10月18日(火曜日)第8日目

「ライン川」の船旅に出かける。ここフランクフルトは正式には「フランクフルト アム マイン」というらしい。「マイン川沿いのフランクフルト」とのこと。外は今日も好天だ。日曜日の夜は「NFL」のフットボールの試合を「ESPN」で観たし、月曜日の朝は大リーグ「ナ・リーグ」のチャンピオンシップの決勝戦を、今朝はNFLのマンデーフットボールを観た。満足です。リューデスハイムというところから「ライン川下り」をしたが、一番驚いたのは、ここが「ルール工業地帯」の大動脈の輸送路だということだった。川の両側、東側は貨物列車が、そして西側は旅客列車がそれこそひっきりなしに運行されていたことだった。写真は自動車を運ぶ列車だ。川は勿論石炭を運ぶ船、油を運ぶ船、観光客を運ぶ船等々、この川が流通の主動脈だということを痛感させられた。本来の目的の観光としてはライン川沿いの古いお城なのだろうが、私にとってはドイツ産業の動脈を見た思いでそればかりに感心していたという具合だ。そしてブリュール経由で「ケルンの大聖堂」を観たが、遂に雨の洗礼を受けてしまった。これまで少なくとも日中には雨はなかったが、ここケルンで雨に出会ってしまった。帰りのバスの中で不思議に意気投合してしまった人たちが集まって夕食会場に6人で集った。まあ事実上独り者みたいなものでそれぞれが友人同士か個人参加の6人だった。但し男性はたったの二人。これだから女性はまだまだ長生きするわけだ。男性はといえば私を筆頭にもうしょぼくれている。いつ、お迎えが来てもとは言わないが、女性人は皆元気溌剌としている。子供も独立し孫も生まれもう安心して旅行に行ける立場になったわけだから彼女たちは強い。反面、男性はまだまだ肩の荷を降ろし終えていないのだろうか?インターネットで明日の便の座席を蘭?オ、ほっとしているのが今だ。「人生色々」とはよく言ったもので我々団塊の世代はこの後、どのような日本に漂うのだろうか?次の時代は間違いなく「中国」だ。だがその中国が今の我々のような経済的な立場を得ることが果たしてあるのだろうか?13億人をそこまで持っていくということは事実上不可狽セからだ。今世界を「99%」運動が走り回っている。流石にドイツで我々の眼には触れなかったが、潜在的にそういった過激な思想はあるはずだ。あと一日考えてみよう。さてよく考えてみると還暦を過ぎた連中(我々団塊の世代もその一つなのだが)が今の海外旅行の主役ではないだろうか?お金と時間に余裕がある世代だけが旅を満喫できるのだ。これも1%に代浮ウれる特権階級か?そんなことはないだろう。

10月19日(水曜日)第9日目
いよいよドイツ滞在最後の日となった。本当に駆け足の旅だった。「行った、観た、帰った」という印象だった。それも「観ながら通過した」という感じだ。旅の半ばから私にあだ名が付けられた。「隊長」という名だ。理由は添乗員よりも前に出て歩くからだそうだ。まあ迷子になりそうな人たちを探しに行ったりしているから(余計なお節介だが)そんな名前を付けられた訳だ。今日は「フランクフルトと隣町のマインツ」という街の旧市街観光だった。ドイツの古い街の基本形は、「広場」があり、その前にどっかりと大きな「市役所」、広場の中に「井戸か噴水」、そばに「教会」か「大聖堂」といった具合だ。どこもこの基本は一緒だ。「宗教の力」というのは恐ろしい。「天国に行けない」と教会から言われた人々は右往左往して寄付をして免罪符と買う。オーム真理教と何が違うのか?否、全く違わない。だから宗教は恐ろしいのだ。さてドイツ国民だが、出稼ぎの外国人も多いのだろうが、ゲルマン民族特有というような巨大な身体の人ではなく、意外と小柄な人が多いのに驚かされた。だんだん縮まっているのだろうか?そんなことはないと思うのだが。自転車が多いと同時に「乳母車」も多い。中には自転車に乳母車を付けて引っ張っているのまである。またバス停、路面電車の底流所には「侮ヲ板」があり、次の車両が何分後にどこ行きが来るかが侮ヲされていた。これは便利だ。だが疲れた。マインツの広場で幼稚園生たちが疑似体験で「病院ごっこ」をしていた。患者さんは縫い包みの御人形さんたち。これをオペとは針で縫うこと。等々、色々なお医者さんごっこをしていたのが微笑ましかった。
今、フランクフルト空港のフルトハンザのラウンジでこれを書いている。15時間後には成田に到着嵐閧セ。ご苦労様でした。大変疲れました。ある意味、飲み疲れたのかも知れないが。

