「蕎麦畑」

稲穂の黄金色と対照的に畑には白い「蕎麦の花」が咲き誇っていた。なんとも美しい景色だ。たわわに実る稲穂、その隣にこれまた白く花咲く「蕎麦」、会津は蕎麦の街でもある。東北地方はどこでも基本的に蕎麦はひとつの産業、文化でもある。勿論この会津地方もそのひとつだ。随所に見られる蕎麦畑には刈り取り寸前の蕎麦が実っていた。蕎麦というと山形と思いがちだが、この会津もお勧めの地区だという。本当に100%蕎麦粉で練られた蕎麦が食べられると言う店もあると言う。蕎麦の畑を見るにつれ、秋が本格化してきていると感じるのだった。

「手前勝手世界食物語、第217話?ヌ加」

「喜多方ラーメン」
東京から新幹線で郡山、そして磐越西線で会津若松経由「喜多方」へとやって来た。何で?理由はただ「喜多方ラーメン」を食べるためだけ。駅から歩いて15分ほどで「喜多方市役所」に到着。この周辺に沢山の「喜多方ラーメン」、即ち「中華そば」の店がそれこそ乱立している。確かに人口当たりのラーメン店数は全国一かもしれない。近くの「まこと食堂」に行って見た。ここは先日「おわら風の盆」にご一緒した友人がお勧めの店だ。満席でちょっと待って入ったが、ごくまともに「中華そば」@600円を頼む。中太麺にチャーシューと刻み葱だけの鶏がらスープの単純な醤油ラーメンだ。人気の店らしく次々とお客が来るが、半分以上は地元の人だ。観光客は意外と少ない。まあ日本風のラーメンとしてはまずまずだろう。最近は単純な味が好まれているらしい。奇を衒ったラーメンが流行った時期もあるが、伝統的なラーメンとしてこの「喜多方ラーメン」は受けているのだろうと思った。私としてはB級グルメだと評価したが、なにせ一日掛けて東京から来たのだから満足しないと詰まらないので一応合格点としておきましょう。
以上、長野県は佐久平と福島県は喜多方から勢古口がお送りしました。

「会津の旅へ」

佐久へ行った翌日には郡山から磐越西線に乗った。郡山は都会だが、すぐに山間に入り、やがて「磐梯熱海温泉」を経るともう完全に樹木に多い尽くされている。すると突然「磐梯山」が現れた。山腹に大きなスキー場が見えるが、山肌は緑の絨毯のようだ。猪苗代湖を望む磐梯山は確かに素晴らしい眺めだ。本当に久し振りにここに来たと思う。多分20数年振りだと思う。会津若松はそれこそ幕末の中心点でもある。幕末には「京都御所」の警護役「京都所司代」として沢山の藩士が都に上り、挙句の果て「朝敵」として官軍の攻撃にさらされた歴史を持つ街だ。「戊辰戦争」の折には城にろう城した武士と市民の最大の悩みは「糞尿」の処理だったという。数ヶ月官軍に囲まれ、城にこもった人たちの糞尿だけは処理出来ずに垂れ流し状態だったという。人間、食べれば排出するのは当たり前だ。ろう城とは籠もることだが、援軍の来ないろう城ほど酷いものはないだろう。会津若松は盆地だ。磐梯山の麓の巨大な盆地は今、正に稲穂が光り輝いていた。

「手前勝手世界食物語、第217話」

「佐久の名物、鯉料理」
昼はJR小海線の「中込」の駅前の「三河屋」というところで「鯉料理」を食べた。この地は清流が流れているから、鯉や鮒が美味しいという。小さな鮒が生簀にうようよと泳いでいて、これは「甘露煮」にするらしい。さて「鯉こく定食」に「鯉のあらい」を追加して食べた。@1880円なり。それがまた量が多いので驚く。「鯉こく」も鯉の身も多かったが、その味も美味しく、完食した。「あらい」も酢味噌とわさび醤油の二種類で食べたが、身もこりこりとしていて美味しかった。なんだか田舎の味だ。最近例の首相の言葉から「泥鰌」が持て囃されているようだが、「どぜう」の店も大繁盛なのだろうか。両国橋の袂の「桔梗家」の若主人がテレビに出ていたが、もう桔梗家には数年行っていないなあ。東京に帰ったら、少しブームが下火になったら行ってみようか。さて話しを戻して鯉というのはやはり生臭いのか、昔は蛋白源が少なかったから、田舎ではこういったものを食べたのだろうが、今に人には鯉を好む人は少ないのか?でも堪狽オました。話しはまたまた変わるが、両国の「桔梗家」には家族でも何度も行っている店だ。元々、元近衛兵の人から紹介された店で戦前からあったというのが実はこの桔梗家なのだが、そんな歴史を知る人はもういないだろう。その近衛兵の人は終戦間際の時にもこの店に来て、近衛兵団の蜂起を説得して止めさせたというから驚きだ。それは勿論陛下の玉音放送に関わることだったという。店は全く変わっていない。但し家族経営の人たちが皆老けたことだけだった。

