第八日目

第八日目 5月25日(金曜日) 2?4
早朝、6時。「早起きは三文の徳」とはよく言ったもので、ホテルの2階の窓から何気なく外を見ると木陰から「鹿」が2頭現れた。ゆっくり歩きながら草を食んでいる。チャンス到来とばかり部屋から数枚の写真を撮ったあと、慌てて外に行くと正に目の前、3mほどをゆっくりと歩む鹿と遭遇してしまった。別の外人男性も慌ててカメラ片手に現れる。鹿は我々の目の前を通過しながら駐車場のほうへと歩み去った。体長1.5mほどの鹿は、「奈良の鹿」のように人懐っこくはないが、決して人を恐れてはいない。自然に溶け込んでいて、人間我関せずといった感じだった。
ここは全米でも屈指の観光地で年間450万人の人が訪れるという。やはり欧州からの人が多いようだ。アジア系では日本人は我々とほんの少し、あとは中国人が少しいただけだった。今日は動物デイかも?朝の鹿に続いて、昼には「ブルー・ジェイ」という青い鳥を撮影、更に小さな小鳥も発見し撮影。この小鳥は人懐っこい鳥で人を恐れずに近寄って来た。勿論、リスは2度見かけた。「グランド・キャニオン」を走る「無料巡回バス」を利用してあちらこちらの観光スポットを巡り、その雄大さを堪狽オた。眼下、約1500mほどを流れる「コロラド川」、この水がこの景色を永い年月を掛けて作り出してきたのだった。相変わらず携帯電話が不通、圏外のままだ。現地の人たちが使っているアメリカ製の携帯は繋がるようだが、日本から持ってきた携帯は「AT&T」の回線を利用しているのだが、全く繋がらない。SALT KAKE CITYでのみ繋がった。だからラスベガスに着くまでは無理なのだろうか?本当に参った。インターネットもグランドキャニオンではホテルの食堂でのみ通じるのでわざわざPASOCONを持参してネットに接続している。早く便利な都会に行きたいです。さて、明日は「朝日鑑賞」だ。4時20分ホテル出発で日の出を観に行く嵐閧ナす。

第七日目

第七日目 5月24日(木曜日)  2?3
いよいよ長旅も半分を過ぎようとしている。そろそろ旅の疲れも出てきており、身体がしゃきっとしない。「一日一快食」「禁酒」と頑張っている。頬が少しこけて来た。といって油断すると直ぐに太るから困る。今日は「ナバホ族の居留地」内にある有名な場所第八番目の観光ポイント「モニュメント・ヴァレー」に行く。ここは正に西部劇に出てくる場面そのものなのだ。奇妙な形をした砂岩が地上に突き出しているところをカウボートとインディアン、あるいは騎兵隊が走り抜けていくシーンを思い出してもらいたい。あの「ジョン・フォード監督」が好んだという場所もある。広大な西部、そしてそこに聳える奇岩、今にも「ジョン・ウェイン」が颯爽と馬に乗って、やってきそうな場所だ。昼食後には映画「駅馬車」のロケ地にも行った。空は澄み切った青空だった。その後第九番目の「グランド・キャニオン国立公園」へと向かう。ここは知らない人はいないから、紹介記事はどうでもいい。私自身は10年前に訪れたことがある。ラスベガスへ出張の折、時間を割いて一人で訪れた。今回は明日一日たっぷりとグランド・キャニオンを堪狽オてみるつもりだ。夕方、「夕日鑑賞」に出掛ける。なかなか感動的な光景だった。勿論、綺麗な写真も撮れました。空には星が瞬いていて新月の月も美しかった。