10月16日(日曜日) 第6日目

旅も半ばを超えて後半戦に突入した。朝の空気は最高に澄み切っていた。ホテルの周囲の木々は既に色付いていた。さて今日も移動に次ぐ移動だ。ワイマールからニュルンベルグ、ビュルツブルグと中世の町並みを復活させた(戦争により破壊されたため)ところを巡り歩く。ドイツは日本の95%の面積だというが、広大な丘陵地や平地が延々と続き、日本とは土地の利用比率が全く違うから比較にはならない。日本は国土の3分の2は山岳地帯なのだから。さてニュルンベルグというと我々は戦争犯罪人のナチスを裁いた裁判を思い起こさせられる。しかし戦争で90%以上が破壊されたこの街もいまや完全復活を遂げている。ここにドイツ人魂を見た。ドイツはどこへ行っても中世が共存しているような感じがするのは観光地を巡っているからなのだろうか?否、ドイツ自体が保守的で頑固なのだろう。過去を大切にして、自然を大切にしていると思う。原発問題にしてもその姿勢は自然保護なのだろう。「緑の党」などが活躍しているのもそんな理由なのかも知れない。夕方、真っ青な空に飛行機雲があっちからもこっちからも飛び交い、航空機のラッシュアワーのような空の状態だった。ヨーロッパの中央に位置するドイツならではの光景なのかもしれなかった。日曜で道路がすいていると思っていたら、アウトバーンが大渋滞。工事の影響もあったかもしれないが、自然渋滞だと思う。約1時間ロスした。日曜日の好天に誘われて家族連れが繰り出したに違いない。

10月17日(月曜日) 第7日目
フランクフルトから「ローデンブルグ」「ハイデルベルク」と南部ドイツの都市を回る。どこも中性の面影を色濃く残す街だ。ハイデンブルグは京都と同じで戦争中空襲を受けなかった都市だという。従って歴史が生き残っていた。さてトイレのお話しをする。我々日本人は兎に角すぐにトイレに行かなければならない人種のようで、ほぼ1時間半から2時間置きに「トイレ休憩」をする。アウトバーンの場合は休憩所で70セント支払い50セントの金券を貰いトイレを使用する。その金券はそのチェーン店ならばどこでも使える。さて私もお金に困っているわけではないが、冒険で休憩所近くの藪の中に入って無料でしてみた。「Nature calls me」というわけだ。その後、老夫婦がやってきた。観ていると茂みの途中の道路で男性が「立ちしょん」をすると、女性が更にその奥の道へと進み姿が見えなくなった。すると男性は道路の入り口付近に仁王立ちになってガードしているではないか。これで読めましたね、彼の役割が。ドイツを含めてヨーロッパは自転車天国だ。ハイデルベルクは世界最古の大学がある街だから尚更学生の移動手段は自転車となるようだ。さて、今回の旅行で不思議だったのが、航空機の24時間前の座席蘭?ァだ。帰りの便の座席蘭矍蜃?Xがやるとはいったいどうなっているのだろうか?旅行会社も航空会社も手抜きが過ぎないか?今、シェラトンホテルの部屋でインターネットに1時間当たり6ユーロで接続してみたが、全く遅くてとしてANAのホームページは「待機中」となり、動かなかった。こんなにインターネット環境がそれも一流ホテルで悪いとは信じられない。昨晩からフランクフルトの「シェラトン・コングレス」というホテルに3連泊なのだが、ここのサービスは決してよくない。どうなっているのか?ポーターもいないし、食事の部屋も狭い部屋の狭い座席に押し込まれた。グループツアー客を大量に取り過ぎているのではなかろうか?それがサービス低下の一因であろう。中国人客もたくさんいる。勿論ヨーロッパ人客も日本人客もいるのだが。

10月14日(金曜日) 第4日目

「マイセン」経由で首都「ベルリン」に向かう。マイセンはご承知の通りの「陶磁器」の街。「陶磁器博物館」を観て、ひたすらベルリンへ。ドイツ最大の都市は、1990年の統合後に社会主義の東ドイツの首都から正式に「ドイツ連邦共和国」の首都となった。1989年の「ベルリンの壁」崩壊の名残りの壁の跡などを見るが、大都会だ。ここでも戦争で破壊された古いものを再建しようとする努力が至る所に垣間見られるのが最大の特徴か。市内の美術館で「北斎展」が開かれていたのが、これまた印象的だった。「ブランデンブルグ門」や「チェックポイント・チャーリー」などの東西分断の象徴もこれまた印象に残った。「ベルガモン博物館」ではトルコの遺跡を見学もした。ベルリンの壁に描かれていた二人の男性のキッスシーンの絵には本気で驚かされた。「旧・Aのブレジネフと旧東ドイツのホーネッカーのキッスシーン」だ。これは当時の冷戦時代を象徴するもので東側の結束の強さをアピールしているものだろうが、それをベルリンの芸術家が皮肉った作品なのだ。駆け足で今日も強行軍を終えた。「チェックポイント・チャーリー」は冷戦時代を描いたスパイ小説には必ず出てくる米軍占領地と・A占領地の東ベルリンとの接点で、どのスパイもこの地点を抜けて無事に西側に戻れるかが生死を分けるという設定が多かった。そんな冷戦の遺物ももうお話しの中でしか残っていなかった。夜、ホテルの部屋でこれを書きながら、アウトバーンのドライブインで買い求めた地元産のウィスキーを飲んでいる。700mlで13ユーロだったから、多分安いのだろう。ウォッカの方が安かったが、余り馴染みがないのでウィスキーにしたのだが、果たして正解だったのだろうか?分かりません。
ベルリンに来て漸くハイブリッド車「トヨタのプリウス」を2台観た。環境大国ドイツにしては少ないとは思いませんか?ドイツも小型車ばかりが走っていた。勿論「ジーゼル・ガャ潟刀vで。

