「古地図と隅田川」

川というのは文明を支える重要なものであることは古今東西変わっていない。昔「大川」と呼ばれていた今の「隅田川」も江戸時代の重要な文化形成を担っていたという。川を上流から下ってくると河口部分にあるのが「佃島」だ。徳川家康が江戸入りした際に大坂から連れて来た漁師を住まわせ、白魚を獲らせる独占権を与えたという。この島によって川筋は二つに分かれる。左手に行くと「富岡八幡」「永代寺」等があり、その先に「三じゅう三間堂」があったという。このお堂の跡地は今は公園になっている。川岸の町は今の「永代町、牡丹町、古石場」がそれだ。更にその先、現在の東陽町付近は、「久右衛門丁に家居ナシ、寛政ノ初高潮ノ後町屋取払ニナル」と記されていて一帯が何もない浜辺になっていたと思われる。私の住む「塩浜」は隅田川を明治以降に埋め立てたものであることが分かる。また河口から右手に行くと今の隅田川と全く同じで明石町の前を通って築地へと通じている川筋だ。明石町には今の「聖路加タワー」があり、その前を大川が流れていた。この大川を上流へと上る。特徴的なのは「両国橋」の両側が「両国広小路」と呼ばれ、西広小路も東広小路も江戸で浅草奥山と並ぶ繁華街として栄えていたらしい。更に上流には「蔵前」があり、ここは年貢米のお米の大集積地だ。その先は「浅草寺」があり、その北側には「新吉原」があった。浅草は今もそうだが、日本でも有数の歓楽街だ。江戸時代は地方から来た人たちの観光地ナンバーワンがこの浅草だったそうだ。写真は「勝鬨橋」から上流を眺める。左手が新川、正面の橋が中央大橋、右手が佃島だ。

「廃藩置県」
第二のクーデターと呼ばれた廃藩置県は、明治4年(1871年)に行われた。「王政復古」で「大政奉還」した徳川幕府だったが、各地の藩はそのまま残されていて「お殿様」は何も変わらなかった。それが遂に「藩」がなくなり、明治政府の直轄となった。これにより藩主の部下だった「武士」たち約200万人が失業した。これだけの大量の失業者が出たことは社会不安をもたらす。薩摩の西郷は武士階級の救済を訴えた。これが後の「征韓論」に繋がり、「西南戦争」になって行くのだ。一方、経済面でも大きな影響があった。大名家は大坂等の大商人から「大名貸」や、地元商人からの「御用金」、そして藩が出す「藩札」という「債務」を負っていたが、この処理が大問題となった。そして明治政府が取ったのが、天保14年(1843年)以前の債務は「棄損令」が当時出されていたので全て支払いしないこととした。また弘化年間(1844?1847)の債務は、利子なしで50年割賦返済、それ以降のものは利率年4%で25年割賦返済とした。これにより大坂の商人たちはたちまちにして倒産となったという。勿論江戸の商人も大打撃を受けたのだろうが、当時は大坂のほうが経済力があったから影響は大坂のほうが大きかったようだ。まあ酷い話しだ。江戸時代は商人の力が強くなるほど、こういった棄損令は何度か行われたようだが、経済力のない「武士階級」が取れる手段は債務をなしにする程度のことしか残されていなかったということなのだろう。所謂「封建時代」、領主が土地と人と富を支配するという体制が崩壊したのが、この「廃藩置県」だった。

「手前勝手世界食物語、第239話」

「かつ万のかつ重」
両国にある古い豚カツの店「かつ万」さんだが、この欄でも数度ご紹介したことがある。ダイエットしている身にとっては天敵とも言える「豚カツ」なのだが、いつもはこの「かつ万」さんでは「かつカレー」を食べているのだが、その日は今まで食べたことのない「かつ重」を食べてみた。かつ重というのは高カロリーの代舞I手みたいなものでダイエットにとっては正に天敵だから食べないようにしているのだが、たまにどうしても食べたくなることがある。実は豚カツの一つの変形である「かつ重・かつ丼」は「蕎麦屋」さんの得意料理の一つなのだ。大阪勤務時代には会社の近所の蕎麦屋で「かつ丼」をよく食べた。この蕎麦屋さんの名物料理が「カツ丼の台抜き」だった。カツ丼の具とご飯が別盛りになっているものだ。蕎麦の出汁がカツ丼に使われえているので蕎麦屋の得意となった「カツ丼」。「丼」は「どんぶり入り」、「重」は「お重入り」の違いだが、味はどっちでも同じなのに値段は間違いなく違う。東京と大阪で食の美味さが違うものの代浮ヘ、「蕎麦」と「豚カツ」だと思う。共に関東のほうが絶対に美味い。関西はやはり「うどん」と「牛肉」の文化だから、仕方ないのだろうが、この差は大きいといえよう。さて、最近日本橋の「宇田川」という豚カツ屋さんに連れて行ってもらった。ここのも美味しかったが、このお話しは次回にしましょう。
以上、勢古口がまたまた寒さがぶり返した東京からお送りしました。

