「人生は旅の如くー9月のイタリアにて」

「J  REPORT 2024 5月第3週号」
「リタイアメント・ノート 14年11ヶ月目」
「VOL.1367 SINCE  AUG.12th、1983」

「走るな! 転ぶな! 風邪引くな!」が老人には大切らしいです。㔟古口
追加して「癌になるな」もね。

「人生は旅の如くNO.8-2009年編・第6話、9月のイタリアにて」
ちょっと記憶が薄れているし、古いパスポートを紛失しているために、イタリアに最初に行ったのは90年4月に出張で訪れたのが最初で、次が93年頃に妻と一緒に行ったのが2度目で、09年が3度目ではないかと思うが、その間にも一度訪問しているような気がしているのだが、確実ではないので、今回を3度目として話しを進めることにする。
最初の訪問は高炉メーカーの方とご一緒したもので、ローマには90年4月最初の日曜日に入った。コロッセオ前で新聞紙を掲げたジプシーの子供らに囲まれたのと、地下鉄内で同行者が帰りのエアチケットを盗まれた事件が印象的だった。夕食はローマのテルミナ駅近くの店でピッザを食べたが、その店の店員が日本人女性でこの地域は治安が悪いから気を付けるように言われた。翌日にはミラノに飛び、そこからは現地支店が手配してくれた運転手付きの車でロンバルディア平原を東へと、ヴェローナ、トリノ、ヴェネツィア、カラーラと廻りミラノからロンドン経由で帰国した。その年にイタリアでサッカーのワールドカップがあり、土産にフットボールの玩具を買った。ヴェローナでは地元の石材加工業者の接待を受けたが、次から次へと料理が出て来るのでもう食べられないとギブアップしてしまった。日本人にはあの量は無理だと知った。最後の締めはグラッパを飲むのだが、お腹に火が付いたようなアルコール度の高いお酒に驚かされた。大理石で有名なカラーラでも地元の店で食事をしたが、その時イタリアにはパスタが地域毎に違っていることと食材は基本地元の物を食べると知らされた。内陸部では肉を海沿いの街では魚介類を食べるのだという。所謂地産地消なのだ。美味しい物は地元産が最高なのだ。
2度目は妻とローマ、ミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェと廻ったが、ヴェネツィアで皆既月食に出会った。兎に角妻が不用心なので周囲に気を遣い過ぎて疲れ果ててしまった。この時ローマのフォロロマーノで当時読んでいた「ローマ人の物語」(塩野七生著)からの知識を日本人観光客女性に披露した記憶がある。
3度目は完全なる観光でローマ、ミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェと廻ったが、肝心のミラノの「最後の晩餐」の絵が修復中で観ることが出来なかったのが悔やまれた。まあ後に観ることが出来たのだが。
その後茸のような不思議な形の屋根の家が林立するアルベロベッロや地中海側の景勝地アマルフィーも訪れた。観る物全てが珍しく感動したのを覚えている。それと食事が実に私を含めた日本人には合っているようで皆健啖家振りを発揮していた。こんな旅をしてすっかりイタリア好きになってしまっていた。