第六日目

第六日目 5月23日(水曜日) 2?2
「西部は田舎だ」。これに尽きるといった感じだ。逆に言えば「古き良きアメリカ」が残っているというべきなのだろう。通信事情が極端に悪い。インターネットはホテルから出来るのだが、携帯電話が町を離れると「圏外」と侮ヲされ通話通信全て不可狽ニなる。折角「海外ポケ放題」で「AT&T」に垂オ込んであるが、圏外になるからどうしようもない。まあ、考えてみればそれも当たり前かも知れない。日本の26倍の国土があるのだから、日本みたいに山岳遭難者でも携帯で救われるという訳にはいかないのだろう。それにしても困った。国立公園内は殆ど通話不狽セ。話しは変わるが、アメリカには軍隊が4軍ある。「アーミー」「ネイビー」「エアフォース」「マリーン」だ。それ以外にも「州兵」がいる。これは日本の自衛隊のようなもので「災害派遣」「俣ョ対策」等内向きな活動で濫 ???ノ編入されていて、「すわ鎌倉」という時には軍隊に召集されるらしい。不思議なのはGASOLINE価格だ。レギュラーが大体ガロン$3.7程度で、ディーゼルが10%近く高いのだ。日本や欧州ではディーゼルのほうが安い。聞いてみると税制の違いのようで製造コストはディーゼルのほうが高いらしいから、それを基準にした自由価格だという。米国はガロン単位の価格だから、リッターに直すとほぼ1ドル/Lとなる。西部では車は圧倒的に「日本車」が多い。ある駐車場では8割が日本車だった。トヨタ、ホンダ、日産、マツダ、三菱と多種多用だが、やはりトヨタとホンダが群を抜いていた。北米の自動車ディーラーは「現品在庫販売」だそうで、だから震災やタイの洪水で在庫がなくなった日本メーカーの販売が不振になった訳だ。日本のように注文生産ではなく、見込み生産してそれを現物で買うのが米国式らしい。さて中西部の「穀倉地帯」は実は水が殆どない地区なのだ。そこで川からの灌漑は勿論だが、砂漠地帯ではもう60年も前から「井戸水」が汲み上げられて灌漑用水として使用されてきていた。実は砂漠には雨は殆ど降らないから、この井戸水の水源は「化石水」といって大昔に地下水脈に溜まったものだという。推定ではあと20年ほどでなくなってしまうという。大水流を誇っていた「コロラド川」も水量は半分ほどになっているという。このままではアメリカの農業は大打撃をこうむる可柏ォもある。未来は決して明るくない。更に今話題の「シェールガス」の発掘には「大量の水」が必要だ。果たして人類の文明を支えてきた「水」は足りるのだろうか?「否、絶対に不足する」。
今日は第六番目の「メサ・ヴェルデ国立公園」に行く。スペイン語で「緑の丘」という意味で真平らな丘の数百メートル下に削り取られた谷間が広がっている場所で、先住民族たちが1000年以上前に住んでいた住居跡が岩場に掘られて残されていた。丘の上で耕作をし、崖の中腹の土手に穴を開けて住居として暮らしていたらしいが、その後彼らの行方は不明だという。子孫は多分インディアンだろう。その後インディアンである「ナバホ族」の居留地に向かう。そこに第七番目の観光ポイントの「フォー・コーナーズ」という場所がある。4つの州の境界線が一つに交わる点がそれだ。「ユタ」「コロラド」「ニューメキシコ」そして「アリゾナ」の4州が一点で重なっているのだ。この日は強風で「砂嵐」状態だった。アリゾナの「カイエンタ」というナバホ居留地内の町に入るまでは100m先も見えない位の状態だった。正に砂漠の世界だった。この地区の土は「砂岩」で非常に脆いので風化し易い。砂岩は東京日比谷の「帝国ホテル」の外壁に使われているので思い出して欲しいが、赤茶けた色の岩だ。だから砂漠の中に大きな山がところどころ残されている西部劇特有の風景を醸し出しているのだが、これらは皆砂岩が風化したあとという訳だ。

