったというからおかしな話しだ。その後、火事の教訓から、火除け地や広い道路、瓦屋根の推奨、避難場所の確保を行うようになり、消火部隊としての「火消し」の制度も設けられた。但し、当時の火消しは建物を壊して延焼を防ぐのが目的で、決して消火をしようとするものではなかった。(写真:K2)
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火消しの衣装を見てみよう。(写真:K3)
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(写真:K4)
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手押しポンプもあったが、これは火消したちの着物に水をかけて塗らすためだった。纏(まとい)はここから後ろは壊すぞという最前線で上げたという。(写真:K1)
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その後、幕府は土地の確保のために、隅田川の東側の土地、本所を開拓、開発し、本所と深川に居住地を移していった。そして被災者を祀るために「回向院」を建てた。そうそうこの火事は「振袖火事」とも呼ばれるようになった。これは出火元の寺で大商人が若くして亡くなった娘の供養のために振袖を焼いたところ、その火の粉が寺に引火したというのだが、これなどは幕府が後にばら撒いた噂のようで、そんな事実はなかったというのが通説になっている。

「星峠の棚田」

「星峠の棚田」
日経新聞8月26日付け記事と写真でこの棚田のことを知った。JR東日本の「大人の休日倶楽部パス」を利用して上越新幹線、ほくほく線と乗り継いで「まつだい」駅に行った。途中の景色も美しく山には雲が棚引き、田には稲穂も頭を垂れていた。(写真:H1)

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この「松代(まつだい)」という地名だが、領主が松平様だったので、地名にしようと考えた領民は殿様の名前では失礼なので「松代(まつだい)」と字を換えたそうだ。長野には松代(まつしろ)があるが全く関係ないとのこと。さあ、駅前からタクシーに乗り、「星峠」というところに向かう。結構おしゃべりな運転手で、色々と教えてくれた。15分も走っただろうか、数台の車が停まっている場所がどうも棚田見物の場所らしい。運転手はもう少し上に隠れたベストポイントがあるというので更に進む。まあどこから見ても同じような沢山の棚田が見えた。(写真:H2)
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ため池が見える。(写真:H3)
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この棚田のお米は有名な魚沼産の米「こしひかり」、所謂一等米なのだが、ここのは「天水米」と呼ばれているという。理由は水なのだ。山の上のこの田の水は「雨水、雪解け水、湧き水」なのだそうだ。日本の水百選にもなっているという水で作った米だから天水米だそうだ。
少し下がって、他の人たちがいるポイントへ戻る。確かに綺麗な眺めだ。(写真:H4)
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(写真:H5)
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豪雪地帯でもある十日町だが、この辺りは毎年3mほどの雪が積もるという。雪が降り始めると地元の人はお金が舞って来たと歓ぶという。何故?「風が吹けば桶屋が儲かる」式の話しなのだが、雪が降ると、雪掻き車が出動する。これは地元の土建御者の仕事が増えること。使うのは大量の油、燃料用だ。するとガソリンスタンドが儲かる。儲かった人たちが飲み屋に行く。すると帰りはタクシーが使われる。こうしてお金が地元をぐるぐると廻るというのだ。半分嘘だと思って欲しいのだが、まあ現実なのだろう。地元の産業といえば米農業しかないのだから、冬は公共事業としての雪掻きは必要悪なのだろう。
駅で見かけたポスターだ。(写真:H6)
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こんなに美しい棚田。四季によって変わる棚田。往復7,800円のタクシー代が高いか安いかはその人の評価だな。

「松島海岸の雲静庵」

「手前勝手世界食物語、第463号」
「松島海岸の雲静庵」
食堂に行って驚いた。凄い料理だ。(写真:食1)

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地元の食材のみで作られた料理だという。目移りしてしまう品数だし、また味が素晴らしい。これは納得の夕食だ。豚肉のしゃぶしゃぶも美味しかった。(写真:食2)
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キンキの煮付けは魚一匹まるまるだ。365日キンキを出し、これが目玉だという。(写真:食3)
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デザートの量も半端ではなかった。(写真:食4)
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そのまえにお釜の中には海鮮が入った混ぜご飯があり、これがまた美味しかった。
朝食がまた凄かった。これだけのものを食べたら間違いなく太ってしまう。(写真:食5)
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豚肉と野菜の焼き物まで付いていた。(写真:食6)
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いつもは食べない朝食を半分づつ位食べました。今回の旅でどれだけ太ったか?心配ですが、安くて美味い宿でした。
以上、かなり涼しくなってきた東京から勢古口がお送りしました。

「秋のフットボール・シーズン始まる。初戦は明治戦」

「J  REPORT 2017 9月第2週号」
「リタイアメント・ノート 9年 3ヶ月目」
「VOL。1018号 SINCE AUG.12th、1983」
ご意見ご要望等が御座いましたら、こちらへメールをください。
 sekoguti@aa.e-mansion.com