コスモス街道

「J REPORT 2011 9月第3週号の追加の追加」
「リタイアメント・ノート 3年目3月目」 「VOL.704 SINCE AUG. 12th、1983」
「旅暦32 コスモス街道と喜多方ラーメン街道の旅」
驚いたことがある。JR東日本が今だけの売出しをしていた「大人の休日クラブパス」というのがあって、JR東日本と北陸の一部が4日間乗り放題で@1万5千円、JR東日本にJR北海道が入って5日間の乗り放題で@2万3千円が大人気のようなのだ。私も前回の富山八尾もこの切符で行ったが、今回の佐久平コスモス街道もこの切符なのだ。来年1月にもまた売り出すというから60歳以上の人には嬉しい話しだ。さて秋晴れの浅間山を見ながら新幹線で佐久平に到着した。東京から1時間強。更に小海線に乗り換えて「中込」という駅からタクシーで「コスモス街道」へと向う。実はコスモスとは小さな花だと思っていたら、沿道のコスモスの丈は人の背丈よりも高い。それらが道路の両側に植えられている。もっと大きくなるのだという。いやはや驚きのコスモスだった。今年は雨が少なく成長が遅れているという。それでもこれだけの大きさになるのだから凄い。ピンクと赤の花が咲き乱れて?という訳にはいかず、まばらな花だったが、可憐な美しい女性的な花は心を癒してくれた。佐久平というところは周囲を山に囲まれた自然豊かなところで清い小さな清流が沢山流れていた。これが集まって「千曲川」になるのだろう。「山と川、そしてコスモス」実にゆったりとした時間が流れていた。毎度、文庫本を沢山抱えての旅だ。列車の中では本を読み漁っている。話しは違うが、今回のJR東日本の企画で旅する60歳以上の人が大変多く、特に人気は北海道を含むパスだそうで、関東地方から行く最初の宿泊地となる「函館」の宿は満杯だとのこと。そうだろうなあ。安過ぎるもの。我々60代は暇を持て余している人もいるから、安ければ行きますよ。

「手前勝手世界食物語、第216話?ヌ加」

「焼鳥 弁慶」
夜は元の部下たちとの会食だ。行ったのは久留米の焼き鳥屋さん。全員が始めての店なのだが、私は勘違いして待ち合わせ場所を「西鉄久留米駅」としてしまい、待ち合わせ出来ず、本当は「JR久留米駅」だったらしいのだが。仕方なくタクシーに乗った。運転手に聞いたら、この店は本当に美味しいということだったので楽しみ。さて漸く店に集まったのだが、よやくをしていて助かった。店には席が空くのを待つ人たちがいた。色々と頼んだのだが、まず「安い」「大きい」「美味い」と驚きの連続だった。大体串一本が100円前後、写真は「山芋」の串焼きだが、この大きさは見事。味も抜群だった。4人で食べて飲んで1万円以下でした。本当に素晴らしい店でした。地方は安いね。東京でこれだけのを食べたら倍はしていたと思う。
以上、今回は福岡から勢古口がお送りしました。

「手前勝手世界食物語、第216話」

「よし田」
昼は天神の「割烹 よし田」に行った。11時半から店開きということだったが、11時20分に入れてくれたので早速「鯛茶」を頼む。ここの名物のひとつだ。夜は「呼子の烏賊刺し」「関アジ、関さば」は絶対に欠かせない。烏賊は「げそ」の部分を後で天麩羅か塩焼きにしてくれる。魚の骨も焼いてくれる。夜も勿論締めは「鯛茶」だ。暖かいご飯にまずは鯛の切り身を醤油に漬けて乗せて食べる。一膳目はこの食べ方で問題ない。次に二膳目は鯛をご飯に乗せてから「お茶」を掛けて「茶漬け」にして食べる。またこれが美味い。あっという間に二膳食べてしまった。次から次へとお客が来る。皆頼むのは「鯛茶」なのだが、何人かで来るならば「鯛茶」プラス「天麩羅」を一皿だけ頼み、鯛茶と天麩羅を食べると満腹すること請け合いだ。福岡県内のゴルフ場には必ずと言ってよいほど「鯛茶」がメニューにあるという。ゴルフの合間の昼食時に食べてもあっさりしていて食欲が増すのだろう。福岡での人気メニューのひとつだ。絶対にお勧めです。

