「團菊祭五月大歌舞伎観劇記」

「團菊祭五月大歌舞伎」(写真:K1)
「鴛鴦襖恋睦(おしのふすまこいむつごと)」(写真:K2)
江戸時代正月の歌舞伎幕開けは「曽我兄弟物」と決まっていたので、歌舞伎の新年に当たる11月に演じられたのが曽我物語に繋がる演目だった。それがこの鴛鴦。前半は相撲の発端を表わす長唄で、後半は常磐津で仲睦まじいおしどり夫婦を示す。

「毛抜」(写真:K4)
「四世市川左團次一年追善狂言」(写真:K5)
歌舞伎十八番の一つだが、本来は市川團十郎家の演目だが、では何故左團次の追善に演じられるかというと、一世と四世の舞台アイデアがこの演目の中に生きているので、その恩に感謝する意味で追善狂言としたとのこと。なお後見の一人として團十郎が出ていた。後見とは本来は弟子が行うのだが、所謂黒子的に演者の手伝いを舞台上で行う者。
毛抜はご存じの通り、姫の髪が逆立つという病に悩まされていたのを強烈な磁石が犯人だと判じお家騒動を防ぐというお話しだが、主人公に四世左團次の息子「男女蔵(とめぞう)」が演じ、来月には五代目左團次を継ぐという。

「極付番隨長兵衛」「公平法問謡」(写真:K3)
江戸時代、旗本奴と町奴の争いが絶えなかった頃、町奴の頭の一人に花川戸の番隨院長兵衛(團十郎)がいた。敵対する旗本奴の水野十郎左衛門(菊之助)が手打ちと称して屋敷に長兵衛を招く。長兵衛はこれは殺されると覚悟するが、逃げる訳にはいかないと堂々と乗り込み風呂場で殺されるというもの。

連休中とあって非常に混雑していた。(写真:K6)