「秋のフットボール・シーズン開幕」
「初戦は明治戦、タイブレークの末に惨敗」
9月2日土曜日は日本でもいよいよフットボール・シーズンの幕開けだ。久し振りの青空には半分以上に太った月が見えていた。(写真:F2)

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処は「アミノバイタル・フィールド」、今やフットボールのメッカだ。第一試合の「法政:立教」戦の前半終了間際から見せてもらった。法政が21:0で後半に。聞くとキックオフ直後、立教が攻め込み敵陣3ヤードから4回の攻撃を失敗させてしまったという。後半は立教が盛り返し、最終的には法政28:立教18だった。(写真:F1)
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この試合を見る限り、今年のTOP8は混戦模様か?飛び抜けて強いチームがいないかも知れない。どんぐりの背比べか。
第二試合、「母校:明治」戦だ。昨年秋も苦戦して最後の最後で勝利した相手だ。油断出来ない。特に母校はエース・ランニング・バックだったキャプテン李君の抜けた穴が埋まるかが問題なのだ。それと昨年膝の怪我で最終戦に出場出来なかった今年のキャプテンでラインバッカーの染矢君が復帰出来るかも問題だ。気合を入れて、さあゲーム開始だ。(写真:F3)
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コイントスで明治が勝ち、キックオフを選択。(写真:F4)
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試合はランの明治にパスの母校という戦いで一進一退。それが1Q残り時間3分58秒、母校ディフェンスラインがオフサイドしたために一瞬動きが止まったその瞬間の油断を突かれ、50ヤードのロングパスを決められ明治がTD,TFPも決まって、0:7とリードされた。しかし、残り59秒、敵陣11ヤードからのパスで母校が同点に追いつく。(写真:F5)
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2Q、残り7分7秒、明治が22ヤードのFGを決めて、7:10。(写真:F6)
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2Q、残り4分30秒、母校は21ヤードのFGを失敗。これが痛かった。前半はこのまま7-10で終了。(写真:F7)
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美しいハータイムショーの母校チアリーディング部員たち。(写真:F8)
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どうも決め手を欠くゲームだ。ただ明治のランニングバック32番のランは縦への鋭い突っ込みも横への早い展開も全て後手後手の母校ディフェンス陣は抜かれ捲くり。やはりキャプテンの染矢君はゲームに出ていない。彼の不在は痛い。3Qはこう着状態の無得点で終了。
4Q、残り8分26秒、母校陣内9ヤードからランでTDされ、TFPも決まって、7:17とリードを広げられる。
母校もここで踏ん張る。パスを続けて敵陣深く入り、残り時間9分14秒、QB2番の小田君がキープしたまま走りTD,しかし、TFP失敗で13:17となる。残り時間が少なくなる。ここでの明治のゲーム運びは上手かった。残り4分18秒、母校陣内25ヤードからのFGをきっちりと決めた。これで13-20。緊迫の戦いだ。相変わらずランの法政とパスの母校の攻防だ。残り時間1分50秒、パスの成功率が上がっている母校は遂に25ヤードのTDパスを成功させた。19:2だ。(写真:F9)
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TFPも確実に決めて20:20。(写真:F10)
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引き分けだが、これからタイブレークだ。互いに敵陣25ヤードからの攻撃を行い、TDするか、失敗するかで勝利を決めるものだ。最初は明治の攻撃。これはランが上手く決まってTD,TFPも決まって0:7となる。次に母校の攻撃。しかし、今回は決めてのパスが決まらない。結果、4回の攻撃でTD出来ず惨敗となった。(写真:F11)
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やはり敗因はディフェンスラインの弱さとタックルの甘さだ。タックルは所謂追いタックルになっていて、腰から下へのハードタックルが全くなかった。相手の上半身を追っているだけの甘いタックルだから外される。4Q途中から出場した染矢君はLBとして活躍していた。守りの要の彼がどの程度試合に出られるかが今後のポイントか?それにしても惜しい試合だった。

「誕生日」
9月1日は私の69回目の誕生日。ということは69歳になるということ。家族間で誕生日を祝うことをしなくなって、何年になるのか。今更祝ってもらおうとも思わない。因みに1日の誕生日の花は「オシロイバナ」、花言葉は「内気、柔和」だというが、私には全く合っていない。この日は歴史的には色々なことがある日らしい。ご存知関東大震災では、13万人もの人が死んだという。また1939年にはドイツがポーランドに侵攻し第二次世界大戦が始まった。明治20何年かには、鉄道の上野―青森間が完成、当時は一往復の運行しかなく、27時間ほど掛かったという。