3月13日

曜日の感覚がなくなったが、もう水曜日なのだろうか?今日は移動日だ。朝、国内便でクスコからリマに戻り、そこからバスでの「ナスカ」までの約8時間にも及ぶ旅だ。何でも到着は真夜中過ぎだという。昨晩は早めに寝た。12時過ぎに一度起きたが、その後は3時半までぐっすりと寝入っていた。11日から12日の明け方までが殆ど寝ていなかったので身体が睡眠を欲していたようだ。「腰痛」は昨日は痛み止めの薬を服用したので、たいした痛みはなく過ごせた。余り痛み止めを連続して服用すると効き目が薄れてしまうみたいだ。クスコ発の飛行機は朝からの霧で出発できない。漸く3時間遅れで何とかリマに向かう。市内観光後、450km先のナスカに向かう。約8時間だというが、最高速度が自動車で100km、バスで90km、南北アメリカ大陸の太平洋側を走る道路だが、普通の道路だからそんなに飛ばせない。それでもバスは111kmまでは出していた。結果からして都合合計6時間半はバスに乗車していた勘定か。夜中ナスカ着。夜空にはやはり南+字星があった。今日は時間が早いから右上45度付近にあった。
3月14日
朝4時半、置きだして夜空を見上げると、南庶嚼ッがはっきり見える。例の二つの一等星の延長上にあるのだが、偽南庶嚼ッもその二つの星の左隣にこれまたくっきりと見えた。本物と偽者、陽と陰、それらが隣あって空に見えた。
さて、朝から快晴の空にセスナ機で舞い上がる。砂漠に細い線が見えるが、副操縦士の女性が次々と地上絵の名前を言うのだが、どれがどれだか、よく分からない。漸く確認できると直ぐに通過してしまい、観えたら写真は撮れないし、探しているうちに通過、写真撮れずの連続だった。地上絵は何度も何度も空から見ないと駄目だとは言われていたが、本当だった。どこにあるのか分からないから、言われてすぐ探すと直ぐ通過、写真は撮れないということになってしまった。まあ昔の人が何のために造ったのか知らないが、農業用の暦だという話しらしいが、余りにもよく分からず感度は湧かなかったのが真実だった。これで南米の3つの世界遺産は終わった。帰国まで30時間余りの空の旅が恐ろしい。早く帰国しよう。

「ペルーで一番美味しかった料理」

ロスの乗り継ぎ時間待ちの間に「スシボーイ」という店を空港内で見つけたので、握り寿司のセットを食べたが、まあまあだった。難点といえば「穴子」が硬かったこと位か?立派に70点合格点だと思いました。さてリマもイグアスもホテルは朝も夕食も全て「バイキングスタイル」でまあまあそれなりに、野菜も肉もあり、そこそこ、満足出来た。昼食はブラジルとアルゼンチンは所謂「シュラスコ」みたいなバイキングで、本当に大きなレストラン、恐らく1,000人位は入りそうなレストランでの食事だった。まあ彼らは肉をよく食べる人種だ。肉、肉、肉に攻められた日々だった。アルゼンチンでは「血のSAUSAG」がでたが、これはアルゼンチンの名物料理で、腸詰めされたSAUSAGの中身が牛などの動物の血なのだ。これが凝固していて、これを焼いて食べる。昔、アルゼンチンに来た時に食べて驚いたが、今回は量が少なかったので一安心したが、これをアルゼンチンの人は大量に食べるのだ。イグアスの空港で仲間が食べた「ハンバーガー」が半端な量ではなく、直径15cm、厚さ10cmのハンバーガーで、これは日本人には食べられないと痛感した。だから皆現地の人は太っているのだろう。<「クスコ」の昼食には「アルパカ」の肉も出ていた。勿論バイキング形式でアルパカは肉団子になって香辛料と野菜のスープに入れてあったが、言われなければ何の肉だかは分からない。こんなものなのか程度で臭みは消されていた。余り美味しいとは言い難かったが、話しのネタにはなった。「ウルバンバ」で食べたホテルの夕食は「カイグアレジェナ」という地元料理で、ピーマンのようなウリ科の野菜に「牛挽き肉、ニンジン、グリーンピース等」を刻んで炒めて入れて、それに衣を付けて油で揚げた、日本流に言えば「ペルー風包み揚げ」のようなものだったが、これが味はあっさりだが、それぞれの素材の相性がいいのか、バランスがよく、日本人向きの料理だった。確かにペルー料理は美味しいと感じた。そろそろ和食の麺類でも食べたくなってきた。東南アジアならば、地元の麺類が食べられ、少しは胃の負担を軽くしてくれるのだが、南米では無理か?そうそう地元で一番飲まれている飲料水は「インカ・コーラ」というもので「黄色い飲み物」だ。発泡性で味はオロナミンCに似た感じの炭酸飲料水だ。どこでもこれを飲んでいた。但し、冷たくないと飲めない。さて現地でよく出てくる飲み物に「コカ茶」がある。所謂「コカイン」の原料をお茶にして飲むものだ。飲んでみたが、なんら変化は無かった。飲み過ぎないことが肝要か?勿論「マテ茶」もある。
ということで長旅を終えて帰国した勢古口がお送りしました。

