「マリーナ・ベイ・サンズ」

「J  REPORT 2014 4月第1週」
「リタイアメント・ノート 5年10ヶ月目」、
「VOL。840 SINCE AUG.12th、1983」
「旅暦50、シンガポールへ」
「マリーナ・ベイ・サンズ」
これまた久し振りのシンガポールだった。何度行ったか覚えていないが、5?6回は行っていると思う。母や叔母を連れて行ったこともあった。元々戦時中、父は「陸軍主計少尉」として、母は「軍属」としてシンガポールにいたことがあり、父はそこで母を見初めたという。運命的な場所だった。その結果私が今ここにいるのだから。
シンガポールまでは約7時間のフライト。現地時間夕刻6時過ぎにチャンギ空港に到着した。宿泊先はあの有名な「マリーナ・ベイ・サンズ」だ。だが、私の部屋は何と2階の部屋で前を高速道路が走っていた。景色はどうしようもない。疲れもあるので、地下鉄に乗って2駅先で下車し、マリーナベイに面した海鮮レストラン「ノーサインボード」に行く。このレストランはテレビにもよく出るらしい人気の高級レストランらしい。そこから見ると、マリーナベイに沿って、時計回りに「観覧車」があり、シドニーの「オペラハウス」に似た建物が、そして「マリーナ・ベイ・サンズ・ホテル」、「高層ホテル群」、「マーライオン」、「ラッフルズ・ホテル」等々と続く。夜間なので道路がよく分からなかったが、歩いてみて、地下鉄、地下街が連続的に繋がっていて、余り表を歩かないでも動き回れるということが分かった。何しろシンガポール自体には何度かは来ているが、昔のことで全てが変わってしまっている。最も直近に来た時(十数年前?)には地下鉄は多分二路線ほどしかなかったと思ったが、今は縦横無尽に走っている。時代は変わってしまっていた。マリーナベイ周辺の夜景は凄かった。高層ビルに周囲を囲まれた湾には船は殆ど走っていなかったが、夜の11時になり、ホテルの前の岸壁近くで「噴水ショー」が始まった。噴水の幕に後ろからレーザー光線で画像を描き出し、また噴水の動きを変えることで観客を魅了しようというもので、ラスベガスに比べれば、それは劣るが、まあそれなりに楽しめた噴水ショーだった。追伸:帰国後、調べたらシンガポールを訪れた直近は、2000年8月だった。もう14年も前のことだった。

「光の波」

「光の波」
「ハウステンボス」の中で一際高い建物がある。約100mの「ドムトールン」という建物でここの80m付近に展望台がある。ここから下を眺めると、LEDライトが一面に敷き詰められていて、それがまた波のように点滅しながら押し寄せてくるのだ。夜のメインイベントといえよう。そんなライトの中を三々五々人々が散策していた。夜のハイライトなのだが、この光の模様はいつも同じではないだろう?多分シーズン毎に変えられ、リピーターにも対応できるようにするのだろうと想像するが、これも凄い労力が掛かる。大変だ。さてその晩は宿である「ホテル・オークラ」のレストランで、宿泊者向けセットメニュー「和牛ステーキ」を注文した。「長崎牛」の霜降り肉を目の前で焼いてもらい食べた。流石ホテル・オークラだけあり、肉も美味しく充分に堪能させて頂いた。レストランから見ると下には「別荘地」があり、個建て住宅が立ち並んでいた。一部の家には船着場も設けられていて、船も係留されていたりもした。この別荘地、一戸数千万円から数億円するという。別荘地の所有者はハウステンボス入場はフリーだという。まあバブル時代の置き土産みたいなものだった。
以上、勢古口が長崎からお送りしました。

「平戸城」

「平戸」
700年前の鎌倉時代からこの平戸の地は「松浦氏」が支配し、江戸時代も綿綿と続いていたというから、驚きだ。平戸・松浦藩、藩主の名前や藩命を呼ぶときは「まつら」となる。元々は「松浦水軍」であり、まあありていに言えば海賊だったのだ。源平の合戦にも平家方で参戦し、壇ノ浦にも出陣したという。さて江戸時代初期、海外貿易はこの「平戸」を窓口にして行われていた。だから日本で一番先進的なところであったのだ。「フランシスコ・ザビエル」も2度この地を訪れて布教していたという。「オランダ商館」もあった。それが「天草の乱」によってキリスト教が弾圧された煽りを食らって、平戸から長崎の出島に貿易窓口が移されてしまったことから、平戸は歴史の幕から去って行くことになったのだった。そのため、歴史から外されたことで古いものが沢山残されていた。落ち着いた漁業の街でもあり、古い都の平戸だった。玄界灘と有明海の両方に囲まれたこの地は豊富な魚類の産地でもあった。フランシスコ・ザビエルについていうと、余り評判はよくない。キリスト教を布教することに凝り固まっていて、どうも日本人をかなり見下していたらしい。その後、幕府は宗教色の濃くないプロテスタント系のオランダに貿易の窓口をポルトガル(カソリック系)から変えた。だからポルトガル側から見たら貿易面ではザビエルの布教は失敗だったと言えよう。

