「会津の旅へ」

佐久へ行った翌日には郡山から磐越西線に乗った。郡山は都会だが、すぐに山間に入り、やがて「磐梯熱海温泉」を経るともう完全に樹木に多い尽くされている。すると突然「磐梯山」が現れた。山腹に大きなスキー場が見えるが、山肌は緑の絨毯のようだ。猪苗代湖を望む磐梯山は確かに素晴らしい眺めだ。本当に久し振りにここに来たと思う。多分20数年振りだと思う。会津若松はそれこそ幕末の中心点でもある。幕末には「京都御所」の警護役「京都所司代」として沢山の藩士が都に上り、挙句の果て「朝敵」として官軍の攻撃にさらされた歴史を持つ街だ。「戊辰戦争」の折には城にろう城した武士と市民の最大の悩みは「糞尿」の処理だったという。数ヶ月官軍に囲まれ、城にこもった人たちの糞尿だけは処理出来ずに垂れ流し状態だったという。人間、食べれば排出するのは当たり前だ。ろう城とは籠もることだが、援軍の来ないろう城ほど酷いものはないだろう。会津若松は盆地だ。磐梯山の麓の巨大な盆地は今、正に稲穂が光り輝いていた。

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