3月12日

朝4時のモーニングコールで5時にはホテルを出発嵐閧セったのだが、目が覚めたらまだ現地時間午前0時だった。4時間も早く目が覚めたので、これをまた書き始めた。本を読み時間を読み始める。漸く4時になる。朝食後、友人が「南+字星が見える」というので外に出る。真っ暗な夜空に薄く南+字星が光っていた。この星の探し方はまず南の空の中空にある光り輝く二つの並んだ星を見つけ出す。その二つをつないだ線を右下に下ろしてくる(時間帯によって示す方向は変わるが、理由は地球の自転による)と菱形をした4つの星がある。それが南+字星なのだ。天空には天の川も見えた。快晴のようだ。これは楽しみ。バスで出発し、途中から列車に乗り、更に小型バスに乗り継いで、漸く「天空の回廊」と呼ばれる「マチュピチュ」に到着だ。「言う言葉、阜サする言葉がない」。周囲を高い山々に囲まれ、麓を「ウルバンバ川」が流れ、2400mの高地に築かれた「インカの都市」。精巧な石積みで出来た都市。1911年にアメリカ人によって発見されるまでスペイン人による侵略から逃れ、人知れず残されていた都市が「マチュピチュ」だ。段々畑を登り、見下ろすとそこには中世に造られた都市が突然と姿を現す。「世界遺産人気ナンバーワン」がこの遺跡だというが、それが充分に理解できてしまうから凄い。山を切り崩し、その石を壁にして造られたために、まるで「都市全体が空中に浮かんで見える」から不思議だ。朝方曇っていた空が我々の到着を待ちわびたかのように、晴れだし、雲は遠く彼方へと去っていった。素晴らしい天候となった。ガイドもここは365日の内、200日は雨が降るというから「奇跡的だ」と言っていた。観光客の数も多いが、最も驚いたのが、遺跡修復のために働く人たちだった。石と石の間から生え出す草を放置すれば数ヶ月で草が石を覆い尽すそうだ。そのための「草抜き」「苔落とし」が絶対必要でこれらは全て「手作業」で行われていた。ペルー政府の落Zがないため、ボランティアの人たちも多いと聞く。いずれにしても800年以上前のインカの遺跡は全世界の人類の遺産なのだ。遥か下を流れるウルバンバ川はやがて「アマゾン川」となって大西洋に注ぐ。この辺はアマゾンの源流なのだ。この都市に繋がっていた「インカ道」と呼ばれる道は「インカ帝国華やかなりし頃」には、「延べ4万キロ」もあり、南米の殆どをその支配下に置いていたという大帝国だったようだ。さて、夕食後、星を探すが、今日は「偽南+字星」が見えた。本来の南+字勢より菱形が大きく、それ自体くっきりと見えるのだが、これが真っ赤な偽物なのだ。必ずだまされる人がいるから面白い。

