3月11日

旅も後半戦入りで今日はクスコへの移動日だ。朝、4時半モーニングコールで6時過ぎにはリマのホテル出発だ。飛行機で「クスコ」の町へと向かう。標高3400mの高知にある「インカ帝国」の首都だった町だ。「第9代国王」時代が栄華を極めていたらしいが、例のスペイン人の侵略により破壊され尽くした町で、今や残っているのは建物の壁の一部が精巧な石積みだけで、その上にはスペイン人が教会等を建ててしまった。クスコは盆地で農作物も「ジャガイモ」等ごく一部のものしか生産されないらしいが、嘗ては金が大量に産出され、ここかしこに金で出来たものがあったという。それらは征服者のスペイン人によってヨーロッパに持ち込まれ、「産業革命の原資」となったという。また、南米からは「ジャガイモ」「トマト」の農産物もヨーロッパ経由全世界にもたらされた。特にジャガイモはドイツやロシアの食料危機を救った貴重は産品だった。さてインカ帝国には「鉄」がなく、当時も「青銅器時代」だった。そこへスペイン人が「鉄」「銃」「病気」を持ち込み、あっという間に征服してしまったことはご存知だろう。また「多神教」のインカはあちこちに神殿や神にささげ物をする施設を設けていたが、スペインはそれらのものを全て徹底的に破壊したようだ。だがそれを逃れて発見されなかったのが明日に行く「マチュピチュ」なのだという。さて、クスコからバスでマチュピチュ観光の拠点である「ウルバンバ」へと約1000mほどアンデスの山を下る。兎に角下り坂のその先に「ウルバンバ渓谷」があった。「本当に田舎に来たなあ」と思う。ペルーは「やはり貧しい国だ」と痛感させられた。途中、インディオの農婦が民族衣装で、あるいは手に人間の「赤ん坊」を、あるいは「リャマ」という真っ白い毛の動物を抱えていて、写真を撮ると1枚につき、1ャ許?R6円程度を払うことになる。これが彼女たちの副業なのだという。貴重な現金収入なのだろう。リャマは小型の馬のような形をしているが、全身が白い毛で覆われていて愛嬌のある顔をしている。大人になると2mもの身長になるというが、そのリャマは生後3ヶ月の子供だったようで実に可愛らしかった。問題の腰の痛みは時々襲ってくるので、立ち止まって腰をかがめたり、ベンチに座ったりと、ツアー全体に迷惑を掛けている状態だ。いったい、この先どうなるのだろう?マチュピチュは3時間ほどの歩きがあるというのに。なんとかこなし、問題になるようなこともなかった。石段の上り下りだから身体にはしんどい。腰の痛みも朝の薬のせいか、どうにかなった。近くの露天で売り子を冷やかす。買うつもりもないのだから、やめておけばいいのに、友人と一緒に冷やかして歩いた。恐れ多い話しだ。

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