10月15日(土曜日) 第5日目
朝のベルリンは空気が引き締まっていた。最低気温は摂氏0度近く高気圧に覆われていて快晴だが、本日の最高気温の卵zは12度位らしい。秋も深まり「黄葉」の季節だ。紅色ではなく黄色の葉になるのが特徴とか。ベルリンの広さは東京都の1.5倍あるらしいが、その40%は森、畑、公園、湖だという。そして氷河の影響で土壌は砂地で痩せていてジャガイモ位しか育たないとのこと。因みに南は小麦が名産だという。肉は豚肉が中心。ゴルフ場は占領軍の米英占領軍の基地の中にはあったとのこと。ポツダムにはドイツ滞在30年の日本人女性がガイドとしてやってきた。空には白い飛行機雲が何本も走っている。本当に澄み切った空だ。逆に川や湖からは湯気が立ち上り、気温の低さを示している。
「ポツダム宣言」が出された都市「ポツダム」に行く。ここは戦後のドイツ処理問題を含めたヨーロッパ対策を連合国3カ国首脳が集まって考えた場所でもあり、日本に対しての「無条件降伏」を促すこととした歴史的なところだ。7月26日、日本に対して無条件降伏を通告するが、当時の鈴木貫太郎首相がこれを拒否。翌日米軍による広島への原爆投下が命令されたという。勿論・Aの対日参戦も決まっていた。知らぬは日本ばかりなり。昭和天皇の8月15日の「玉音放送」でポツダム宣言を受諾して日本は敗戦となる。日本国民にとって歴史上最も長い一日だったはずだ。そんな歴史的な街は今どうなっているのだろうか?その歴史的な部屋に入る。アメリカはトルーマン、イギリスはチャーチル、・Aはスターリン。その3人がこの部屋で終戦処理と日本の無条件降伏を決めた部屋に入った私は感動感激の余り涙が出そうになり、思わず堪えなくてはならなかった。日本人にとっての戦後を決める重要な会議の場所だ。涙以外に何があるというのか?あの時の判断を間違えなければ、広島長崎への原爆投下や・A参戦もなかったかも知れない。歴史に「if」はない。ただただ遠い過ぎ去った日々を悔やむだけだ。東西冷戦を経て、今世界は新たな試練と向き合っている。それは宗教的な考え方の相違だ。ドイツは南はカャ潟bク、北はプロテスタントと異なっている。更に世界はイスラム対キリスト教、ユダヤ教と、イスラム教内部対立と、我々日本人には理解出来難い世の中であることは事実である。
「ライプチッヒ」で昼食をし、「ワイマール」へ到着し、「ゲーテの家」や「ゲーテとシラーの像」といった観光ポイントを観る。ここはドイツ憲法の「ワイマール憲章」が制定された場所でもある。さてアウトバーンのドライブインのトイレは有料だ。50?70セントかかる。観ていたら地元の人でも男性は近くの茂みに入っていって立ち小便をしていた。街中の公衆トイレも有料だ。だからそれなりに綺麗にされているが、日本人にはチップ制のトイレには馴染めないものがある。「エコ」ということから奨励されている「自転車」だが、ドイツは前にも垂オ上げたように都市部にも「自転車専用レーン」が設けられている。そこで慣れない我々が専用レーンで自転車に衝突しても、罰せられるのは歩行者だということに慣れることは無理だろう。自転車は猛スピードで歩行者の脇を通過していく。危険極まりないが、専用レーンに侵入した歩行者が悪いのだというのだ。平和ボケした日本人には理解できない部分だろう。また市内は路面電車、所謂「ライト・トレイン」が走っている都市が多い。電力は自然エネルギーで生み出し、輸送機関は電気で動かし、二酸化炭素の発生を防ごうとする努力にはやはり感服せざるを得ないのだった。