3月11日

旅も後半戦入りで今日はクスコへの移動日だ。朝、4時半モーニングコールで6時過ぎにはリマのホテル出発だ。飛行機で「クスコ」の町へと向かう。標高3400mの高知にある「インカ帝国」の首都だった町だ。「第9代国王」時代が栄華を極めていたらしいが、例のスペイン人の侵略により破壊され尽くした町で、今や残っているのは建物の壁の一部が精巧な石積みだけで、その上にはスペイン人が教会等を建ててしまった。クスコは盆地で農作物も「ジャガイモ」等ごく一部のものしか生産されないらしいが、嘗ては金が大量に産出され、ここかしこに金で出来たものがあったという。それらは征服者のスペイン人によってヨーロッパに持ち込まれ、「産業革命の原資」となったという。また、南米からは「ジャガイモ」「トマト」の農産物もヨーロッパ経由全世界にもたらされた。特にジャガイモはドイツやロシアの食料危機を救った貴重は産品だった。さてインカ帝国には「鉄」がなく、当時も「青銅器時代」だった。そこへスペイン人が「鉄」「銃」「病気」を持ち込み、あっという間に征服してしまったことはご存知だろう。また「多神教」のインカはあちこちに神殿や神にささげ物をする施設を設けていたが、スペインはそれらのものを全て徹底的に破壊したようだ。だがそれを逃れて発見されなかったのが明日に行く「マチュピチュ」なのだという。さて、クスコからバスでマチュピチュ観光の拠点である「ウルバンバ」へと約1000mほどアンデスの山を下る。兎に角下り坂のその先に「ウルバンバ渓谷」があった。「本当に田舎に来たなあ」と思う。ペルーは「やはり貧しい国だ」と痛感させられた。途中、インディオの農婦が民族衣装で、あるいは手に人間の「赤ん坊」を、あるいは「リャマ」という真っ白い毛の動物を抱えていて、写真を撮ると1枚につき、1ャ許?R6円程度を払うことになる。これが彼女たちの副業なのだという。貴重な現金収入なのだろう。リャマは小型の馬のような形をしているが、全身が白い毛で覆われていて愛嬌のある顔をしている。大人になると2mもの身長になるというが、そのリャマは生後3ヶ月の子供だったようで実に可愛らしかった。問題の腰の痛みは時々襲ってくるので、立ち止まって腰をかがめたり、ベンチに座ったりと、ツアー全体に迷惑を掛けている状態だ。いったい、この先どうなるのだろう?マチュピチュは3時間ほどの歩きがあるというのに。なんとかこなし、問題になるようなこともなかった。石段の上り下りだから身体にはしんどい。腰の痛みも朝の薬のせいか、どうにかなった。近くの露天で売り子を冷やかす。買うつもりもないのだから、やめておけばいいのに、友人と一緒に冷やかして歩いた。恐れ多い話しだ。