「ハウステンボスの3Dマッピング」

「ハウステンボス」
もう20年近く前に一度会社の旅行で来た事があったが、それ以来の「ハウステンボス」だった。経営危機を大手旅行会社の支援で立ち直ったこの施設も色々なアイデアを盛り込むことで漸く復活したと聞く。長崎は大村湾に造られたハウステンボスは多分2千数百億円もの巨費を投じられて造られたはずだった。それがバブル崩壊で破産した。だが、今は沢山の客が訪れている。当然宿泊を伴う客が多数いる。目玉は幾つかあるようだが、まずは「花」、シーズン毎に色々な花が植えられるという。今は「チューリップ」だ。その後「薔薇」「紫陽花」と替わって行くらしい。その次が夜の「光の宮殿、ジュエル・イルミネーション」、大量のLEDライトを設置した光の波は凄いものだった。確かに感動ものの風景だった。そしてもう一つが「3Dマッピング」、建物の壁に3Dの映画を上映するというものだが、中々迫力があるものでテーマは「竜」が火を噴くシーンを中心にして描かれていた。そして最後は世界的な人気アニメの「ONE PIECE」の船が航行するというものだった。どんどん進化しているハウステンボスだった。

「母校の練習見学」

「母校の練習見学」
東横線日吉駅から徒歩10分、東海道新幹線が走るトンネルの上にそのグラウンドはある。私が大学4年の時に、それまで使っていた練習グラウンド(通称、嵐が丘グラウンド)が工学部(現・理工学部)の校舎建設により立ち退きを余儀なくされ、新しく与えられたグラウンドは竹薮の小さな野原だった。そこを夏の炎天下、約1ヶ月の期間を掛けて、部員達だけで開墾整地して縦60ヤード、横40ヤード程度の小さなでこぼこのグラウンドが漸く完成した。そんな思い出ももう過去のものだ。今は人工芝の立派なグラウンドになっている。その日は東京でも18度と暖かく、グラウンドでは幾つものポジション別のチームに分かれての練習が行われていた。防具を付けないでの練習だったが、物凄く細かいメニューが組み立てられていて、選手達は休む間もなく、次々とメニューをこなしていた。中学生のフラッグフットボールの選手も一緒に練習していた。昨年、ハワイより専門のコーチを呼び、指導を受けているので、選手の身体も素晴らしく筋力が付いていたようだった。他校より身体が小さいので兎に角スピードを重視した指導をしているらしい。母校のアメリカンフットボール部の選手の今シーズンの活躍を期待したい。写真一番右手の大きな人がハワイ出身のコーチだ。

「2014年の映画のお話し」  2013年は221本の映画を観ました。
映画「ロボコップ」(丸の内ピカデリーにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年43作目)
瀕死の重傷を負った警官を救うにはロボット化するしかないと判断され、新しく「ロボコップ」が出来た。だが、それはロボットを政府に売り込むための罠だったのだ。果たしてロボコップは認められるのか?

映画「オール・イズ・ロスト」(TOHOシネマズシャンテシネにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年44作目)
南海の海で、一人のヨットマンが漂流の危機に襲われた。そして8日後、遂に力尽きた一人の男を描く。出演者はヨットマンのみ。

「私の去年2014年の映画の評価は?」
今年の★★★★★は、
今年の★★★★は、「小さいおうち」「アメリカン・ハッスル」「ウルフ オブ ウォールストリート」「光にふれて」「ダラス・カーボウイズ・クラブ」「それでも夜は明ける」

