「将軍」

「江戸東京博物館・常設展5」
「将軍」
江戸時代の将軍がお出ましての「鷹狩り」の絵だ。実に面白いので、一応説明してみよう。まず最初の絵をご覧あれ。(写真:S1)

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将軍は一番上の列の真ん中にいるのだが、傘が掛けられていて、姿が確認出来るだけで、顔は見えない。次の絵も見てみよう。(写真:S2)
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右上の集団からちょっと離れたところにある傘。この下の将軍がおられるのだが、顔を見ることは出来ない。勿論周囲にいるのは「旗本」たちだ。「お目見え」と呼ばれる将軍に直接会える人たちだ。しかし「お目見え以下」という身分の低い人たちがこの絵を見て将軍と顔を会わせるのは無礼だとして、将軍の顔を見られないようにしているというから、物凄い念の入れようだ。
これは徳川家康公だ。(写真:S5)
だから多分本当の顔が描かれているとは考えないほうがよいのかも知れない。
「水道橋」
江戸城を出て東に進むと堀を越えるのが「水道橋」。(写真:S3)
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この橋を利用して上水を運んだので名付けられたのが「水道橋」、今もその名は残っている。
「御茶ノ水」
神田川の東側に美味しい水が出る井戸があったことから、ここでお茶を飲んだことから、その名を「御茶ノ水」と呼ぶようになったという。(写真:S4)
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井戸が名前の由来なのだ。
「玉川上水」
家康が入府してまず行ったのが、水の確保だ。江戸にはよい水がなく、掘って出てくるのは塩気の強い水だった。そこで「玉川」と「井の頭」から江戸市中に水を運ぶことになった。玉川上水は単に水の落差だけを利用して運んだ。(写真:T1)
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だから迂回しなくてはならない場所もあった。(写真:T2)
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市中に入ってからは、樋を使って、町のあちこちに運び、井戸状にしたところに水を溜め、それを飲料水として利用した。