グランド・キャニオン

「J  REPORT 2?12 5月第5週号、その2」
「リタイアメント・ノート 3年11ヶ月目」
「VOL。742.SINCE AUG.12th、1983」
「旅暦38、アメリカ西部の旅 その2」
第五日目 5月22日(火曜日) 2?1
旅もいよいよ中盤戦に入る。今日は、三番目の「デッドホーススポット州立公園」、四番目の「キャニオンランズ国立公園」、そして五番目の「アーチーズ国立公園」を訪れた。一路、SALT LAKEから南下する。知らなかったが「アムウエイ」はモルモン教徒が母体だという。ケント・デリカット、ケント・ギルバート両名ともモルモン教の宣教師として日本を訪れたという。高速道路を走ると「EXIT 何番」という印がある。これは州間高速道路の出口を州境からマイルで侮ヲしているという。だから自分が降りたい出口のナンバーを知っていれば、今から何分で到着できるかが卵ェ出来るのだそうだ。大体普通の車は1マイルを1分、即ち時速約100kmで走っているからそういう計算が成り立つらしい。「国道15号線」を走っていると鉄道の線路が平行して走っている。そこを長い貨物列車が走っていく。ディーゼル車が前後と中間にも繋がれていて貨車を引っ張っていた。ご存知の通りアメリカの踏み切りでは一旦停止はしない。遮断機や警報がなっていない限り車は皆止まらずに通過してしまう。合理的といえば合理的だ(追伸:やはりトラックとバスは一時停止の義務あり)。さてSALT LAKE郊外では200坪の土地と家で約1000万円程度で購入出来るという。またこの地方には殆ど黒人は住んでいないという。よく考えてみればアメリカは歴史がない国だから、あるものといえば「自然」しかない訳だ。今日の観光地は皆、「砂岩」で出来た地層が長い年月の間に風化作用によって削り取られ、奇妙な姿の石や穴が開いた岩や切り取られた渓谷が出来ており、正に自然の造形力の凄さに感動させられた。今日は暑かった。真っ赤に日焼けしてしまった。但し長袖だったので顔だけが真っ赤です。今日の収穫は昼飯時、目の前を駆け抜ける動くものを発見し追いかけたところ、小型の野ねずみの一種だった。写真撮影にも成功。更にアーチーズ公園では「イーグル」が空を舞うのにも撮影成功しました。どうやら「禁酒」にも慣れてきて飲まずにぐっすりと眠れるようになった。逆に寝たりなくて昼間バスの中で眠くて仕方がない。あちら立てばこちら立たず、困ったものです。さて、クイズです。世界の人たちが「これはアメリカだ、と思うものは何ですか?三つ上げなさい」。答えは「コカ・コーラ」「ジーンズ」「ロックンロール」だそうです。「平均的アメリカ人が訪れたい場所を三つあげなさい」では「ディズニーランド」「自由の女神像」「グランド・キャニオン」だそうです。これはニューヨークタイムズ紙からだそうです。

食事

5月18日  1?5食
昼にANAラウンジで蕎麦とスナックを食べて、機内で午後6時にビーフの夕食、その後は一切食事せずにャ泣gレイクまで来て、ホテルでの夕食となった。コーラ、スプライト、水は飲み放題で、サラダにパンにステーキが出た。ステーキはアメリカ特有の「赤身」の「アンガス種」でぱさぱさのステーキで網目の焦げ目までは良かったが、私のステーキはウエルダンになっていて最悪だった。サラダはまあまあか。「一日一快食」を続けて2ヶ月経った。3kg痩せたきり、その後変化がない。この食事方法は「貴乃花親方」「鶴太郎」「所さん」等もやっているらしい。芸矧Eでも信者がいるらしい。まあ、頑張って続けてみよう。
5月19日
朝はバナナ2本にオレンジジュースにコーヒー。昼は「バッファロー・バーガー」が出た。普通の牛の肉と余り変わらない。まあまあの味か?久しぶりに昼を食べた。夕食は定食みたいな「ミート・ラザニア」でした。安いから仕方がないね。
5月20日
朝は「コンチネンタル・ブレックファースト」で、ココアとスープより少し堅いメ[セージグレイビーなるものとゆで卵、ヨーグルトを、昼はサンドイッチ弁当が出たが食べずに持ち帰りした。夕食は「生野菜のサラダ」と「虹鱒のャeー、塩胡椒風味」だったが、これも不味かったなあ。味は淡白でよいのだが、魚の身自体がぱさぱさしていた。ツアー飯の極致といえよう。サイドの「ガイリックトースト」のほうがよっぽど美味しく3つも食べてしまった。アメリカ到着後、禁酒を継続中です。頑張ってます。
5月21日
朝は前日同様のメニュー、ココア、メ[セージグルービー、ヨーグルト、茹で卵でした。昼は「クロワッサン」に「鶏肉」を挟んだサンドウィッチ、夜は「チキンクリーム・スパゲティ」でした。ボリュームあり過ぎて困りました。
以上、アメリカ西部の旅の前半戦を「アリゾナ州カイエンタ」より勢古口がお送りしました。