「歌川国芳展2」

「歌川国芳」、この江戸時代後期の「浮世絵師」はある意味で「稀代の天才」だったといえよう。風刺、とん知に富んだ独創的な絵を描き、それが「浮世絵」として刷られ後世に残った。今回はこの国芳展の後半第2部を観に行った。前半第一部とは大半の絵が換わっているという。幕府の緊縮政策で「歌舞伎役者」の「浮世絵」が禁止された時には、動物の姿に着物を着せて、その動物の顔を役者に似せるという手を使ったりして幕府を風刺している。彼は最初は「水滸伝」の英雄達を描いた。それが人気を得て、その絵が「彫り物」「刺青」、今で言う「タトゥー」となり江戸時代の人たちの肌に刻まれ粋を競ったという。その後、「歌舞伎役者」や「遊女」、「美人画」、そして「街中の庶民、子供ら」を描いたものも有名になっていったという。「子供」たちだけの大名行列にしたりアイデアガ素晴らしい画家だ。ところが今回の展覧会の大半が海外から特別出展されているもので、江戸時代から明治時代に掛けて欧米に持ち去られたものだというのが、実に残念な話しだった。

「年賀状に差出人名なし」
毎年、必ず1通はあるのが、差出人の名前がない年賀状。今年もありました。「J REPORT 見てます」というコメントが書いてあったので、私のホームページをご覧になっていらっしゃると思う。来年はどうかお名前を記入して発送してください。宜しくお願いします。

「海外旅行」
今年はまだ海外旅行に行っていない。本当は毎月4月まで嵐閧??碵?トいたのだが、ちょっと用事ができたので中止した。だがまたまた疼きだした旅行癖。それで5月にアメリカ中西部にある「国立公園15箇所巡り」のツアーに垂オ込みしたら、出発確定したとの連絡があった。15日間で15箇所の国立公園巡りだから移動も大変だが楽しみだ。そして6月はスイス・オランダの旅に出掛ける。まだ行っていない「北欧」「ペルー」「ケニア」「インド」等毎年2箇所づつ位廻るようにするつもりだ。これまでのように毎月ではなく年2回程度にしよう。

映画

映画「テンペスト」(丸の内ピカデリーにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年20作目)
幕末の「琉球王国」。一人の女性が女人禁制の役人に登用されるために「宦官」と称して試験を受けて合格する。当時の琉球は中国「清国」の属国でもあり、日本の「薩摩藩」の実質支配下にもあった。そこへ米国のペリーがやって来た。複雑な外交関係の中で独立を保とうと戦う女性の物語。3Dでした。

映画「麒麟の翼」(日劇にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年21作目)
東野血瘡エ作の映画化。最近の映画はテレビ局が撮るものが多い。一人の中年男性が日本橋上の「麒麟像」の下で殺されていた。そして彼はあるメーカーの製造本部長だった。緊急配備で掴まろうとした男は警官に追われているうちに自動車事故で死んでしまう。犯人と思われていた男は殺された男に工場にパートとして働いていて解雇されていた。果たしてその恨みなのか?労災隠しが原因なのか?だが真犯人は意外なところにいた。面白かった。

映画「ハンター」(丸の内ルーブルにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年22作目)
オーストラリアはタスマニアで絶滅したとされていた「タスマニア・タイガー」の目撃情報がでた。ある企業がそのタイガーの持つ特殊な毒性に注目し、DNAを取得するため一人のハンターを送り込む。そこで起きる環境保護派や対立する森林伐採派との争い。そして遂にタイガーを目撃することになった。果たしてタイガーはどうなるのか?