ドイツの旅

「J REPORT 2011 10月第3週号」
「リタイアメント・ノート 3年目4月目」 「VOL.709 SINCE AUG. 12th、1983」
「旅暦35 ドイツの旅」
10月11日(火) 第1日目
全日空の成田<~ュンヘン便12時間のフライトで日本時間の12日午前0時5分に「ミュンヘン」に到着した。成田では勿論ANAラウンジに入って「ヌードル・バー」で蕎麦を食べ、お握りを摘む。漸く「旅行へ行こう」というモードに入った。昨年3月のイタリア、6月のチュニジア以来のヨーロッパだ。ドイツには調べてみたら1994年の春に「ロマンティック街道の旅」に来ているので観光としては2度目だ。今度の旅も過酷な移動の旅みたいだ。このツアー、人数が34名と非常に多いし、中高年といっても実質高齢者が非常に多いツアーのようだ。さて、到着後1時間20分でバスに乗ることが出来た。いつものことながら時差対策で私は機内では寝ていない。持ち込んだ文庫本を4冊読み終えた。ミュンヘンからバスで2時間、南の「フユッセン」へとひた走る。ホテル到着は日本時間の午前3時半。途中一時眠気もあったが、どうにか堪えていたらもう眠くなくなってしまった。飛行場で水とサンドウィッチを買ってきたので持参してきたウィスキーを飲みながら、この文章を書いている。そうそう、インターネットで席の蘭???O日にしたのだが、通路側の席が取れなかったので、成田のANAのカウンターで席の変更を垂オ入れたら、アップグレードした「プレミアム・エコノミー席」に替えてくれた。ラッキー。ちょっと広めの席だから助かったが、相変わらず窓際だった。満席で通路側は一杯だという。でも仕方ないか。ミュンヘンからのバスの中からは夕日と夕焼けが美しかった。東の空にはほぼ満月の月がこれも光り輝いていた。現地時間午後7時には暗くなった。フユッセンのホテルではシャワーのみだし(注:私には問題ないが)、まあ早く寝るかな。

10月12日(水) 第2日目
朝は7時頃から漸く明るくなってきた。テレビで「ブロードウェイ・ミュージカル」の「THE REAL LOVE」という番組を放送していた。驚いたことに画面上になんと20カ国の言葉で字幕が出ていた。勿論日本語も韓国語も中国語もあった。正に驚き。さて、出発前にロビーにあったパャRンでインターネットに接続しようとした時、驚くなかれ、ドイツのパャRンのキーボードの入力文字位置が違うのだ。Yが通常のXの位置にある。一瞬固まった。よく見てみるとYとXの位置が入れ替わっているのだ。戸惑った。多分ドイツ語での使用頻度の問題なのだろう。話し変わって車は総じて当然ながらドイツ車が多い。その中で健闘していた日本車は「マツダ」だった。ここバイエルン州は地元「BMW」の本拠地でもあるから多いのは当然としても、「日本車ではマツダが頑張っているなあ」と感心させられた。ドイツの高速道路「アウトバーン」での運転も皆さん危ない恐ろしい運転をしていた。車間距離が極端に少ない。危険運転がざらだった。それよりもアウトバーンに平行して走っている地道の車のほうが速いとはどうなっているのか?自転車道が整備されているのには今更ながら感服でした。さて本日のメイン観光は「白鳥城」即ち「ノイシュバンシュタイン城」だ。1994年の来訪の時の美しさに比して何か衰えたような気がした。「ヴィース教会」を観て、ライン川沿いの街「レーバンスブルググ」の大聖堂を訪れる。ここはローマ帝国の駐屯地で北の蛮族と相対していた最前線の基地だったところだ。ライン川沿いの南側の都市は全てローマ時代の駐屯地といっても過言でない。ローマ人は駐屯地と駐屯地、そして首都ローマとの間に「ローマ街道」を敷設し、いつでも大軍を移動できるようにしておいて、敵に対処していた。どこかに北方の蛮族(今のドイツ人の祖先)が進入すると、すぐさま近くの駐屯地から軍隊が当時の高速道路「ローマ街道」を使って移動し防衛にあたったし、必要とあればローマからもすくに軍隊が派遣されてきた。だから「点が駐屯地で線がローマ街道」だったのだ。もう一つローマ軍の特徴は現地の人たちをローマ軍に入れてローマ市民権を獲得させ、ローマ化するという手法だ。こうしてどんどん領地を広げるなんて頭がいい。さて更に移動して「バンデルベルク」まで到着。「ブルグ」とは「城」「砦」といった意味らしい。南ドイツは酪農が盛んで放牧地、牧草地が一面だ。北に来ると家畜の飼料用の「とうもろこし畑」や「ビート畑」も出てくるが、周囲は「と牧草地と農耕地」が混在するのが基本的な環境だ。主食の「ジャガイモ」も当然栽培されている。このジャガイモの歴史というのは意外と最近で、スペイン人が南米から持ち帰ったものが、18世紀に入ってからドイツに持ち込まれ栽培が盛んになったという。今ではドイツ人の主食だ。さて村の中心には教会があるのは、ヨーロッパの基本だ。南ドイツはカャ潟bクだという。本日の移動距離は450km近くに上りました。強行軍ですね。8時に目的地到着。しかし、ひと騒動がありました。このツアー、やはり海外旅行経験豊富な方々ばかりの集まりだ。皆さん、全世界を回られている方々ばかりだ。偶然途中の白鳥城で一緒になった阪急旅行社の方々は「五カ国」を回るという。ドイツはフランクフルトからロマンティック街道、そしてオーストリアのウィーン、スイスのジュネーヴ、フランスのパリ、イギリスのロンドンだという。これも駆け足のピンポイントだけの観光だから中身は薄そうだ。「兎に角行ってきました」という旅だなあ。我々は「よくばりドイツ周遊10日間」という名前の旅だ。ドイツ全土を回るが、移動距離が凄いのでバスに乗り続けるのだ。そうそう大事なことを忘れていた。白鳥城では観光のために5分毎にグループツアーが入場するのだが、同じ時間帯に集まったのは、日本人グループ3、アメリカ人グループ1、中国人グループ1、個人客少々といった割合だった。流石「中国パワー」恐るべし、ヨーロッパを席巻しつつある。最近はどこへ行っても中国人観光客ばかりだから現地の人も我々日本人を見て「ニーハオ」と声をかける始末。21世紀は中国の世紀なのだろう。さてわがツアーはお客が34名に添乗員の女性が一人。内、3人組が2つ、一人旅が男女合わせて4人、その他が二人組だ。旅の当日に新婚さんカップルのキャンセルが入ったというから本来は36名のツアーだったそうだ。当日キャンセルと聞くと「成田離婚」?などと思ってしまう。毎日バスの席は前から順繰りに後ろへと移動していく方式だそうだが、以前は不満が出ない様に座席浮??Y乗員が作っていたこともあった。だが自動車事故があった時に怪我をした人から、「こんな席に座らせられたから怪我をした」とクレームがあったので、座席指定は止めたという。まあ、理屈をこねれば、こねられるが事故との因果関係とはちょっと酷い話しだ。