第四日目

第四日目 5月21日(月曜日) 1?4
午前3時、目が覚めたので外に出た。夜空には星が光ってはいたが、周囲の明かりが強くてたいした数の星は見えなかった。満天の星空を期待したのに残念。まだどこかで星を見るチャンスはあるだろう。日本は昨日は天体ショーに沸いたらしい。「金環日食」はインターネットで観た。さて、今日は二番目の国立公園「グランド・ティートン」へ行く。まずはイエローストーン川に沿っていつもの道を行く。川面から水蒸気が立ち上がっている。バッファローの大群がいる。何百頭もいる。朝のお食事中のようだ。親子連れが多いのが群れの特徴か?途中「コンチネンタル・ディバイド」を通過する。要は大陸の中心部にあり、水の流れを太平洋か大西洋かに分ける分水嶺のことだ。この辺りは「白樺」の木が生える位高地なのだ。未だ半分ほど氷結した「ルイーズ湖」の湖畔を通る。この国立公園はイエローストーンの南東に当たり「ワイオミング州」にある。イエローストーンも90%ワイオミング、10%モンタナ州にあるのだが、この「グランド・ティートン」は映画「シェーン」のラストシーンで子供が「シェーン、カンバック!」と叫ぶ中、シェーンが立ち去る時、背景にある山並みがここなのだ。主峰「マウント・モーラン」3842mを中心にして鋭い山々が聳え立つ。切り立つ峰、山肌、残雪、樹木、動物、湖、草花、実に美しい。原野には中型の鹿の「エルク」、「BISON」、「リス」、「熊」がいる。熊以外は全部観た。私は熊の親子を発見したと思っているのだが、遠くて確認出来なかった。更に山に沿った湖で大型のねずみの一種「PIKA」を発見した。私だけが写真に収めた。今日は暑くて暑くてかなわなかった。本来は寒くて仕方がない時期なのに現地の人たちも異常気象に驚いていた。寒さで震えるはずが暑くて真っ赤に日焼けしてしまった。そこから一路「SALT LAKE」に戻る。ワイオミングからアイダホ経由ユタまでの本日の全工程は700kmだった。アイダホの大地、太陽、水が育み、「ポテト」「牛」「馬」を生み出している。兎に角広い「西部の大地」でした。帰路の途中「ジャクャ刀Eホール」という西部劇に出てきそうな町で「フラバブル」という一見して桜かと思わせるような樹木と花を観た。木の名前は町の人に聞いたので辞書で調べてみよう。調べたが、よく分からなかった。