映画「人生はビギナー」(日比谷シャンテシネにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年23作目)
母が亡くなった後、父が突然「自分はゲイだ」と言い出した。そんな父親を持つ一人息子の物語。彼自身40を過ぎているが独身。癌で余命幾許とないと医師から告げられた父はゲイたちと付き合いだす。息子はあるパーティーで知り合った女優を愛するのだが中々上手く付き合えない。やがて父が死ぬ。彼女との仲はどうなるのか?

映画「ペントハウス」(有楽座にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年24作目)
ニューヨークの超高級アパートの最上階、ペントハウスに住む男は詐去t。FBIに掴まったが、そのアパートの従業員達の年金も詐取していた。そこで従業員達がペテン師の持っていると思われる現金2500万ドルを盗み出そうとするのだが。それは思いもかけないところに隠されていたのだった。面白かったです。

映画「日本列島 いきものたちの物語」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年25作目)
長さ3000km、9000の島々で出来ている日本列島、そこで生きている動物たちを描く。知床半島のヒグマ、釧路湿原のキタキツネとたんちょう鶴、下北半島の猿、六甲山の猪、屋久島の猿と鹿たち、そして海の生き物たちなどが春、夏、秋、冬と四季を生き抜く様を実写している。

日経新聞2月10日夕刊「シネマ万華鏡」の評価によれば、「ドラゴン・タトゥーの女」が4つ星、「キツツキと雨」が4つ星、「はやぶさ/遥かなる帰還」が3つ星、「逆転裁判」が3つ星、「マメシバ一郎」が3つ星、「フラメンゴ。フラメンコ」が3つ星、「タッカーとデイル」が3つ星でした。

「シノプスシ161」
本「慟哭の剣」(芦川 淳一 著) 光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年34冊目)
本「夜の凶刃」(芦川 淳一 著) 光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年35冊目)
「用心棒・桐之助 人情お助け稼業」シリーズ1作目と2作目
御三卿の一つ「清水家」の息子でありながら、妾腹ということで家を出た桐之助が市中で用心棒をしながら活躍する。

本「包丁浪人」(芦川 淳一 著) 光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年36冊目)
旗本の三男から一転して浪人となった男の物語。彼は料理が得意だった。

本「夢おくり」(今井 絵美子 著) 祥伝社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年37冊目)
本「泣きぼくろ」(今井 絵美子 著) 祥伝社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年38冊目)
本「なごり月」(今井 絵美子 著) 祥伝社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年39冊目)
「便り屋お葉日月抄」シリーズ1作目から3作目まで。
便り屋とは町飛脚屋のこと。夫の後を継いだ「お葉」が女主人として切り盛りする物語。

本「剣客船頭」(稲葉 稔 著) 光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年40冊目)
本「天神橋心中」(稲葉 稔 著) 光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年41冊目)「剣客船頭」シリーズ2作目。
本「思川契り」(稲葉 稔 著) 光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年42冊目)「剣客船頭」シリーズ3作目。
船頭の「伝次郎」は元は南町奉行所同心だった。彼は船頭をしながら闇の中の悪に挑む。

東京タワー

「J REPORT 2012 2月第3週号」
「リタイアメント・ノート 3年目8ケ月目」 「VOL.726 SINCE AUG. 12th、1983」
「東京タワー」
六本木ヒルズから「東京タワー」を見る。ライトアップされた姿が美しい。昭和33年に完成したこの塔の役割も終えて、電波塔としての器具は外すという。私も何回か展望台に上ったことがある。今後、この嘗ての東京の名所をどう保存して、またどう活用していくのか?問題は決して解決していない。だが嘗ての東京名所は光輝いていた。