「2014 旅の記憶シリーズ」  2013年の旅では、「ペルー」が51カ国目、「南アフリカ」が52カ国目、「ジンバブエ」が53カ国目、「ボツワナ」が54カ国目、「ザンビア」が55カ国目でした。
2014年の国内旅行は、第一回目は九州福岡と水俣(1月)、第二回目は能登(1月2月)。第三回目は長崎(三月)です。
2014年の海外旅行は、トルコ(1月、3度目)、台湾(2月、3度目)です。

「2014 歌舞伎観劇シリーズ」歌舞伎座にて★★★「今年2回目」
「鳳凰祭三月大歌舞伎」夜の部「盲長屋梅加賀鳶」

「2014 本の記憶シリーズ」  2013年は本を350冊読みました。
「おかげ横丁」(井川 香四郎 著)文春文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年61冊目)「樽屋三四郎言上帳」シリーズ第12弾

「遊郭狂奔」(上田 秀人 著)幻冬舎文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年62冊目)「妾屋昼兵衛女帳面」シリーズ第6弾

「千万ドルの夜景?」

「J  REPORT 2014 3月第4週」
「リタイアメント・ノート 5年9ヶ月目」、
「VOL。839 SINCE AUG.12th、1983」
「千万ドルの夜景?」
久々に長崎に行った。会社生活の時には度々訪れた街だが、リタイアしてからは初めてだ。港にへばりつくように発展した街、坂の街、歴史の街、そして地元では「新世界三大夜景」(一千万ドルの夜景)と称している街でもあった。昼間は「大浦天主堂」と「孔子廟」を訪れ、夜はケーブルカーで山頂に登り、夜景見物をした。まあ、眼下にはパラパラと街の光があるが、圧倒的な夜景とは言えないだろう。修学旅行生などもいて、ケーブルカーは30分待ちだった。ただ、夜空に「十六夜(いざよい)」の月が大きく光り輝いていた。こちらのほうが寧ろ印象的だった。昔、日本が唯一海外に窓口を開いていたのが長崎だ。近代文明はここを足場にして入って来たと言っても過言ではない。幕末の志士たちも、オランダ語を学ぶ者も、医学を学ぶ者も、全国各地から若者たちがこの地に留学してきたのだ。海外に雄飛しようとした者もやってきたのが江戸時代の長崎だった。そして次に注目されたのが、昭和20年8月11日の原爆投下だった。こんな小さな街だが、良港があり、三菱重工のドッグもあり、攻撃対象とされてしまったという。終戦のきっかけとなった悲劇の街でもあった。今はそんな雰囲気は全くないが、明と暗の歴史が交差する街でもあったのだ。

「からすみを食す」

「手前勝手世界食物語、第331」
「からすみを食す」
台北の朝市で仕入れてきた「カラスミ」を食べることにした。手順書に従い、まずはカラスミの薄皮を剥ぐ。続いてお酒を両面に降り掛けてから、フライパンの上に乗せて火を通す。数分、表裏を焼いてから更にお酒を掛ける。その後薄く斜め切りにして、同様に薄く切った大根を乗せて食べた。暖かいカラスミと冷たい大根、何かミスマッチのような感じがしたが、これが意外や美味しい。美味、珍味であるカラスミだが、ちょっと高過ぎるのが玉に瑕だが、やはり美味しかった。
以上、東京から勢古口がお送りしました。

「江戸のファーストフード」

「江戸のファーストフード」
江戸時代のファーストフードといえば、当時は勿論「屋台」で手軽に街角で買えて食べられるものだ。直ぐに思いつくのは「蕎麦」「寿司」(写真)「天麩羅」だ。実際江東区森下近くの「江戸深川資料館」にはこれらの屋台の復元されたものが置かれている。実は日本におけるファーストフードの原点なのは「お握り」だという説がある。これが最も説得性があると私は思っている。なぜならば、お握りは最も手軽に造られ食べられるからだ。恐らく山や海で働く人たちの弁当に、また旅人の弁当に、労働者の人たちの弁当に、江戸以前では戦いの際の弁当にと、かなり古い時代からお握りは持ち運び便利な食べ物として使用されていたと思われる。だからこれがファーストフードの最初だと言う訳だ。日本は米の国だから、「お握り」は素晴らしいものだといえよう。江戸時代も後期になると、お握りだけでなく、香の物やその他のオカズも付いていたらしい。また、ファーストフードとしては「深川飯」や「親子丼」などもそういう範疇に入るのだろう。親子丼は明治時代になってから出来たものだが、人形町の有名店では当時の女将が労働者の要望で初めて造ったと書かれていたと記憶している。