南米の旅

3月7日、8日、9日
長かった一日が漸く終わった。成田を発って28時間、丸い一日以上経って着いたのが、南米「ペルーの首都リマ」だった。ロスまで9時間半、そしてリマまで8時間強の長いフライトの末に着いた街だ。1990年に一度南米には来たことがあったが、それにしてもやはり長い。まだ地球半周の旅は終わっていない。到着したリマは真夜中だからよく分かたないが、それにしてもナイトクラブやカジノが営業している不夜城の街のようだ。ロスでの乗り継ぎ待ち5時間を含めても本当に長い旅の末の南米の街だが、リマの年間降雨量が40mmと雨の無い街なので、家々の屋根は本当に薄い平らなもので、これで大丈夫?と思ってしまうものだった。地上近くの窓には鉄の格子が嵌められていて不審者の侵入を防ぐようになっているのは当たり前だ。やはりここも犯罪が多い街なのだろう。貧富の差が生む仕方ない現象なのか?今回も「3S会」所謂「団塊の世代の3人組」での旅だが、息もぴったり合ってきたようだ。考えてみれば昨年の6月の「スイス・オランダ」、そして10月の「北海道、知床」、さらに2月の「沖縄」と順調に旅をこなしてきた仲間だ。今回もいかなる「珍道中」が待っていることやら。現地ガイドによると、ペルーの最低賃金は月2万5千円、大卒初任給で5万円から6万円ということで日本とはだいぶ違うようだ。まだまだ貧しい国ということか?学制も6,5,5で高校はないとのこと。今回はトランジットだから空路更に「ブラジルのイグアス」に4時間飛ぶ。ペルーは兎に角不毛な荒野が眼下に見える。リマから約1時間ほどすると「大きな湖」が見えてきた。後で地図によると「チチカカ湖」だった。琵琶湖の12倍あるという。何か古代文明の象徴のような湖だ。夕方ブラジル到着。イグアス川の合流地点にある街がイグアスだ。ここはブラジル、アルゼンチン、パラグアイに国境が交じり合うところだ。下には高級住宅街なのだろう、プール付の家が沢山見える。こちらは時差がちょうど12時間なので時間の感覚が失われてしまう。日本の夜明けがこちらの夕暮れだ。
今日は3月9日土曜日の朝6時だ。鳥の鳴き声が聞こえる。外を見ると川が流れている。水の動きは早そうだ。但し濁った茶色い水だ。周囲は緑が非常に多い。木々の間に牛がいるのがホテルの部屋からも見える。いったいどの位の観光客がこの街を訪れるのだろうか?ペルーもここもインターネットの環境はいいので助かる。
いよいよ「世界三大瀑布」の一つである「イグアスの滝」に行く。上流650km辺りに雨が降ったせいで水が茶色に濁っているが、水量は通常より多いという。巨大な滝を今日はブラジル側から見ながら行くが、まあ言葉で言い尽くせないほどの迫力がある。この滝の特徴はその幅の広さだ。2.7kmもあるというから凄い。そこを何本もの滝があるいは重なり合い、あるいは隔たりあって下へ下へと流れ落ちているのだ。それこそ場所によっては数メーターの近さまで接近できるのでその迫力、音には驚かされる。だが一番困るのは水が吹き上がってきて風によって我々に吹き付けてきて身体をびしょ濡れにしてしまうことだ。雨具が必要だが、若者たちは裸やティーシャツ一枚で水しぶきを浴びている。さて本日のメーンイベントである「ボートツアー」だ。20人近くの客を乗せた平たいボートで滝に突っ込んでいくのだ。途中滝までの間もボートは右に左にと急激なカーブをわざと仕掛けて観光客を驚かせながら進むが、滝の落下地点真近かまで進み、それこそ厭というほどの水を浴びせかけてくれる。まるで滝の直下に来たような感じなのだ。落下する水際ぎりぎりまでボートは突入し、その飛沫を存分に浴びさせるのが運転手の腕なのだろう?私はゴルフの雨用の上下の防水ウエアを着用したが、結局下着まで濡れてしまった。滝近くで一時的に太陽が照りだし、美しい「虹」を見せてくれたのは僥倖だった。約30分、130ドルの船旅だったが、満足し堪狽オた。明日はアルゼンチン側からの見物となる。さて、先日、リマからイグアスまでの航空機の中で隣に座られていたお父様と娘さんの方(JTBの旅物語のツアー参加者)にイグアスの昼食時に再度偶然ご一緒したので、「アルゼンチンの国旗のピンバッジ」を買ってきて貰いたい旨依頼した。彼らはイグアスからブエノスアイレスに移動するのだ。娘さんは大阪で勤めており、お父様は広島在住ということで無理をお願いしてしまった。ここ2年間位から各国の国旗のピンバッジを集めており、アルゼンチンも既に行ったことが在るのでお願いしたが、ブラジルでは布製の小さな国旗になってしまったが、仕方ないか?ツアー参加者のコミニュケーションも漸く慣れてよくなってきたので、なかなか面白い会話が成り立つようになってきた。まだまだ今回の旅の第一ラウンドでしかないのだから、存分に楽しまなくてはならない。
3月10日
日曜日。今日はイグアスの滝をアルゼンチン側から観る。滝を上から観るという趣向らしい。アルゼンチンに入国して、またまた昼は「シュラスコ」だ。と、突然空が暗くなり豪雨が降ってきた。もの凄い雨だ。ツアーの仲間の内の一人の奥様が「晴れ女」だと自慢していたので、雨具を着ないで待っていた。確かに振り出して1時間ほどでやみ始めた。観光する頃には雨は上がった。トロッコ列車で移動し、歩いて滝の上流の川を渡る橋を歩く。腰が痛くてのろのろ歩行だ。そして到着したのが、通称「悪魔の喉笛」と呼ばれている瀑布だ。馬蹄形になっている滝つぼに水が落下する。その水の量と早さはなんとも言えない迫力だ。まだ水は濁っているが、大量の水が滝つぼ目指して落ちていくのは本当に「ど迫力」といえよう。イグアスの滝観光はブラジル側からのほうが素晴らしいとは思うが、この上からの滝の眺めもまた素晴らしいといえる。我々グループの半数ほどの人たちは「ヘリコプター観光」をした。滝を真上から観るらしいが、それなりによかったようだ。3カ国国境合流地点で、アルゼンチンとパラグアイの、そしてブラジル側国立公園入り口の売店でそれぞれの国の国旗のピンバッジを買うことが出来た。助かりました。