「電話の切り方」
私には悪い癖がある。まだ若い頃、サラリーマン時代のことだったが、商売上電話でのやりとりが非常に多い。特にユーザーや特約店からの電話が集中する時期がある。当時の電話は黒いダイヤル回転式のものだから、私宛に掛けてきた電話は私が話中だと「終わるまで待つ」というのだ。すると目の前に黒い受話器が数台並んでしまうことが度々あった。皆商売上必要な話しを私としたいから話し中だからいって一端電話を切ってはくれない。寸暇を惜しんで待っている。従って私としては今している通話をなるべく要点だけで纏めて終える。そして次の電話に早く取り掛からなければならないし、電話ばかり受けていてはこちらから誰にも掛けられないということになる。従って次々と電話を処理していかなければならないから、話しが終われば即電話を切る。そして次の電話に取り掛かるということになる。だから相手が切りたいかどうかなど関係なく、用件が終われば即切るという習慣が身に付いてしまい、これが未だに続いているのだ。大変失礼したことも多分あったのだろうと思う。この場を借りてお許し願いたい。相場商品を扱っていたから、早くしないと相場が逃げてしまうので行った行為だったが、すみませんでした。そんな電話商売だったから、隣の電話で他の人が何を話しているのかも、自然に分かるようになってしまった。忙しい時代のことだった。今は、電話はビジネスフォーンだから保留も出来るし、用件はメールで確実に届けることが出来るから私のような不始末をする人はいないのだろう。

「手前勝手世界食物語、第238話」

「土合のやぶ蕎麦」
6月にスイス、オランダに旅行するメンバー3人での毎月の打ち合わせ会を行ったのが、これで3度目となる、さいたま市南区白幡にある「土合のやぶ蕎麦」だった。いつものことならが住宅街の中の実に分かりにくいところにあるためタクシーの運転手さんもカーナビ便りでの店発見だった。更に運悪く私が南浦和駅から歩こうとして地図を印刷して言ったのだが、出発する駅を間違えて全然違うところに来てしまい、一度駅までバスで戻ってタクシーに乗り換えるという誤算続きだった。それでも「店のお任せ」にした料理は一品一品美味しい。ラストの締めは勿論「もり蕎麦」だ。暖かい出汁に冷たい蕎麦を入れる。このような蕎麦の食べ方を「つけ蕎麦」というらしい。「薬味」は「天カス」のみというのも面白い。蕎麦処で飲む酒もこれまた乙な味わいだ。寒いので「熱燗」を付けてもらって飲んだが、焼酎の蕎麦割りも良かったかもしれない。いつもながら美味しい蕎麦をありがとうございました。ご主人は我々と同じ年齢、団塊の世代でした。
以上、勢古口が東京からお送りしました。

「築地本願寺」

銀座4丁目交差点から、三原橋を越えて、昔の木挽町を過ぎて暫く行くと左手にあるのが「築地本願寺」、昔の名前は「西本願寺」だ。「浄土真宗」のお寺だ。最近では有名人の葬儀が行われることでも有名な寺だ。晴海通りを挟んでお寺の向いが「築地場外市場」。江戸時代は大名屋敷が立ち並んでいたところだ。今の「国立がんセンター」は「稲葉 兵ア」と古地図ではなっている。「朝日新聞社」は「多ガ 大シマ」、「場内市場」は「尾張殿」「一橋殿」「松平越中」の屋敷となっている。今の「勝鬨橋」から先は海である。隅田川の河口には「佃島」があったが、そこから海が続いていて、明治時代以降に埋め立てられたのであろう。「勝どき、晴海、月島」は全て埋立地だ。築地と言えば正月の初せりで、青森県大間のマグロが馬鹿高値で落札された。寿司屋チェーンのご主人は受けに行っていたが、まあ宣伝効果は充分にあったのだろう。あの後数日間、築地の本店には行列が出来ていた。築地本願寺の前の道は通称「市場通り」、本当は「新大橋通り」だ。江戸時代、隅田川、昔風に言えば「大川」は下流から、「永代橋」「大橋」「両国橋」「東橋(吾妻橋)」が掛かっていた。更に上流には別の「大橋」、即ち「千住大橋」が掛かっていたと書かれている。その内の永代と両国の間の大橋が新しく架け替えられて「新大橋」となった。古地図を観ていると江戸と言う町は「八百八町」というが、それにも増して、「川と掘割と橋」、それに「大名、旗本、御家人」たちの家が本当に多いと言うことに気が付く。恐らく当時世界最大の100万人都市だった「江戸」。興味は尽きない。

「大雪」
北海道、東北から帰ってきたら、途端に東京も雪。そして今まさに大寒波が日本列島を襲い、日本海側を中心にして大雪を齎している。これが本当の「どか雪」なのだろう。諏訪湖も完全凍結したらしい。近々「御神渡り」も観られることだろう。それにしてもこの大雪、どうにかならないのだろうか?偏西風の流れが極端に南北にずれて波打っているため、日本の南側に偏西風の流れがあり、それが北から来る寒波をブロックしてしまい、永く寒波が日本上空に止まってしまっているという。東欧でも寒波で死者も多数出ているというし、いい加減にしてもらいたいものだ。ところで私は夜寝る時には一切の暖房(エアコン、ヒーター、電熱毛布等)は使っていないが、この寒さで靴下を履いて寝た。おお、寒い。