10月13日(木) 第3日目
世界遺産の「バンベルブルグ」(勿論ローマ軍の砦だったところ)市内観光の後280km離れた「ドレスデン」に向かい、奇岩で有名な「バスタイ」経由でドレスデン旧市内を観光した。ここドレスデンは第二次世界大戦末期の空爆で破壊尽くされた街で、最近漸く修復が完成に近づきつつあるという場所だ。ドイツ人らしい精神力で元の町並みや建物に戻そうとの涙ぐましい努力の末だという。同じ敗戦国として心痛む出来事だった。1945年2月の大空襲では10万人の人が死んだというから、まさにその一月後の東京大空襲に匹敵する損害があったということだ。ドイツは丘陵地帯が延々と続く。今日は南から北上しているのだが、どこを見ても牧草地か農耕地、そして小さな集落と森が続くだけだ。そんな中に「風力発電」の風車が立ち並ぶ。また新たな建設も各地で行われていた。東日本大震災と福島原発からドイツは「脱原発」を掲げた。自然エネルギーへの移行を早めている。風力発電も丘陵地帯が続くドイツだから出来ることで、山が海岸線に迫っている部分が大半の日本では安定した風は得られない。従ってドイツ並みの風力発電は無理だということだ。その辺も日本の政治家は果たして理解しているのだろうか?疑問符が付く。脱原発ということが日本で可狽ネのか?議論の余地がある。さていよいよ旧東ドイツに入った。

「手前勝手世界食物語、第221話」

「白兼の笹蒲鉾」
娘夫婦が仙台に行って来た。お土産は石巻の「白兼の笹蒲鉾」だった。多分東北一美味しい且つ有名な笹蒲鉾だと思う。震災で店も被害を受けたとも聞いていたが、どうやら復活したようだった。流石味は抜群、この味を一度覚えるともう駄目だ。「白兼」に叶うものはない。練り物だから原材料の吟味がよいのでこれだけの味が出せるのだろうと思う。仙台土産は最近では「牛タン」が有名になったが、その少し前は「笹蒲鉾」だった。お菓子ならば「萩の月」だろう。牛タンは博多駅にも出店していた「利久」が今や仙台のトップブランドとなったようだ。私が初めて赴任した昭和46年頃には牛タンといえば「太助」だったが、あちこちに店を出した結果、どうも味が落ちたようだ。仙台にはその他に「仙台味噌」があるが、恐らく余り売れていないのではないだろうか。食べ物の流行も時代によって変化していくのだろう。仙台と言う町は、都会臭くもなく、田舎臭くもなく、海も近いし、山も近い、職住近接の住み易い街だ。ゴルフ場も1時間以内で殆ど行けるし、冬はスキーには最短30分、海にも30分で行ける。食も美味しく、老後は仙台に住むのも悪くないと思っている。
以上、東京から勢古口がお送りしました。