「手前勝手世界食物語、第290話」

「うさぎの肉」
兎の肉は以前浅草橋の店で食べたことがあるが、今回は「人形町」の「フレンチレストラン」でだった。その店は人形町交差点から10mほど水天宮寄りのところにある小さな店で入口にフランス国旗が飾ってあった。「小さなパリのレストラン」というところか?イタリアならば「バール」、スペインならば「バル」のような庶民的な雰囲気の店で価格もリーズナブルだし、ワインも安いという。ワインリストには「仕入れ価格に2000円以下しか乗せてませんから、高いワインほど安い」書かれていた。何種類か頼んだが、<.b>「店のお薦め」というのが「うさぎの肉」だといいうので注文して見た。確か@1200円だったと思う。実は聞いてみると「うさぎ」だけでなく、その他「豚、鶏」等を一緒に混ぜて焼き上げ、デミグラス風メ[スで仕上げているという。形が面白いね。「うさぎの顔」だ。まあ、「変り種のハンバーグ」のような食感だった。友人に連れて来られたのだが、人形町は飲食店の数も多いし、きっと過当競争なのだと思う。近くにオフィスもあるが、それほどでもないし、逆に地元の人が住んでいるのが多いほうかも知れない。大手町、日本橋、茅場町、兜町とそれぞれある程度一定の距離もあり、お客の確保には大変な努力と知恵が必要なのだろう。また不思議と「老舗」の料理屋等が多いのもこの町の特徴でもあるのだが。
これから南米の旅に出掛けます。来週またお目に掛かりましょう。勢古口が東京からお送りしました。

「銀座シネパトス閉館」

銀座「三原橋」の地下で45年に亘り興行を行っていた映画館「銀座シネパトス」が3月で閉館となる。今、やっている映画で全て3館共に閉館だという。理由は「地震対策」が不助ェということらしいが、まあ客が入らなくなったのが主因だろう。この映画館の特徴は更に地下を走る「地下鉄日比谷線」が通過するたびに「ゴウゴウ」と音がすることだ。まあ愛嬌と言えば愛嬌だろうが、そんな「銀座名物」がまた一つ減る。跡はどうなるのだろうか?銀座は日々変化を遂げている。4月になれば程近い「銀座歌舞伎座」がリニューアル・オープンするし、目まぐるしく銀座は変わる。

「MICROSOFTの広告」

中央通り「アップルストア」の目の前「銀座松屋」の壁面一杯に「MICROSOFT」が宣伝を展開している。正にアップルとMICROSOFTががっちりとぶつかり合ったという感じだ。両巨頭が目の前で火花を散らす。流石銀座ですね。そうそう「銀座松坂屋」が「閉店セール」を行っている。これも建て替えだという。周囲も含めて新しいビルが出来ると銀座通りもまたまた大きく変貌を重ねるのだろう。それにしても銀座8丁目の高速道路の下にある「ハナマサ」というスーパーだが、いつもだと観光バスが必ず停まっていて中国人観光客がそこから銀座を闊歩し、ハナマサで食料を買い入れている姿が観られたが、今は殆ど観ることがない。如何に中国人観光客が減ったかということだろう。