第三日目

第三日目 5月20日(日曜日)  1?3
朝、ホテルのモーニングコールで飛び起きる。時計は5時を示している。やはりどうも可笑しいと思っていたのだが、部屋の時計が一時間進んでいた(注:サマータイムにしていなかったようだ。手抜きだ)。それにしても昨晩は「睡眠導入剤」を飲んだので完全に熟睡した。時差も直った。天気も快晴、雲一つない。またた「イエローストーン国立公園」に行く。我々のホテルは「ウエスト・イエローストーン」という地域で公園内の西入り口のすぐそばにある。公園に入って10分ほどでバッファロー(こちらの呼び名はBISON)の大群に遭遇した。道路を完全に占領してしまってゆっくり歩いている。自動車も我々のバスものろのろ運転で渋滞となってしまった。春に生まれたばかりの子牛たちも元気に走り回っている。警笛を鳴らすことは勿論禁じられているのでバッファローが立ち去るまで待つしかない。レンジャーがやってきて車でバッファローたちを道路外に誘導してくれたので漸く進めた。途中、小型の鹿「DEER」や大型の鹿「エルク ELK」、リスなども見えた。さて今日はちょっと北の「ノーリス」と「マンモス」というところで「温泉」を観る。中国の「黄龍」やトルコの「パレッカム」と同じように温泉から石灰分が湧き出し、それが固まって段々畑のようになり、綺麗なお湯の池を形作っているのだ。温泉の温度により、中にいる微生物の光り方が違っていろいろな色になるという。午後からイエローストーンの語源になった渓谷に行った。「グランド・キャニオン オブ・イエローストーン」という。大きな滝があり、そこから流れ出す水が谷を造り出し、周囲の岩石の色が黄色という訳だ。「イエローストーン湖」も美しい湖だった。湖の前のホテル「レイク・イエローストーン・ホテル」は外装が全て黄色の板張りだった。国立公園内のホテルだからなかなか高そうでした。帰り道にも沢山のバッファローがいたが、朝の大群を見たせいで新たな感動はなかった。

第二日目

第二日目 5月19日(土曜日)  1?2
夜明けは午前6時頃。7時にはホテルを出て州間高速道路で一路北上する。道路を疾走する大型トラック。トラック部分は運転席の後ろに二段ベッドがあり、タイヤは前輪2本、後輪2列4本の8本、更に貨物車は後輪2列4本の8本で合計18本だ。更に更に、荷物車が二台や三台まで牽引しているのもあるから恐ろしい輸送力だ。ユタ州はモルモン教のメッカだから、寺院が多い。平屋の寺院の上に4?5mの尖塔がたっているが、これにはクロスはなく、円錐形のものだけがある。ちょっと変わった形だ。アメリカ、特に田舎の車はピックアップトラックが多い。トレーラーハウスの展示場もあちこちにあった。利用する人が多いということだろう。周囲はまずは牧場があり、牛や馬が見える。アイダホ州に入ると広大な農場となる。昨日も見た円形の農場も見られる。半径100mほどのパイプを時計の長針のようにして動かし、数メーター置きに開いた穴からスプリンクラーの要領で水を散布するのだ。パイプにはタイヤがついていて移動出来るが、しかし、どうやって移動させるのか?は分からなかった。これを使ってアイダホポテトを量産しているという。兎に角凄いスケールの農業だ。一面、芋畑ばかりだった。徐々に高度があがっていく。約1500mほどからは溶岩の平原と新庄樹林帯が続く。そしてその先ワイオミングには白い雪を頂いた山々が見え出した。SALT LAKEから約5時間で漸く目的地「イエローストーン国立公園」に到着、標高1900m。ここはアメリカ最初の国立公園だという。勿論「世界自然遺産」でもある。そしてここは火山帯のど真ん中、カルデラの中なのだ。岩肌の間から温泉が噴出し、そこに住む微生物の色で不思議な色の魔術を見せ、また間欠泉が勢いよく噴出し、観光客を楽しませる。その周囲には動物たちも多く、バッファローたちが草をはみ、エルフという中型の鹿や、熊、リス等もいるという。なんといっても見せ場は「オールド・フェイスフル間欠泉」の吹き上がりだろう。数時間置きに数メートルの高さに噴出するのは流石に凄い迫力だった。ニュージーランドでも見たがこちらのほうが規模も大きく感激ものだった。バッファローにも感激。今は子育ての時期らしく親子で暮らしている姿もあった。ホテルは「モーター・イン」所謂日本流には「モーテル」だった。ところが部屋は広くベッドが二つスペースも充分あったが、私の部屋は道路に面した角部屋で外の音、隣の部屋の水音が酷いのには参った。

