「平戸城」

「平戸」
700年前の鎌倉時代からこの平戸の地は「松浦氏」が支配し、江戸時代も綿綿と続いていたというから、驚きだ。平戸・松浦藩、藩主の名前や藩命を呼ぶときは「まつら」となる。元々は「松浦水軍」であり、まあありていに言えば海賊だったのだ。源平の合戦にも平家方で参戦し、壇ノ浦にも出陣したという。さて江戸時代初期、海外貿易はこの「平戸」を窓口にして行われていた。だから日本で一番先進的なところであったのだ。「フランシスコ・ザビエル」も2度この地を訪れて布教していたという。「オランダ商館」もあった。それが「天草の乱」によってキリスト教が弾圧された煽りを食らって、平戸から長崎の出島に貿易窓口が移されてしまったことから、平戸は歴史の幕から去って行くことになったのだった。そのため、歴史から外されたことで古いものが沢山残されていた。落ち着いた漁業の街でもあり、古い都の平戸だった。玄界灘と有明海の両方に囲まれたこの地は豊富な魚類の産地でもあった。フランシスコ・ザビエルについていうと、余り評判はよくない。キリスト教を布教することに凝り固まっていて、どうも日本人をかなり見下していたらしい。その後、幕府は宗教色の濃くないプロテスタント系のオランダに貿易の窓口をポルトガル(カソリック系)から変えた。だからポルトガル側から見たら貿易面ではザビエルの布教は失敗だったと言えよう。

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