変わる、銀座

「J  REPORT 2013 3月第3週号」
「リタイアメント・ノート 4年9ヶ月目」、
「VOL。784 SINCE AUG.12th、1983」
「変わる、銀座」
有楽町の街角にひっそりと「歌誌の碑」がある。その歌は「有楽町で会いましょう」だ。そこからほど遠くないところ、「数寄屋橋交差点」角に建っていた「銀座東芝ビル」が無くなった。勿論解体されて新しいビルになるのだが、日頃見慣れたものがなくなっても意外に気がつかないことが多い。「銀座西六丁目」のバス停のところにあった「新潟の米菓屋さん」が洋服店に変わっていたりと、知らないところでどんどん変化が起きている。東芝ビルもしかり、ちょっと銀座を見回してみても、その変化に驚かされることが多い。銀座にも「丸源」という名前の付いたビルが沢山あるが、テレビでここの社長の脱税が取沙汰されていたが、なんとピーク時には全国で約1000ものビルを持っていたというから凄い。年齢81歳というから若い時から不動産で財をなした人なのだろう。

「湯島天神の梅」

東京もようやく春の足音が聞こえてきたようだ。湯島天神の梅もほぼ満開となり、沢山の人たちが訪れていた。勿論「絵馬」も沢山あった。

2013年の映画のお話し
映画「フライト」(丸の内ピカデリーにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年36作目)
アトランタからフロリダに向かう航空機。乗員乗客102人が乗っていた。機材の故障で突然急降下するが、パイロットの機転で無事不時着するが、6名が死亡した。そしてパイロットの血液からは、アルコールと麻薬の反応が出た。そして当局の事故原因捜査が始まる。果たしてパイロットの責任なのか?機材の不具合だったのか?結末は意外なものだった。アカデミー主演男優賞ノミネートされた「ゼンデル・ワシントン」がパイロット役。

映画「ジャンゴ 繫がれざる者」(丸の内ピカデリーにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年37作目)
アカデミー助演男優賞獲得作品。流石タランティーノ監督作品だけあって人を殺すは殺すは凄い迫力だ。監督初めての西部劇とあって面白かった。黒人奴隷を解放したドイツ人歯医者、実は賞金稼ぎが悪党をやっつけながら黒人の妻を奪還しようと言うものだが、まあ面白かった。

映画「インターミッション」(銀座シネパトスにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年38作目)
インターミッションとは「休憩」所謂幕間だ。実際の映画館での幕間にいくつものショート劇がオムニバス形式で描かれている。舞台は映画館の席という設定でそこに登場する人たちの物語だ。

映画「横道世之介」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年39作目)
1980年代に長崎から上京した大学生の生活を描くコメディー。人気漫画が原作らしい。

映画「スーちゃん、まいちゃん、さわ子さん」(ヒューマントラストシネマ有楽町にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年40作目)
30代の3人の仲良し女性たちの生き方を通じて現代女性を描くコメディー。

「私の去年2013年の映画の評価は?」
今年の★★★★★は、
今年の★★★★は、「シェフ」「アルバート氏の人生」「ライフ オブ パイ」「東京家族」「ムーンライズ・キングダム」「ジャンゴ」

「シノプスシ211」
「蔵前残照」(鳥羽 亮 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年68冊目)「八丁堀剣客同心」シリーズ第12弾

「戒」(矢月 秀作 著)中公文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年69冊目)「もぐら」シリーズ第6弾

「公安捜査官 女狐」(黒崎 視音 著)徳間文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年70冊目)

「陰の季節」(横山 秀夫 著)文春文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年71冊目)

「動機」(横山 秀夫 著)文春文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年72冊目)