「築地本願寺」

銀座4丁目交差点から、三原橋を越えて、昔の木挽町を過ぎて暫く行くと左手にあるのが「築地本願寺」、昔の名前は「西本願寺」だ。「浄土真宗」のお寺だ。最近では有名人の葬儀が行われることでも有名な寺だ。晴海通りを挟んでお寺の向いが「築地場外市場」。江戸時代は大名屋敷が立ち並んでいたところだ。今の「国立がんセンター」は「稲葉 兵ア」と古地図ではなっている。「朝日新聞社」は「多ガ 大シマ」、「場内市場」は「尾張殿」「一橋殿」「松平越中」の屋敷となっている。今の「勝鬨橋」から先は海である。隅田川の河口には「佃島」があったが、そこから海が続いていて、明治時代以降に埋め立てられたのであろう。「勝どき、晴海、月島」は全て埋立地だ。築地と言えば正月の初せりで、青森県大間のマグロが馬鹿高値で落札された。寿司屋チェーンのご主人は受けに行っていたが、まあ宣伝効果は充分にあったのだろう。あの後数日間、築地の本店には行列が出来ていた。築地本願寺の前の道は通称「市場通り」、本当は「新大橋通り」だ。江戸時代、隅田川、昔風に言えば「大川」は下流から、「永代橋」「大橋」「両国橋」「東橋(吾妻橋)」が掛かっていた。更に上流には別の「大橋」、即ち「千住大橋」が掛かっていたと書かれている。その内の永代と両国の間の大橋が新しく架け替えられて「新大橋」となった。古地図を観ていると江戸と言う町は「八百八町」というが、それにも増して、「川と掘割と橋」、それに「大名、旗本、御家人」たちの家が本当に多いと言うことに気が付く。恐らく当時世界最大の100万人都市だった「江戸」。興味は尽きない。

「大雪」
北海道、東北から帰ってきたら、途端に東京も雪。そして今まさに大寒波が日本列島を襲い、日本海側を中心にして大雪を齎している。これが本当の「どか雪」なのだろう。諏訪湖も完全凍結したらしい。近々「御神渡り」も観られることだろう。それにしてもこの大雪、どうにかならないのだろうか?偏西風の流れが極端に南北にずれて波打っているため、日本の南側に偏西風の流れがあり、それが北から来る寒波をブロックしてしまい、永く寒波が日本上空に止まってしまっているという。東欧でも寒波で死者も多数出ているというし、いい加減にしてもらいたいものだ。ところで私は夜寝る時には一切の暖房(エアコン、ヒーター、電熱毛布等)は使っていないが、この寒さで靴下を履いて寝た。おお、寒い。

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