イエローストーン

「J REPORT 2012 5月第5週号」
「リタイアメント・ノート 3年11ヶ月目」
「VOL。741.SINCE AUG.12TH 1983」
「旅暦38.アメリカ西部の旅
第一日目 5月18日(金曜日)  1?1
成田でいつものようにANAラウンジで「掻き揚げ蕎麦」を食べる。いつもながら美味い。そして午後4時のユナイテッドの便でサンフランシスコ経由「SALT LAKE CITY」に向かう。到着は現地時間18日午後3時(日本時間19日朝6時)だ。サンフランシスコの空港でトラブル発生。飛行機が出発しようとタクシーングしていたところ管制塔からの指示でまたゲートに戻ることになった。原因は小さなコンピュータの故障ということで部品を換えて1時間後に再出発ということになった。でも何事もなく無事到着した。サンフランシスコを飛び立つとSF市内と「ベイブリッジ」が見え、その先の「オークランド」上空を通過して行く。20分ほどすると頂が雪に覆われた山も眼下に見える。砂漠の中に奇妙なものがあった。約100m程の円形のもので、「真田の六文銭」のように並んでいる。緑色なので後で聞くと地下水を汲み上げて穀物を栽培しているという。やがてSALT LAKE CITYが見えてきた。郊外にはアメリカ特有のゴルフコースを囲むように立てられた一戸建ての家々が連なっているのも目にした。ホテルには4時半にチェックインしたが、もう25時間以上寝ていないので流石に眠たい。まだ夕食が残っている。寝てはいけない。頑張りましょう。今日は気温14度、ほぼ晴れ、湿度が低いから乾燥して喉がいがらっぽい。この町、周囲を山々に囲まれていて車で一時間程度に多数のスキー場があり、その雪質は乾燥したパウダースノーで最高だという。「冬季オリンピック」も開催された町だ。山にはまだ雪が残っている。さて午後8時を過ぎたが、未だ全くの昼間と同じ明るさだ。緯度が高く、北海道と同じだという。ご存知キリスト教の一派である「モルモン教」の町でもある。指が攣(つ)ってPASOCONを打てないから止めます。
少ししたら回復したので再開。ここユタ州は西部なのだろ、ネイティヴ・アメリカン所謂インディアンの人たちをあちこちで見掛ける。漸く午後9時、日の入りして薄暗くなった。日本との時差は15時間、今日本は19日の正午だ。私の時計は日本時間のまま。海外旅行の時はいつもそうしている。今回の場合は、日本時間プラス9時間の24時間前が現地時間になる訳だ。日本時間にしていないと日本へのメール等をする時に混乱してしまうためなのだ。慣れればこれでも問題ない。禁酒に再挑戦することにした。環境が変わった時がある意味チャンスだと思って挑戦する。

「東京タワーと富士山」

夕日が美しい。そして眼下の「東京タワー」がライトアップされた。遠く「富士山」のシルエットが見える。場所は先週ご紹介したレストラン「オレゴン バー&グリル」、汐留センタービル42階からの眺めだ。22日にオープンされる「東京スカイツリー」はテスト的なライトアップを行っていた。緑色、青色へと変化しながらスカイツリーが幻想的に闇に浮かび上がっていた。

「自転車は凶器」
これまでだったら「凶器?」と疑問符をつけていたのだが、今では疑問符は付かない。間違いなく「凶器そのもの」である。本当に歩道を歩くのが怖くなる。恐怖感を覚えながら歩く身になってもらいた。皆さんも歩行者であるならば必ず自転車に襲われかけたことがおありになるだろう。本当に怖い。全く無謀な運転をしながら「リンリン」とベルを鳴らして、鳴らしているほうならまだよいほうか、兎に角突進してくるのだから始末に負えない。これならば免許制にでもしないと仕方ないだろう。相模原市で歩道での自転車と歩行者の分離と一方通行が始まったそうだ。自転車先進国のヨーロッパは、日本と同じように道路も狭い。しかしそこには必ず自転車専用道路があり、歩行者と分離されている。ドイツなどは自転車専用道路内で歩行者との事故が起こってもそれは歩行者の責任だという。それなりに自転車もルールを守り、歩行者もルールを守るということが必要だ。日本ではとてもそんなことは出来そうにもない。恐ろしや日本の自転車。