「汐留」

明治になって初めて鉄道が走った時、始発となったのが「新橋」だったが、「新橋♂。浜間」の鉄道時代の以前はここ汐留は「脇坂 アワシ」「松平 陸奥」「松平 肥後」の大名家の敷地だったようだ。そして今はここは「汐留シオサイト」となり高層ビルが林立し、テレビ局、オフィスやホテル等がある都内有数の近代都市が出来ている。江戸から東京へと替わった時、大名家等の広大な敷地があったのでそれを召し上げて簡単に新しい都市造りが出来たのだろうと推測出来る。民家が集中していた「銀座、日本橋、神田」、そして永代橋を越えた「本所、深川、木場」を別とすれば、江戸は大名、旗本、御家人の屋敷にお寺ばかりといえよう。皆幕府から貸し与えられていたものだから、没収も容易かった訳だろう。明治4年に「廃藩置県」が行われて、それまで各地で自治権を持っていた大名は東京へ移住することになったということだが、この時問題となったのは約200万人とも言われる藩士たちの大量失業と藩の債務処理だったというが、「大政奉還」という革命より、もっと大きな問題は寧ろ「大量失業」と「債務処理」だったといえよう。この点については「西郷隆盛」の「征韓論」にも繋がるし、「大阪商人の没落」にも繋がるといえる。これらについては後日またご報告しよう。

「東海道」
肝心な話しを忘れていた。ご存知江戸時代の「五街道」の中心は「東海道」。「日本橋」を出発点にして「京の都」へと上る。「お江戸日本橋七つ発ち」と言われているように江戸時代の旅人は朝4時に日本橋を出発したという。そして勿論その街道は今の「銀座通り、正式には中央通り」がそれだ。そして日本橋から京に向って最初の橋が「京橋」なのだ。これは大坂でも同じで「日本橋」(関西では「にっぽんばし」)の京都側に「京橋」がある。日本橋を出発して東海道を歩き出すと周囲は全て町屋だ。侍の屋敷は町屋の後ろ側にある。だから街道沿いには大店が立ち並んでいたのだろう?今の銀座通りとそう大差ない姿、勿論今はビルになっているが、商売の店が立ち並んでいたと考えて間違いないだろう。新橋から先は今の「第一京浜」が旧東海道そのものだ。浜松町、田町、品川と今の国道がそのまま東海道だったのだ。当時の人は大体10里、約40km、時間にして約10時間、一日に歩いたというから、そのままのペースで行くと、初日は戸塚か藤沢泊まりとなるのだろうが、初日なので足慣らしで近場の神奈川か保土ヶ谷で泊まりとなるのだろうか。そして早目に午後4時頃には宿に入ったのだろう。なにせ朝の出立が早い訳だから、お疲れ様でした。

映画

映画「天守物語」(東劇にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年14作目)
「シネマ歌舞伎」2009年7月歌舞伎座での公演を収録したもの。「泉鏡花」原作の物語を「坂東玉三郎」と「市川海老蔵」らが演じた。姫路城天守閣に住む「富姫」の元に妹が会津からやってくる。その手土産は自らの夫の首だった。不可思議な物語でした。

映画「J・エドガー」(丸の内ピカデリーにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年15作目)
FBIで48年間、8代の大統領に仕えた男。大統領をも恐れさせたといわれている男の半生を描く。国の安全に全人生を費やした男のお話し。これは観る価値あり。特にハリウッドのメイキングは凄い。主演のデカプリオが20代から70代までを演じている。

映画「三国志英傑伝 関羽」(ヒューマントラスト有楽町にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年16作目)
曹操に捕らえられた関羽が劉備の妻になる女性を送り届ける旅での次々と起こる危機を乗り越える姿を描く。

映画「マイ・ウェイー 12,000マイルの真実」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年17作目)
日本が植民地支配していた京城(現ャEル)でマラャ唐ナ競い合う若い日本人と朝鮮人。彼らは日本軍として出征しノモンハンで・A軍に捕らえられる。そこからシベリアの収容所、・A軍として対ドイツ戦線、更にドイツ軍としてノルマンディーで戦うことになった。戦闘シーンは確かに凄い。