「釣り船」

隅田川沿いの運河に釣り船が浮かんでいた。ハゼでも釣っているのだろうか。橋の上からも釣り人が釣り糸を垂らせている。のんびりとした時が流れて行く。私自身は釣りはやらないが、好きな人は好きだからきっと道具立ても大変なのだろうなあと想像する。秋の暖かい陽射しの中、太公望たちは何を思いながら釣りを楽しんでいるのだろうか。日本は東日本大震災があったといえど、のんびりと平和なのだ。

「円高と株価低迷」
10月に入ったら株価は転げ落ちるように下落を早めた。まあ「リーマンショック」の再来のようだ。ギリシャ危機に解決の糸目は見えていない。どうなるのだろうか?さて、この円高を利用して、という訳ではないが、11日からドイツに行く嵐閧セ。ベルリン、ドレスデン等を廻る10日間の旅だ。ユーロも瞬間的に1ユーロ、100円台にまで円高となったから、海外旅行には良いのだが、所詮私は何を買うでもなく、ただお酒を飲む代金が必要な位で土産を買うつもりもないので、持て余し気味の円高だ。だがまあ旅を堪狽オてこよう。

「住い」
私の実家は横浜市港北区篠原町にあり、東急東横線「白楽」という駅近くにある。駅から歩いて10分程だ。今は両親も亡くなり、妹家族が住んでいる。一応ちょっとした住宅街ではある。付近には武相高校があり、高いビルなどなく、山の中腹に位置しているのが実家だった。そこで大学を卒業するまでの22年間過ごした。その後就職して最初の勤務地が仙台で、それから東京に転勤して渋谷区西原の社宅に入った。最寄り駅は京王線幡ヶ谷、或いは地下鉄千代田線代々木上原。ここも住宅街だった。それから昭和56年に今の江東区に移った。これには実は本当に抵抗があった。地元の人には大変失礼だが「川向こう」、即ち「隅田川」を越えた向こう側に棲むということには物凄い抵抗感があった。「山の手から下町」といったものだけではない抵抗感があったのだ。だが移り住んでみれば「住めば都」でいいところだと今では思っている。何しろ便利だ。東京駅、銀座、築地がすぐそばなのだ。こんなに便利なところは都内でも数少ないだろう。高速道路もまじかにあり、都内の混雑を避けて乗り降りできるという利点もある。羽田でも成田でもすぐに行ける。こんなところに住めて今はありがたいと思っている。

「朝焼け」

だんだん夜明けが遅くなる。そんなある日、物凄く綺麗な「朝焼け」が見えた。東の空を真っ赤にしている朝日には感動させられた。どうしたらこんな色が出せるのか?自然の驚異に驚かされる。それにしても真夏のあの暑さはなんだったのだろうか?そしてこの冷たく澄み切った空気はどこから来たのだろうか?毎年、毎年、決って訪れる季節の巡り代わりなのだが、その変化にはいつも感心させられる。朝5時、真夏には既に太陽が地平線から顔を出していたが、今はまだ薄暗く、空には星さえ瞬いている。夜明け前の静かな時間帯だ。最近のニュースで北極で「オゾン層」が破壊されているのが見つかったという。太陽からの有害な「紫外線」を防いでくれるオゾン層が南極だけでなく、北極でもなくなりつつあるという影響はどこまで広がるのだろうか?南極は一部の地域に研究のための人たちが住むだけだが、北極はヨーロッパ、アジア、北米と人口密集地帯にも掛かっている訳だから、その影響は計り知れないものがあるだろう。太陽の恩恵に預かってきた地球生物の滅亡は意外にもその太陽の力によるものかも知れない等と想像してしまう。この冬は北極圏では太陽の黒点の影響で近年にない「オーロラ」観測絶好の季節なのだ。満天の星ときらめくオーロラが北の極寒の地で見られる。2011年から2012年の冬の夜空をもう一度眺めてみたいものだ。

「118」
この数字は何でしょうか?クイズではありませんが、現在の中国人の男女別出生比率なのだそうです。即ち「女性100人に対して男性118人」がその数字です。すると10年後には中国人男性の3000万から4000万人が結婚出来なくなってしまうというのです。13億人の内からそれだけに人数の独身男性が結婚適齢期から出てきてしまう。これが現在中国では大問題になっているというのです。原因というか理由は古来からの女性蔑視のせいで男性は労働力、親の面倒を見てくれる存在、一方女性は他家に婚姻して出て行ってしまう存在なので、男性重視の社会だったから、というのです。果たして中国の男性に未来はあるのでしょうか。解決策はあぶれた男性は海外へと出稼ぎに出て行くことだそうです。そこで新しい伴侶も見つかるのでしょうか。