「江戸の庶民の生活は楽だったか?43」
「七五三」
昔は洋司の死亡率が高かった。だから子供の安らかな成長を願って、「七五三」を祝った。「三歳の髪置き、五歳の袴着(男子)、七歳の帯解=おびほどき(女子)」がそれである。今もその風習は続いている。では、果たして江戸時代の人たちの寿命はどうだったのだろうか?以下それを記す。
「江戸時代の平均寿命は?」
江戸時代の記録はないが、明治に入っての記録等から観ると、乳幼児の死亡率が当時は1000人当たり、150人から160人だったようだ。従って平均寿命も40歳代前半だった。多分明治時代と同じだと江戸時代も考えられる。これが大正時代の大正10年から劇的に変る。それは水道で「塩素殺菌」が採用され、水道水が殺菌され細菌が除去された結果だという。さて、それ以前はどうだったか?2004年に毎日新聞に発表された研究結果によると、古代人、西暦702年当時の御野国加毛郡半布里(今の岐阜県富加町)の戸籍から推定した平均寿命は、男性32.5歳、女性27.75歳だったという。女性は出産時の死亡が多かったから、短かったらしい。また当然衛生面の問題もあり、乳幼児死亡率は恐らく1000人当たり200人以上だったと思える。因みに現在は1000人当たり3?4人程度と少なくなっている。

「愛犬ももの危機?」

「愛犬ももの危機?」
先月、腰の痛みを訴えた「愛犬もも」(10歳、メス、シーズー)だが、レントゲンの結果、背骨の一部に軟骨が出来ていて、そこが神経に触れるために起こる痛みだと医師はいう。その後、再度痛みが発生して病院に連れて行ったが、その時には痛みは解消していた。さてそんなこともあったので、一度精密検査をしてみようと思い、予約して病院を訪れた。その病院は24時間稼動でチェーン展開していて、獣医師だけで30名近くいる大病院だったが、約3時間掛けて、レントゲン、血液検査、内臓のエコー、心電図等の検査を行った。統括院長という女性獣医師が相手をしてくれて、説明を受けた。まずは頭部、歯は下は犬歯があるが、前歯は殆どなくなっている。上の歯はこれも殆どない。臼歯はあったからこれで咬んでいるのだろうか?眼は少し白濁しているという。所謂白内障なのだろうか?咽喉の部分は、脂肪が付いていて細くなっている。従って、呼吸が苦しそうな状態にあるという。さて心臓。問題はここだ。まずレントゲンでは非常に大きく写っている。これは心臓の周囲を脂肪が覆っているので大きく写っているのだという。そして左心房、左心室の間の弁が壊れていて、肺から戻ってきた酸素を含んだ血液が少量だが逆流しているという。まあ、それにより心臓にかなりの負担が掛かっているという。それは心電図からも分かる。肝臓、腎臓、副腎にもちょっと問題がありそうだが、今すぐどうのこうのとは言えないとのこと。胃は食べ過ぎ太り過ぎで拡張している。腸にはガスが溜まっているという。これも食べ過ぎの影響か?老化もあると言うことで心臓は問題があるが、数ヶ月様子を見ることとした。まあダイエットさせることが必要だというのが当面の結論だ。先週病院で計った体重は7.1kg、今回は6.7kgだった。ここのところダイエットさせていた効果が一週間で出た訳だ。まあ6kg以下を目指そう。ところで費用だが、初日は夜間診療ということもあり2万円、2度目は問診だけなので5千円、今回は検査が入っているので5万円掛かりました。医療費の控除がないから全額負担なのが痛いね。

「なぜ、政治家の髪は黒いのか?」
テレビを観ていていつも不思議に思うのが、「政治家の頭の髪の毛」だ。どうして皆が皆、あんなに髪の毛が黒いのか?誰しもが不思議だと思うだろう。政治家は皆、髪の毛が黒くなくてはならないのだろうか?こういう風に疑問に感じるのは私だけだろうか?当然染めているとしか思えないが。

「春霞」

「春霞」
豊洲運河の先に、晴海大橋と「レインボーブリッジ」が霞んで観える。今日の東京は久々の15度超えだ。春らしい暖かさになってきた。これまで余りにも寒過ぎて「三寒四温」とは思えぬ位の寒さ続きで参っていた木々も草花も春をそろそろ実感し始めただろう。今年の桜の開花は例年並みとか。来月には桜が満開になる。「春よ、来い。早く来い。春よ、早く来い」 話しは変わるが、晴海大橋の左手では今、「豊洲市場」の建設が進みつつある。数年後に完成する予定の市場では「場外市場」の計画も進んでいるという。橋の右手はご存知「東京オリンピック」の選手村になる予定地だ。この豊洲と晴海地区は2020年までに大きく変貌を遂げるものと思われる期待の土地なのだ。