映画「しあわせのパン」(ヒューマントラストシネマ有楽町にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年18作目)
北海道は洞爺湖。湖畔でペンションを営む夫婦。そこの四季に合わせて訪れる人々との交流を、主人が自ら焼き上げる美味しいパンを通じて描く。心温まるドラマでした。

映画「グッド・ドクター」(銀座シネパトスにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年19作目)
一年目の研修医はそれこそ「グッド・ドクター」になろうと必死で働いていた。そんな彼の患者に一人の女子高校生がいた。入院していた彼女に惚れてしまった彼は一度退院した彼女をもう一度再入院させた。その後、退院させまいとして色々な手を打つうちに彼女が死んでしまった。その時先輩の医師からは「一人患者を死なせて、漸く医師として一人前になるんだ」ということだった。良い医者とはどんな医者なのか?まだまだ疑問は続く。

日経新聞2月3日夕刊「シネマ万華鏡」の評価によれば、「ニーチェの馬」が4つ星、「最高の人生をあなたと」が3つ星、「ペントハウス」が3つ星、「マシンガン・ブリーチャー」が3つ星、「レイトオータム」が3つ星、「日本列島 いきものたちの物語」が3つ星、「東京プレーボーイクラブ」が3つ星でした。

「シノプスシ160」
本「べっぴん」(諸田 玲子 著) 文春文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年26冊目)「あくじゃれ瓢六捕物帖」シリーズ3
長崎生まれの「瓢六」は実に頭がいい。そのため一度捉えられて牢屋に入ったのだが、北町奉行所の知恵袋となって活躍する。

本「弥勒の月」(あさの あつこ 著) 光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年27冊目)
本「夜叉桜」(あさの あつこ 著) 光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年28冊目)
本「木練柿」(あさの あつこ 著) 光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年29冊目)
同心「木暮信次郎」、岡っ引き「伊佐治」らが活躍する捕物帳。また一人素晴らしい作家に巡り会った。「あさのあつこ」さん、頑張れ、応援します。

本「雨月の道」(稲葉 稔 著) 幻冬舎文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年30冊目)
「よろず屋家業」シリーズの1作目でした。先に2作目を読んだので逆に読むことになりました。

本「きりきり舞い」(諸田 玲子 著) 光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年31冊目)
「東海道中膝栗毛」の作者「一九」が父と言う娘「舞」の物語。出てくる人々は父を含めて奇人変人ばかりだ。19歳の舞は結婚を焦っていた。

本「雲竜」(鳥羽 亮 著) 角川文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年32冊目)
「火盗改鬼与力」シリーズ1作目。「火付盗賊改」の与力、「雲井竜之介」が江戸の町を走る。

本「プリズン・トリック」(遠藤 武文 著) 講談社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年33冊目)
「第55回江戸川乱歩賞」受賞作。市原の交通刑務所で受刑者が殺された。そして一人の受刑者が逃げた。事件は意外な展開になる。密室殺人なのか?動機は?最後にどんでん返しが待っていた。

初孫の笑い

「J REPORT 2012 2月第2週号」
「リタイアメント・ノート 3年目8ケ月目」 「VOL.725 SINCE AUG. 12th、1983」
「初孫の笑い」
初孫「栞ちゃん」は生後2ヶ月経ちました。11月15日に産まれた時は体重約3200g、身長52cmだったが、今は体重5900g、身長57cmにも成長していた。心臓に問題はあるものの実に驚くべき成長力だ。多分眼も見えるようになってきたのだろう、私が抱き上げ、「バーッ」と言って面白い顔をすると笑うのだ。その瞬間の写真が撮れないのが残念だが、孫を抱き、あやし、笑うのを観る幸せに勝るものはない。赤ちゃんの感情阜サは、まずは自己主張なのか要望なのかを伝えるために「泣く」ことだが、人間としての感情の一つに「笑う」ということがある。万物の中でも笑うということをするのは極々希だと思う。霊長類のチンパンジーにも笑いがあるのかも知れないが、犬も猫も勿論鳥たちも笑わない。孫が「にこっ」とするだけで生きていて良かったと思う近頃である。