ヴェネッイア展

「J REPORT 2011 10月第2週号」
「リタイアメント・ノート 3年目4月目」 「VOL.708 SINCE AUG. 12th、1983」
「ヴェネツィア展」
両国の「江戸東京博物館」で開かれている「ヴェネツィア展」に行って来た。作家「塩野七生さん」の本でよく知っているつもりだったが、改めてその都市の奥深さを知らされた。写真の絵の右側は「二人の貴婦人」の絵の作者は「ヴィットーレ・カルパッチョ」だ。イタリア料理の生物を薄切りにしてサラダの上に乗せ、オリーブオイルを掛けて食べるあの「カルパッチョ」を生み出した人らしい。実はこの絵、元々は扉に描かれていた4分割された一部だという。この絵の上の部分はニューヨークにあり、ラグーナで狩をしている数名の男性たちの絵だという。彼ら、夫か恋人かを待つ貴婦人たちだという。まだ左側の扉の絵は見つかっていない。なるほど。さて写真の左側の絵はヴェネツィアの象徴である「サン・マルコのライオン」と言う絵で、聖書を持つ羽のあるライオンだ。海運国家だったヴェネツィアの熟覧期を堪狽ナきますよ。ヴェネツィアの約1000年に亘る歴史は、多量な松杭の上に立てられた人工的な都市国家だったが、19世紀初頭、ナポレオンに征服されてその幕を降ろした。しかし、そこに残されたのは正に1000年の歴史の積み重ねだった。

「人種間違い」
今から20年も前になるが、出張でシンガポールから成田まで「シンガポール航空」のビジネスクラスに乗っていた時のことだ。隣のアメリカ人が私を通り越して、通路反対側の同じくアメリカ人男性と話し始めたので、「席を替わりましょうか?」と私が言うと、「いや、いいですよ」と言った後、私に「タイ人ですか?」と聞いてきた。「日本人だ」というと納得したのか、大体成田行きの便ですから日本人が乗っていて当たり前でしょうに。さて先日の韓国からの帰りの大韓航空機便、隣には韓国人男性がいた。丁度ドアのところの席だったので、座席前は広く開いていた。そこへフライトアテンダントがやってきて朝鮮語で私に話しかけてきたので、私は「朝鮮語は分からない」と英語で言った。そしたら彼女は私に「中国人ですか?」と聞くのです。「違います、日本人です」と答えたのですが、私はまずは韓国人に、そして次は中国人に見られるのでしょうか?中国旅行中もよく地元の人から中国人と間違えられ中国語で話しかけられることが度々あるのです。私は日本人には観られないのでしょうか?それとも変な叔父さん?

映画

映画「はやぶさ」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年170作目)
小惑星探査機「はやぶさ」を題材とした映画は今年だけで2本目、そして来年にも2本新たに公開されるという。それほどの「はやぶさ」人気にあやかった映画だ。「それでも君は帰ってきた」が副題。2時間半とちょっと長い映画だが、日本人の誇りを揺さぶってくれる映画でした。

映画「ワイルド・スピード メガマックス」(有楽座にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年171作目)
兎に角、大迫力の映画だった。ストーリーはリオに逃げた主人公の3人が現地のマフィアの親分から1億ドルを盗もうとするもの。カークラッシュが凄い。次作に話しを続けているのでまた新作(6作目)がその内出てくるのだろう。

映画「ドッグ・ポリス」(日劇にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年172作目)
警視庁警備犬と警察官が無差別爆破事件の犯人を追うというもの。彼らは「犬屋」と警察内では蔑すまれて呼ばれていた。荒唐無稽だが、それなりに面白かった。犬となるとどうしても心を許してしまう私でした。

映画「ステイ・フレンズ」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年173作目)
LAに住む男性がヘッドハンティングにあい、NYKにやってきた。そこで知り合ったヘッドハンターの女性とはただ友達でいるだけの関係、即ち「ステイ・フレンズ」であり続けるという約束で付き合い始めた。。この恋愛、最終的にはどうなるのかな?大人の恋愛物語でした。

映画「ファイナル・デッド・ブリッジ」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年174作目)
3Dを最大限活用した怖さ一杯の映画。社内研修旅行中のバスが大きな吊り橋に差し掛かった。ここで風が吹き、橋が揺れ動き段々と橋が破壊されていく。多くの人が死ぬ。突然時間が遡りバスの車内に戻る。一人の男性が「橋が壊れるから逃げろ」と叫ぶ。そして繰り返される事故、だがバスの中から脱出した8人は助かった。しかしこの8人は次々と新たな事故で死んで行く。凄まじい限りの3Dアクションでした。