「2014年の映画のお話し」  2013年は221本の映画を観ました。
映画「グランド・ピアノ」(ヒューマントラストシネマ有楽町にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年37作目)
天才ピアニストが5年振りに演奏会に出ることになった。しかし開いた楽譜には「演奏を絶対にミスするな。すればお前を殺す」とあった。恐怖の演奏会が始まる。果たしてピアニストはこの危機を逃れられるのだろうか?

映画「それでも夜は明ける」(TOHOシネマズスカラ座にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年38作目)原題「12years slave」
アカデミー「作品賞」受賞作。1841年、ニューヨーク在住の自由黒人が拉致され、南部で奴隷にされてしまう。その12年を描く。アメリカの恥部を描いた感動作。

映画「銀の匙」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年39作目)
帯広の農業高校に進学した男子生徒の一年間を描く学園ドラマ。銀の匙を持って生まれた子供は食べることに困らないとの言い伝えがあるという。

映画「リデック ギャラクシーバトル」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年40作目)
未来のどこかの惑星上でのこと。脱獄囚のリデックを賞金稼ぎたちが追う。更にそこには怪物たちがいた。果たして逃げられるのか?

映画「偉大なる、しゅららぼん」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★(今年41作目)
琵琶湖周辺に綿綿と続く二つの特殊能力を有する家族の物語。訳の分からないお話しでした。まあ、これだけ人気のある俳優を集めた割には酷い映画だった。

映画「アナと雪の女王」(TOHO日劇にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年42作目)
アニメミュージック。まあそれなりに面白いが、ディズニーだからこんなもんで当たり前か?

2014年3月14日付け日経新聞夕刊「シネマ万華鏡」の評価は、「アナと雪の女王」が4つ星、「あなたを抱きしめる日まで」が4つ星、「ロボコップ」が3つ星、「ドン・ジョン」が2つ星、「ランナウィ・ブルース」が3つ星、「偉大なる、しゅららぼん」が2つ星、「5つ数えれば君の夢」が4つ星でした。

「私の去年2014年の映画の評価は?」
今年の★★★★★は、
今年の★★★★は、「小さいおうち」「アメリカン・ハッスル」「ウルフ オブ ウォールストリート」「光にふれて」「ダラス・カーボウイズ・クラブ」「それでも夜は明ける」

「2014 旅の記憶シリーズ」  2013年の旅では、「ペルー」が51カ国目、「南アフリカ」が52カ国目、「ジンバブエ」が53カ国目、「ボツワナ」が54カ国目、「ザンビア」が55カ国目でした。
2014年の国内旅行の第一回目は、1月の九州福岡と水俣でした。第二回目は能登でした。
2014年の海外旅行は、トルコ(1月、3度目)、台湾(2月、3度目)です。

「2014 歌舞伎観劇シリーズ」歌舞伎座にて★★★「今年2回目」
「鳳凰祭三月大歌舞伎」夜の部「盲長屋梅加賀鳶」

「2014 本の記憶シリーズ」  2013年は本を350冊読みました。
「美雪晴れ」(高田 郁 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年52冊目)「みをつくし料理帖」シリーズ第9弾

「風塵の剣」(稲葉 稔 著)角川文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年53冊目)「風塵の剣」シリーズ第5弾

「古手屋喜十為事覚え」(宇江佐 真理 著)新潮文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年54冊目)「古手屋喜十為事覚え」シリーズ第1弾

「藍の糸」(中島 要 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年55冊目)「着物始末暦」シリーズ第2弾

「夢かさね」(中島 要 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年56冊目)「着物始末暦」シリーズ第3弾

「海上掃討作戦」(矢月 秀作 著)祥伝社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年57冊目)「警視庁暗殺部」シリーズ第2弾

「死なない男」(和久田 正明 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年58冊目)「同心野火陣内」シリーズ第1弾

「縣軍の章」(北方 謙一 著)集英社刊 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年59冊目)「岳飛伝」シリーズ第7弾

「月夜のからす」(和久田 正明 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年60冊目)「同心野火陣内」シリーズ第2弾