「九州国立博物館」

太宰府天満宮の裏手の山に「九州国立博物館」はある。全国に「東京」「京都」「奈良」に継いで4番目の国立博物館だ。天満宮から長い長いエスカレーターを上るとそこに博物館があった。二度目の訪問だ。壁を覆うガラスに空と周りの緑が写り実に美しい。2005年にオープンしたモダンな建物だが、現在は通常展なので特に面白いものもない。中学生が多数来ていて勉強をしていたくらいか。展示されているものも「国宝級」のものは殆どなく、せいぜいが「重要文化財」程度なのだ。「日本文化の形成をアジア史的観点から捉える」というのがコンセプトらしいが、余り面白い展示はなく、物足りない限りだった。

久々の博多

「J REPORT 2011 9月第3週号の追加」
「リタイアメント・ノート 3年目3月目」 「VOL.703 SINCE AUG. 12th、1983」
「旅暦31 久々の博多」
今週は忙しい。旅、旅、旅だ。まず夕方名古屋で昔の部下と飲んで、その足で深夜近くに博多へ移動した。ホテルに行ったら、よやくの日にちが違うと言われたので、別のホテルに電話してそこにチェックイン。もう11時過ぎだ。そこからいつも行くモツ鍋の店「七山」に。震災直後マスターから電話を頂いていたのでそのお礼を兼ねて顔を出す。久々に懐かしい顔を観る。事前に名古屋から電話していたので「レバ刺し」も準備されていた。今日はモツ鍋は食べられないが(既に名古屋で食事していたから)レバ刺しを堪狽オた。東京では生のレバーを食べることは恐らく無理だろう。午前1時過ぎまで飲んでホテルへと戻った。
翌日は二日酔状態だったが、3月12日に出来たばかりの「博多駅ビル=JR博多シティ」を訪れる。この半年でここを訪れた人はなんと3千万人を上回ったという。一日の乗降客が九州最大の35万人というターミナル駅に直結しているのだが、集客力は凄い。ここには「阪急百貨店」「東急ハンズ」そして専門店街、レストラン街があるが、平日の昼間だったにも関わらず沢山のお客がいたのには驚いた。それと中国人の観光客も多かった。9階と10階のレストラン街には有名店が多数出店していた。因みに私が行った事がある店も多く、「牛たん炭焼 利久」(仙台市)、「鮨割烹やま中」(福岡市)、「銀座 天一」(東京)、「人形町 今半」(東京)、「みそかつ 矢場とん」(名古屋市)、「遊食豚彩 いちにいさん」(鹿児島)、「菅乃屋(馬肉)」(熊本市)、「広東炒麺 南国酒家」(東京)、「華都飯店」(大阪市)、「四川飯店」(東京)、「博多 一風堂」(福岡市)、「コカレストラン」(東京)らが立ち並んでいた。この駅ビルの繁盛とは裏腹にこれまで博多の中心であった「天神地区」の売り上げ落ち込みが酷いらしい。あちら立てばこちら立たずのようだった。まあ、私も色々なところで食べているから、有名店も数多く知っていると言う訳だ。それにしても流石よくもこれだけの店を集めたよなあ。

「太宰府天満宮」

午後から西鉄電車に乗って大宰府に行った。ここでも中国人韓国人の観光客が沢山いたのには驚かされた。九州は原発の影響もなく、観光客の足は回復してきているようだった。空は快晴、雲ひとつなく、眩しいくらいの陽射しが厳しかったが、空気はまさに秋の澄み切ったものだった。菅原道真公を祭るここ「太宰府天満宮」は受験シーズンではないので絵馬もなく、落ち着いた雰囲気だった。10円だけお賽銭を投げ、「二礼二拍手」。もともとこの大宰府は大陸や朝鮮半島への出発点でもあり、政治と経済と国防の中心地だったという。「遣唐使」もここから出発したし、「元寇」の際にはここが拠点となり、蒙古に対したという。門前町には「梅ヶ餅」という焼餅を売っていた。太宰府天満宮の名物はそういえば「梅」だったことを思い出した。境内には梅の木があったことを思い出した。1300年の歴史を誇るこの天満宮、年間どの位の観光客が訪れるのだろうか?