映画「幸せパズル」(日比谷シャンテシネにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年175作目)
アルゼンチンに住む50歳の専業主婦。息子二人は独立しようとしているし、夫は仕事が忙しくて自分を理解してくれていない。そんな彼女が目覚めたのが「ジグメ[パズル」の世界。思わぬ才狽ェ発見される。ジグメ[パズルの国内大会のパートナー募集に応じて、金持ちの独身男性とペアーを組んで出場する。しかし家族の対応は?そして彼女とペアの男性との関係は?一人の平凡な中年女性の生き方が身につまされました。

映画「夜明けの街で」(角川シネマ有楽町豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年176作目)
「一度目は浮気、続くと不倫」の言葉通り、派遣社員の若く美しい女性と関係を持ってしまった中間管理職の男性の物語。彼には妻と幼い4歳の娘がいたが、徐々にしかし確実に不倫相手にのめり込んで行く。果たして彼の行く末は?男が誰でも陥る出来事でした。

映画「猿の惑星 創世記」(日劇にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年177作目)
過去、この映画が生まれた原因となった猿の進化がどうして起きたのかを説明するのがこの映画。文句なく面白い。

日経新聞10月7日夕刊の「シネマ万華鏡」の評価は、「猿の惑星、創世記」が4つ星、「明りを灯す人」が4つ星、「ツレがうつになりまして」が3つ星、「はやぶさ」が3つ星、「カンバニー・メン」が3つ星、「レア・エクスポーツ」が3つ星、「MADE IN JAPAN≠アらッ!」が3つ星でした。

「シノプスシ145」
本「首を斬られにきたの御番所」(佐藤雅美著)文春文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年305冊目)「縮尻鏡三郎」シリーズ
本「当るも八卦の墨色占い」(佐藤雅美著)文春文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年306冊目)「縮尻鏡三郎」シリーズ
もとは勘定方だったが、上司の命令で調べたことが因縁してお役を引かなければならなくなった「拝郷鏡三郎」は上司の惹きもあり大番屋の元締めに再就職する。色々と事件が起きるがその解決迫ヘは将軍家斉の知るところとなり、特命事項を命ぜられるようになる。流石、佐藤雅美氏の筆は凄い。

本「百年の呪い」(佐伯泰英著)新潮文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年307冊目)「新・古着屋総兵衛」シリーズ2作目
10代目総兵衛の下、一族は纏まった。しかし家康から授かった影旗本の役目は100年を経て故柳沢吉保の怨念と戦うこととなった。

本「遠花火」(藤原緋沙子著)講談社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年308冊目)「見届け人秋月伊織事件帖」シリーズ1作目
本「春疾風」(藤原緋沙子著)講談社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年309冊目)「見届け人秋月伊織事件帖」シリーズ2作目
本「暖鳥」(藤原緋沙子著)講談社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年310冊目)「見届け人秋月伊織事件帖」シリーズ3作目
本「露の路」(藤原緋沙子著)講談社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年311冊目)「見届け人秋月伊織事件帖」シリーズ4作目
本「鳴子守」(藤原緋沙子著)講談社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年312冊目)「見届け人秋月伊織事件帖」シリーズ5作目
秋月伊織は旗本の次男坊。市井の汚bを集めて本にしている「だるま屋」に雇われ、話しの真実を見届けてくるという役回り。江戸に住む100万人の汚bには色々なものがあった。人情物語。

「手前勝手世界食物語、第220話」

「マンジャ・ペッシェ」
来年6月にスイスとオランダに行こうと計画している友人同士の初めての打ち合わせ会を原宿(住所は千駄ヶ谷なのだが)で行った。友人の甥がシェフをしているというイタリアンの店だった。鮮魚(根室産の秋刀魚と鯛)のカルパッチョ、槍烏賊とムール貝のサラダ=カルディーニ産からすみかけ、まだ子のラグーで和えたショートパスタ=リッャ`ョリ、新潟産もち豚の炭火焼き等を食べたが、一番気に入ったのが、「バーヒャ・ガウダー」というもので、かた口鰯とニンニクをペースト状にしたものにオリーブオイルを加えて、下から火を当てて煮立ててあるものに、野菜スティックを浸けて食べるというもの。フォンデゥ鍋のようなものだと思って頂ければいい。これが実に美味しい。鰯の臭みも全くなく、野菜を不思議なものに変えてしまうようでこれには参った。自分でも是非作ってみたいと思う一品だった。これはシェフがお勧めでお店からのサービスだった。どの料理も美味しかったことを追記しておきます。電話=3403?7735 
追伸:イタリア料理の「カルパッチョ」というのは中世ヴェネツィアの画家の名前でどうも彼が作った料理から名前が付けられたらしい。
以上、勢古口が東京からお送りしました。